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2023/08/31

映画『福田村事件』関東大震災から100年

1_20230831091901(映画『福田村事件』公式サイトより)

 

そのうち観なければ、と強く思う映画です。

映画『福田村事件』公式サイト

https://www.fukudamura1923.jp/

関東大震災直後、避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報を聞いた福田村の村人が、疑心暗鬼に陥り、人々は恐怖にかられます。そして混乱のなかで善良な村人たちがだんだんと過激化していき、ついには惨劇が起こってしまいます。

昨日、NHKクローズアップ現代で、監督のインタビューがありました。監督は、人間の集団行動に注目しているようです。肉体的に弱い人間が地球上で生き延びることができたのも、集団行動をとることでした。(集団で狩をすることはオオカミから学んだという説は、何度も書いていることですが)

でも、集団行動には副作用があります。とくに平時は問題ないのですが、有事になったときです。恐怖や疑心暗鬼にとらわれ始めると、「個」はなくなり「集団」の意志が暴走し始めます。不安や恐怖を感じたとき「集団」は、ひとつにまとまろうとし、異質なものを見つけては攻撃し排除しようとします。

こういった悲劇を起こさないためには?という質問に、監督は、「集団」を主語にしないことが大切だと言います。その通りですね。ただ有事には「個」を保ったとしても、「集団」の力は強く、どうしようもなくなる場合があるとも。まさに「福田村事件」がそうだったのでしょう。

心理学者スタンレー・ミルグラムが行った服従実験というのがあります。ナチス政権下でユダヤ人虐殺に関係したとされるアイヒマンに由来して「アイヒマン実験」ともいわれますが、普通の人たちも、ある状況の元では、権威者に命じられるままに、罪のない人に電気ショックを与え続けるという実験です。

それと並んで有名な心理学的実験は、フィリップ・ジンバルドの監獄実験というものがあります。

スタンフォード大学で模擬刑務所を作り、大学生を囚人役、看守役に分けて生活をさせるものでした。参加者たちは自分の「役」に没頭し、看守は攻撃的、威圧的になってゆき、囚人役はより服従的になっていきました。でも、囚人役が心身に異常をきたしたので、2週間の実験を取りやめ、6日間で終了したという実験です。

普通の人たちが「役」にはまることで、どんなふうに変わっていってしまうのか、見ていると恐ろしくなります。なぜ恐ろしいかというと、「彼らは特別な人間」ではないからです。

ミルグラムがいうところの「状況の力」がいかに人間の行動に影響するか、俺たちはなかなかわかりません。

たとえば、ある犯罪が起こったとすれば、「あいつは残忍で非情な性格だからあんなことをやったんだ」と、つい結論してしまいます。それは「あいつは異常で俺たちとは違うのだ」と思い込むことで、どこか安心したがっているからでしょう。「俺は犯罪を犯さない」という(根拠の無い)自信を持ちたいのです。

ところが「状況の力」を過小評価し、個人の性格などに理由を求めてしまうのは、人間が共通して持っている「基本的な帰属のエラー」と呼ばれるものだそうです。

つまり状況しだいでは、どんなに「善良な人」も、最悪なことをやってしまいかねないということです。ということは、「俺もそうやってしまうんだろうか」という不安がぬぐえないことになってしまいます。

でも、「状況の力」のことを恐れているなら、逆に、そういう状況を作らない、そういう状況を拒否することで、最悪な行動を取らなくてすむかもしれません。

「自分はそんなことはしない」という自信を持っている人ほど危ないとも言えるわけですね。「(自称)善人」の危うさはここにあるようです。

 「福田村事件」のような状況はまた生まれる可能性があります。いや、現に今、そんな危ない状況が生まれているように見えます。

 たとえば、福島第一の原発処理水問題。インタビューである中国人は、正確には忘れましたが、こんなふうに言っていました。これは世界中の環境を破壊し、人々を不幸にします、といったようなことをです。

一方の日本人も、中国人は科学的ではないとか、なんとか。両方とも、中国人は主語を「世界の人々」にし、日本人もだんだんと「個人」の意見ではなく「日本人」の意見のように言い始めている人たちがいます。「お前が世界の人や日本人を代表しているわけじゃないだろ?」と突っ込みを入れたくもなります。気持ち悪い正義感のような物がにじみ出ています。

「中国人」「日本人」として応酬が始まると、だんだんエスカレートしていき、それこそ監督が言っている主語を「集団」に持っていく危ない兆候といわざるをえません。

監督が言っていることはこういうことなんだろうな。福田村事件の犯人たちも、国のためにやった、みたいなことを裁判で言っていたらしい。罪悪感がなくなっているんです。これも「個」を離れ「集団」(この場合は日本)が主語になった恐ろしさです。

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2023/08/26

【犬狼物語 其の六百八十三】西日本のある神社の狼像

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これは西日本のある神社の狼像です。

造形的にも優れていて、木目がきれいに現れています。子狼でしょうか。二重まぶたで、小さな牙もあります。健気で可愛らしい。

この狼像、今は宮司宅に置かれています。

宮司のおじいさん、つまり先々代の宮司は、馬で神社へ通っていましたが、ある日、明治初期のころ足元で狼を見たことがあるという話を聞いたという。明治時代には、このあたりにも狼はいたようです。

