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2023/02/27

【犬狼物語 其の六百五十六~六百五十七】和歌山県紀美野町丹生狩場神社&和歌山市丹生神社内高橋神社

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上の2体は丹生狩場神社に奉納されているもので、弘法大師を高野山に導いた犬像かなと思ったのですが、宮司によると、弘法大師由来の像とは伝わっていないそうです。

下の2体は、丹生神社内高橋神社のもので、こちらも社務所で聞いたところ、由来は分からないということでした。 

どちらも犬像なのか、狼像なのか、はたまた狛犬なのか、はっきりしませんが、造形的に面白いと思ったので紹介しておきます。

 

 

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2023/02/26

【犬狼物語 其の六百五十六】三重県御浜町 犬と狼の交配種を先祖にもつという紀州犬の里

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三重県御浜町の紀州犬の里を訪ねました。

ところで、弘法大師は唐の長安で密教を学んで帰国する時、唐から日本の方を見ながら、「密教を広めるための良い土地があればその場所に落ちよ」と唱えて、三鈷を日本に向けて投げた。三鈷は両端が三つ又になった修行で用いる金属製の仏具のこと。

帰国後、三鈷杵が落ちた場所を探しに紀州の山の中に入った。すると山中で猟師に出会った。その猟師は白犬と黒犬を連れていた。実はこの猟師は狩場明神が姿を変えたものだった。この白黒2匹の犬たちの導きで、弘法大師は高野山にたどり着き、高野山に金剛峯寺を開山することにしたという伝説があります。

猟師が連れていた白と黒の犬たちは、紀州犬の先祖ではないかと言われています。昔「太地犬」「熊野犬」「明神犬」などと呼ばれ、和歌山・奈良・三重の紀伊半島に分布していた地犬は、天然記念物の指定を受けて「紀州犬」と名称が統一されました。高野山周辺の寺社には、この伝説にまつわる2頭の犬の像が数多く奉納されています。上に掲載した写真もその中の1対(2体)です。狩場大明神のお札は、犬飼山偏照院転法輪寺の狩場明神社のものです。

さて、時代が下って、江戸時代の話です。紀州犬には狼の血が入っているというのは、次の伝説からもうかがわれます。

三重県のHP「峰弥九郎ものがたり」(https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/minwa/kishu/mihama/index.htm)から要約すると、

江戸時代、熊野の奥山にある坂本村に峰弥九郎という猟師がいました。ある日の夜、弥九郎が山道を歩いていると一匹の狼がうずくまっていました。狼は苦しそうに近づいてきました。「何か苦しそうじゃのう。わしが見たろか」弥九郎は、狼がだらんと開けている口の中をのぞきこむと、「おお、おお、かわいそうに。大きな骨がささっとるぞ」と、狼の口に手を入れて、さっと骨を抜いてやりました。坂本の家に向かって歩き出すと、狼もトボトボと後をついてきます。弥九郎は「狼よ、もうこのあたりでええから、お前も帰って休め。そのかわりお前に子が生まれたら、一匹わしにくれよ」と言って狼を帰し、家路を急ぎました。
それから半年たち、狼のことなどすっかり忘れていた弥九郎が朝起きると、家の前でクンクンと子犬の鳴く声がします。戸を開けると、一匹のかわいい子犬がまとわりついてきましたが、よく見るとそれは狼の子でした。「さては、前に助けた狼がわしの言うことを守って、この子をくれたんか」と弥九郎は、たいそう喜んで、子犬をマンと名づけて大切に育てました。大きくなると狩りにも連れていくようになりました。
そんなあるとき、新宮の殿さまから、「佐野のご猟場で巻狩りをするゆえ、猟師は集まるように」とのお触れが出て、弥九郎もマンを連れて巻狩りに参加しました。
殿さまが山の上で休んでいたとき、一頭の手負猪が飛び出し、殿さまめがけて突き進んできました。あわや、というとき、どこからか弥九郎のマンが飛び出してきて、手負猪ののど首をめがけて飛びかかり、かみ殺しました。
危ういところを助けられた殿さまはたいそう喜んで、「あれはだれの犬じゃ」とおたずねになり、弥九郎とマンにたくさんの褒美を与えました。こうしてマンは、このあたりでは知らない人がないほど有名になりました。
そんなある日の夜、近くに住んでいたおばが弥九郎を訪ねて来て、「人間に飼われた狼は、千匹生き物を殺すと、次にはその主人を食い殺す」と言いました。外で聞いていたマンは、話が終わると悲しそうに3回、夜空に向って遠ぼえをし、姿を消したそうです。朝になってマンがいないのに気づいた弥九郎は、方々をさがしましたが、マンは二度と現れませんでした。ただ、夜になると鷲ノ巣山の方から悲しそうな狼の遠ぼえが毎晩聞こえてきて、付近の人々は「あれはマンの鳴き声や」とうわさしました。

