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2024/06/16

【犬狼物語 其の七百六十二】お犬さま(狼)像の耳の形状

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先日は、あばら骨が浮き出た表現を施されたお犬さま(狼)像は関東地方に多いという話題でしたが、今日は耳の形状の話です。

以前、立ち耳と垂れ耳の違いはどんな理由ですか?と聞かれたことがあり、たしか「奉納者の好み」「お札の狼の姿に似せた」と答えたような気もしますが、本音を言えば「わからない」です。

そう聞かれれば、どうして垂れ耳の狼像があるんだろうか?という疑問が沸いてきます。俺は生物としてのオオカミには詳しくないので、立ち耳のオオカミしか想像していませんでしたが、もしかしたら、立ち耳ではない状態のオオカミの方が普通なのか、オオカミに詳しい人に教えてもらいたいですね。

参考になるかわからないですが、都内で一番古いと言われている千住神社の三峰神社前に奉納された弘化2年(1845年)のお犬さまは垂れ耳です。秩父三峰神社の拝殿へ向かう階段の両側に立っているお犬さまは文化7年(1810年)奉納ですが、立ち耳です。大嶽神社の本殿で護っているのは宝暦9年(1759年)のお犬さまで立ち耳です。

このように、今のところ、古いからどうの新しいからどうのという時代的なものなのかわからないんですが、もしかしたら「あばら骨」同様、いろんな人から情報がくるかもしれないなと望みをかけてXにポストしてみました。

 その前に実際のオオカミの耳の様子を見てみます。ダニエル・ベルナ―ル著『狼と人間』にある狼の表情の図を上げておきます。

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威嚇でも、立ち耳と伏せ耳があるんですね。耳の形からだけでは狼の状態も分からないようです。少なくとも垂れ耳は無さそうです。でも科博のニホンオオカミの剥製を見ると、この図のオオカミよりは耳が大きく、垂れ耳にもなりそうです。とくに最近発見されたニホンオオカミの剥製は。(参照:「ニホンオオカミの剥製」

NHKダーウィンが来たでCG再現されたニホンオオカミの耳は意外に小さくて驚いたくらいですが、それはこの科博の剥製を見ていたからです。ただ、この剥製、イヌとの交雑種である可能性がゼロではなく、耳の大きさにそれが現れているのかもしれません。(このあたりはまた別問題です)

 

さて、お犬さま(狼)の像です。

狼像の耳の形状には、立ち耳と垂れ耳がありますが、垂れ耳がまた関東地方特有かもしれないことがわかりました。

関東地方(山梨県も一部含む)の狼像を扱った拙著『オオカミは大神 弐』に掲載した狼像で、耳の形状を基に数を数えてみました。

「立ち耳」、「垂れ耳」、そして立ち耳と垂れ耳の中間のような、ちょっと後ろになびかせたような耳を「伏せ耳」として、3種類に分けました。(1対ある場合も「1体(1か所)」として数えています)

立ち耳:103体(59%)
伏せ耳:43体(24%)
垂れ耳:22体(12%)
不明:8体(5%)

立ち耳は全体の59%ですが、立ち耳ではない耳:伏せ耳+垂れ耳=65体(36%)ということで、3分の1以上が立ち耳ではない耳で、これはかなりの割合かなと思います。

もちろん、立ち耳ではない耳は、東北地方にも西日本にも無いことはないですが、数は少ない。だから立ち耳ではない耳を持ったお犬さま(狼)像は、関東地方の特徴と言ってもいいかもしれません。

どうして関東地方に多いのか?

あばら骨の事情とは違います。耳だけで狼の感情の状態を判断するのも難しいし、これはあばら骨以上の難問かもしれません。というか、それほど耳の形に意味を持たせなくてもいいのでしょうか。単なる流行なのかもしれないし。(俺たちは必要以上に意味や因果関係を知りたがる)

たとえばこんな例も聞きました。立ち耳など、尖った部分があると人が触った時にけがをすると悪いので、丸くした(垂れ耳にした)という話を、ある神社の犬像のところで聞きました。また石像は長年の風雨で出っ張った部分は破損しやすいということもあります。だから破損しないように垂れ耳にしたのではという話も聞きました。

それとこれは想像ですが、石像よりも先に狼のお札があって、それに似せて造った石像も多かったのではないかと思います。だったらまず、お札に描かれたお犬さまの耳の形状はどうしてそうなったのか?との疑問が出てきます。

少なくとも、尖った耳は壊れやすいとかの理由は当てはまりません。そうするとやはり耳の形に何か意味を持たせたのではないかと思われます。

想像をたくましくすると、日本の地犬より洋犬が強く見えたので、洋犬ふうな垂れ耳にしたとか。日本の地犬、柴犬のような地犬は伏せ耳にはなっても垂れ耳までにはならないし。

