ジェノグラフィック·プロジェクト
(赤いルートが俺のDNAの「ヒューマン·ジャーニー」の軌跡)
昨日は、最新のDNA研究による人類拡散の旅を紹介する、篠田謙一著『人類の起源』について書きましたが、ひとつ、思い出したことがあります。
2005年に始まった進化人類学的研究プロジェクト「ジェノグラフィック·プロジェクト」というものがありました。
世界中から集められたDNAデータを解析して、現代人の遺伝子マーカーの出現頻度をマッピングして、「ヒューマン·ジャーニー」、つまり、どのように人類が地球上に拡散していったかを調べるプロジェクトでした。
ナショナルジオグラフィックが参加者募集の窓口になっていたので、俺も参加しました。「参加」と言っても、確か99ドルだったと思いますが、キットを購入し、自分の口内粘膜を擦った棒を送って、DNAを解析してもらうだけでした。その結果、俺のDNAの軌跡が掲載している地図の赤線になります。
一般的な日本人は、東アフリカから出て、アジア方向に拡散した集団の一部が日本列島に渡った人々ですが、ただ、途中は、いろんなルートがあります。
アラビア半島からイラン、チベット、雲南などを経由した集団。中央アジアからモンゴル、朝鮮半島経由で来た集団。インドや東南アジア経由で沖縄にたどりついた集団など、いろいろです。
俺は、そのなかで、東アフリカ→アラビア半島→イラン→アフガニスタン→チベット→雲南の集団であったらしい。ところが、雲南どまりで、雲南からどうやって日本に来たのか、そのルートはわからないようです。
このプロジェクトは、2020年に終了しています。俺が参加したのは10数年前なので、『人類の起源』よりも、結果は大雑把な感じがします。日本人の祖先は、この赤線よりはもっと南側を通り、東南アジアから内陸側と海側に北上した2集団がいて、海側を北上して日本列島に入ったのが旧石器時代人、後に、縄文人であったことは、『人類の起源』で知ったことです。
ただ「なるほど」と思ったのです。どうして俺はあんなにも当時雲南省にひかれて通い続けていたのかという、その理由がわかったような気になりました。赤い線が雲南で止まっているのは、まったくの偶然で、雲南で止まっているからどうだ、こうだという意味は何もないのですが、ただ俺が納得できる「自分の物語」を見つけて嬉しくなったのです。
これは個人の家系をたどるものではなくて、あくまでも民族集団レベルの話です。それと「DNAの移動」と「人の移動」とは必ずしも同じではないので、俺の祖先が東アフリカから歩いて(日本海は船で)日本列島にたどり着いた、という話でもありません。
「 2019年12月の時点で、約100万5,694人、140ヶ国の人々が参加したそうで、参加者たちによって提供されたDNAの生データは人類遺伝学・分子生物学の分野の発展に大いに貢献された」という。(wikiより)
俺も少しは役に立ったかなと思います。
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