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2023/01/31

【犬狼物語 其の六百四十七】徳島県三好市 犬神落しの賢見神社

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徳島県三好市山城町に鎮座する賢見神社は、犬神を落とす神社として有名だと聞き、参拝しました。

細い山道をくねくねと上った先、集落の一番奥、山の中腹の斜面にへばりつくような社殿が見えました。古くは「犬見神社」と呼ばれていたという話もあります。

鳥居をくぐって中へ入ると、社務所、拝殿、絵馬殿などが並びますが、やはり斜面であるために、広い平場の境内が現れるわけではありません。コンパクトな印象があります。

狼の奉納絵画があるとネット情報にあったので、そのことを尋ねると、神社の奥さんが「あれのことでしょうか」と言って絵馬殿に案内してくれました。

見せていただいたのは、意外にも彩色された新しい絵でした。奥さんによると、これは素戔嗚命だそうで、従っている数頭の動物は、狼かもしれないとのこと。いや、これは奥さんが断定できないのもわかります。狼なのかどうか微妙なのです。色が黄土色で、どちらかというと、狼の色より、狐の色に近い。

この絵は、神社にある2幅の掛軸を見た崇敬者が、その絵を基に描いた絵だという。その「賢見皇大神」の掛軸を見せてもらいましたが、確かに同じモチーフです。そしてこの掛け軸の動物はもっと狼に見えます。「狼」を強く意識させる神社ではありませんが、博物館で聞いたように、犬神を祓うものとして狼があるようです。狼は犬神よりも強いという信仰がこのあたりにもベースとしてあるように感じます。

奉納画についてですが、人によって解釈が微妙に違ってくると、狼が狐のようにもなってしまうということでしょうか。いや、狼と狐の眷属信仰が時として入れ替わり、時として曖昧であること、そのことが期せずして表われているのかもしれません。奉納した人が無意識であったらなおさらです。

これは絵だけではなく、話(民話)もそうです。その人の解釈、価値観、希望などが反映されていきます。まるで伝言ゲームのように周辺の枝葉末節な部分はいろいろと変化していきますが、それでも核心となる話は残るということも、この例は示しているかもしれません。

 

 

 

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2023/01/30

【犬狼物語 其の六百四十六】徳島県 ニホンオオカミの頭骨と「犬神文書」

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2019/9/8付けの徳島新聞で、ニホンオオカミとみられる頭骨が、徳島市国府町の民家で見つかったというニュースを知りました。

リフォーム工事の人が民家の神棚の奥にしまわれていた頭骨を見つけ、家主の承諾を得て県立博物館に持ち込んだというものです。ニホンオオカミである可能性が極めて高いとの鑑定結果が出ました。

「県立博物館の長谷川賢二副館長は「過去には、頭骨をまつる信仰が県内であったことを示す古文書付きの頭骨が当館へ寄贈されたことがあり、今回の頭骨も信仰に関係があるだろう。資料が乏しく断定できないが、箱にしまって大事にしていた様子から、魔よけの可能性はある」と言っている。」

とあります。

関東地方でも、狼が狐憑きを祓うという信仰があり、ニホンオオカミの頭骨を削って狐憑きを治す薬として使われていたりと、ニホンオオカミの頭骨が数多く見つかっています。この記事を読んで、同じような信仰が四国にもあったのかと驚きました。

それで詳しく知りたいと思い、徳島県立博物館を訪ねて話を伺いました。

白い緩衝材の紙に包まれた頭骨にご対面。頭骨といっても、肉片がこびりついているようでもあって、半ミイラとも呼べる代物です。ただし、これは記事に出ていた2019年に発見されたものではなく、その前、美馬市穴吹、口山の集落の庄屋、緒方家に保存されていて寄贈されたものです。