ちなみに、伝説の最初の方は、全国に分布する狼報恩譚で、狼の口から刺を取ってあげると、狼が恩返しをするという民話と共通しています。

現在の紀州犬は、弥九郎が育てたマンの血をひく、つまり、狼の血をひくといわれています。マンの伝説は紀州犬の話ですが、もしかしたら、日本全国の猟犬には似たようなことがあったのではないかと想像させます。

先日NHKの「ダーウィンが来た!」のニホンオオカミの特集で、オランダに保管されているニホンオオカミのタイプ標本と言われてた個体が、DNA検査の結果、犬との交配種だったということがわかりました。タイプ標本でさえ、狼と犬との交配種だったということは、逆に、日本の猟犬に狼の血が入っていたとしても不思議ではありません。実際、いろんな猟犬で聞く話です。 

紀州犬の里には、弥九郎とマンの像が立ち、碑には、ここが「紀州犬の発祥の地」であると記されています。

近くには岩洞院がありますが、ここには弥九郎の墓も残っています。

 

 

 

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2023/02/25

【犬狼物語 其の六百五十五】三重県尾鷲市 狼宮と狼除神の碑

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三重県尾鷲市には狼宮と狼除神の碑があります。

矢浜の狼宮は、巨岩の前に鎮座し、今は山の神に合祀されていて、11月に「山の神の日」と呼んで祭りを行っています。

矢浜青年団がこの祭りを仕切るようになっていますが、その理由ははっきりわからないとのことです。山の仕事が多かった人たちが昔の青年団に多かったからではないかといいます。

狼宮の祭では神事のあと直会が行われますが、酒を飲み、四足は禁忌なので鶏を食べるそうです 神事が終ったら、今度は狼宮から北に鎮座する国市神社に移動し、幟を立てます。

この狼宮の祭りとは別に、山の神の「オコゼ」を見せるという祭りもあります。これは2月です。オコゼをちらりと見せて、笑い飛ばす祭りらしいですが、これは山の神が女神で、自分よりも醜いオコゼを見せると女神は喜ぶという話と通じる祭りなのでしょうか。

もうひとつ、狼除神(おおかみのぞきのかみ)の碑は、坂場庚申の森の、高さ3mほどの小高い円形土まんじゅう型の塚のてっぺんに鳥居が立ち、覆屋の中にありました。石碑には「狼除神」の3文字が刻まれています。

ちょうど近所のおばあさんたちが立ち話していたので、少しだけ話を伺うことができました。

「自分がここに嫁に来た当時、時々山の方からケーン、ケーンという狐の鳴き声は聞いたことがありました。狼の声はないですね。このあたりは木が鬱蒼と立っていて、国道までずっと墓地でした。だから地元の人たちも、このあたりに夜来るのは怖がっていましたよ」

この旧道は、熊野古道ではなく、北山街道で、山を越えれば奈良県の北山村です。明治時代、狼が生息していた大台ヶ原に通じています。大台ヶ原山は奈良県と三重県の県境にある標高1695.1mの山です。

