【犬狼物語 其の七百六十八】王子稲荷神社
JR王子駅から徒歩12分、少し高くなったところに王子稲荷神社が鎮座します。東国三十三国稲荷総司と言われていました。
ここには江戸時代の狐像が複数体あって、江戸の狐像を知るには外せない大切な神社のひとつです。
まずは境内に入ってすぐ、左右に1対の狐像があります。都内で2番目に古いと言われている宝暦14年(1764)の狐像です。垂れ目の表現が面白い。これには石工銘があり「八丁堀 石工太郎助」となっています。
拝殿でお参りした後、奥に進むと、そこはちょっと薄暗い場所で、本宮と鳥居といくつかの狐像が見えます。
本宮には油揚げがお供えしてあり、都内で3番目に古い明和元年(1764)奉納の狐像が1対たっています。
王子稲荷社への石造物奉納者を調べたリストによると江戸町人が8割を占めています。
明和元年(1764)の狐像は、中橋・京橋・新橋・芝の講中の奉納で、村田屋、越前屋、炭薪仲買人、両替商などの商売人であったらしい。石工銘は「上総屋治助」となっています。石工太郎助も上総屋治助も調べましたが今のところ詳細不明です。
江戸町人が王子まで毎日来るのは難しいので、日常的な祈願のために、地元に稲荷社を設けたというのもあったらしい。
王子稲荷は、火難除け、無病息災、商売繁盛にご利益がある とされるようになりました。
また王子は民話「王子の狐火」でも有名です。農民は狐火によって田畑の豊凶を占ったという。大晦日から元日未明にかけて「大晦日狐の行列」が王子稲荷へ向かうイベントが行われています。
狐と火の関係でいえば、藤原頼長『台記』天養元(1144)年に、狐を祀る小さな祠が火災を防いだとの記事、また、藤原兼実『玉葉』治承五(1181)年に、狐が火災を予兆したという記事があります。
昔から狐の火災除けの信仰はあったようです。江戸の町の隅々にまで狐信仰が融合した稲荷が浸透したのは、今では商売繁盛のご利益が主になっているようですが、火事になりやすい人口密集地、江戸故に、この火災除けのご利益(「火伏の凧」もあります)が、当時重要視されたことも理由の一つであったらしい。
| 固定リンク
コメント