2024/05/28
2024/05/26
【犬狼物語 其の七百六十】ニホンオオカミの剥製
先日ニュースになった新しく発見されたニホンオオカミの剥製と、前から科学博物館に展示されていた剥製、新旧の剥製を比べてみました。
個人的な印象は、今回発見された剥製の方が、より狼らしいかなと思いました。ストップ(額段)の滑らかさ(平さ)、尻尾の太さなどで。
と思ったら、なんと頭骨入ってないそうです。比べても意味がないですね。
論文全部は読んでいなかったので、まさかDNA解析くらいしているんだろう(科博だし)と思い込んでいました。
シーボルトが持って行ったライデンの標本も確か犬とのハイブリッドだったはず。それもDNA解析して初めて分かったことです。
そしたら極端に言えば、西日本の2つの神社にある「狼さん」の剥製と変わらないですね。「お犬さま・狼さま」という信仰物としては問題ないでしょうが。
2024/05/24
2024/05/22
2024/05/21
2024/05/20
2024/05/18
2024/05/17
2024/05/16
2024/05/15
2024/05/14
【犬狼物語 其の七百五十二】埼玉県草加市 日枝神社内三峯神社
日枝神社境内の三峯神社。
日枝神社の創建年はわかりませんが、江戸期には山王社として祀られていたそうです。三峯神社もいつ勧請されたのかは不明です。
「草加の歴史」によると草加では火事が何度か起きています。
天明4年(1784) 草加宿5丁目から出火.。2丁目八幡神社際まで焼け野原となる
文化5年(1808) 草加宿3丁目から出火、南は2丁目八幡神社まで、北は5丁目東福寺門前まで類焼、大火となる
明治3年(1870) 草加宿6丁目から出火、約450戸が焼失
これらの火事と、三峯神社が関係するのかどうか。街の中なので、農村部のような作神信仰としてではなく、火伏の神としての信仰だったとは思います。
2024/05/13
【犬狼物語 其の七百五十一】埼玉県草加市 草加神社の三峰社
草加神社にも末社として三峰社が鎮座します。
現在、雷電社、八幡社との合祀殿ですが、これは2004年に造営されたそうです。以前の三峰社は天保6年(1835年)に再建されたもので、それ以上古い文献や棟札はないものの、江戸中期から三峰信仰が始まったのがわかります。社はどこからか移されたわけではなく、最初から草加神社境内にあったとのことです。
今は、三峰講もなくなってしまいましたが、春秋の2回、秩父の三峯神社に代表者が参詣しお札をいただいてきて、三峰神社例祭を斎行しているという。
お賽銭箱前には、歯固めの石が置いてありました。お食い初めの儀式で「丈夫な歯になりますように」との願いを込めて使われるものですが、お祓いを済ませてあるので、これを持って帰って儀式で使ってもいいそうです。終わったら神社に返すことになっています。
最近は、お食い初めを料亭やレストランで行う家族も多く、店で用意してくれるところもありますが、自宅で行う家族はこれを使うことになります。
境内の神木、イチョウの葉の緑色が清々しい季節です。
2024/05/12
2024/05/10
NHK『フロンティア ヒトはなぜ歌うのか』
NHK『フロンティア ヒトはなぜ歌うのか』を観ました
ヒトはなぜ歌うのか? なぜ言葉を忘れても、歌は忘れないのか?
アフリカ、バカ族の歌を分析したのは面白かったですね。
「集団の絆」を深める説。なるほどと思います。
また音楽によって高齢者の脳の機能が向上するのもわかってきて、認知症の役にも立つかもという希望の持てる話。
そして、この番組を見ていて、思ったことがあります。もしかしたら「言葉」の前に「音楽(ビート)」があったのでは?
