【犬狼物語 其の七百三十】18世紀に盛んになった狼信仰
狼信仰は山岳信仰と結びついて盛んになりますが一時衰え、再び狼信仰が盛んになったのは、江戸時代中期からです。
とくに三峯神社の御眷属拝借、狼のお札を授与するようになったことがきっかけのように言われていますが、この「狼を借りる」という習俗は全国で同じような時期に広まったという説があります。18世紀です。京都府の大川神社、兵庫県の養父神社(大山口神社)、静岡県の山住神社などです。
お犬さま(狼さま)の扱い方、借り方が全く同じとは言えなくとも、似ているのは事実です。とくに、奥御前神社の霜月例大祭に行ったとき、「本勧請」での狼さまの借り方や、扱い方の厳しさ、祀り方が「三峯神社の方法と似ているのは偶然なのだろうか?」と思ったのでした。
18世紀前半からこの習俗が全国的に盛んになったらしいということで、この習俗がどこかルーツがあって、全国に伝播していったという説があります。それがどこなのかは今のところわかりませんが。同じような習俗が遠くの地で別個に生まれるということもないとは言えないので、伝播説が正しいのかも、今のところはわかりません。
三峯神社についてですが、
「修験者が、山の神をまつり、その山の神の使いが、オオカミであった。一七二〇 年に住職となった日光が、甲州あたりで広く信仰されているオオカミを借りる札を発行し始めた、彼の代になって檀家が増え、金銭、物の奉納が地元から信州の村々に広がるようになった」(栗栖健著『日本人とオオカミ』より)
狼信仰を東日本に広めたのは確かに三峯神社であったかもしれませんが、それまでに狼信仰のベースがあったからこその広まりで、お札を授与する、拝借する、という習俗は、甲州あたりにもともとあったらしいことがうかがえます。
ルーツはどこなのでしょうか? 気になります。
一方で西村敏也『武州三峰山の歴史民俗学的研究』には、
「御眷属の一年後の引き替え、御眷属の守護範囲の指定といった言説は、あたかも狼が存在しているかのような信憑性を与え、狼信仰の御利益の信頼性を生み、それを授かるための儀礼を執行させるに至ったといえよう。狼の知識を持つ人々にとって、狼の存在や習性は、抽象的ではなく、あくまで身近で実感できるものであった。故に、三峰山が規約に記した言説は、説得力あるものだったのである。狼への人間の接し方・方法は、限られてくるもので、狼を奉斎する儀礼の形式やルールは自ずと設定され、各地域とも類似したものとなったのである。」
ともあります。
当時の状況はというと農村地帯では、害獣による農業被害が多くなっていたこと、都会人にとっては、盗難除け、火災除けの需要があったこと、そしてオオカミが「害獣」とみなされるようになった最大の原因かもしれない狂犬病の大流行が享保17 (1732)年長崎から始まりました。いろんな要因が重なり、その時代に求められたものが狼信仰、御眷属拝借、であったのかもしれません。
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