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2023/07/31

【犬狼物語 其の六百七十六】 映画『石岡タロー』を観て

170514_0(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

 

170514_2(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

 

170514_3(石岡駅前広場 みんなのタロー像の後側)

 

170514_4(石岡駅の待合室 タローの紹介パネル)

 

170514_5(土浦市 タローが葬られた墓地)

 

170514_6(土浦市 タローが葬られた墓地 「愛」の碑)

 

映画『石岡タロー』の試写を観ました。

茨城県のJR石岡駅西口前の広場で「みんなのタロー」という新しい犬像の除幕式が行われたのは、2017年4月15日のこと。

忠犬タローの物語を語り継ごうと、犬と子どもたちのブロンズ像が建てられました。

そして、今回は、映画にもなりました。全国の犬像の中には、映画になった犬も多くいます。松本市の「校犬クロ」や「ガイド犬・平治」などです。タローもその仲間入りです。

タローが最初の飼い主に会いたくて何年間も学校から駅に通ったのですが、その犬の持っている一途さに胸がキュンとしてしまうわけですね。そして映画はそれを見守った石岡の街の人を描いています。これほど街ぐるみで飼っていた犬は珍しいかもしれません。いや、昔は放し飼いの犬が多く、自由に歩けたし、今の東南アジアで見る犬たちのような犬が昔はたくさんいたと思います。だから昔は良かったというつもりはありませんが。時代が変われば、犬を取り巻く事情も変わってくるのは当然のことです。

だから犬の話ですが、人の話、時代の話でもあります。タイトル『石岡タロー』の「石岡」にはそんな街の人や昭和という時代を抜きには語れない物語であることを思わせます。当時の車やバイクが多用され、昭和の街並みにこだわった感じがするのも、この時代を特別に描きたかったからではないでしょうか。

その物語に過剰な演出もなく、淡々とつづられるタローと石岡の人々との日常生活に、心地よさや懐かしさを感じたのでした。

10月20日には一般公開されるようです。まずは茨城県で先行上映し、いずれ全国で上映されることになると思います。

 

 

 

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2023/07/28

 河合隼雄著『ケルト巡り』の渦巻き模様について

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河合隼雄著『ケルト巡り』を読みました。

河合氏のNHK番組企画としてのアイルランドの旅を書籍にしたものです。

ケルトについては以前から気になっていて、とくにケルト音楽は比較的よく聴いていたし、あるオーストリアのケルトの遺跡が、まるで日本の神社を思い起させるようなたたずまいに、日本と何か通じるものがあると思っていたのですが、この本を読んでみて、それが自然崇拝やアニミズム的宗教感で、日本とケルトはつながっているんだなぁとあらためて思いました。

それと、ローマから離れた遠い島国のアイルランド。一方、中華文明から遠い島国の日本。地理的な類似性からも、どちらにも古い文化が残りやすい共通項があったようです。

よく、西洋と日本は対比されて論じられますが、キリスト教が入る前の西洋は、むしろ、共通するところが多いようにも思います。いや、西洋というのではなくて、これはもっと人類共通の、原初的な宗教感なのかなとも思います。もちろん、地域差はあって、見た目はだいぶ違うのですが。

「ケルト文化の特徴としての、渦巻きの存在はよく知られている。ケルトでは、渦巻きは「アナザーワールド」への入り口とされていた。」

「これは世界共通の認識なのだが、古代から渦は、偉大なる母の子宮の象徴と考えられてきた。そしてそれは、生まれてくるという意味と、そこに引き込まれて死ぬという、二つの意味を併せ持っている。ポジティブな面とネガティブな面を持つ。まさに輪廻転生を象徴するものなのだ。日本の縄文土偶の女神には渦が描かれているものが多いし、世界でも、守護神にはよく渦の文様が彫られている。つまり母性の象徴なのである。」

この渦巻き文様を見ていると、どうしても、蛇がとぐろを巻いている姿とダブります。蛇もまた子孫繁栄、生命を司るもの(神)として、日本では(外国でも?)信仰されてきました。例えば山自体がご神体であると言われる三輪山も、蛇がとぐろを巻いている姿だという説もあるようです。それと先日にも書きましたが、鏡餅なども、蛇がとぐろを巻いている姿を模したものという説があります。この渦巻きは何か蛇と関係するのでしょうか。