宮司の話では、この神社では、どのような経緯で狼信仰が始まったのかわからないが、昔の人にとっての最大の関心事は、五穀豊穣と疫病が流行らないことの二つ。日本最強の動物、狼を祀って、害獣を追い払い、五穀豊穣と、疫病退散を祈ったのではないか。そういった災害が起こらないように、祭りもたくさん行っていたという。

ところで、この神社では昔、盗難に遭っているそうです。現在の宮司のお父さん、先代のときですが、「狛犬調査」と称して電話があり、先代が狼像があると答えたところ、後日、高さ70cmほどの狼像が無くなっていたそうです。

実際にそういう目に遭っているので、この狼像を宮司宅に置いておくのはしかたありません。

俺の思い込みや、たまたまかもしれないですが、東日本では、あまり聞いたことのない狼像の盗難が、西日本では複数回聞きました。と、いうことは、西日本には昔はもっと狼像があったのではないかと想像します。

先日の記事「渡来系弥生人と狼信仰」の続きのようですが、西日本では昔はもっと狼信仰が盛んだったのではないか、という話を、逆に裏付けるような盗難の話を聞くことになってしまいました。

「物」が無くなるということは、「物語」も同時に失うことです。「物語」が無くなってしまえば、表面上は最初から無いのと同じように見えてしまいます。

 

 

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2023/08/25

「ネッシー大捜索」のニュース

Img_1591(これは北海道屈斜路湖の「クッシー」)

 

半世紀ぶりでネッシーの大規模捜索が行われるらしい。大々的にニュースになっていますね。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e3a95fe1fcd1f750d9ed4a5398eda9850743b00d

もうネッシーは解決済みだと思っていたら、そうではないようです。昔、湖面から首を出した生物の写真が発表されて注目を集めましたが、のちに、これは捏造だった(おもちゃだった)ことがわかり世間に衝撃を与えました。

その後も捜索活動は散発的に行われていて、故石原慎太郎さんも捜索したことがあって、そのときは巨大ウナギ(と言っても1mほど)を発見したのではなかったでしょうか。その他にも湖水のDNA検査から、やっぱりネッシーの正体はウナギの可能性大ということでした。

もし恐竜のような、いわゆるネッシーがいるとすれば、1頭では繁殖できないので、かなりの数がいなければならず、そう考えると、もっと目撃されてもいいのではとも思います。

と、ここまで書いてきて、ネッシーはファンタジー(物語)であることをつい忘れそうになっている自分にハッと気がつきます。

捜索は、8月26、27の両日に行われるという。どうして今さら大々的に捜索をするんだろうというのが一番の疑問です。ファンタジーならファンタジーのままでいいじゃないかとも思います。「いない」ことがわかっているからこそ安心して「ネッシーの物語」を楽しむことができる、というふうにも言えます。(かりに実在していたら、なんらかの被害が出て、笑ってばかりもいられないでしょう)

皮肉をこめて言えば、そもそも、あのオオカミに対しては徹底的に駆除したイギリスじゃないですか。オオカミは、イングランドでは、ヘンリー七世治下(1485~1509年)、スコットランドでは1743年には絶滅にいたったという。危険動物がいない「安全な自然」を作り上げてきたイギリスが、ネッシーのような危険生物をそのままにしておくはずはないのです。

今回の捜索は話題作りなんでしょう。世界的にもネット上でいろんなものが知られてきたので、相対的にネッシーの知名度・観光地的価値がだんだん下がっているのは確かです。ここで起爆剤を投入して、また盛り返そうということなんでしょうね。観光地があの手この手で生き残りをかけるのは、別に悪いことだとも思いません。日本でも屈斜路湖にクッシーがいますし。

「企画したのは、ネス湖の観光拠点「ネス湖センター」と独立のボランティア調査チーム」(Yahooニュースより)だそうです。 

 

 

 

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2023/08/23

【犬狼物語 其の六百八十二】渡来系弥生人と狼信仰

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縄文人の後で大陸から入ってきた弥生人との混血によって現代日本人が作られたという「二重構造モデル」。

東南アジアから北上した2集団のうち、海岸沿いに北上して日本列島に入ったのが旧石器人、後に縄文人。そしてそのとき日本には入らず、内陸側を北上した集団は、やがて寒冷地適応をうけて東北アジアの旧石器人に。

その後、この集団の一部が朝鮮半島から日本(九州北部)に入ってきました。それが渡来系弥生人です。今のところ、長江流域の古人骨の分析が行われていないので、稲作をもたらした集団が、この東北アジアの旧石器人とどのようなつながりがあるかわかりませんが、ふたつの集団は、朝鮮半島付近でいっしょになり、渡来系弥生人として日本に渡って来たと考えるのが、今のところ妥当であるらしい。