頭骨のマズルには、「狼天宮」、下顎の側面には「緒方義根」と墨書きしてあります。

関東での狐憑きを落とす目的のニホンオオカミの頭骨が点在しているのと違い、四国では一般的ではなく、この頭骨はかなりレアなケースになります。猟師が魔除けとしてニホンオオカミの頭骨を下げていたという話は聞いているものの、四国での「狼信仰」はそれほど盛んだったとは言えないようです。このニホンオオカミの頭骨も、狼信仰というよりは、犬神を落とすためのひとつの呪具といったものらしい。

それと刀剣と古文書も見つかっています。この古文書「犬神文書」は、文明4年(1472)阿波国内の犬神使いを捜し出し処罰するようにという命令書。当時犬神使いが跋扈し、人々を惑わしていたという。犬神に関する一番古い文書だそうです。(ちなみに関東のオサキの初出資料は1745年のもの)

狼頭骨、犬神文書、刀剣、この3点セットで犬神を落としていました。これを借りたいという人が、90年代にもいたそうです。

犬神とは何か。四国や九州東北部などで信じられていた人に憑く動物霊の総称ですが、関東周辺の「オサキ狐」のようなものでもあるらしく、犬神はイコール「犬」ではなく、オコジョやネズミのような小動物であるというイメージや、埋められた犬の首、手のひらに乗る小さな犬という実際に犬のイメージの場合があります。

四国には、犬神や狸に憑かれるという話はありますが、狐憑きはないという。四国に狐が棲息していなかったからという俗信もあるそうですが、どうしてないかははっきりわかりません。

いずれにしても、憑き物あるところに狼ありですね。セットで出てきます。「悪=犬神・オサキ等」と「善=狼」表裏一体の関係でしょうか。ただし、この善悪は固定したものではありません。

憑き物がどのようであったかは地方によって違います。何かの理由があって、四国では犬神というイメージになり、山陰や関東では狐のイメージになったということかもしれません。

ところで、三好市に鎮座する賢見神社は、犬神を落とす神社として有名だとのこと。徳島県人のみならず香川県からも崇敬者が参拝します。憑き物を落とすのは狼ということは意識されているそうです。この例からも、狼の霊力が犬神よりも圧倒的に強いということは四国でも信じられていたようです。

 

 

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2023/01/29

普通救命講習

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これも危機管理のひとつとして、市の普通救命講習を受けました。心肺蘇生(胸骨圧迫)とAEDの使い方です。

今コロナ禍なので、心肺蘇生の中の人工呼吸はやらないことになっているそうです。胸骨圧迫(心臓マッサージ)だけですが、やってみると、かなり体力を使うことがわかり、もし周囲に人がいたら、その人たちにも助けてもらうことが大切なんだなぁと知りました。

それからAEDの使い方も、実際にやってみて、これなら使えるかなと少し自信は付いたかなぁと思います。

講習を受けたあと、修了証カードももらいました。

知識では知っていても、具体的な体験がないと、たぶんその場になったらできないだろうなとずっと思っていました。実際、そういう体験があったからです。

だから講習会で実際にやってみることは大切です。ただ、教科書通りにいかないだろうなという不安もあります。

とにかく、一番大切だなと思ったのは、周囲の人に声をかけて助けてもらうことです。ひとりでは大変だということがわかりました。

 ただし、その場合、「だれか救急車呼んでください」とか「だれかAED探してください」はダメで、目の前の人に直接向かって「119番に電話して救急車呼んでください」とか「あなたは、AED探してください」と具体的な指示をした方がいいそうです。

これを聞いて、「傍観者効果」を思い出しました。ビブ・ラタネ、ジョン・ダーリー 著『冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学 』があります。

1964年にニューヨークで起こった婦女殺人事件「キティ・ジェノヴィーズ事件」というのがありました。たくさんの目撃者がいたにもかかわらず、誰も警察に通報もせず、助けなかったというこの事件をきっかけに、心理学者がある仮説を実験して確かめたという話です。