蛇が渦巻きに似ているのか、渦巻きが蛇に似ているのか、どっちなのかはわかりませんが。

河合氏が言う「渦巻きは母性の象徴」ということと、蛇がとぐろを巻いている姿の意味は、 大きな意味で同じことをあらわしている、ということになるのでしょう。命の根源が渦巻きで象徴されているのではないかということです。

さらに想像を膨らませれば、夏に多い盆踊り。中国南部のミャオ族などの踊り。これもまた渦巻きの形と言ったら言い過ぎでしょうか。輪を作り移動しながらの踊りを、上から見たら、渦巻きを描いているようです。

また、上に掲載のろうけつ染(蝋染)2点は、昔、中国貴州省のプイ族村のろうけつ染めの女性に弟子入りして、伝統的な模様を描いたものです。プイ族も、渦巻き模様を多用しています。

当時、渦巻きにどんな意味があるかプイ族に尋ねた記憶もあるのですが、忘れてしまいました。

 渦巻きが生命の根源、永遠、輪廻転生などを表すということは、たしかにそうなんでしょう。ただ、自分がプイ族で渦巻きを描いたり、マレーシアで、バティックに蛇で円環を描いた経験から、「描きやすい」「描いていると気持ちが落ち着く」ということが実際あるわけです。ユングが無意識に曼荼羅を描いたということと似ているのかもしれません。

だから渦巻きの「意味」は後付けで、もっと直感的な形(=無意識の形)である可能性もあるんじゃないかと考えます。 

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2023/07/27

映画『石岡タロー』の試写会

170514_2(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

 

_87a3775 (みんなのタロー、オリジナルの石膏像)

 

いよいよ映画『石岡タロー』の試写会が29日に迫りました。どんな映画になっているか、期待を持って観たいと思っています。

これは事実を元にした映画(もちろんいろんな演出はあるでしょうが)なので、「ネタばれ」もないとは思うので、以下、もう一度、タローとはどんな犬だったのか、ということを紹介しておきます。(詳しくは『犬像をたずね歩く』に書いています)

1964(昭和39)年、石岡市立東小学校に一匹の犬が迷い込んできました。その犬はタローと名付けられ、学校で飼われることになりました。

その後、タローは、学校から2km離れたJR石岡駅に通うようになりました。地元の人たちは、誰かを待って駅通いをしているのでは、と思っていたようです。

81年の夏、タローは亡くなりました。学校で追悼式が行われ、石岡市には動物の墓地がなかったので、20kmほど南にある土浦市内の墓地に葬むられました。

その後、奇跡は起こります。

同小創立50周年記念誌にタローの写真が載りました。その写真を見て、元の飼い主である女性から連絡がありました。当時彼女は自宅のある玉造から、石岡の幼稚園に電車で通っていたのですが、45年前に石岡駅で別れてしまった愛犬のコロではないかと。

毎日忙しい両親に代わってコロが自宅から玉造駅まで見送ってくれていました。頭をなでると、自宅に帰っていたのですが、その日、頭をなでるのを忘れたのか、コロは電車を降りずに、そのまま石岡駅までいっしょに来てしまいました。

石岡駅では、「お嬢ちゃんの犬?」と、改札口で駅員に聞かれました。犬を乗せたことを怒られると思って首を横に振りました。それでコロは追い払われてしまいました。それがコロとの別れになってしまいました。

彼女はショックで熱を出し、10日間寝込んでしまいました。家族は石岡駅周辺へ6回も捜しに行きましたが、見つかりませんでした。

そして45年後、コロの消息を知ったという奇跡の物語です。

彼女はずっと、後悔と自責の念にかられていたようですが、コロはタローとして子どもや町の人に愛された幸せな人生を送ったことを知って、安堵したのではないでしょうか。

 