そこで以前紹介した書籍『人類の起源』の中で気になったのが次の地図です。各都道府県によってどれだけ縄文人の痕跡の濃度に差があるか、というものですが、近畿地方と四国地方や中国地方の瀬戸内海側で、一番縄文人の痕跡が少ない、つまり逆に言えば、一番弥生人的であるということが興味をひきます。

DNA解析から、この渡来系弥生人の流入の数は考えられていた以上に多かったのではないかという話です。その人たちが日本に稲作や金属器を伝えました。もしかしたら「狼信仰」もあったのでは?という話になってくるわけですね。

日本の狼信仰のルーツを考えたとき、日本で自然発生的に始まった説と、大陸から伝わった伝播説とあるかもしれませんが、どちらか一方、というのではなくて、両方あるんだろうと思います。どちらにしても、狼という恐ろしくも強く気高いものに接したときの、人間が共通して持った畏怖の気持ち。これが狼信仰の原点かなと思うので。

それはそうと、四国に渡来系弥生人の痕跡が多いことに興味を持つのは、香川県の神社に祀られている狼像が、狼信仰を持っていた渡来人の末裔の影響だったらしいという話を聞いているからです。

それは香川県さぬき市に鎮座する津田・八幡宮(津田石清水八幡宮)です。ここには狛狼像が1対あります。わざわざこの石像は狼像であると表示してあります。

その由来、正確にはわかりませんが(資料などは焼失)、宮司や郷土史家の話では、神社は1600年に現在地に遷座したのですが、元あった社には狼像があったそうです。渡来系の末裔たちが住んでいた地域で、地元民とのいさかいを極力避けるため、山犬を番犬化して使っていたそうです。そのなごりで元社にも狼像が置かれたとのこと。

四国ではこの1件だけだし、大和政権に請われて来た渡来系の人たちなので、弥生時代初期の話ではありません。なので、渡来系弥生人が本当に狼信仰を持ってやってきたかはわかりませんが(文化・信仰の伝達はひとりでもできるので)、少なくとも、そういう例があったということはひとつ参考になるかなと思います。

それとこれは近畿ですが、『欽明天皇紀』(540年)に、秦大津父が喧嘩をしていた二頭の狼に出会い「あなたは貴い神で、荒々しい行いを好まれます。もし猟師に会えば、たちまち捕獲されるでしょう」といって仲裁をしたところ、天皇は夢を見て秦大津父を捜し出し、大蔵大臣に取り立てました。これは秦氏が狼信仰を持っていたとされる記述で、いろんな媒体にたびたび引用されています。この秦氏は中国系渡来氏族とされます。(なお、秦氏は稲荷信仰ともかかわります)

現在の狼信仰の濃度と、この弥生人痕跡の濃度は、反比例しているじゃないか、という人もいるかもしれません。たしかに西日本では、江戸・明治時代に盛んになった木野山信仰や賢見信仰などを別にすれば、東日本と比べてあまり狼信仰の痕跡は濃くないというのが印象としてあります。

でも、文化の中心地から波のように周辺に伝播していき、中心地ではその文化が逆に薄れてくるという状況は、他にも見られて、柳田が唱えた「方言周圏論」は、言葉の話ですが、文化一般にも当てはまるような気がします。

西日本を旅して、狼信仰については東日本ほどはっきりしたイメージがなく、もやもやっとしているんですが、話を聞いてみると、めちゃくちゃ歴史が古いということがあって、この周圏論は、説得力を持ちます。つまり古い文化は、周辺に残るということを実感するのです。

すでに書いているように、もちろん、縄文時代の遺跡から発掘された遺物にも狼信仰の痕跡をうかがわせるものがあるので、縄文時代には、すでに何等かの狼信仰的なものはあったと想像できます。弥生時代に関してもそうです。だから、日本の狼信仰のルーツを考えた場合、いろんなパターンがあるのだろうと想像するしかありません。渡来系弥生人がもたらした狼信仰もそのひとつでしょう。

 

 

 

 

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2023/08/19

今井恭子さんの『縄文の狼 』

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『縄文の狼 』を読みました。

今井さんは、本格歴史犬小説『こんぴら狗』の著者でもあります。「こんぴら狗」というのは、江戸時代、主人の代わりにこんぴら参りをしたという犬のことで、実在しました。今回も犬好き、狼好きの今井さんの思いが込められた作品になっています。

今、狼信仰のルーツをあれこれ妄想して楽しんでいる最中なので、この『縄文の狼』も時代的にぴったりで、興味を持って読みました。縄文時代の早期はこんな感じだったんだろうなと思いました。具体的な人物が喜怒哀楽を感じながら日常生活を送る姿はとてもリアルです。作者の想像の世界ですが、共感できる世界でした。資料や文献とは違う、作者の直感力と想像力のすばらしさです。

縄文早期が舞台ですが、移動しながら狩猟採取をする人たちと、海辺に定住している人たちが登場します。主人公のキセキは、移動しながら暮らす一族出身ですが、あるきっかけで定住者の村で暮らすことになります。

