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2024/06/27

【犬狼物語 其の七百六十三】どうして関東地方に垂れ耳、あばら骨表現の狼像が多いのか?

287a5103(立ち耳ではない=狐ではない=狼か犬だろう)

287a5131_20210823072401_20240626111101(吹上稲荷神社の狐像)

_87a2772_20220110084101_20240614080101(千住神社/三峯神社の狼像)

 

最近はずっと狼像の形について考えています。細かい形にこだわるのは、やっぱり写真を撮っているせいでしょうか。世間的には何の役にも立たないけれど、なぜか気になってしかたがない、我ながら変な奴だと思っています。

お犬さま(狼)像の特徴である、浮き出たあばら骨や垂れ耳の表現など、なぜか関東地方に多い傾向があることは、石像やお札に描かれた狼像の数を実際にカウントしてわかったことです。(結果は以前「あばら骨」「垂れ耳」を参照)

どうして関東地方に多いのか?

あばら骨に関しては東日本に狼が多く住んでいて目にする機会が多かったからとか、あばら骨の表現が「狼」を意味する符号になっていたのでは?といった推理。また垂れ耳は洋犬の影響とか、神さまを前に畏まった姿を表している、齢を重ねた狼を表しているのではないか、という推理がありました。

ただ、どうして関東に多いのかが今一よくわかりません。

先日、ある都内の神社の境内に小さな稲荷社があったのでお参りしました。そこに10体ほどの狐像が奉納されていたのですが、「あれ?」と、1体だけ尻尾が直立していない像が目に飛び込んできたのです。これは心理学でいう視覚探索のポップアウトですね。この尻尾を這わせた像は、多くの直立した尻尾の狐像とは違う姿なのですぐに気がつくことができるのです。

そこで、こういう推理はどうかなと思いつきました。

東国ではもともと狐信仰が盛んで、江戸時代には、稲荷信仰が狐信仰と結びつき、稲荷社には狐の像が奉納されるようになったようです。東国に稲荷社が多いことを多くの記録が示しています。例えば、1781年の木室卯雲の『見た京物語』には、京では「町々の木戸際ごとに石地蔵を安置す。是愛宕の本地にて火ぶせなるべし。江戸のごとく稲荷多く祀らず」、1818年の大田南畝の『奴師労之』には、「稲荷の社関東に多し。大坂より西には稲荷なし」とあります。また名所図絵の類に記載された稲荷社の数によっても、江戸には稲荷社が多かったことが確認できます。

「伊勢屋稲荷に犬の糞」という言い回しもありました。「伊勢屋」という屋号の店や「稲荷社」や「犬の糞」など、江戸に多いものを並べたものです。多少の皮肉やからかいの気持ちも入っているようです。実際は当時言われていたことではなくて、明治になってから、江戸を懐古して言われ始めたようですが、それはともかく、江戸には稲荷社が多かったことは事実のようです。

都内で一番古い狐像は、吹上稲荷神社の宝暦一二年(1762年)のもので耳が立っています。これが狐像のルーツなのかわかりませんが、現在でも、多くの狐像の尻尾は直立し、三角耳は立っていて、立ち耳ではない狐像はないようで、垂れ耳なら狐以外のイヌ科動物、つまりは狼像か犬像の確率が高くなるでしょう。

吹上稲荷神社の狐像から83年後に奉納された千住神社/三峯神社の弘化二年(1845年)のものは耳が垂れています。24区内で一番古い狼像といわれるものですが(「都内」というと奥多摩の山の神を祀った狼像があります。狼像としては別系統と思われます)、これが吹上稲荷神社の狐像を手本にしたのではないかと思われるくらい、いや、同じ石工が作ったのではないかと見紛うくらい、雰囲気がそっくりなのです。ただし、狼像の方は垂れ耳で、牙があり、尻尾が直立していなくて横に這わせてあります。(残念ながらあばら骨の表現はないようです) 両像を比べてみると、狐と狼の特徴がよくわかるのです。

そこで江戸でも狼信仰が盛んになり、関東地方に三峯神社や武蔵御嶽神社の講が結成されて分社も増えてきて、そこに狼像を置いた時、多くの狐像と区別するために、垂れ耳やあばら骨の表現を施した像が多くなったのではないかということなのです。後発の狼信仰にしてみれば、狼に特にこだわった造りにするために、狐とは違う、垂れ耳、牙、横に這わせた尻尾、あばら骨という表現をしなければならなかったのではないか。

しかも、狐憑きに効果があるとされた狼。狼は狐よりも強い、ということで、その強い狼を表現するためにも、狐とは違うということをアピールしたのではないか。

関東に垂れ耳やあばら骨の表現が多いのは、多くの狐像に対抗、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、区別するためではなかったのか、という推理です。

それと絶対数が多ければ様式ができて、それが固定化されるとも考えられます。

一方、西国には稲荷神社が少なく、よって狐像も少なく、木野山神社などの分社に置かれた狼さんの像が、関東地方でなら狐像と間違えそうな、直立の尾を持っていたりします。もちろん耳も立っています。

つまり狐の像と競合する場面が少ないので、狼をことさら狐と区別していなかったのが原因なのではないか。イヌ科動物らしい像であれば狼像として成立したんじゃないかと思うのです。はっきり言って、西国では狼像を造るとき、東国ほどのこだわりがなかった、ということです。西国の狼像には、狐のような像がたくさんあります。直立した尻尾もそうですが、垂れ耳やあばら骨の表現がありません。あってもすごく少ない。もしかしたら東国から伝わったものはあるかもしれませんが。

結果、関東地方に狼らしい特徴の石像が多いのはそのためなんじゃないかと。これが今のところの俺の推理です。

 

 

 

 

 

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