小松和彦著『神隠しと日本人』
神隠しについての民俗学的考察はたいへん面白く読みました。
とくに神隠しに遭ったのが大人の場合は、また村に帰ったときあれこれ詮索されずに戻ることができる方法というのは庶民の知恵だなぁとも思います。
神隠しが無くなってしまったのは、そもそも「隠し神」なる神の存在を信じなくなったことにあるのは当然としても、そしてこの曖昧さが許されなくなったのが現代なのかもと思います。
そして筆者も書いていますが、「神隠し」という語には甘く柔らかい響きがただようと。俺もそう思います。隠されたい誘惑といったらいいか、向こう側へ行ってしまいたくなる衝動です。いっさいの社会的関係を断ち切ってしまう。社会的な死を求めるのです。いい方を変えれば「社会的自殺」です。
今だと、「神隠し」ではなく「行方不明」とか「失踪」という言葉で言われてしまうんだろうなと思います。
「行方不明」「失踪」だと、「その理由は?」「どうして失踪なんか?」とあれこれ理由を求められてしまいます。
でも、どうなんでしょうか。もちろん理由あっての「行方不明」「失踪」はあるでしょうが、そうではないものもあるのです。自分でも理由がわからないもの。それこそ「神隠し」としか言いようのないもの。
だから本当の意味での「神隠し」、 理由のない「神隠し」は今でもあると思っています。
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