繰り返し同じ間隔で物を叩けばビートになる。そして人間は「ビート予想」が優れているという。と、すれば、他の人がビートを予想して、次の一打を叩けばある意味それはその人に対しての「共感」を表すんじゃないでしょうか。「おお、お前、わかってくれるのか」と。
ヒトが他の霊長類と大きく違うのは「他人との共感」と心理学講座で習った気がします。チンパンジーは賢いけれど共感力に欠けるそうです。
ビート予想は言葉がなくても成り立つから、言葉の前にビート(音楽)があったということはないんでしょうか。あるいはビートが言葉のルーツとか、そんな研究はされてないんでしょうか。
と思って調べてみたら、人間の言葉が歌から始まったという説がやっぱりあるんですね。おもしろい。
2024/05/07
【犬狼物語 其の七百四十九】埼玉県秩父市 三峯神社奥宮のお犬さま像(2)
三峯神社奥宮には全部で14体(+壊れたもの)のお犬さまたちがいますが、そのうち12体は、社殿の右に建っているふたつの石碑の周りにいます。
石碑は、昭和41年に建てられた「奥之宮社殿改築奉献記念碑」ですが、この中に前回紹介した「銚松講」が奉納したお犬さま1対がいます。
そこで調べたところ、狸のような丸顔のお犬さまは、やはり銚子の石工の作でした。もちろん銚子の松岸三峯神社に奉納してあったお犬さまもこの石工と、先代の石工、ふたりの作だとわかりました。
現在「銚松講」はなくなったそうですが、昔は熱心に講の活動が行われていたそうで、このお犬さまも背負子に載せられてはるばる銚子からこの奥宮まで運ばれてきたといいます。
遠い銚子の三峯神社と奥宮が、お犬さまを通して、空間的・時間的に実際につながっているのを感じるのは、少し感動ものです。「山と海はつながっている」が実感されます。
その日は快晴で、あまりにも眺望がいいので、つい、奥宮から銚子が見えるのではないかと錯覚するくらいでした。
他の壊れかけたお犬さまにもいろんな物語があるのでしょうが、残念ながら文字もなく、わかりません。奥宮は、いずれここで風雨にさらされ土に帰っていくお犬さまの安住の地にもなっているようです。
2024/05/06
【犬狼物語 其の七百四十八】埼玉県秩父市 三峯神社奥宮のお犬さま像(1)
諸事情により『オオカミは大神』には掲載しなかった話です。(3年前の取材なので現在どうなのかわかりません)
三峯神社奥宮は寛保元年(1741年)創建。神社から徒歩1時間半くらいの妙法ケ岳山上 に鎮座しています。
社殿の後ろ側は断崖絶壁で、遠くには、三峯神社の「奥宮遥拝所」の東屋が見えます。
奥宮で、意外なものを見つけました。
お犬さま像は大小十数体ありますが(壊れているものも含め)、その中に、見覚えのあるお犬さまがいました。丸顔で、どことなく狸のような像で、そしたらやっぱり、以前参拝した千葉県銚子市の三峯神社を守っていたお犬さま像だということがわかりました。台座には「銚松講」とありました。(続く)
2024/05/04
【犬狼物語 其の七百四十七】軍犬
江戸川区の、あるコミュニティセンターのロビーに、1933年~1940年まで使われた「小学国語読本尋常科用巻一」が展示してありました。
そのページには犬の絵が出ていたので、つい足を止めて見てしまいました。「コイコイ シロ コイ」とあります。左側のページには、「ススメススメ ヘイタイ ススメ」とあります。犬と兵隊が関連付けられています。
あの有名な忠犬ハチ公の像は1934年に建てられました。この時代の「忠犬」には危険な匂いを感じます。
靖国神社には「軍犬慰霊像」があります。外国に派遣された軍犬は、ほとんど日本に帰っていません。
犬は戦争の意味を知らない、国のために戦ったのでもない、ただただ犬係りの兵士との絆や愛情や信頼のために従ったにすぎません。でも彼らの活動が「軍事行動」になり、彼らが「軍犬」と呼ばれるのは、人間が作った戦争という状況があるからです。
支那事変で活躍した軍犬・利根も初等科国語の教科書に載り、文部省唱歌にもなりましたが、利根にとってはどうでもいい話で、ただただ犬係の兵士に撫でてもらって嬉しがってる姿を想像すると涙が出そうになります。
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