「バイデン米大統領の愛犬、4カ月で職員10人に噛みつく」のニュース
「バイデン米大統領の愛犬、4カ月で職員10人に噛みつく 腕や太ももに大ケガした職員も」のニュースです。
https://news.nifty.com/article/item/neta/12189-2472261/
これは仕方のないことですね。ファーストドッグでも、野犬でも、犬には変わりありません。
これがニュースになったのは、家族(あるいは仲間)同然と思っていた犬が、しかも躾が行き届いているはずのファーストドッグが人間を咬むなんて、ということでしょうか。でも、犬が咬むことで、犬も自然物であることを再認識せざるをえません。自然とは人間の意識でコントールできないものです。「犬が咬む」ことで人間に犬も自然の動物であることを思い出させます。
だからこういった咬む傾向のある犬を職場に連れてこないことですね。極端に言えば、ライオンを職場に連れてこないことと考え方としては同じです。犬にはまったく責任はないんですが、犬は「家族同然」「友人」ではあっても、人間でも、ロボットでもありません。
「自然との共生」とか言うわりには、たとえば街にサル1匹現れただけで右往左往する都会人。やたら「共生」と言いたがるのは、都会人に多いのかもしれないですね。
「共生」という言葉には、なんとなく、「仲良く暮らしてます」みたいな偽善を感じることがあります。だいたいにして、農業だって、林業だって、狩猟だって、漁業だって、ある意味、自然との闘いでもあるんです。やさしい自然なんて一面だけ。それをちゃんと分かっている人が、「共生」っていう言葉を使ってほしいですね。田舎では、自然と「共生」するために、どれだけ苦労しているのか、都会人はわかってないかもしれません。
都会とは、そういう異物を排除して快適さを得ている場所。その快適さを脅かすものは、たとえ小さくても取り除こうとします。
人工的な空間、都市空間は、人間の脳が作ったパラダイスです。サルなどという異物が入り込むと、苦痛でしかたなくなる。脳は、都会でサルと共生する方法をまだ考えられず、混乱してしまいます。
サルとは違って、犬は人間の社会に入り込んでいます。普段はまったく問題がありません。犬も都会に完全に溶け込んでいます。ただし、何かのきっかけで、犬が人間を咬んだりすると大騒ぎになってしまう。そこに野生動物が突然現れたような感じです。
バイデン米大統領の愛犬も「しまった!」と思っているかもしれません。1万数千年前に、人間社会に入り込むことに成功した犬たちも、できれば問題を起こしたくない。このまま犬として種を永らえたい。犬が自然物であったと人間が気がつかないように、犬たちは願っているかもしれません。
16歳になろというヴィーノですが、今でも咬もうとすることがあります。これは「飼い主の躾がなってないからだ」という人もいるでしょう。でもどうなんでしょうか。100%飼い主の思い通りになる犬を飼って楽しいのでしょうか。そしたらアイボで充分かと。
「犬は咬む」と、「犬が好き」は、まったく矛盾しないのです。
チベット高原や雲南省で、さんざん犬に咬まれたり、追いかけられて怖い思いをした俺でさえ、犬と暮らすことができています。もちろんその途中には、犬恐怖症状態があって、リハビリには時間がかかりましたが。
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