結論は、緊急事態の現場に居合わせた人の数が多いほど、助ける人が少なくなるというもの。これを「傍観者効果」と呼びます。

その後、癲癇発作や、煙が出るなどの実験でも確かめられました。

どうしてそうなってしまうんでしょうか? 大きく2つの理由があるそうです。

【責任の分散】 人数が多いほど、自分よりも援助に適した人がいるはずだ、自分がやらなくてもいい、ほかの人にも責任はあると考えてしまう。

【集合的無知】 みんな同じことを考えていることを知らず、自分の考えはほかの人とは違うのではないか。自分では緊急事態なのかもと思っても、周りの反応を見ると、他の人たちは何もしようとしていないのをみて、緊急事態ではないんだと思い込んでしまう。みんながそう考えてしまうので、誰も助けなくなってしまう。 

俺も2回の「緊急事態」に遭遇しました。火事と、発作を起こした男です。

近所の火事での意外な行動(2013/08/17)

素人に応急処置は難しい(2014/09/15)

発作を起こした男を見たとき、俺も救命措置の知識がないので、自分よりも適した人がいるはずだとは思って、ちょっとだけ助けに向かう時間は遅れたということは事実です。

その場には、俺のほか6人ほどいましたが、男の異変に気がついても、みんな何もしようとしませんでした。でも、たぶん、内心は俺と同じだったのかもしれません。

そこでもし講習を受けていた人間がいたなら、その人が中心となって、みんなも救命措置を手伝うことになるのではないかと思います。

 

 

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2023/01/25

【犬狼物語 其の六百四十五】 四国の「三峰/三峯神社」

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三峯講は、北は北海道の礼文、南は徳島県にもあったという。三峯神社がこれだけ広範囲で影響力を持っていたというのは驚きです。

ただし残念ながら、現在、google地図で検索できる四国の「三峯神社」は、秩父の三峯神社と関係があった証拠はありませんでした。

たとえば、高知県佐川町にある「三峯神社」の場合。

神社が建立されている山の名前が三峯山(さんぽうさん)で、神社は「みつみねじんじゃ」ではなく、「さんぽうじんじゃ」という読み方になります。昭和56年発行の『佐川町史』にも、秩父三峯神社や狼等に関する記述はありません。

隣の越知町との町境にあり、google地図で検索すると佐川町丙と住所が表示されますが、実際には越知町分となっており、元々は昭和の町村合併以前にあった尾川村(現佐川町尾川地区)の一部だったのが、町村合併の際に生活圏等の実情により越知町に編入されたとのこと。

佐川町側の前総代によると、「前々総代のお父さんから引き継いだだけであって、詳しいことはよくわからないが、ご神体が狼とは聞いたことがない」とのこと。現在は五穀豊穣を祈願した秋の大祭のみ行っているとのことです。

また、阿南市富岡町の「三峯神社」(写真)についてですが、場所は阿南市役所の真ん前になります。

読みは「みつみね」ですが、文献等がなく玉垣の氏名を元に住民に聞いても、既に孫の代になっていて知らないという。祭礼を行っている宮司も、伝聞ですがと断って、
「神社の名前の由来や、狼や埼玉県の三峯神社の分祀という話は聞いたことがない。50年ほど前に道路工事の際に出た五輪塔などをお祀りして、社殿と玉垣を新築した。その以前から三峯神社があったかどうかも聞いていない。五輪塔と言っても石ころのようなものらしいが、見つかった全部をお社の中に納めた」

ということです。
ちなみに、徳島県では、約400年前の土佐長宗我部氏の阿波侵攻の戦に倒れた兵士を祀った五輪塔などを「いくしっさん」と呼び、現在も「いくっしさん」を触ると災いが起こると恐れ、田の守り神として祀っています。

