【犬狼物語 其の七百四十三】『三品彰英論文集〈第3巻〉神話と文化史』
『三品彰英論文集〈第3巻〉神話と文化史』の中に獣祖神話の話がありました。
獣祖には、狼、犬、猪などがあります。
狼祖神話をもつ民族は、烏孫・ 羌・突厥・高車・アルタイ・蒙古・ブリヤートなどのトルコ系や蒙古系で、いずれも遊牧生活を営む民族です。「蒼き狼」で有名なモンゴル族はその代表格。
結局、日本には狼祖神話が入ってきませんでしたが、それは意外にも満蒙と人的・文化的交流が盛んだった朝鮮半島にも入っていません。「入っていません」というより「根付きませんでした」という方が正確かもしれません。
この本によると、環境の違いで根付かなかったということらしい。満蒙の牧畜を主にした草原と、狩猟・農耕を主とした朝鮮半島の違いということになるんでしょうか。当然日本列島も朝鮮半島と同じ環境であって、狼祖神話はありません。
だから、日本の狼信仰を考える時、この遊牧民の狼信仰が直接影響したことはなく、間接的な影響はあるのかもしれませんが、よくわかりません。
でも、遊牧民の狼信仰は、狼信仰の始まりを想像するには参考になるのではと感じます。なぜ、恐ろしい狼が神になったのか、という点です。
日本では、農作物を荒らす鹿や猪を退治してくれるから農事の神さまとして信仰されたというのは、農業が始まってからのことであるし、何度も言うようですが、これは観念的なもののように思います。直接家畜の被害を目にした遊牧民とは違います。
そして時代が遡れば遡るほど、たとえば縄文時代の狼信仰などを考えたとき、この遊牧民の狼信仰は参考になるのではないかなと。
「原随園氏は、狼は「本来家畜殊に羊の強敵である。だから、牧者は自分等の家畜に危害を加えぬやうに狼を神として崇め、神慮を和げるに努めるのである。これが牧畜を主なる生業とする民族の間に屢屢見らるゝ狼神の原義である。かく狼として祭られた神が、家畜保護の神として威力をもつにいたつて、狼を殺して家畜を保護する神と仰がるゝのであり、はじめ狼として消極面において畏怖した神が、狼の害を防ぐ神として積極面において尊崇されるにいたるのである」と興味深く説明している。」
とあります。
農耕民が干ばつを恐れるのと同じくらい、遊牧民にとって一番怖いのが狼です。だから狼を神に祭り上げ、なんとか家畜を襲わないでくださいと祈念する、それが遊牧民の狼信仰の始まりであるようです。
狼が捕らえた獲物の残りを人間がもらうことはおそらく縄文時代もあったと思います。狼は恵みを与えてくれると同時に怖い存在です。でも、狼が神になるのは、「恵み」より「恐怖」が勝っていたということではないでしょうか。
なかなかそれを実感できない現代ですが、たとえば動物園で狼を見て「かわいい」とか「かっこいい」とか言えるのも、柵があるからで、この柵を取り払ったところを想像してみてください。はたして「かわいい」とか「かっこいい」とか言えるのか、俺だったら恐くてしかたなくなると思います。
そのときどうするか。「どうか襲わないで」と祈るしかないのでは。それが狼信仰の始まりともいえるかもしれません。
実際に、中国四川省で、狼ではないですが、チベット犬3頭に囲まれたとき、天を仰いで「咬まないで!」と祈った経験があるので、こんなふうに思いました。(願いは通じず咬まれたのでしたが)
あの時の恐怖といったらなかったですね。今でも時々思い出してはヒヤッとします。幸い、チベット犬の飼い主家の娘さんが、石を紐につけて振り回しながら(ヘリコプターのように)やってきて追いはらってくれ、咬まれたのもこのときは靴の上からだったので大事に至りませんでした。
犬に関しては怖いイメージから入っているのにもかかわらず、犬や狼に関心があるのは、むしろこの強烈な恐怖体験(1回や2回ではなく、数多く)から、犬・狼を自分の神に祭り上げ、恐怖が消えるようにセルフセラピーしている、という面もあるのかもしれません。
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