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2023/07/26

東京都中央区 佃天台子育地蔵尊

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「佃煮」で有名な佃島。

ここに、長さ15mほどの、人ひとり通れるくらいの細い通路があって、途中には、地蔵堂に佃天台子育地蔵尊があります。

地蔵堂の6畳ほどの境内に天井を貫く樹齢300年といわれる大きな銀杏が生えています。全体像はわかりませんが、幹の太さからその歴史が偲ばれます。

銀杏の奥には、地蔵尊の姿が刻まれた平らな黒い自然石が立っています。

多くの人が撫でるからでしょうか、姿が消えかかっているので、触わってはダメらしい。

 「子育」とあるのはどうしてかなと思ってネットで調べたら、佃島は川で囲まれていたので、子どもたちの水難事故が起こらないようにとの願いで建てられたということで納得しました。

 

 

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2023/07/24

【犬狼物語 其の六百七十五】 東京都文京区 白山神社内三峯社

Img_9203(白山神社の拝殿)

Img_9206(安永九年の狛犬)

Img_9217(三峯社などの合祀殿)

Img_9222(三峯社などの合祀殿)

Img_9213(稲荷社に置かれていたたくさんの狐像)

_87a0550(善峯寺の桂昌院と犬の像)

白山神社は東京十社のうちの一社です。古くは「白山権現」と称されて信仰を集めました。

そしてここは「お犬さま」と縁がある神社です。

まず、桂昌院が崇敬していたことで知られる神社であること。桂昌院は、三代将軍・徳川家光の側室で、五代将軍・綱吉の生母です。綱吉は「生類憐みの令」で有名ですが、桂昌院も犬好きであったようです。実際「桂昌院廟」がある京都の善峯寺には、桂昌院と犬の像があります。

そしてもうひとつ、「お犬さま」関連の社があります。こちらは狼信仰の三峯社です。

境内には、富士浅間社・稲荷社・三峯社・玉津島社・天満天神社・山王社・住吉社の合祀殿があります。その中の三峯社は、以前はどこかに祀られていたものがここに合祀されました。でも、いつなのか、どこからなのかはわからないそうです。というわけで、三峯社の特別な祭りもなく、当然三峯講もありません。

ところで拝殿前には、安永九年(1780)に奉納された狛犬がありますが、両目が黄金に塗られているのが珍しく、迫力があります。

 

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2023/07/23

牟定県「諷刺調」

 

90年代に雲南省昆明で購入した雲南芸術学院編「雲南民族器楽」より

この中には雲南省の民族音楽を楽譜にしたものがたくさん載っています。

その中から今回は、雲南省牟定県「諷刺調(二)」の楽譜から作曲ソフトを使って再現しました。(楽譜には民族名は書いてありませんが、おそらくはイ族の音楽だと思います)

オリジナルは四弦らしいのですが、ソフトにはないので、三線で代用しました。ただし、太鼓の音はアレンジして入れたものです。

写真は1988年ころの、三弦を持つ牟定県で出会ったイ族の夫婦ですが、音楽とは直接関係ありません。

 

 

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2023/07/21

「ホモ・サピエンス」から「ホモ・オオタニ(仮称)」への分岐点

Shohei_ohtani_52251828753(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E7%BF%94%E5%B9%B3 )

 

大谷翔平の快進撃は目をみはるものがあります。野球にあまり興味のない俺でさえ、大谷さんの活躍にはつい耳を傾けてしまいます。

「まるで人間ではない」という評価がありますが、この評価は正しいかもしれません。

現生人類ホモ・サピエンスが誕生したのは約30万~20万年前。そして5万年前以降にアフリカを出て、世界各地へと拡散していきました。それまでいたネアンデルタール人などは絶滅し、現在ではホモ・サピエンスだけが生き残っています。

そろそろ、新らしい人類が分岐してもおかしくはないかもしれないのです。生物学的には、ある種が袋小路に入ってしまった場合、そこから別系統の種が枝分かれして生き延びる、というのがこれまでの生き物の流れです。

もしかしたら、その「ホモ・オオタニ(仮称)」の分岐点を目の当たりにしているのかもしれないのです。ただし、これが正しいかどうかは数万年後にわかるということです。

 