三峰/三峯(山)という地名は、秩父だけではなく、全国に点在しているので、「みつみね」というのは偶然の可能性もありそうです。

また、高知県奈半利町にある三峯神社も、読みは「みつみね」ですが、秩父の三峯神社との繋がり、狼との関係はなさそうだとのこと。神社の主祭神は、火産霊神、奥津彦命を祀っているそうです。ただ以前、狼信仰の研究者、『狼の民俗学』の著者、菱川晶子さんが調査に来られたことがあったそうです。その調査結果がどうであったかはわかりませんが。

これは俺の勝手な想像ですが、神社から数キロ離れたところに「三ッ目山」という山があり、この「みつめ」が「みつみね」に変わった可能性はないのだろうか、とも思います。

 この3社は、秩父三峯神社、狼信仰と関係ある証拠はありませんでしたが、徳島県にも三峯講社が存在したのは事実らしく、この資料からわかります。

明治39年発行の『三峰山誌』には、各地の講名簿が載っていて、徳島県の部に「辻町講社」があります。

ただし、調べましたが、現在、この「辻町講社」がどこにあったかはまだわかりません。辻町(つじちょう)は、徳島県三好郡にあった町で、現在の三好市井川町の北部にあたるとのこと。それで三好市で聞いてみました。

三峯神社という名前では見つかりませんが、辻町の南に、御崎(みさき)神社(御崎大明神)というのがかつてあったそうです。(狼信仰と関係あるとしたらこれだけ)

それは、明治の「三好郡神社取調差上帳」に載っていますが、勧請された由来は不分明とのこと。なので、この御崎神社も関係はわかりません。現在、「みつみね」も「みさき」も残っていません。あるいは、末社としてあるとか、合祀されてしまったのかもしれません。 

 

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2023/01/22

新年快乐! 身体健康! 恭喜发财!

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新年快乐! 身体健康! 恭喜发财! 

今日は旧暦一月一日(旧正月・春節)。今年もよろしくお願いいたします。(ようやく言えました)

旧正月を、沖縄では「ソーグヮチ」、中国では「チュンジエ(春節)」、ベトナムでは「テト(節)」、韓国では「「ソルラル」といいます。

絵は、中国雲南省に住むナシ族の象形文字、トンパ文字で「兎」です。

東アジアの国で、旧暦を捨てたのは日本(沖縄などを除く)だけ。旧暦を併用しても何も問題ないでしょう。クリスマスもハロウィンも盛り上がることができる国なんだし。

 

 

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2023/01/20

今日から二十四節気「大寒」、七十二侯「款冬華(ふきのはなさく)」

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今日から二十四節気第24番目の「大寒」。寒さが一番厳しい時期です。

最近は、こういう霜柱が見られなくなった気がします。このキノコやガラスのような霜柱の写真は、昔の写真です。

地面に落ちていたドングリを、霜柱が4センチも持ち上げています。すごくないですか。

江戸時代に発行された暦便覧には「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」という言葉があるそうです。「大寒」という二十四節気の次に控えているのが「立春」だからでしょうか。

寒さも極まれば、あとは暖かくなっていくだけです。寒さが苦手な俺ですが「大寒」がそれほど嫌いではないのは、その春への期待も込められているからかもしれないですね。

 

 

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2023/01/18

広島県尾道市 因島水軍城

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南北朝時代から室町・戦国時代にかけて活躍した村上水軍。

因島水軍城は昭和58年に築城された城型資料館で、村上水軍の武具、遺品、古文書などの歴史資料が展示されているそうです。

訪ねた日は休館日で外側からしか見ることができませんでした。

 

 

 

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2023/01/15

愛媛県今治市 大三島・大山祇神社

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愛媛県今治市、大三島に鎮座する大山祇神社を参拝しました。

ここは、大山祇神を主祭神とする「三島・山祇信仰」の神社、大山積神社、大山津見神社、山積神社、山祇神社、山住神社などとも表記される全国の山祇神社の総本社です。(wikiより)