現在、 和歌山県立自然博物館に所蔵されているニホンオオカミの剥製は、1904年(明治37年)ころ、大台山系で捕獲されたものといわれています。先日紹介した奈良県大淀町のニホンオオカミの頭骨は、明治10年代に上北山村の天ヶ瀬で獲られたものです。

この石碑は、狼に襲われないようにとの願いを込めて建てられた碑であったようです。と、いうのも、この辺りでは狼の被害が少なからずあったそうです。『尾鷲市史 上巻』の「狼宮」には、狼除碑についての記載もあります。

「坂場町の北山街道沿いの小高い丘に「狼除神」の碑があって、この狼宮には塩津武氏ほか七名で講がつくられている。明治三一年の棟札には狼をここに封じたと、当時の世話人山本仁右衛門がしるしている。
 狼についての記録は非常に多く、尾鷲大庄屋記録にも、元文二年(一七三七)・安永九年(一七八〇)と狼による被害が記されており、山越えの書状もちが困ったということである。狼についての民話も、送り狼にはうしろを向くなとか、狼は食塩が好きだから、夜中の塩買いの使いはよく襲われたとか、狼がいる谷には犬も入らないとかと多く残っている。」

犬も怖がる谷の狼というのもすごい。このあたりでは、それだけ狼は怖い動物、という認識だったようです。

 また、三木里浦にも狼宮があり、こちらでは「一一月一一日に狼祭りといって、餅をついて狼を祭る風習がある。三木里浦に住む助之丞という人が、畑仕事をしていたところ、尻を狼に食われて、それ以来、餅をついて狼にそなえるようになったのである。」

 とあります。

狼除神の碑から数百メートル下った尾鷲神社に寄ってみました。大きな神木が印象的です。次に、この神社の上の方になりますが、熊野古道の馬越峠へ行ってみました。

展望台からは、尾鷲市の街が一望に見渡せました。そして西側にはうっすらと雪を被った奈良県の山々が。そこに昔は狼がいたのでしょう。このあたりで狼宮などが祀られ、被害軽減を願った人々の思いは、この位置関係を見ると、よくわかるような気がします。 

 

 

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2023/02/19

【犬狼物語 其の六百五十四】2022年開催の国立科学博物館企画展「発見!日本の生物多様性」のニホンオオカミ

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 2022年開催の国立科学博物館企画展「発見!日本の生物多様性」のニホンオオカミ剥製です。

常設展では、体の右側からは見ることができなかったので、これは貴重なアングルでした。今、どういう展示をしているかわかりませんが。

NHK「ダーウィンが来た!」でも、のの剥製が参考にされたんだろうなと思います。

 

 

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【犬狼物語 其の六百五十三】ニホンオオカミの頭骨

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各地のニホンオオカミの頭骨です。

写真上から1~4は、奈良・大淀町の頭骨(上顎骨)と岸田日出男関連の資料です。

頭骨は、長さが21㎝。歯が1本残っています。吉野郡上北山村の天ヶ瀬というところで、吉野・熊野地域の自然保護運動に尽力した林業技師、岸田日出男が、地元の人間からもらいうけたもの。複数の研究者による鑑定とDNA分析の結果、ニホンオオカミであることが証明されました。

頭骨と一緒に入っていたのは、岸田日出男長男の覚書で、「天が瀬の人が自宅の庭へ、小便を飲みに来た狼を殺して保管していたのがこの頭蓋骨である」と記されています。

天ヶ瀬は、修験の村だったという。昭和の初めころまで、骨を煎じて飲んでいたらしい。塩分を摂るために小便を飲みに来る狼というのは、吉野では常識だという。この狼については「病狼(やまいおおかみ)」とも書いてあるので、年老いた狼、あるいは狂犬病などの病気だったのかもしれません。だからたやすく打ち殺されてしまったのかもとのこと。

 町に寄贈された、吉野熊野地方の映像フィルム、吉野各地の民俗の聞き取り記録など、岸田日出男の資料は4000点あり、そのリストは町のHPで公開しています。(http://www.town.oyodo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/923/20220301_kishida.pdf)