この状況もリアルだと思います。縄文人とひとくくりに言いますが、最近の古人骨のDNAの研究から、縄文人は各地域でかなりバリエーションのある集団だったようです。俺が知っている範囲でいうと、中国南部の少数民族が今でもそうであるように、山や谷を越えると違う民族の村があるといったような状態であったかもしれません。

キセキは定住村で、当時の先端技術をおぼえるんですね。それを他の集落や次の世代に受け継いでいくことになるのでしょう。こういうことが1万年以上も続いた時代が縄文時代です。ゆっくりと、少しづつ変わっていく。国家・国境などという縛りもなく、人間と動物たちが、それこそ自由に暮らしていた時代です。

作品ではまた、人や文化の移動について示唆的な描写があります。主人公キセキは、まず不可抗力で(自分の意志ではなく)海辺の村にたどり着くのですが、最後は自分の意志で移動します。たぶん、この「不可抗力の移動」と「意志を持った移動」というふたつは実際あったパターンなんだろうと想像できます。こうして人と文化が伝わっていったのでしょう。

また、縄文時代には、犬は人間の狩猟を手伝っていたらしい。実際縄文時代の遺跡からはきちんと埋葬された犬の骨も見つかっています。作品では、犬ではなく、狼犬ですが、犬と人間との関わりも、こんな感じだったんだろうなと思います。というか、犬と人間の関係性は昔も今もそれほど変わらないのではないでしょうか。

 

 

 

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2023/08/18

今日からは、二十四節気「立秋」、七十二候「蒙霧升降(ふかききりまとう)」

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今日からは、二十四節気「立秋」、七十二候の「蒙霧升降」。「深い霧が立ち込める」などといった意味です。

関東では連日猛暑です。昔は夏の暑さが大好きでした。さすがに今、大好きとは言い難い。早く涼しくなってほしいというおが正直なところ。

写真は、新潟県十日町市星峠、早朝の棚田です。

 

 

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2023/08/16

ジェノグラフィック·プロジェクト

121109(赤いルートが俺のDNAの「ヒューマン·ジャーニー」の軌跡)

昨日は、最新のDNA研究による人類拡散の旅を紹介する、篠田謙一著『人類の起源』について書きましたが、ひとつ、思い出したことがあります。

2005年に始まった進化人類学的研究プロジェクト「ジェノグラフィック·プロジェクト」というものがありました。

世界中から集められたDNAデータを解析して、現代人の遺伝子マーカーの出現頻度をマッピングして、「ヒューマン·ジャーニー」、つまり、どのように人類が地球上に拡散していったかを調べるプロジェクトでした。

ナショナルジオグラフィックが参加者募集の窓口になっていたので、俺も参加しました。「参加」と言っても、確か99ドルだったと思いますが、キットを購入し、自分の口内粘膜を擦った棒を送って、DNAを解析してもらうだけでした。その結果、俺のDNAの軌跡が掲載している地図の赤線になります。

一般的な日本人は、東アフリカから出て、アジア方向に拡散した集団の一部が日本列島に渡った人々ですが、ただ、途中は、いろんなルートがあります。

アラビア半島からイラン、チベット、雲南などを経由した集団。中央アジアからモンゴル、朝鮮半島経由で来た集団。インドや東南アジア経由で沖縄にたどりついた集団など、いろいろです。

俺は、そのなかで、東アフリカ→アラビア半島→イラン→アフガニスタン→チベット→雲南の集団であったらしい。ところが、雲南どまりで、雲南からどうやって日本に来たのか、そのルートはわからないようです。

このプロジェクトは、2020年に終了しています。俺が参加したのは10数年前なので、『人類の起源』よりも、結果は大雑把な感じがします。日本人の祖先は、この赤線よりはもっと南側を通り、東南アジアから内陸側と海側に北上した2集団がいて、海側を北上して日本列島に入ったのが旧石器時代人、後に、縄文人であったことは、『人類の起源』で知ったことです。

ただ「なるほど」と思ったのです。どうして俺はあんなにも当時雲南省にひかれて通い続けていたのかという、その理由がわかったような気になりました。赤い線が雲南で止まっているのは、まったくの偶然で、雲南で止まっているからどうだ、こうだという意味は何もないのですが、ただ俺が納得できる「自分の物語」を見つけて嬉しくなったのです。

これは個人の家系をたどるものではなくて、あくまでも民族集団レベルの話です。それと「DNAの移動」と「人の移動」とは必ずしも同じではないので、俺の祖先が東アフリカから歩いて(日本海は船で)日本列島にたどり着いた、という話でもありません。

「 2019年12月の時点で、約100万5,694人、140ヶ国の人々が参加したそうで、参加者たちによって提供されたDNAの生データは人類遺伝学・分子生物学の分野の発展に大いに貢献された」という。(wikiより)

俺も少しは役に立ったかなと思います。

 

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2023/08/15

篠田謙一著『人類の起源』古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」

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篠田謙一著『人類の起源』を読みました。サブタイトルに「古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」」とあります。最近の古代DNA研究の成果によって人類がどのように地球に拡散していったか、その中には、日本人の成り立ちも含みますが、壮大な人類の旅が明らかになっています。

ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスに駆逐されたというイメージではなく、同時代に共存し、混血もしていたということがわかりました。そしてそのネアンデルタール人のDNAは、現代人にも受け継がれているということです。 

日本人のルーツについても触れられています。大雑把に言えば、東南アジアから北上してきた人が日本列島に住み始め、それが旧石器時代人、後に、縄文人で、あとで大陸から入ってきた弥生人が西日本に入り、やがて混血して現在の日本人になった。だから、縄文人の痕跡は沖縄人やアイヌ人に多く残っているという話です。

これが、「二重構造モデル」で、一応の定説になっていますが、古代DNAの研究からそれほど単純ではないことがわかってきたそうで、大雑把にはこのようなシナリオですが、縄文人もすべて均質な集団ではなく、DNA的にはさまざまなグループがあったことがわかったそうです。中国南部にに住んでいる少数民族みたいなものだったかもしれません。谷ひとつ越えると、違う民族が住んでいるみたいな。

そして弥生時代から古墳時代にかけて多くの渡来人が日本列島にやってきました。もちろん「渡来人」といっても、今の韓国朝鮮人・中国人というわけではありませんが、渡来人の数は思っていたよりも多く、むしろ在来の先住民族であった縄文系の人間を上回っていたらしいということ。日本人の成り立ちのイメージが少し変わってきました。

比較的、日本国内でのDNAの変化が少なかったのは、古墳時代より後、明治時代くらいまででしょうか。鎖国していた江戸時代は、ほとんど外からのDNAは入っていないだろうということは想像できます。そして今は、グローバル化によって、DNA的には激動の変化を迎えています。

ところで、日本最古の人骨は、沖縄県・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から2009年に発見されたものです。これが2万7千年前のものとみられることがわかり、国内最古の人骨になりました。

それまでは沖縄本島南部で発見された2万2千年前の人骨「港川(みなとがわ)人」が日本最古とされいて、たしか「港川人」は教科書にも載っていたような気がします。

この港川人ですが、DNAの解析結果から、現代の沖縄人の直接の祖先ではないらしい。港川人の系統は途絶え、あとで九州から南下してきた縄文人が(後に大陸から入ってきた弥生人と混血して)沖縄人になったらしいという。

ところで、この本の一番大切なテーマは、古代DNAの研究によって、人間、ホモ・サピエンスの「種」としての位置づけかなと思います。

「種」というのも意外とあいまいな定義だそうで、その下位の「人種」はもっとあいまいで、「人種」という概念は、西洋人が奴隷を売買するようになった当時、自分たちを正当化するために生み出した概念なのではないかと思われます。「種」としての人間には線引きされるような区別、ましてや、「白人は優れていて、黒人は劣っている」などという区別はできないことがDNA研究からはっきりとわかってきました。

そしてホモ・サピエンスは日々進化を続けていて、このまま未来永劫にわたってホモ・サピエンスのままで進化することはないんだということです。つまり、現在進行形なのです。ただし、大谷翔平が、ホモ・サピエンスの新しい系統だとしても、それがわかるのは何万年後のことでしょうが。

これは「種」だけでなく、「日本人」もそうなんでしょう。「日本人」というのもDNAからは定義ができないことは当然で、今は「日本国籍を持っている人間」という法によって無理やり定義されているわけですね。「日本国民」として。

たとえば「日本人」を「日本列島に昔から住み続けている人間」と定義したところで、古墳時代までは大量の渡来人がやってきていたし、「昔から」とはどのくらいまで遡るか、ということが問題になってきます。

だから、「日本人」と「日本国民」は微妙にニュアンスが違うのですが、「日本国籍を持っている人間」しか、今のところ定義の方法はないと思います。

そしてそれは、「人種」とも関係ないし、「民族」とも違います。ただ一番重要なのは、現在進行形で、昔からも、今からも、「日本人」という塊りのある集団(均質なDNAの集団)がそのままの形で続くことはありえないということなんでしょう。

 俺たちは、ホモ・サピエンスも、日本人も、途中経過を見ているに過ぎないということです。

 

 

 

 

 

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2023/08/13

【犬狼物語 其の六百八十一】8月13日は「世界(国際)オオカミの日」 International Wolf Day

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今日は「世界(国際)オオカミの日」だそうです。

上に掲載の写真は、ミュージアムパーク茨城県自然博物館展示のオオカミの剥製です。博物館によると、30年前の開館当時に購入したものですが、どこ産のオオカミかはわからないとのことです。

 

 「世界(国際)オオカミの日」についても由来がはっきりしなかったので、ChatGTP先生に聞いてみました。

「8月13日は、世界オオカミの日」の由来は?