大山祇神は、伊弉諾尊と伊弉冉尊の子、木花咲耶姫の父に当たります。「オオヤマツミ」は、「大いなる山の神」という意味で、一般には「山の神」とも呼ばれます。

東日本では「山の神」の眷属が狼であることから、狼信仰とも関係がある神社で、たとえば、狼の天井画で有名な福島県飯舘村の山津見神社もあります。

神社には、何対かの大きな狛犬が神社を護っていますが、ここでは大山祇神の眷属は「狼」ではなく、「白鷺」だそうで、残念ながら狼像ではなく、普通の狛犬のようです。

なお境内には、天然記念物「乎知命御手植の楠 」があります。

「御島(大三島)に祖神大山積大神を祭った乎知命の御手植楠(樹齢2600年)と伝えられ古来御神木として崇められている。」

 

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2023/01/14

山口県防府市 毛利氏庭園の紅葉とヴィーノ

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毛利氏庭園を訪ねたのは昨年12月中旬ですが、まだ紅葉が終わっていなくて、「旅するヴィーノ」の撮影には、ちょうどいい条件でした。

 表門から本邸に通じる路の橋の周辺が一番紅葉していたので、アングルを替えて、ヴィーノの撮影をしました。

 

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2023/01/13

【犬狼物語 其の六百四十三】山口県防府市 三宝荒神宮

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山口県防府市の三宝荒神宮は、ペットの守護神といわれる宮で、3体の犬像が奉納されています。

どうしてここがペットの守護神と言われるのでしょうか。神社の由来の解説には、

「寛永十七年(一六四〇)此の地方に犬牛馬に病が流行し多く死す村人うれいて仕事も手につかず老人は気を患う早速社を建立し祈願したるところ悉く治り平安となる 平成二年が三百五十年に当たりここに社を再建する 精神安定の神火難及び家畜の守護神として人々の崇敬をうける 講中」

と、あります。今、鳥インフルエンザが流行り、多くの鶏が殺処分されています。昔であれば、こういった状況では、社や祠を建てて、収まるように祈願するしかなかったんだろうなと思います。

 

 

 

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2023/01/12

【犬狼物語 其の六百四十二】山口県防府市 天満宮の三太している犬像

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山口県の防府天満宮では干支の御柱を奉納する風習があるそうで、拝殿前に並んでいた木彫の動物像もそうなのでしょうか。

 三太している犬像がありました。

一番下の写真が、今年の干支「卯」の御柱です。

 

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2023/01/11

【犬狼物語 其の六百四十一】福岡県北九州市 到津八幡神社の子守犬と子守石

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到津八幡神社に子守犬があります。犬張り子を模した石像です。

「安産と成長守護」が一番のご神徳である到津八幡神社のHPには、子守石について、このようにあります。

「お子様が生まれるまで、お母様の枕元において、お腹の赤ちゃんのお守りとしてお持ち頂きます。無事、お生まれになりましたら、神様に報告する為に中の子守石に赤ちゃんの名前と生年月日を記入して子守犬に納めます。石は後日、神殿に安置します。今後の守護と無事成長を祈念するものです。」

ちなみに子守石を納める場所は、男の子、女の子に分かれています。

犬や石については、以前「産育の石をめぐる民俗」として、埼玉県越谷市の香取神社でも書いた通りです。到津八幡神社も同じように、子安信仰の犬像と石がいっしょに置かれている神社です。

新谷尚紀著『生と死の民俗史』「境界の石」「産育の石をめぐる民俗心意とその儀礼的表現のメカニズム」には、

「同じく小石を身近におきながら妊娠、出産、育児の各段階でそれぞれ民俗としての意味づけが異なっているという点である。出産以前においては、子授けや安産、出産前後には産神、離乳のころには歯がため、というふうにである。」

また、境内には、子安神社も祀られていて、お食い初めで使う歯固めの石は、授与所で頒布しているそうで、使い終わったあとはこの子安神社に納めるとのことです。

石と犬の産育民俗がしっかりと息づいている神社でした。

 

 

 

 

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2023/01/10

【犬狼物語 其の六百四十】福岡県久山町 白山神社の狼?犬?像

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福岡県久山町の白山神社を参拝しました。

ここに狼像?犬像?らしき石像があります。何なんでしょうか? 

