【犬狼物語 其の七百三十一】『絶滅したオオカミの物語 イギリス・アイルランド・日本』
志村真幸・渡辺洋子著『絶滅したオオカミの物語』を読みました。サブタイトルに「イギリス・アイルランド・日本」とあり、それぞれの国でどのようにオオカミが絶滅したか、3国を比較しながら書かれていてわかりやすい。
とくに、アイルランドとイギリスは、オオカミについては対照的な考えがあって、アイルランドは、古いケルト文化の影響もあり、日本と似ている部分も感じます。
ケルトについては以前から気になっていて、とくにケルト音楽は比較的よく聴いているし、あるオーストリアのケルト遺跡が、まるで日本の神社を思い起させるようなたたずまいに、日本と何か通じるものがあると思っていました。
それと、ローマから離れた遠い島国のアイルランド。一方、中華文明から遠い島国の日本。地理的な類似性からも、どちらにも古い文化が残りやすい共通項があったようです。
よく、西洋と日本は対比されて論じられますが、キリスト教が入る前の西洋は、共通するところが多いようにも思います。いや、西洋というのではなくて、これはもっと人類共通の、原初的なアニミズム的な宗教感なのかなとも思います。もちろん、地域差はあって、見た目はだいぶ違うのですが。
オオカミの絶滅に関する研究として現在も参照される一冊となっているというジェイムズ・ハーティング(1841~1928年)の『ブリテンの動物たち』によると、
「オオカミは、イングランドではヘンリー七世治下(1485~1509年)、スコットランドでは1743年、アイルランドでは1770年(もしくは1766年)に絶滅したとハーティングは結論づける。絶滅の正確な年代については、ハーティング以降も多くの研究がなされ、イングランドはヘンリー七世治下ということで意見が一致しているが、スコットランド、アイルランドについては、現在でも確定できていない。」
ということらしい。イングランドでは15世紀にはオオカミはいなくなっていたようです。イングランドの風景ですが、危険動物を人的に排除したある意味、人間の理想国土を作り上げたということなのでしょう。
それと比べると、スコットランド1743年、アイルランド1770年と、絶滅時期は遅れますが、日本ではちょうど狼信仰が盛んになった時期です。それから百数十年後、日本でも結局オオカミが絶滅してしまいました。
こうしてみてくると、時間差はありますが、19世紀までは、人類はオオカミを絶滅しようという方向で活動してきたということです。(イギリス(フランス?)でオオカミが一時保護されたといいますが、それは貴族の狩猟対象だからという意味でした)
また、この本では、アイルランド人とイギリス人のオオカミの見方の違いについても触れています。それがオオカミ絶滅に3世紀の隔たりを生んだ理由でもあるでしょう。
「ここに『アイルランドのオオカミ』の著者キーラン・ヒッキーのコメントを紹介したいと思う。この島の土着の住民であるアイルランド人と、新しくやって来たイギリス人ではオオカミの見方が大きく異なるように見える。アイルランド人はオオカミをこの国の自然の風景の一部と見ている。(中略) 彼らにはアイルランドの風景からオオカミを抹殺してしまおうなどという考えはまったくなかった。(中略)
いっぽう新しいイギリス人の入植者たちの態度はまったく違っていた。ほとんどのイギリス人はアイルランド島にやって来たとき、山野にまだオオカミの群れがうろついているのを見て恐れおののいたのである。彼らはオオカミをこれから自分たちがこの地に形成していこうと思っている風景を脅かすものであると恐れ、できるだけ早く抹殺しようと考えたのである。新しい入植者たちにはオオカミを受け入れようという考えは微塵もなかったのである。」
もうひとつ、この本にはアイルランドの狼報恩譚が紹介されています。
「恩返しをしたオオカミ」を要約すると、
あるところにコノールという若い農夫がいた。あるときコノールの2頭の牝牛がいなくなり探しに出かけた。夜になり、粗末な避難小屋があり、戸をたたくと、中には白髪の老人と女がいて「どうぞおはいりなさい。よくきたなあ。わしらはおまえさんを待っていたんだよ」といい、夕食を出された。二人を疑いながらも、腹が減って疲れていたので、ごちそうになることにした。しばらくすると、戸を叩く音がして、老人が戸を開けると、一頭のほっそりした黒い若いオオカミが入ってきたが、すらりとした浅黒い美しい若者に変身した。「よく来たなあ。おれたちはおまえのことをずっと待っていたんだ」といった。その後もう一頭のオオカミも入ってきて、若者に変身。老人は、この二人は息子で、コノールになぜここへやってきたかを聞いた。いなくなった二頭の牝牛を探しにきたといった。すると家族は笑ったので、コノールは怒りだして、出ていくといった。すると、若者がいった。「おれたちは見るも恐ろしい邪悪なものに見えるかもしれない。しかし親切にしてもらった恩を忘れることはない。お前は覚えているだろうか。昔、谷底でいまにも死にそうで苦しんでいた小さいオオカミのことを。奴の脇腹にはいばらのとげが刺さっていたんだ。そのとげをおまえが抜いてくれて、水を飲ませてくれた。おまえはそのオオカミをそのままそこにそっと休ませて行ってしまった」コノールは覚えていた。「そのときのオオカミがおれなんだ。おれは何とかしておまえを助けたいと思っている。怖がることはない。今夜はここに泊っていきなさい」そのあとはみんなで陽気に食べたり飲んだりして、ぐっすり眠った。コノールが目を覚ますと家の近くの畑にいた。畑には今まで見たこともない美しい牝牛3頭がいたが、これはオオカミの贈り物だと知った。この3頭の牛は立派に成長し、その子孫は今日にいたるまで栄えている。コノール一族が金持ちになり、繁栄したことはいうまでもない。その後、オオカミ一家に礼を言いたくて探したが、あの避難小屋も探し当てることはできなかった。
この報恩譚を読んで正直驚きました。オオカミのいばらのとげを抜いてあげたら恩返ししてくれた、という。
この主題でいえば、日本のオオカミの報恩譚とほぼ同じと言ってもいいくらいです。日本でも、オオカミの喉に刺さったとげを抜いてあげたら恩返しされるという話なのです。これも偶然なのでしょうか。
もちろん、この一例だけをもって関係があるとか、ないとか俺が言える立場ではありませんが、東西離れたところに似たようなオオカミの報恩譚があることが面白いなぁと思います。
(ちなみにカナダの先住民族の民話にも、とげを抜いてあげたら恩返ししてくれたという狼報恩譚が伝わっています)
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