「「8月13日は、世界狼の日」についての情報は私の知識のカットオフ(2021年9月)までには存在しませんでした。したがって、その由来や詳細については提供することができません。」 

ChatGTP先生にはめずらしく、知りません、と素直な回答。 

それで今度はbing先生に聞きましたが、こちらもはっきりしません。。

「「8月13日は、世界狼の日」の由来は、ウェブ検索の結果からは明確には分かりませんでしたが、以下の可能性が考えられます。

8月13日は、旭川市旭山動物園で「国際オオカミの日」として紹介されているようです。この動物園では、シンリンオオカミを飼育しています。」

他、関係なさそうな回答が続きます。

さらに調べると、ネット上には、「2011年にアメリカのWhite Wolf PackというWebサイトにて制定された」という有力な情報がありました。

そこでWhite Wolf Packを見ると、このようにありました。(googleによる翻訳)

http://www.whitewolfpack.com/2011/08/international-wolf-day.html 

「世界におけるオオカミの重要性、あらゆる誤解、そして米国でオオカミ狩りが今年の9月に始まるという事実により、オオカミの認識と教育を確実に行うための特別な日を確保することが非常に必要になった。オオカミの迫害を止めること。この日は今後、毎年「国際オオカミの日」として制定されます。8月13日が選ばれたのは、満月の日という特別な理由からです。」とあります。

細かいことを言うようですが、日ごろ旧暦を考えているので、2011年8月13日は、アメリカでも満月の前日か前々日だったようなのです。どうしてわざわざ満月から微妙にズレた日に制定したかは不明。

とにかく、由来はこういったことです。オオカミと満月とをくっつけてイメージするのは、俺もそうですが、「月(=夜)」と「野生」「神秘」との親和性や、「人狼」(日本でいうなら「狼男」)伝説とも関係するかもしれません。

 

 

 

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2023/08/08

【犬狼物語 其の六百七十九】 埼玉県吉見町 横見神社内の三峯神社

287a9572(横見神社の鳥居)

287a9588(三峯神社)

287a9571(稲荷社)

 

吉見町の横見神社は、吉見丘陵の東端部に位置し、こんもりとした古墳の上に鎮座します。古墳時代後期の集落跡があったそうです。

境内には、三峯神社の石祠があります。新しそうに見えましたが、三峯神社は平成26年に合祀されたものです。今、どのように管理されているかはわかりませんでした。

なお、明治5年ころ、稲荷塚に勧請された末社稲荷社も鎮座します。

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2023/08/06

チコちゃんに叱られる!「都会の人が冷たい」のはなぜ?

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先日の、チコちゃんに叱られる!で、都会の人はなぜ冷たいのか?というのをやっていました。俺も東京に出てきたばかりのとき、実際、そういう感じを持っていました。

番組では、都会では処理しなければならない情報が多すぎて、たとえば道を聞かれても、必要最低限、短く答えてしまうとか、たくさん人がいるので、自分が助けなくても、他の人が助けるだろうと思ってしまう、責任回避というのが理由としてあげられていました。

「埼玉県人」を「都会人」と呼べるなら、俺も今では「都会人」側で、確かに、他人にそっけないかもしれません。そして今は、詐欺や犯罪が多いので、どうしても身構えるというか、疑ってかかるようにもなっています。まったくの赤の他人とは関わらない方がいい、ましてや、ちょっと怪しいなと思える他人は避けるといったことですが、これは自己防衛でもあるので、これ自体非難されるものではないと思います。

それともうひとつ、関係すると思われるのが、緊急事態の現場に居合わせた人の数が多いほど、助ける人が少なくなる「傍観者効果」です。

これは様々な心理学実験、癲癇発作や、煙が出るなどの実験でも確かめられています。

どうしてそうなってしまうのか、大きく2つの理由があります。

【責任の分散】 人数が多いほど、自分よりも援助に適した人がいるはずだ、自分がやらなくてもいい、ほかの人にも責任はあると考えてしまう。

【集合的無知】 みんな同じことを考えていることを知らず、自分の考えはほかの人とは違うのではないか。自分では緊急事態なのかもと思っても、周りの反応を見ると、他の人たちは何もしようとしていないのをみて、緊急事態ではないんだと思い込んでしまう。みんながそう考えてしまうので、誰も助けなくなってしまう。 

たとえば、電車内でトラブルがあっても誰も助けてくれなかったなどと、「都会人の冷たさ」を非難しますが、たぶん、これも「傍観者効果」と関係があるのかもしれません。個人的には親切な人も、大勢の中では傍観者になってしまう。でもそれは「冷たい」からではない、むしろ「やさしさ」や「思いやり」かもしれないんだぁと、ちょっと見方が変わってきますね。「都会人の冷たさ」は見かけだけ、という一種の錯覚かもしれません。

反対に「田舎の人は親切だ」というのも、もしかしたら錯覚なのかなとも思います。人が少ないからというのは「傍観者効果」で説明できます。それと人と関われる時間的・精神的余裕があるということでもあるでしょう。

要するに、親切な人は都会、田舎にかかわらないということなんでしょう。こういうこと、あまり気にすることないです。社会心理学的に正しいとしても、それは「社会」や「集団」に対してであって、「俺」や「あなた」には特別の事情があり、たいていは当てはまりません。

 

 