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2023/07/19

夢日記

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夢を見ました。覚えていたのは、内容が強烈な印象だったからです。

イメージ写真を、 bing image creatorで作らせてみましたが、あまりにも生々しかったので、上のイメージ写真にしました。

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アジアの田園地帯。広い農道のようなところを女の人と歩いている。轍が泥だらけになっているので、乾いた部分を歩かなければ歩きづらいし、靴が汚れると思った。突き当りには、警察車両が止まっていた。1台のパトカーと、機動隊の乗る車両。何かあるのだろうか。その時、ある青年が興奮して叫んでいた。「これを見てくれ!」。看板に写真が貼られていた。青年は、「こんなこと許されていいのか!」とも叫んでいる。どうも、地震か火事の災害か、戦争でもあったようで、同級生たちが10人以上死んで、死体置き場のように見えた。累々と重なる放置された死体の山だ。青年はそれに怒っている。

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夢を見ていたことは覚えているものの、どういった内容か忘れてしまうことも多く、なかなか夢を覚えておくのも難しいなぁと思います。今回の夢は、内容が強烈で、その感情が起きた後も続いていたので、こういう夢は覚えています。昨日、京都アニメーションのニュースを見たからでしょうか。

でも京都アニメーションの事件が影響はしてますが、この夢の一番の肝は、叫んでいる青年の気持ち・感情にあるようです。どうして俺の気持ちを分ってくれないんだ!?という嘆きというか、落胆というか・・・

夢の補償作用を考えると、現実社会に対して、俺は何か訴えたいことがあるようです。「あるようです」というのは、自分では意識していないからですが、それこそ無意識からのメッセージが夢に現れているということは言えるのかもしれません。

ところで、前にも書いたことですが、夢を覚えておくのに一番いいのは、枕元にノートを置いておいて、目覚めてすぐメモすること。でも、これをやり始めると、熟睡できなくなるので最近はやっていません。

それで夢の内容をいったん言葉にしてつぶやくことにしました。そうするとじゃっかん覚えやすくなるようです。たぶん無意識からのメッセージであるイメージそのままで覚えておくというのは難しく、言葉にすることで、意識の世界に取り込めるからだろうと思っています。

 

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2023/07/15

【犬狼物語 其の六百七十四】オオカミからイヌへ

2_20230714073301(出典:「社会実情データ図録」https://honkawa2.sakura.ne.jp/0455.html)

 

人間によって家畜化された動物はたくさんありますが、 家畜化されたのは、ほぼ、農耕が始まった時期以降です。

「社会実情データ図録」の図は分かりやすいので、引用させていただきましたが、その中でイヌが一番早く、遅く見積もっても12000年前になり、早い説では32000年前というのもあり、それだとホモサピエンスではなく、ネアンデルタール人まで遡ります。

まだこの起源ははっきりしませんが、はっきりしているのは、動物の中でも、イヌが一番家畜化が早かったということです。

どうしてなんでしょうか。

イヌがオオカミから家畜化されたのは農耕が始まる前、狩猟採取の時代。偶然に人間に近づいたオオカミが人間の食べ物をあさり、人間のそばにいるような個体が現れた、あるいは子オオカミを拾ってきて飼い始めたというのが一般的なストーリーだと思います。俺も今までそう思っていました。

ところが、このイヌの家畜化が他の動物と比べて早いことから、本当に「偶然に」なのだろうか?と疑問を持っています。そこには何かメリットがあった、あるいは、そうせざるをえなかった事情があるのではないか、と思えるのです。

一番のメリットは猟をするときに助けてくれる動物です。オオカミの猟の仕方については昔から観察していただろうから、その優れた能力は人間も理解していたでしょう。そこにあこがれ、トーテムにもなったくらいです。