その中の、『日本狼物語』には、明治13年、上北山でオオカミが猟銃で撃ち殺され、残っていた骨片を昭和11年にもらい受けたとする記述があるそうで、この頭骨のことではないかと言われています。長男は、覚書に、「殺したのは明治16年と父から聞いたが、はっきりとは覚えていない」と記しています。いずれにしても、これは明治10年代のニホンオオカミの頭骨ということになるようです。町ではこの頭骨について「吉野に残された唯一のニホンオオカミの手がかり」と話しています。

 

写真5は、先日も紹介した徳島県のニホンオオカミの頭骨です。

 美馬市穴吹、口山の集落の庄屋、緒方家に保存されていたものですが、詳しくは、「徳島県 ニホンオオカミの頭骨と「犬神文書」」でどうぞ。

 

写真6は、佐倉市の国立歴史民俗博物館に展示されている「直良信夫コレクション」の後期更新世のオオカミ化石です。(放射性炭素年代測定を実施した結果、オオカミの頭蓋骨は約3万6千~3万3千年前頃の化石であることがわかった)

直良信夫は、オオカミの生態や人間との関係、信仰などをまとめた『日本産狼の研究』を著した、考古学・古生物学・古植物学・動物生態学などの分野で数多くの業績を残した人物です。

展示の解説ボードにはこのようにあります。

「頭蓋骨は26cmあり、超巨大なオオカミである。ニホンオオカミの約1.3倍の大きさで、シベリアのオオカミよりも大きい。ヒトがわたってきたころの日本列島にはこのような動物が普通に棲息していた」

このオオカミの頭蓋骨は、栃木県葛生で発見されたものですが、ニホンオオカミが、大陸のオオカミよりも小さかったことは、このような大きなオオカミが日本列島に閉じ込められ、だんだん小さくなっていったという説を支持するのでしょうか。

「歴史系総合誌「歴博」第195号」(https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/195/witness.html)にはこのようにあります。

「ニホンオオカミの系統については、近年の分子系統学的研究によればタイリクオオカミの中の一亜種を形成すると考えられている。一方、形態学的にはタイリクオオカミとは異なった特徴をもつことから、日本列島における遺存固有種とする考えとタイリクオオカミが小型化した島嶼(とうしょ)型亜種とする考えとが対立している。」

 

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2023/02/15

【犬狼物語 其の六百五十二】岡山県備前市 木野山神社(久保)

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その日、午後3時ころようやく岡山県備前市佐山に鎮座する木野山神社(久保)を探しました。

夜になってもいいかなとか気楽に考えていましたが、とんでもなかったですね。集落の裏山の中にあり、暗くなってから探すのは無理だったでしょう。

村人に聞いたら、駐車場はあるというので、そのまま上っていくと、2台3台くらい停められるスペースがかろうじてあって、そこで車は回転できました。

用水路に沿って進み、落ち葉や枯れ枝に覆われた参道らしき道をいくと神社にたどり着きました。

傾きかけた階段を数段上ると拝殿がありましたが、けっこう荒れていて、それを通って奥まで行くと祠があります。右側に狼像が立っていました。口を開けた狼像です。

狼像はそれだけではありませんでした。よく見ると、その後ろ側には、小さな狼像の胴体と、頭がはっきりと残っています。先代の狼像なのかもしれません。

それと、祠の後ろ側には、今右に立っている狼像の対の一体なのか、壊れた狼像らしきものが散乱していました。

 

 

 

 

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2023/02/09

【犬狼物語 其の六百五十一】武蔵御嶽神社 大口真神式年祭写真展『お狗さまの肖像-日本の狼信仰と狼像』

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企画 武蔵御嶽神社
大口真神式年祭写真展

お狗(いぬ)さまの肖像-日本の狼信仰と狼像
2023.4.1~5.31 8:30~16:00 武蔵御嶽神社神楽殿にて

今回の写真展では、東北地方から九州地方まで、日本各地に点在する個性的な狼像の写真を展示いたします。

明治時代に絶滅したとされるニホンオオカミですが、西洋とは違って、牧畜の発達しなかった日本では、猪鹿から農作物を守ってくれる益獣でもありました。ニホンオオカミは、農事の守神として崇められてきました。