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2023/08/04

「バイデン米大統領の愛犬、4カ月で職員10人に噛みつく」のニュース

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「バイデン米大統領の愛犬、4カ月で職員10人に噛みつく 腕や太ももに大ケガした職員も」のニュースです。

https://news.nifty.com/article/item/neta/12189-2472261/

これは仕方のないことですね。ファーストドッグでも、野犬でも、犬には変わりありません。

これがニュースになったのは、家族(あるいは仲間)同然と思っていた犬が、しかも躾が行き届いているはずのファーストドッグが人間を咬むなんて、ということでしょうか。でも、犬が咬むことで、犬も自然物であることを再認識せざるをえません。自然とは人間の意識でコントールできないものです。「犬が咬む」ことで人間に犬も自然の動物であることを思い出させます。

だからこういった咬む傾向のある犬を職場に連れてこないことですね。極端に言えば、ライオンを職場に連れてこないことと考え方としては同じです。犬にはまったく責任はないんですが、犬は「家族同然」「友人」ではあっても、人間でも、ロボットでもありません。

 

「自然との共生」とか言うわりには、たとえば街にサル1匹現れただけで右往左往する都会人。やたら「共生」と言いたがるのは、都会人に多いのかもしれないですね。

「共生」という言葉には、なんとなく、「仲良く暮らしてます」みたいな偽善を感じることがあります。だいたいにして、農業だって、林業だって、狩猟だって、漁業だって、ある意味、自然との闘いでもあるんです。やさしい自然なんて一面だけ。それをちゃんと分かっている人が、「共生」っていう言葉を使ってほしいですね。田舎では、自然と「共生」するために、どれだけ苦労しているのか、都会人はわかってないかもしれません。

都会とは、そういう異物を排除して快適さを得ている場所。その快適さを脅かすものは、たとえ小さくても取り除こうとします。

人工的な空間、都市空間は、人間の脳が作ったパラダイスです。サルなどという異物が入り込むと、苦痛でしかたなくなる。脳は、都会でサルと共生する方法をまだ考えられず、混乱してしまいます。

サルとは違って、犬は人間の社会に入り込んでいます。普段はまったく問題がありません。犬も都会に完全に溶け込んでいます。ただし、何かのきっかけで、犬が人間を咬んだりすると大騒ぎになってしまう。そこに野生動物が突然現れたような感じです。

バイデン米大統領の愛犬も「しまった!」と思っているかもしれません。1万数千年前に、人間社会に入り込むことに成功した犬たちも、できれば問題を起こしたくない。このまま犬として種を永らえたい。犬が自然物であったと人間が気がつかないように、犬たちは願っているかもしれません。

16歳になろというヴィーノですが、今でも咬もうとすることがあります。これは「飼い主の躾がなってないからだ」という人もいるでしょう。でもどうなんでしょうか。100%飼い主の思い通りになる犬を飼って楽しいのでしょうか。そしたらアイボで充分かと。 

 「犬は咬む」と、「犬が好き」は、まったく矛盾しないのです。

 チベット高原や雲南省で、さんざん犬に咬まれたり、追いかけられて怖い思いをした俺でさえ、犬と暮らすことができています。もちろんその途中には、犬恐怖症状態があって、リハビリには時間がかかりましたが。

 

 

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2023/08/03

【犬狼物語 其の六百七十八】「イヌ」の始まり(2)

_mg_9987(国立科学博物館 ハイイロオオカミの眼。視線強調型)

_mg_2636(山梨県上野原市犬目宿 ヴィーノの眼。黒目強調型)

オオカミとイヌの違いは何かというと、いろいろありますが、たとえば目。オオカミは視線強調型であるのに対して、イヌは黒目強調型。

オオカミに比べて、全体的にイヌは丸っこく、体に対する頭の大きさも大きい。

オオカミは遠吠えはしますが、吠えることはなく、一方のイヌは吠えます。

オオカミは人間の意図を察することはありませんが、イヌは人間の意図を察して行動します。

オオカミは人間に懐くことはありませんが、イヌはもっと穏やかな性格で懐きます。

などなど、いろいろあります。昨日は、オオカミからイヌが分岐するとき、長年、何世代にもわたって、オオカミは人間の周辺で「野犬」のような状態で暮らしたのではないか、その中で、オオカミはもっと人間に近づく方法として、自分の姿を変えていったと思われると書きました。

どういうことかというと、「野犬」状態の環境の中で、イヌ的な突然変異がオオカミのある個体に現れたということなのでしょう。ただ、その変異は、1頭のオオカミにすべてのイヌ的変異が同時に現れたのではなく(1頭のオオカミが突然イヌになったわけではなく)、各変異が現れた個体はおのおのばらばらで、しかも、その変異が現れたのは「有利」だからはなく、ほぼ偶然、そういう変異が突然に現れたということにすぎなかったでしょう。

でも、その変異、たとえば黒目が増した個体、体に対する頭の大きさが大きい個体の方が幼く見えて、人間に脅威を与えず、人間が保護しようとして生き延びるチャンスが増したとは言えるでしょう。黒目になったり頭が大きくなったりという遺伝子頻度が高くなったと考えられます。

