【犬狼物語 其の六百五十三】ニホンオオカミの頭骨
各地のニホンオオカミの頭骨です。
写真上から1~4は、奈良・大淀町の頭骨(上顎骨)と岸田日出男関連の資料です。
頭骨は、長さが21㎝。歯が1本残っています。吉野郡上北山村の天ヶ瀬というところで、吉野・熊野地域の自然保護運動に尽力した林業技師、岸田日出男が、地元の人間からもらいうけたもの。複数の研究者による鑑定とDNA分析の結果、ニホンオオカミであることが証明されました。
頭骨と一緒に入っていたのは、岸田日出男長男の覚書で、「天が瀬の人が自宅の庭へ、小便を飲みに来た狼を殺して保管していたのがこの頭蓋骨である」と記されています。
天ヶ瀬は、修験の村だったという。昭和の初めころまで、骨を煎じて飲んでいたらしい。塩分を摂るために小便を飲みに来る狼というのは、吉野では常識だという。この狼については「病狼(やまいおおかみ)」とも書いてあるので、年老いた狼、あるいは狂犬病などの病気だったのかもしれません。だからたやすく打ち殺されてしまったのかもとのこと。
町に寄贈された、吉野熊野地方の映像フィルム、吉野各地の民俗の聞き取り記録など、岸田日出男の資料は4000点あり、そのリストは町のHPで公開しています。(http://www.town.oyodo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/923/20220301_kishida.pdf)
その中の、『日本狼物語』には、明治13年、上北山でオオカミが猟銃で撃ち殺され、残っていた骨片を昭和11年にもらい受けたとする記述があるそうで、この頭骨のことではないかと言われています。長男は、覚書に、「殺したのは明治16年と父から聞いたが、はっきりとは覚えていない」と記しています。いずれにしても、これは明治10年代のニホンオオカミの頭骨ということになるようです。町ではこの頭骨について「吉野に残された唯一のニホンオオカミの手がかり」と話しています。
写真5は、先日も紹介した徳島県のニホンオオカミの頭骨です。
美馬市穴吹、口山の集落の庄屋、緒方家に保存されていたものですが、詳しくは、「徳島県 ニホンオオカミの頭骨と「犬神文書」」でどうぞ。
写真6は、佐倉市の国立歴史民俗博物館に展示されている「直良信夫コレクション」の後期更新世のオオカミ化石です。(放射性炭素年代測定を実施した結果、オオカミの頭蓋骨は約3万6千~3万3千年前頃の化石であることがわかった)
直良信夫は、オオカミの生態や人間との関係、信仰などをまとめた『日本産狼の研究』を著した、考古学・古生物学・古植物学・動物生態学などの分野で数多くの業績を残した人物です。
展示の解説ボードにはこのようにあります。
「頭蓋骨は26cmあり、超巨大なオオカミである。ニホンオオカミの約1.3倍の大きさで、シベリアのオオカミよりも大きい。ヒトがわたってきたころの日本列島にはこのような動物が普通に棲息していた」
このオオカミの頭蓋骨は、栃木県葛生で発見されたものですが、ニホンオオカミが、大陸のオオカミよりも小さかったことは、このような大きなオオカミが日本列島に閉じ込められ、だんだん小さくなっていったという説を支持するのでしょうか。
「歴史系総合誌「歴博」第195号」(https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/195/witness.html)にはこのようにあります。
「ニホンオオカミの系統については、近年の分子系統学的研究によればタイリクオオカミの中の一亜種を形成すると考えられている。一方、形態学的にはタイリクオオカミとは異なった特徴をもつことから、日本列島における遺存固有種とする考えとタイリクオオカミが小型化した島嶼(とうしょ)型亜種とする考えとが対立している。」
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