だから「偶然に」ではなく、もっと積極的にイヌの家畜化が行われたのではないか、とも思うのです。つまり人間はイヌを意識的に作り出したのではないかということです。

先日も書きましたが、イヌ(オオカミ)の集団行動を取り入れたことで肉体的に弱かったホモ・サピエンスも発展をとげることができました。

それとは逆に、イヌの方が積極的に人間に近づいた可能性もありそうです。そのために、人間に怖がられないような外見(たとえば目)や人間に役に立つ(たとえば吠えること。オオカミは吠えない)ことが選択圧として働いたという説があります。イヌも生物としての生き残りをかけて人間に近づいたということもあり得そうです。

一方的にではなく、双方が、双方とも、近づいていったということのようです。(だからwin-winだった)

このことについてはまだいろいろと調べていかないとわからないのですが、今の段階では、そんな物語が自分にはぴったりくるかなぁと。

 

 

 

 

 

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2023/07/11

心の処方箋である昔話や伝説

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イメージの活用を目的に心理学を始めたのでしたが、ユング心理学は、『犬狼物語』の原稿を書くにあたって、犬像・狼像にまつわる昔話や伝説が、残るべくして残ったという視点を与えてもらったのは良かったと思います。

狼の喉からトゲを取ってあげたら狼に感謝されて獲物をもらったとか、犬の首が宙を飛び大蛇に嚙みついて殺して主人を助けたとか、犬が少女の身代わりで怪物と闘ったとか、これを「事実」と捉えたら、単なる荒唐無稽な「嘘」になってしまいます。

ところが視点を変えて、この「嘘」こそが、人間の心が生み出した、何物かの表現であると考えるわけですね。「夢と似ている」と言えばわかりやすいかもしれません。俺たちが観ている夢も、覚醒時の現実世界では、「嘘」になってしまいますが、「夢は嘘だ」なんて言っても、まったく意味がないのと同じです。

昔話、伝説、神話は、夢と似ているのです。人間が共通して持っている集合的無意識の反映とも言えます。しかも、これはある時期から固定してしまった「化石」ではなく、今現在も刻々と変化している「生もの」だということです。

とくに伝説は過去の事実がそのまま伝わることもあるでしょうが、その話が地元の人にとって何か有益なことがあれば、尾ひれがついて、変わっていくということは考えられることです。反対に不利益があったら削られていくということも同様です。

心理学者・大場登著『精神分析とユング心理学』には、神話について、

「その国・その文化圏の人々の心が一致して「受け入れてきた」、その意味で個人を超えた、文化的、あるいは普遍的な「世界観」の表現とみることもできる。人々の心によって受容されないものが歴史を超えて残り続けることはほほとんどありえない」

と言っています。伝説は神話より、もっと具体的な物語ですが、残り方としては同じではないでしょうか。

今も、刻々と伝説が変わっている現場を目撃しました。筑後市の「羽犬」の伝説です。伝説をしらべてみると、「秀吉の愛犬」というのと「秀吉を阻む暴犬」とのふたつの伝説が伝わっています。この両極端な伝説は何を意味するのでしょうか。

秀吉も信長同様、鷹狩りを好んだそうで、鷹狩用の犬である「鷹犬」(まさに鳥と犬の合体した「羽犬」のイメージ)は「御犬」と呼んで大事にされましたが、反対に、野犬は殺されて鷹の餌にされたという話があります。犬の運命は天国と地獄の、両極端の開きがあったんですね。そういった犬の祟りを恐れて犬塚を作り、供養したのかもしれません。そして気持ちを落ち着かせてくれるような物語を語り始めた。このなかに悲惨な餌になった犬の話はありませんが、両極端な羽犬の伝説には、人々の苦悩というか、葛藤が現れているように感じます。

さらに、のちの時代には、羽犬が死んだ原因が、「病死」と「弓で射られた」とふたつできたようです。

微妙な違いかもしれませんが、「病死」の方が加害者を作らず穏便に済むからかなぁと思います。「弓で射られた」となれば、「誰が?」ということが問題になってきます。

物事にはかならず両面性があり、それをどっち側から見るかで、物語も変わってきます。

それと、こういうこともあります。最近は、桃太郎の「鬼退治」も「不公平で、可哀そうだ」との意見が出てきて物語が変わってきているという話も聞きます。

数年前、高崎市のだるま市のことが話題になったときがあって、だるま市を開いていた少林山達磨寺と、業者の方でトラブルがあり、それと連動するように、市のHPから、今まで達磨寺に伝わっていた伝説が消え、「新説」に置き換わってしまったというのです。自分のブログから2016年~17年の話だったとわかりましたが、トラブルについては、こちらに載っています。