他の変異についてもそうです。「野犬」状態の環境下では、オオカミがイヌ的変異を持った個体の方が生き延びたと思われます。そうしてその変異は何世代ものうち固定され、変異は遺伝するようになりました。オオカミからイヌに変わるために、何世代、何年必要なのかはわかりませんが、だんだん「イヌ」に変わっていったということなのでしょう。ただし、オオカミとイヌの間の化石がほぼ見つかってないということなので、このイヌ化は意外と速く進んだ可能性もあります。

ここまでは、人間側からみたイヌの進化ですが、同様に、イヌからみた人間にも進化があったのでしょうか。

人間の中にも、オオカミを怖がらない個体が現れ、野犬状態のオオカミと友達になった個体、あるいは、狩に出たとき、オオカミを使えばもっと狩が楽になることを知った個体などあったかもしれません。たとえば外敵の接近を知らせてくれる野犬状態のオオカミをそばに置くことで、外敵に怯えるストレスは多少なりとも軽くなったなどはあったのではないでしょうか。

オオカミをそばに置いてもいいと思う個体は、そうでない個体よりも有利になったかもしれません。このように、人間側にも、形質的な進化というより、心理的な進化が起こったとしても不思議ではありません。

オオカミがイヌになることには、人間とオオカミの双方にメリットはあったと思われます。

 

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2023/08/01

【犬狼物語 其の六百七十七】「イヌ」の始まり(1)

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イヌはどのようにしてオオカミから生まれたのかが気になるところです。遅くても1万数千年前の出来事で、実際どうだったのかを証明することは不可能なので、想像するしかありません。毎日こんなことばかり考えている俺は、どこかおかしい、それは自覚しています。

それでいろいろと本を読んだりしていますが、定説は、もちろんありません。

ただ、野犬やアフリカのブッシュマンなどの狩猟採取民のイヌたちがヒントになるのではないか、という気がします。野犬(野良犬)は最近ではめったに見なくなりましたが、10年ほど前には、四国で何回か野犬を見たことがあります。

徳島県、高知県、香川県です。そのときはヴィーノも連れた「犬旅」だったので、とくに野犬には気がつくことが多かったようです。

香川県三豊市観音寺の公園には、同じような姿の薄茶色の2頭の野犬がいました。兄弟姉妹かもしれません。

1頭は4mほどまで近づきました。人間が嫌いなわけではなさそうです。でも、それ以上接近することはありませんでした。こちらが近づいていくと逃げていきます。もう1頭は、人の姿を見ただけで逃げていきました。兄弟でも人間に対する態度はかなり違うようでした。どちらも飼い犬にはない、緊張感が漂っていました。野生の匂いですね。

もちろん近づいてくるのは、人間が食べ物を与えるからでしょう。でも、飼い犬のように、すぐ近づいてくることがないというのは野犬らしいところです。

「付かず離れず」 この微妙な距離が、人間と野犬たちの関係を象徴しているようです。この距離が長くなればなるほど、「飼い犬」から「野犬」に近くなるということでしょう。「野犬度」と、この距離は比例しているといってもいいかもしれません。

この「野犬」の感じこそ、「イヌ」が「オオカミ」から分岐したころの姿に近いのではないでしょうか。ここからは、俺の想像するシナリオの一つです。

人が狩猟採取していた時代、人の近くに近づいたオオカミがいた。人が現れると、逃げて、見えなくなると、また人の捨てた残飯などをあさっていた。人も最初は追いはらっていた。それでも狼にとっては、確実にえさにありつける人のところは魅力で、追いはらわれながらも、隙あらば、近づいていた。人が狩をしたときは、残った骨などにかぶりついた。双方が警戒しながらも、半分存在を認め合う間柄だ。そんな「野犬」状態のオオカミが何世代も続いた。

偶然に人間に近づいたオオカミの個体がそのままイヌとして飼われるようになった、あるいは、オオカミの子どもを拾ってきて飼い始めてイヌになったということはあり得ないので、何世代もの「野犬」状態が続いたはずです。それは100年単位、1000年単位かもしれません。あるいはもっと10000年単位であってもおかしくはないでしょう。DNAとして固定されるまでには長時間が必要です。

「野犬」状態のオオカミの中には、ずっと人間のそばに居つくようになった個体もいたかもしれません。また、人間がこれは狩に使えると思った個体もあったかもしれません。とにかく、長い間、こんな「着かず離れず」状態が続いたのではないでしょうか。

やがて、オオカミはもっと人間に近づく方法として、自分の姿を変えていったと思われます。目を黒目に変えて、幼く見えるように変わりました。そして吠えることをおぼえました。幼く見せることは人間の警戒心を解き、より近づきやすくなったし、吠えることで、危険を察知する番犬として、また、狩をするときの合図として、人間の役にたつことにもなった。双方にとってメリットがあった、というわけです。

だから考えてみれば当然なんですが、「オオカミからイヌになった瞬間」なんてものはないということなんでしょうね。 

 

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