篠田謙一著『人類の起源』古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」
篠田謙一著『人類の起源』を読みました。サブタイトルに「古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」」とあります。最近の古代DNA研究の成果によって人類がどのように地球に拡散していったか、その中には、日本人の成り立ちも含みますが、壮大な人類の旅が明らかになっています。
ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスに駆逐されたというイメージではなく、同時代に共存し、混血もしていたということがわかりました。そしてそのネアンデルタール人のDNAは、現代人にも受け継がれているということです。
日本人のルーツについても触れられています。大雑把に言えば、東南アジアから北上してきた人が日本列島に住み始め、それが旧石器時代人、後に、縄文人で、あとで大陸から入ってきた弥生人が西日本に入り、やがて混血して現在の日本人になった。だから、縄文人の痕跡は沖縄人やアイヌ人に多く残っているという話です。
これが、「二重構造モデル」で、一応の定説になっていますが、古代DNAの研究からそれほど単純ではないことがわかってきたそうで、大雑把にはこのようなシナリオですが、縄文人もすべて均質な集団ではなく、DNA的にはさまざまなグループがあったことがわかったそうです。中国南部にに住んでいる少数民族みたいなものだったかもしれません。谷ひとつ越えると、違う民族が住んでいるみたいな。
そして弥生時代から古墳時代にかけて多くの渡来人が日本列島にやってきました。もちろん「渡来人」といっても、今の韓国朝鮮人・中国人というわけではありませんが、渡来人の数は思っていたよりも多く、むしろ在来の先住民族であった縄文系の人間を上回っていたらしいということ。日本人の成り立ちのイメージが少し変わってきました。
比較的、日本国内でのDNAの変化が少なかったのは、古墳時代より後、明治時代くらいまででしょうか。鎖国していた江戸時代は、ほとんど外からのDNAは入っていないだろうということは想像できます。そして今は、グローバル化によって、DNA的には激動の変化を迎えています。
ところで、日本最古の人骨は、沖縄県・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から2009年に発見されたものです。これが2万7千年前のものとみられることがわかり、国内最古の人骨になりました。
それまでは沖縄本島南部で発見された2万2千年前の人骨「港川(みなとがわ)人」が日本最古とされいて、たしか「港川人」は教科書にも載っていたような気がします。
この港川人ですが、DNAの解析結果から、現代の沖縄人の直接の祖先ではないらしい。港川人の系統は途絶え、あとで九州から南下してきた縄文人が(後に大陸から入ってきた弥生人と混血して)沖縄人になったらしいという。
ところで、この本の一番大切なテーマは、古代DNAの研究によって、人間、ホモ・サピエンスの「種」としての位置づけかなと思います。
「種」というのも意外とあいまいな定義だそうで、その下位の「人種」はもっとあいまいで、「人種」という概念は、西洋人が奴隷を売買するようになった当時、自分たちを正当化するために生み出した概念なのではないかと思われます。「種」としての人間には線引きされるような区別、ましてや、「白人は優れていて、黒人は劣っている」などという区別はできないことがDNA研究からはっきりとわかってきました。
そしてホモ・サピエンスは日々進化を続けていて、このまま未来永劫にわたってホモ・サピエンスのままで進化することはないんだということです。つまり、現在進行形なのです。ただし、大谷翔平が、ホモ・サピエンスの新しい系統だとしても、それがわかるのは何万年後のことでしょうが。
これは「種」だけでなく、「日本人」もそうなんでしょう。「日本人」というのもDNAからは定義ができないことは当然で、今は「日本国籍を持っている人間」という法によって無理やり定義されているわけですね。「日本国民」として。
たとえば「日本人」を「日本列島に昔から住み続けている人間」と定義したところで、古墳時代までは大量の渡来人がやってきていたし、「昔から」とはどのくらいまで遡るか、ということが問題になってきます。
だから、「日本人」と「日本国民」は微妙にニュアンスが違うのですが、「日本国籍を持っている人間」しか、今のところ定義の方法はないと思います。
そしてそれは、「人種」とも関係ないし、「民族」とも違います。ただ一番重要なのは、現在進行形で、昔からも、今からも、「日本人」という塊りのある集団(均質なDNAの集団)がそのままの形で続くことはありえないということなんでしょう。
俺たちは、ホモ・サピエンスも、日本人も、途中経過を見ているに過ぎないということです。
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