コロナが再拡大
コロナが5類になり、電車でもマスクをしてない人が増えて、もうパンデミックは収束したかに思えましたが、撮影現場でも、再びコロナ感染で撮影が中止になったりという影響を受け始め、あぁ、まだコロナは終わっていなかったんだなぁとあらためて思います。
学校の文化祭で感染が拡大し、休校になった学校もあるというニュース。文化祭は盛り上がるかならなぁ。閉鎖空間のお化け屋敷やダンスパフォーマンスの応援は要注意かもしれません。
そういえば、8年ほど前にブラッド・ピット主演の映画『ワールド・ウォーZ』がありました。これもパンデミックをテーマにした映画でした。この時は遠い世界の話として見ていたように思います。
ただ、率直に感想を言わせてもらえば、映画を見終わったときの、このもやもや感はなんだろう?と思いました。
大量のゾンビを殺していくシーン、とくに、エルサレムの高くそびえる壁を乗り越えてくる何千、何万というゾンビたちに人々(感染していない人々)が襲われるシーンは圧巻ではあったのですが・ ・ ・。
映像的には迫力あるシーンに握手を送りたいとは思うのですが、一歩引いて内容を考えると、ゾンビは「敵」なのか?という疑問が浮かび上がって、物語りにのめりこめなくなってしまいました。
たぶん俺の「ゾンビ」に対するイメージというか、偏見でしょうが、ゾンビ自体に、ある種の「ばかばかしさ」を感じてしまうのは、アメリカの土葬と日本の火葬という文化の違いもあるのかもしれません。幽霊やお化けと違って、「死体」が動き回ることにリアリティを感じないのです。
彼らは「病人(感染者)」じゃないかなと思うと、「ゾンビ」とレッテルを貼られた人間が有無を言わずに殺されるというのが違和感だったのです。まず「病人(感染者)」を助けるのが筋じゃないのかと。
いや、そこが俺の勘違いなのだと後でわかりました。映画で描かれていたのはすでに死んだ「ゾンビ」なんです。噛まれたらすぐに感染して死んでしまい、その結果としてすぐにゾンビになるということらしいのです。だから「病人(感染者)」という状態の人間は存在しません。
ゾンビは動き回わりはしますが、あくまでも「死体」なので、問答無用に殺しても(死んだ人間を「殺す」という表現は変ですが)罪悪感は生まれないということになります。
「ゾンビ」にあまりにもフォーカスを当て過ぎるとこの映画の良さを見誤るかもしれないし、だから「ゾンビ映画」と呼ぶのは間違っているのかもしれません。
謎のウィルスが突然世界に蔓延し、パニックに陥る「パンデミック・パニック映画」と捉えれば、ブラピが出演したことも腑に落ちるというか、ブラピ自身はこの映画にほれ込んでいたようだし。
ブラピ演じる主人公は、元国連捜査官で、韓国やイスラエルでウイルスの正体を調査します。でも、正体はわからずじまいで、人間とゾンビの戦いが続いていくようなのです。
とりあえず有効なのが、ある「病気」になると、ウイルスの宿主として役に立たなくなって、ゾンビから襲われなくなるという応急処置が発見されたのでした。
つまり、この映画の続編が作られるということを暗示していたのでしょう。でも、8年経って、その間コロナの本当のパンデミックが起こり、続編はいまだにできていないし、できたとしても、内容は変わってくるんだろうなと思います。
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