 https://www.sankei.com/article/20161222-DW4DKCMDSVIGRNI7GE5G4C7PXY/

具体的にどのような伝説か、忘れてしまいました。でも、あぁ、こういうことで伝説がひっくり返されるんだなと妙に納得したことをおぼえています。

昔話や伝説は流動的なものではないでしょうか。「生きている」と言えるわけです。

昔話や伝説は、化石のような過去の遺物ではけっしてないということ。昔話や伝説は刻々と変化して、必要な人にとっての、心の処方箋になっているのかもしれません。人間には物語が必要なようです。 

ただし、注意が必要なのは、高崎市のように、簡単に変えられてしまう(しかも公権力によって)こともあり、ある意味、怖いことでもあります。公権力が都合のいいように、あるいは、人々に耳障りがいいような物語を語り始めるということもないとは言えません。 

 

 

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2023/07/10

7月10日は、「納豆の日」

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今日は「納豆の日」だとか。

ヴィーノと日本一周してたとき、時々地元の納豆をスーパーで買って食べていましたが、東日本から西へ行くほど、納豆に付いてくるタレが甘くなるのを感じてました。

それと、「納豆の日」で、もうひとつ思い出したのは、中国でも珍しい、納豆かけご飯を、雲南省の少数民族のお宅で出されたときは驚きました。

緑色に見えるのはネギではなくて、トウガラシです。醤油で味付けしてあるので、ほぼ日本の味に近かった。

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2023/07/09

『オオカミ SPIRIT OF THE WILD』

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『オオカミ SPIRIT OF THE WILD』は大型のオオカミの写真集です。精悍な姿や、子オオカミのかわいらしさ。オオカミの魅力を余すことなくとらえた決定版。

この中にこのようなキャプションが載っていました。

「人間を別にすれば、かつてオオカミは、世界で最も生息範囲の広い哺乳類だった。地球上には100万頭以上のオオカミが歩き回っていたのである」

なるほど、そうなんだなと、あらためて気がつきました。オオカミの適応能力の高さを表すものでしょう。そして、かつて人間は常にオオカミと接触しながら暮らしていたわけです。

地球上の広範囲で、人間とオオカミは共存していました。

「オオカミは150万年前ごろに、その初期の小型のイヌ科動物の集団から発生した」「ヨーロッパでは40万年前にネアンデルタール人が出現(上)。5万4000年前には現生人類と共存していた(中)。4万年前にネアンデルタール人が絶滅し、現生人類が生き残った」(Wikiより)

つまり、ネアンデルタール人のころにはオオカミも存在していたということになります。

ネアンデルタール人が滅び、ホモ・サピエンスが生き残ったことを「交替劇」と専門家たちは呼んでいます。ただ、東アフリカを出たホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人を「駆逐」して広がったというイメージは間違っているようです。同時代に同居していたようでもあるし、混血もしていたようです。「ネアンデルタール人のDNAが現代の欧米人に受け継がれていることが判明した」(Wiki)ともあります。

そこはさておき、昔、何かの本で、「ネアンデルタール人はイヌを飼わなかったから絶滅した」といったような内容を読んだ気がします。

ある説で社、人間がオオカミと接するようになって、オオカミのように行動して考えるようになりました。集団で狩をすること、複雑な社会構造、誠実な友情、縄張り意識などを、それまで持っていなかった人間はオオカミから学んできたというものです。

そこで人間はイヌを作り出し、飼い始めたというのです。

集団で狩をすると個人では倒せなかった獣を倒すことができました。集団行動を取り入れたことが肉体的に弱かったホモ・サピエンスでも発展をとげることができた理由のひとつらしいのです。

 そこで今度はイヌの起源はどうかというと、約20000年~15000年くらいまえにイヌは東アジアでオオカミから分離したようだとのことで、イヌを「作った」のはやはりホモ・サピエンスで、ネアンデルタール人ではなかったということになるようです。

