【犬狼物語 其の六百四十五】 四国の「三峰/三峯神社」
三峯講は、北は北海道の礼文、南は徳島県にもあったという。三峯神社がこれだけ広範囲で影響力を持っていたというのは驚きです。
ただし残念ながら、現在、google地図で検索できる四国の「三峯神社」は、秩父の三峯神社と関係があった証拠はありませんでした。
たとえば、高知県佐川町にある「三峯神社」の場合。
神社が建立されている山の名前が三峯山(さんぽうさん)で、神社は「みつみねじんじゃ」ではなく、「さんぽうじんじゃ」という読み方になります。昭和56年発行の『佐川町史』にも、秩父三峯神社や狼等に関する記述はありません。
隣の越知町との町境にあり、google地図で検索すると佐川町丙と住所が表示されますが、実際には越知町分となっており、元々は昭和の町村合併以前にあった尾川村(現佐川町尾川地区)の一部だったのが、町村合併の際に生活圏等の実情により越知町に編入されたとのこと。
佐川町側の前総代によると、「前々総代のお父さんから引き継いだだけであって、詳しいことはよくわからないが、ご神体が狼とは聞いたことがない」とのこと。現在は五穀豊穣を祈願した秋の大祭のみ行っているとのことです。
また、阿南市富岡町の「三峯神社」(写真)についてですが、場所は阿南市役所の真ん前になります。
読みは「みつみね」ですが、文献等がなく玉垣の氏名を元に住民に聞いても、既に孫の代になっていて知らないという。祭礼を行っている宮司も、伝聞ですがと断って、
「神社の名前の由来や、狼や埼玉県の三峯神社の分祀という話は聞いたことがない。50年ほど前に道路工事の際に出た五輪塔などをお祀りして、社殿と玉垣を新築した。その以前から三峯神社があったかどうかも聞いていない。五輪塔と言っても石ころのようなものらしいが、見つかった全部をお社の中に納めた」
ということです。
ちなみに、徳島県では、約400年前の土佐長宗我部氏の阿波侵攻の戦に倒れた兵士を祀った五輪塔などを「いくしっさん」と呼び、現在も「いくっしさん」を触ると災いが起こると恐れ、田の守り神として祀っています。
三峰/三峯(山)という地名は、秩父だけではなく、全国に点在しているので、「みつみね」というのは偶然の可能性もありそうです。
また、高知県奈半利町にある三峯神社も、読みは「みつみね」ですが、秩父の三峯神社との繋がり、狼との関係はなさそうだとのこと。神社の主祭神は、火産霊神、奥津彦命を祀っているそうです。ただ以前、狼信仰の研究者、『狼の民俗学』の著者、菱川晶子さんが調査に来られたことがあったそうです。その調査結果がどうであったかはわかりませんが。
これは俺の勝手な想像ですが、神社から数キロ離れたところに「三ッ目山」という山があり、この「みつめ」が「みつみね」に変わった可能性はないのだろうか、とも思います。
この3社は、秩父三峯神社、狼信仰と関係ある証拠はありませんでしたが、徳島県にも三峯講社が存在したのは事実らしく、この資料からわかります。
明治39年発行の『三峰山誌』には、各地の講名簿が載っていて、徳島県の部に「辻町講社」があります。
ただし、調べましたが、現在、この「辻町講社」がどこにあったかはまだわかりません。辻町(つじちょう)は、徳島県三好郡にあった町で、現在の三好市井川町の北部にあたるとのこと。それで三好市で聞いてみました。
三峯神社という名前では見つかりませんが、辻町の南に、御崎(みさき)神社(御崎大明神)というのがかつてあったそうです。(狼信仰と関係あるとしたらこれだけ)
それは、明治の「三好郡神社取調差上帳」に載っていますが、勧請された由来は不分明とのこと。なので、この御崎神社も関係はわかりません。現在、「みつみね」も「みさき」も残っていません。あるいは、末社としてあるとか、合祀されてしまったのかもしれません。
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