2024/06/26
2024/06/14
マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』 オオカミは「元型」
4年ほど前にこの本は一度紹介しています。
「狼信仰」自体は日本固有の信仰ではなくて世界中にあります。もちろん、島国であったり、牧畜を行わなかったりという日本の環境が独特の狼信仰をはぐくんだとは言えるでしょう。
時代を遡るほど、狼に対しては人類共通のある心理的傾向が見えてきます。
人類共通のある心理的傾向とはどういうことかというと、これまで外国の狼信仰について調べた中で、どの民族でも、オオカミに対しては「畏怖」と「軽侮」、「憎悪」と「憧憬」など、アンビバレントな気持ちが生まれ、そこから狼信仰が始まっているようなのです。 その狼に接した時に抱く心理的傾向に共通性を感じます。
マイケル・W・フォックスはイヌ科動物の権威で、心理学、行動学の博士号を取得して『イヌの心理学』、『イヌのこころがわかる本』などの著書もある生態学者・獣医師です。著書『オオカミの魂』は、単なるオオカミの生態・行動を紹介した本ではなく、行動学、心理学、哲学、社会科学など幅広い領域の成果をもとに、現代の人間が抱える精神的な問題に踏み込んだ本です。オオカミだけではなく、あらゆる生き物への畏敬の念の大切さを訴えています。
「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」
「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」
ちなみに「高貴な野蛮人」とは 「創作物におけるストックキャラクターで、先住民、アウトサイダー、未開人、他者、といったものの概念を具現化したものである。彼らは文明に汚染されておらず、従って人間の本来の美徳を象徴する。」(wikiより)
フォックスは「元型」と表現しています。
「元型」とは、心理学者ユングが提唱した概念です。「集合的無意識で働く人類に共通する心の動き方のパターン」といった意味。代表的なものに「太母」「老賢者」などがありますが、「狼」もそうなのではないか、ということです。
西洋でも、モンゴルでも、日本でも、時代を遡れば遡るほど、狼に接した時の心理的傾向が同じように見えますが、そこが「元型」といわれる所以でしょう。狼は人間に共通の「元型」の一つなのではないかと思います。狼は世界のいたるところに生息し、人間にとってはあるときは同じ獲物を巡って競合する敵であり、凶暴な怖い動物であり、同時に、狩の仕方を学ぶ先生、強さに対する憧れの存在でもありました。
狼信仰がある程度認知されて、神社から狼のお札やお守りをもらってきて、実際いいことがあったり、災厄から逃れたから「良かった」と思っているかもしれませんが、狼のお札やお守りの扱いをおろそかにしたら、悪いことが起きる、ということもセットで考えなくてはならないということでしょう。それは、狼自身を想像してみればわかるのではないでしょうか。
お札やお守りは、いいことだけを与えてくれるアイテムではないということです。扱いをおろそかにしたら悪いことが起こる、ということとセットで考えないと。
そしてそれは自然界の狼と相似形なのです。どうも現代人は、ご利益だけいただいて、負の面を考えていないようにも見えます。パワースポットにも副作用があると思うので注意したほうが良いと個人的には思います。
2024/06/10
【犬狼物語 其の七百六十二】お犬さま(狼)像のあばら骨の表現について(お札の場合)
前回は、石像・ブロンズ像のお犬さま(狼)のあばら骨の表現についてでしたが、それじゃぁ狼のお札はどうなんだろうかと疑問がわきました。
だから今回はお札についてです。今さら言うのもなんですが、石像よりもお札が先だったかもしれません。お札を参考にして石像を作った例もあったのではいでしょうか。
まず参考にした資料はこちらです。
松場正敏氏、編集発行の『お犬様の御札 ~狼・神狗・御眷属~』(2020年7月13日)で、全国の狼のお札を網羅している第一級の資料です。
この本に掲載された狼のお札と、俺がいただいた「群馬県黒髪山神社&鳥取県三輪神社&岡山県倉敷市木野山神社」のお札をプラスして、狼のあばら骨が浮き出た表現の有り・無しで、カウントしてみた結果です。(お札に一対あるばあいは、それぞれ1体としてカウント)
前回は、狼像のあばらの表現は東日本に多いようだ、という結果だったので、お札も東日本と西日本とに分けたいところですが、西日本のお札は絶対数が少ないので、今回は、「東北と関東+山梨」と、「静岡、長野、岐阜、福井以西」としてわけてみました。
次が結果です。
【東北と関東+山梨】
あばらの表現が有り:85体
あばらの表現が無し:116体
[あばら有りは全体の42%]
【静岡、長野、岐阜、福井以西】
あばらの表現が有り:7体
あばらの表現が無し:55体
[あばら有りは全体の11%]
この結果をどう見るでしょうか。
全体では、263体中、有りは35%、無しは65%です。【東北と関東+山梨】ではあばら有りが42%、【静岡、長野、岐阜、福井以西】ではあばら有りが11%で、石像ブロンズ像同様に、東日本にあばらの表現を用いた狼像が多い傾向があるように見えます。ただし、これはサンプルの取り方をどうするかで結果が違ってきそうです。
『お犬様の御札』には、昔のお札も数多く掲載されているので、では、現在授与されているお札だけ(氏子だけに授与は除く。つまり一般人が現在も手に入れられるお札)の場合はどうでしょうか。
【東北と関東+山梨】
あばらの表現が有り:25体
あばらの表現が無し:34体
[あばら有りは全体の42%]
【静岡、長野、岐阜、福井以西】
あばらの表現が有り:6体
あばらの表現が無し:25体
[あばら有りは全体の19%]
全体では、90体中、有りは34%、無しは66%です。【東北と関東+山梨】では42%、【静岡、長野、岐阜、福井以西】では19%で、あばらの表現は同様に【東北と関東+山梨】が多い傾向を示しています。
『お犬様の御札』でわかったのですが、同じ神社でも昔のお札にはあったのに、新しいものではなくなっていたりします(両神御嶽神社など)。時代によってその傾向は変わっているかもしれません。また、白い狼にはあばらの線が入っているのに黒い狼は全体が黒で塗りつぶされているなどの例もあります。
表現が難しいのですが、昔のお札も、現在授与されているお札でも、「東日本固有」とまでは言えなくても「東日本に多い」傾向は間違いありません。
そして将来、いや今も、様々なお札が発見されているようなので、今後の課題です。
それではなぜあばら骨が浮き出た表現が東日本に多いのか?という疑問は、前回の「お犬さま(狼)像のあばら骨の表現について」を参考にしてください。
それと、ある狼の絵はあきらかに同じものがあり、どちらかが真似されたんだろうなとわかります。どちらがどちらを、ということまではわかりませんが。
カメラもない時代です。絵心があれば、あるいは寸法など正確に測れば可能かもしれませんが、石像をほとんど完璧に真似して作るのは不可能だったろうと思います。その点、お札は運ぶのが楽なので、遠いところにもっていって、真似することは簡単にできたのではないでしょうか。良いと思ったものは真似をする。これは文化の基本でしょう。
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