洋犬が日本に入ってきたのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのことです。初めて洋犬が持ち込まれたのは1853年。この年、アメリカのペリー提督が率いる黒船が浦賀に来航し、日本に開国を迫った際、ペリーは日本政府への贈り物としてグレイハウンドを持参したそうです。当時の人はこの洋犬を見てびっくりしたのではないでしょうか。

ただ、この事実からすると、千住神社の三峰神社前に奉納されたお犬さまの奉納年は1845年なので、洋犬が入る前になってしまい、洋犬をまねた可能性は低くなるのかもしれません。でも、洋犬が描かれた書物などはすでに日本に入っていた可能性はないのでしょうか。そのあたりは調べてないのでわかりません。

でも、そもそも科博で展示されているニホンオオカミの剥製のように耳が大きいなら、洋犬の真似をするまでもなく、猟師が射止めたニホンオオカミは耳が垂れていた可能性もあるかもしれません。こうなってくると、やはり科博のニホンオオカミだとされる動物のDNA鑑定してほしいですね。なぜ狼像に垂れ耳があるのかとも関係してくるのです。

ChatGPT先生に聞いたところ、立ち耳の狼像には、「守護」「警戒」を表し、垂れ耳の狼像は「親和」「保護」を意味するそうです。

確かに、立ち耳の狼像は凛々しくて毅然として、外敵から守っているように見えます。それに比べて垂れ耳の狼像はなんとなく優しさが漂い、人々を守ってくれそうな印象を持ちます。

お犬さま(狼)像は、生物としてのニホンオオカミそのものではなく、あばら骨同様、その表現を用いることであるメッセージを伝えるというイメージであることを思えば、『狼と人間』の狼の表情の図はあまり参考にはならず、むしろChatGPT先生の言う「立ち耳」と「垂れ耳」の象徴する意味は、まんざら的外れではないのかもしれません。

Xのポストに対していただいた情報によると、年齢がいったオオカミの耳は実際垂れるらしい。そうすると、お犬さまの見方がちょっと変わってきます。

垂れ耳は、もしかしたら年齢がいったオオカミを表している可能性があるわけですね。齢を重ねた者は、存在感・落着きがあり、知識も豊富、頼りになるイメージもあるし。

こういった意味を狼像に与えたのか、それとも無意味なのか、結局、答えは今のところ分かりませんが、いろんな解釈ができるところも現代人にとっては狼像の魅力の一つであるのは間違いありません。

 

 

 

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コメント

くりゅうさん

コメントありがとうございます。

そうですね。言われてみれば、狆の耳の影響なら垂れ耳もわかります。ただ、うる覚えなのですが、江戸時代は、「犬」と「狆」を別な種として認識していた(つまり「狆」は「犬」ではない)というのをどちらかの本で読んだ記憶があります。(記憶違いかもしれません)なので、どこまで「犬=狆」だったのかというのも疑問ですし、狆はどちらかというとハイソな人たちの動物であったイメージもあって、狼信仰という民間信仰を行っていた庶民に果たして狆がどのように映っていたのか・・・正直私にはわかりません。
だからこそというか、狆が庶民には神秘的なものに見えた可能性はあるとおもいます。
いずれにしましても、狼像はニホンオオカミとは直接関係なく、想像の産物であることは間違いなく、狆の姿に影響を受けた可能性は否定できないかもしれませんね。

投稿: あおやぎ | 2024/06/16 17:44

勉強不足なので間違ったことを申し上げていたらすみません。あくまでも個人の見解になります。

日本らしい犬といえば 秋田県 柴犬などの犬が浮かびますが、日本原産の愛玩犬は狆です。

狆は中国から 朝鮮半島を経て渡ってきた蜀狗が原種ではないかと言われていて聖武天皇の御代に新羅から献上された記録が残っているそうです。

生類憐れみの令を出した 5代将軍家綱は特に狆を愛好し 当時 200匹もの狆を飼っていたと言われており、ブリーダー的な存在もいて大名家や 幕府などの一部の特権階級の人が飼育していました。

中期になると、庶民の間でペットブームが起こり、金魚等ともに人気があったそうなので、身近な犬は狆だったと思われます。(猫はペットよりももっと近い存在)

識字率も高く、印刷技術によりたくさんの作品が出回っていた江戸では
円山応挙や伊藤若冲等の作品をみても狼的な犬は恐らく描かれていないので、犬=狆のイメージも定着していたのではないでしょうか

そもそも、江戸時代もまだまだ動物を見る機会が少なく、想像で書かれていた時代
三峯神社辺りだと狼信仰もあり、狼本来の姿が知られていた地域ですが、江戸庶民は狼をみる機会もなかった為、狛犬を作る際、狆の影響が大きく、関東近辺は垂れ耳が多いのではないでしょうか?

投稿: くりゅう | 2024/06/16 14:08

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