もちろんニホンオオカミは、人を襲う怖い動物でもあり、被害記録もたくさん残っています。

益獣である面と怖い動物という面、二つを併せ持つからこそニホンオオカミは信仰の対象になったのでしょう。

ニホンオオカミは絶滅しても、今でも狼信仰の寺社は全国にあります。また山の中には、山の神の眷属としての狼像が立っている祠もあります。狼信仰は脈々と続いています。

 

これはハガキ大の写真展DMです。

DMを置いていただけるギャラリーなどありましたら、ご連絡ください。

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2023/02/08

【犬狼物語 其の六百五十】岡山県玉野市 迫間木野山神社

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玉野市迫間の木野山神社の狼像へ。

道に面して木野山神社の鳥居に扁額があったので、神社はすぐにわかりました。

参道は山の方へ続いています。でも、雑草が生えていて、どうも様子が変です。すぐ害獣除けの柵があったので開けて中に入りましたが、ますます参道の様子は荒れた印象でした。人が歩いている雰囲気がありません。

と、倒木が行く手を遮りました。枝を払いながら、太い倒木をまたいで奥へ進もうとして、足を取られて転倒しました。そのとき、右側に石垣が残っているのを見つけました。ここが間違いなく境内だったようです。

そしてようやく社殿らしき建物が目の前に現れました。と言っても、社殿の屋根は崩れています。

社殿の手前に狼さまの像を見つけました。左右1対の狼像です。右側の像は完全にやぶの中に埋没していました。この時は12月だからまだしも、夏場に来たら、この像にたどり着くまではもっと大変だったでしょう。

奥へと回ってみると祠がありましたが、これが木野山神社の祠でしょうか。この崩れた建物は拝殿だったのかもしれません。

藪の中にたたずむ狼像。千葉県銚子市の高神西町の三峯神社は、同じように藪をかき分けて探した狼像でした。

こういう狼像に接すると複雑な思いがこみ上げてきます。人工物が自然に溶けていく姿に寂しさと同時に美しさを感じてしまいます。

 

 

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2023/02/04

今日から二十四節気「立春(りっしゅん)」、七十二侯「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」

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今日から二十四節気「立春」、初候「東風解凍」です。

これは「旧暦棚田ごよみ」で使っている一月の新潟県十日町市の棚田。

雪景色ですが、「立春」なので、これから暖かくなっていくことを期待しています。

 

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2023/02/03

節分の夜は、外出を控える理由

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「福は内、鬼は外」

今日は節分で、俺も東京都のある寺院の節分祭の撮影をすることになっています。

節分の豆まきについて、小松和彦著『日本の呪い』には、

「この「ケガレ」(カオス)を浄化する儀礼には、ふたつのタイプがある。これは「ケガレ」の発現を未然に防ごうとする儀礼である。予防注射のようなものだ。これは、まだ「ケガレ」の状態になっていない、つまり「ケ」の状態にある者が、身体や家や集団のなかにたまりつつある「ケガレ」のもとを、「ケガレ」になるまえに祓い落とし、外部へ追放しようとするものだ。」

節分の豆まきは「ケガレ」の元になるものを、前もって追い出してしまおうという儀礼でもあるようです。「ケガレ」の元は「鬼」として表現されています。

鬼は外へ出してしまえば、内は安泰だ、という発想ですね。内、外、は心理的な区別と、実際の物理的区別にもなっています。

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以前、秩父の夏の祭、皆野町上日野沢立沢地区の「虫おくり」に参加したことがありました。虫おくりは、3本のオンベイ(御幣)を持って村を練り歩き、害虫の悪霊を呼び寄せ、村の外へ出してしまい、村の安泰を祈願する行事です。オンベイというのは、神霊の依代で、竹竿の先に幣を取り付け、その下に七夕飾りに使った色とりどりの短冊をつなぎ合わせて作ったもので、高さは5mほどあります。

