【犬狼物語 其の六百三十八】大分県竹田市 猪鹿狼寺
大分県竹田市久住町に猪鹿狼寺があります。
名前からして狼信仰に関係があるのでは?という期待とともに訪ねましたが、結論をいうと、直接「狼」と関係がある寺というわけではありませんでした。
HP「お寺めぐりの友」には、
「伝教大師が渡唐帰朝の際、久住山を聖域とし山麓に十一面観音を安置したのが始まりと伝えられる。 はじめは慈尊院と号していた。 それ以来殺生禁断の霊場であり、山伏の修行場でもあった。
源頼朝の命により富士の巻狩を行うことになり、梶原景高が肥後の国の阿蘇大宮司へ狩礼の式を尋門に行った。文治2年(1186)、阿蘇大宮司を先導に久住山へ狩を目指したが、寺側は霊場であることを理由に一度断わったが、頼朝の威光と阿蘇大宮司の懇願により狩を許したところ、たくさんの獲物が獲れた。 この際、殺生禁断の霊場を犯したことと獲物となった鹿や猪の供養のため白丹南山城主の寄附を受け、頼朝公より猪鹿狼寺の名を賜った。
天正(1573-92)の兵乱で本堂を残し全てが焼失。寛永年間(1624-44)、石仏等を残し現在地に移る。」
と、あります。
ここに所沢に住む畠山重忠末裔が寄進した石碑があって、びっくりしました。
畠山重忠は、「源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした」(wikiより)人物で、ここに石碑があっても驚くにはあたらなかったのでした。
お寺の人の話でも、直接狼と関連するものはなく、獲物としての「猪」「鹿」と、「「狼」の字は、猟犬として狩りに借り出された狼犬をねぎらったものと思われます。」(来福@参道より)ということのようです。
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