その前に、この神社の概要を書いておきます。久山町のHPには、

「拝殿は大正9年、本殿は昭和2年の建立です。それ以前、は白山山頂付近の花ノ木原にありました。山頂付近には延享4(1747)年銘の石製の祠があり、現在も「上の白山さま」として信仰が続いています。 白山は「首羅山」とも呼ばれ、伝承では天平年間の開山とされます。『筑前国続風土記』によると、むかしは大社で350もの坊がありましたが、天正年間にすべて焼亡したと記載されています。現在も山内には坊跡や堂宇の跡が随所に残り、当時の繁栄の跡をよく残しています。 毎年11月には大祭が行われ、大晦日から元旦には獅子舞が奉納されます。」 

とあります。

そして、ここには末社として大山祇神を祀った祠もあります。大正13年に合祀されたそうです。

問題の狛犬ですが、事情を知っている人を探して探して、ようやくたどり着いたのが、前に総代も務めていたTさんです。

実は、20数年ほど前、狛犬が盗まれてしまい、そのあと新しく奉納されたのが今の石像だったのです。ところが、この狛犬、Tさんたち氏子には、先代の狛犬と違っていて「まるで狐のようになった」と、あまり評判はよくないようなのです。(俺には狐、というより犬や狼に見えますが) 奉納した人は分かっていますが、その人のイメージとか、依頼を受けた石工のイメージは、だいぶ先代狛犬とは違っていたようです。

じゃぁ、先代狛犬は、どんな姿だったのか?と尋ねると、写真も残っていないというので、絵を描きながら尋ねたのですが、あまりはっきりしませんでした。Tさんは「パグのようだった」とも言っています。

旅先でもあるので、他の狛犬のデータは手元になく、帰宅後、手持ちの狼像や狛犬の写真を何点かTさんに送って、似ているものがあるか、見てもらうことになりました。

ところで、おおよその姿を聞くと、どうもお尻を上げて頭を下げた狛犬というので、鳥取、島根、兵庫でよく見かけた尻上がりの狛犬かなとも思います。左側の石像は、じゃっかんその尻上がりのニュアンスを伝えているかなとは思います。

 

 

 

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2023/01/09

【犬狼物語 其の六百三十九】大分県竹田市 くじゅう連山と長湯温泉

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ツイッターでフォローしている人から、ある書籍を教えてもらいました。

その中に、長湯温泉近くの山にまつられていた江戸時代の狼石像(高さ21㎝)の写真が載っています。今は、その著者(蒐集家)の庭に置いてあるそうです。

その写真のキャプションには、「売り主は、久住の山に点々といる狼は、皆、石の祠に入れられ、大切に祭られてきたと言っていた」とありました。(おそらく「狼」とあるのは「狼像」のことでしょう) 九州の狼信仰の痕跡が少ない中での、貴重な情報です。それで長湯温泉を訪ねてみました。

もう狼像や祠自体はなくなっている可能性が高いと思いましたが、せめて話だけでも知っている人がいるのではないか、そういう狼信仰の痕跡が残っているのではないか、という淡い期待があったのです。

事前に竹田市教育委員会などにも問い合わせていましたが、まったく情報がなく、それならば現地へ直接行って聞こうという、いつもの取材方法を敢行しました。

観光案内所、公民館、市役所支所、日帰り温泉などで尋ねてみましたが、もちろん収穫はゼロ。「もちろん」というのはこの場合、里で聞いてもダメで、山村で聞くべきですが。おそらく、山仕事をする人たちが山に祀っていた小さな祠だったでしょうから、かなり当事者に近い人でないと知らないでしょうね。しかも江戸時代であればなおさら。そこまで必須の取材ではなかったので、諦めました。