このオンベイを、村外れの谷川に流し、村の安泰を願っていました。虫を外へ追い出してしまえば、内は安泰だというわけで、豆まきの発想と同じです。

ところが、この虫を付けたオンベイを川に流せなくなったというんですね。ゴミを川に勝手に捨てられないというわけです。

内さえ良ければ、外はどうでもいいという発想は、もう通用しないということでもあるんでしょう。

今日、多くのところで、鬼が外に追い出されます。日本中、異常な数の鬼が跋扈することでしょう。

ならば、今夜、外を歩くのは危険極まりない、ということになります。鬼=ケガレを自分が吸い取ってしまうかもしれないからです。

だから節分の夜の外出は控えたいと思います。

行き場のなくなった鬼たちはどうなってしまうんでしょうか。

 

 

 

 

 

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2023/02/02

【犬狼物語 其の六百四十九】岡山県浅口市 八幡神社内木野山神社

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浅口市鴨方町に鎮座する八幡神社内木野山神社の狼像。

八幡宮の拝殿の右側には、稲わらで覆った三角錐の「おわけ様」があって、これは市指定無形民俗文化財でもある伝統行事、10月5日の深夜に行われる「おわけ祭」で使用するものだという。

おわけ祭は、神功皇后が三韓征伐の帰途の際に、寄島(三郎島)に立ち寄り、小坂の郷から従軍して手柄を立てた3兵士との別れの儀式を催したという故事に基づくもの。

「おわけ様」の右奥に、木野山神社のお宮がありました。

中を覗くと、左右2体の狼像が見えます。高さは50cm ほどでしょうか。眼光は鋭いのですが、どことなくあどけない顔をした狼像で、子狼を模したものなのでしょうか。精いっぱい威嚇していますが、自分が可愛らしいことに気づいてなくて、威嚇が失敗しているパターンですね。健気さを感じます。。

離れているので材質はわかりませんでしたが、茶色に彩色してあります。すばらしい狼像です。

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2023/02/01

【犬狼物語 其の六百四十八】「お犬さま」「狼さま」のイメージ

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 23年開設という「精神分析とユング心理学」。今期、放送大学で受けるのはこれかなと思います。以前大場登先生の「精神分析とユング心理学」を受講したのですが、これも受けられるようです。

「お犬さま」はイコール「ニホンオオカミ」ではなく、日本人の集合的無意識の意識化されたイメージという面もあるんだろうなと思っています。夢や昔話と共通するものを感じます。

なのでイメージを重視するユング心理学は「お犬さま」と相性がいいのです。狐憑き、犬神憑きなど、今では精神疾患のひとつとして考えられている症状ですが、心理臨床の場面でもイメージを使います。狼のイメージを使っているかはわかりませんが。

昔、憑き物を祓うのが狼というのも、犬神や狐よりも狼は強いという信仰をみんなが持っていたから祓えていたのだろうと思います。

目に見えない病気や災いも、犬神、狐という具体的な目に見える形に置き換え、また、それを祓う方も、狼という具体的で最強の動物をイメージすることによって、より祓いやすくなるということではなかったかと思います。そして、病気や災いの元凶である犬神や狐を、その患者の体内から追い出し、場合によっては、「よりまし」に一時的に移らせて(憑かせて)、それを遠くに捨て去るということで憑き物を治していたと考えられるかもしれません。

「目に見える形」というのが重要なのではないでしょうか。目に見えないものは、怖いし、どう扱ったらいいかわからないものです。どんな形であれ、目に見えるものなら、扱いやすくなり、効果百倍です。

ところで、上に掲載の写真は、香川県さぬき市に鎮座する津田石清水神社の狼さま。

 

 

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