【犬狼物語 其の六百五十六】三重県御浜町 犬と狼の交配種を先祖にもつという紀州犬の里
三重県御浜町の紀州犬の里を訪ねました。
ところで、弘法大師は唐の長安で密教を学んで帰国する時、唐から日本の方を見ながら、「密教を広めるための良い土地があればその場所に落ちよ」と唱えて、三鈷を日本に向けて投げた。三鈷は両端が三つ又になった修行で用いる金属製の仏具のこと。
帰国後、三鈷杵が落ちた場所を探しに紀州の山の中に入った。すると山中で猟師に出会った。その猟師は白犬と黒犬を連れていた。実はこの猟師は狩場明神が姿を変えたものだった。この白黒2匹の犬たちの導きで、弘法大師は高野山にたどり着き、高野山に金剛峯寺を開山することにしたという伝説があります。
猟師が連れていた白と黒の犬たちは、紀州犬の先祖ではないかと言われています。昔「太地犬」「熊野犬」「明神犬」などと呼ばれ、和歌山・奈良・三重の紀伊半島に分布していた地犬は、天然記念物の指定を受けて「紀州犬」と名称が統一されました。高野山周辺の寺社には、この伝説にまつわる2頭の犬の像が数多く奉納されています。上に掲載した写真もその中の1対(2体)です。狩場大明神のお札は、犬飼山偏照院転法輪寺の狩場明神社のものです。
さて、時代が下って、江戸時代の話です。紀州犬には狼の血が入っているというのは、次の伝説からもうかがわれます。
三重県のHP「峰弥九郎ものがたり」(https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/minwa/kishu/mihama/index.htm)から要約すると、
江戸時代、熊野の奥山にある坂本村に峰弥九郎という猟師がいました。ある日の夜、弥九郎が山道を歩いていると一匹の狼がうずくまっていました。狼は苦しそうに近づいてきました。「何か苦しそうじゃのう。わしが見たろか」弥九郎は、狼がだらんと開けている口の中をのぞきこむと、「おお、おお、かわいそうに。大きな骨がささっとるぞ」と、狼の口に手を入れて、さっと骨を抜いてやりました。坂本の家に向かって歩き出すと、狼もトボトボと後をついてきます。弥九郎は「狼よ、もうこのあたりでええから、お前も帰って休め。そのかわりお前に子が生まれたら、一匹わしにくれよ」と言って狼を帰し、家路を急ぎました。
それから半年たち、狼のことなどすっかり忘れていた弥九郎が朝起きると、家の前でクンクンと子犬の鳴く声がします。戸を開けると、一匹のかわいい子犬がまとわりついてきましたが、よく見るとそれは狼の子でした。「さては、前に助けた狼がわしの言うことを守って、この子をくれたんか」と弥九郎は、たいそう喜んで、子犬をマンと名づけて大切に育てました。大きくなると狩りにも連れていくようになりました。
そんなあるとき、新宮の殿さまから、「佐野のご猟場で巻狩りをするゆえ、猟師は集まるように」とのお触れが出て、弥九郎もマンを連れて巻狩りに参加しました。
殿さまが山の上で休んでいたとき、一頭の手負猪が飛び出し、殿さまめがけて突き進んできました。あわや、というとき、どこからか弥九郎のマンが飛び出してきて、手負猪ののど首をめがけて飛びかかり、かみ殺しました。
危ういところを助けられた殿さまはたいそう喜んで、「あれはだれの犬じゃ」とおたずねになり、弥九郎とマンにたくさんの褒美を与えました。こうしてマンは、このあたりでは知らない人がないほど有名になりました。
そんなある日の夜、近くに住んでいたおばが弥九郎を訪ねて来て、「人間に飼われた狼は、千匹生き物を殺すと、次にはその主人を食い殺す」と言いました。外で聞いていたマンは、話が終わると悲しそうに3回、夜空に向って遠ぼえをし、姿を消したそうです。朝になってマンがいないのに気づいた弥九郎は、方々をさがしましたが、マンは二度と現れませんでした。ただ、夜になると鷲ノ巣山の方から悲しそうな狼の遠ぼえが毎晩聞こえてきて、付近の人々は「あれはマンの鳴き声や」とうわさしました。
ちなみに、伝説の最初の方は、全国に分布する狼報恩譚で、狼の口から刺を取ってあげると、狼が恩返しをするという民話と共通しています。
現在の紀州犬は、弥九郎が育てたマンの血をひく、つまり、狼の血をひくといわれています。マンの伝説は紀州犬の話ですが、もしかしたら、日本全国の猟犬には似たようなことがあったのではないかと想像させます。
先日NHKの「ダーウィンが来た!」のニホンオオカミの特集で、オランダに保管されているニホンオオカミのタイプ標本と言われてた個体が、DNA検査の結果、犬との交配種だったということがわかりました。タイプ標本でさえ、狼と犬との交配種だったということは、逆に、日本の猟犬に狼の血が入っていたとしても不思議ではありません。実際、いろんな猟犬で聞く話です。
紀州犬の里には、弥九郎とマンの像が立ち、碑には、ここが「紀州犬の発祥の地」であると記されています。
近くには岩洞院がありますが、ここには弥九郎の墓も残っています。
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