書籍には「売り主」とあったので、九州の他のところで聞いた、このあたりの神社にも多くの山犬像があったが、ことごとく盗まれた、という言葉がいつまでも頭に残っていて、もしかしたら、この狼像も、その中のひとつなのかとも疑ってしまいます。

長湯温泉だけではなく、1代2代過ぎてしまうと、狼信仰の痕跡も忘れ去られてしまうことをあらためて思い知らされます。しかも「物」が無くなってしまっては、もう物語を伝える方法がありません。最初からなかったということと同じではないのかとも思います。

 

 

 

 

 

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2023/01/08

【犬狼物語 其の六百三十八】大分県竹田市 猪鹿狼寺

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大分県竹田市久住町に猪鹿狼寺があります。

名前からして狼信仰に関係があるのでは?という期待とともに訪ねましたが、結論をいうと、直接「狼」と関係がある寺というわけではありませんでした。

HP「お寺めぐりの友」には、

「伝教大師が渡唐帰朝の際、久住山を聖域とし山麓に十一面観音を安置したのが始まりと伝えられる。 はじめは慈尊院と号していた。 それ以来殺生禁断の霊場であり、山伏の修行場でもあった。

源頼朝の命により富士の巻狩を行うことになり、梶原景高が肥後の国の阿蘇大宮司へ狩礼の式を尋門に行った。文治2年(1186)、阿蘇大宮司を先導に久住山へ狩を目指したが、寺側は霊場であることを理由に一度断わったが、頼朝の威光と阿蘇大宮司の懇願により狩を許したところ、たくさんの獲物が獲れた。 この際、殺生禁断の霊場を犯したことと獲物となった鹿や猪の供養のため白丹南山城主の寄附を受け、頼朝公より猪鹿狼寺の名を賜った。

天正(1573-92)の兵乱で本堂を残し全てが焼失。寛永年間(1624-44)、石仏等を残し現在地に移る。」

と、あります。

ここに所沢に住む畠山重忠末裔が寄進した石碑があって、びっくりしました。

畠山重忠は、「源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした」(wikiより)人物で、ここに石碑があっても驚くにはあたらなかったのでした。

お寺の人の話でも、直接狼と関連するものはなく、獲物としての「猪」「鹿」と、「「狼」の字は、猟犬として狩りに借り出された狼犬をねぎらったものと思われます。」(来福@参道より)ということのようです。

 

 

 

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2023/01/07

【犬狼物語 其の六百三十七】熊本県山鹿市 大宮神社

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熊本県山鹿市に鎮座する大宮神社を参拝しました。

すると、けっこうおもしろいものがたくさんある神社であることがわかりました。

とくに「犬子ひょうたん」の像。

犬子ひょうたん祭(いんごひょうたんまつり)というのがあるそうです。これは境内社、八坂神社の毎年6月15日の祭事で、ひょうたんを抱えた子犬の形をした米粉細工のお守り「犬子ひょうたん」が授与されるそうです。ネットで検索すれば、実物の米粉のお守りを見ることができます。

厄除けとして買い求め、神棚などに祀り、一年間の無病息災を祈る風習があります。

この風習には、伝説があって神社HPから引用すると、

「京都より神様をお遷ししていると、突然子犬が姿を現しついてきた。長い道中、子犬が疲れたため、ひょうたんのお神酒を少し分け与えるとすぐに元気になった。その後、一行は無事中村(山鹿)に辿り着き、神様のお遷しの神事を終えると子犬は突然姿を消した。すると当時山鹿で流行していた疫病が途絶え、平和が訪れた。」