歴史に「もし」はありませんが、ネアンデルタール人が、もしイヌを創り出して、飼っていたらどうなっていただろうかと想像するのは楽しい。

実際、イヌの家畜化はネアンデルタール人が行った、という説もあり、まだまだイヌの家畜化がどこで、いつ始まったか、確実な説はないようです。 

 

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2023/07/05

川口のクルド人問題

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好きな街、川口の悲しい現実です。

「難民?在日クルド人の実像(4)多くの違法行為疑惑、摘発方法は?」

http://withenergy.jp/2735

これは民族差別なんてものではなく、単に、日本の法律やルールを守って生活してくださいというだけの話です。

国籍には関係なく、事実、中国人も韓国人もインド人もちゃんと日本人と共生しています。

外国人が増え、いずれ来るだろうと思ってましたが、ついに日本でも クルド人 のような問題が。生活を脅かされたら「出て行ってくれ!」となりますよね。外国人ならなおさら。川口ではもう限界点を越えてしまったかもしれません。

もともとは一部の法律・ルール無視のクルド人に対するものだったものが、今は、それが「クルド人」という民族に対するものになってしまったという意味の限界点です。

日本で生活するつもりなら、こうなる前にクルド人自身が、もっと日本に関心を持ってほしかったと思います。

でも、ほとんど関心がないでしょうね。関心があるのは、「生活の場」の確保。日本が好きだから来ているのではなさそうです。だからどこでもいい。今後、入管法が変わり、住みづらくなったら自分から出ていくかもしれません。

「外国人との共生」だの「多文化理解」だの、そう簡単ではありません。気安くそういったことを言う人は信用できません。外国を旅してきてつくづく思います。

でも、その文化の違いが「面白い」と思えるところに共生できるチャンスもあります。違うからこそ面白いんです。その違いを受け入れれば、自民族文化の活性化にもなります。そもそも純粋な「日本文化・日本人」なんて、あるはずはなく、昔から、外国・異文化との接触によって形作られてきたんじゃないですか。けっして相容れないものではありません。ただしそこにはルールがあります。

外国文化が好きだからこそ、クルド人たちには、もっと日本に関心を持ち、できれば好きになって欲しいと願います。

でも、今の川口では、もう難しい段階なのかな。「コレラが流行ったのは外国のせい」を笑えません。

 

 

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2023/07/02

今日からは、二十四節気「夏至」の七十二候「半夏生(はんげしょうず)」

06070602_mg_5276(広島県井仁棚田)

140701(ドクダミ科の「半夏生(カタシログサ)」)

 

七十二候は「半夏生(はんげしょうず)」です。

棚田は、広島県の井仁棚田です。山間部のすり鉢状の地形に広がる石垣が美しい棚田です。

ところで、この「半夏生」について毎年疑問なんですが、まだ解決していません。

というのは、略本暦(日本)での意味は、「サトイモ科である半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃」だそうです。ということは、このドクダミ科である「半夏生(カタシログサ)」のことではないのでしょうか?

 

 

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2023/07/01

【犬狼物語 其の六百七十三】埼玉県さいたま市見沼区 三峯神社

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何か集会でもあるのか、公園に人が集まっていたので、「近くに三峯神社があるはずなんですが、知らないでしょうか?」と聞いてみました。

何神社かは分からないけど、小さな祠があるとのことで、教えられたとおり、公園の西側、狭い道の先の住宅地に入ると、神社がありました。

鳥居や手水鉢もあり、黒ボクの少し高くなったところに祠が鎮座します。

白い石には「三峯神社」とありました。ここで間違いないようです。

祠を覗くと、開いた扉の奥に、お犬さまが息をするための3つの穴が開けられた御眷属箱が祀られています。ただ、箱は斜めになっていて、どうも数年以上は触ってないような雰囲気です。

公園に戻って話を聞いてみましたが、この神社自体「三峯神社」とは意識されていないようでもあるし、「三峯講」なども聞いたことがないということでした。

 

 

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