このことから、この子犬は神の遣いとして信仰されるようになり、犬子ひょうたん祭がおこなわれるようになりました。

犬にまつわる民俗としては、なかなか面白いもので、初めて聞くものです。偶然「大宮」に立ち寄りましたが、ヴィーノを連れているので、犬に呼ばれたのかなぁと思います。

他には、「ぎおんさん鳥居くぐり」や「甲斐神社」。甲斐神社はまた「足手荒神」ともいわれ、手足の病に苦しむ人の守り神とのことで、靴が置かれています。

 

 

 

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2023/01/06

【犬狼物語 其の六百三十六】福岡県筑後市 水田天満宮/恋木神社

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福岡県筑後市は「羽犬」の里です。なので、何度か来ています。

「羽犬」にまつわる「猛犬伝説」と「愛犬伝説」。相反する伝説ふたつが同時に伝わっているところに人々の葛藤、犬の祟りの怖れ、犬に対する供養の心など、複雑なものを感じる、という話は、すでに2冊の犬像の本に書いています。

ところで今回は、子安犬の像です。

水田天満宮には、子安犬の像があります。子犬がじゃれている親子のブロンズ製の犬像です。

調べたら、これはけっこう新しい犬像なんですね。2018年11月15日奉納とか。

毎日新聞地方版には、

「同市の九州芸文館館長で彫刻家の津留誠一さん(78)が約1カ月かけて制作し、宮原恭盛宮司は「安産や子宝を祈願しながら、たくさんなでて可愛がってほしい」と話した。」

とあります。

そして、末社として、ここには恋木神社があります。むしろ、こっちの方がインパクトあるくらいです。祭神は「 恋命 」で、全国でも恋木神社は一社のみだそうです。そうでしょうね。聞いたことありません。

恋木神社は、「良縁幸福の神様」「恋の神様」になっているようです。社殿の色からしてそれは想像できます。「赤」ではなく「ピンク色」といった方がいいような。

何と、恋木神社の御神紋はハートです。「恋みくじ」「恋木絵馬」「ハート陶板守」などいろいろあります。

 

 

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2023/01/05

那智勝浦町 小阪の棚田と椙吉神社

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和歌山県紀南地方で「つなぐ棚田遺産」に選ばれたのが那智勝浦町の「色川の棚田群」です。

第28回全国棚田(千枚田)サミットの開催が決まっています。(2023年11月18日~19日)

サミットの前に行っておこうと思い、今回予定になかったこの棚田に寄ってみました。

写真は小阪の棚田です。雄大な風景の中に、棚田が広がっています。

また、棚田を見下ろす場所に、木花開耶姫命を祭神とする椙吉神社が鎮座します。

和歌山県神社庁のHPには、

「古来より深瀬大明神と称し、小坂村の氏神たり、安産の守護神として近隣より崇敬される」

とあります。

安産祈願の神社では、時々丸い石を見かけますが、ここにもありました。また、歯固めの石にでも使われたのか、小ぶりの平べったくて丸い石もありました。

 

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2023/01/03

初詣は狐さん

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今年の初夢は、

インド行きの飛行機にのる予定の俺。あっ!時間は大丈夫だろうかと思ったら、すでに午後。チケットは何時だったか確認したら、10:45とある。完全に乗り過ごしてしまった、という夢でした。

内容的には、この数年見ている飛行機に乗れないシリーズで、特別目新しいものではありませんでした。

と、いうことは、今年も去年のような年になるんだろうなと思います。

 

初詣に、川越を目指したんですが、駐車場はどこもいっぱいで待っている状態だったので、川越は諦め、北上しました。

そして思い出したのが、東松山市の箭弓稲荷神社。ここは数回撮影でおじゃましているところなので、土地勘はありました。

でも、さすが1月3日。どうにか、他の私設駐車場に入れることができましたが、まだ参拝者はたくさんいて、お参りまで約40分ほどかかりました。

ここの本殿の裏側に、お狐様の塚があります。おびただしい数のお狐様像や石祠が集められているところです。

 

 

 

 

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