【犬狼物語 其の七百六十四】穴稲荷
上野公園の不忍池へ向いた斜面に穴稲荷(忍岡稲荷)があります。
どうしてここを参拝したのかというと、江戸の狼像のルーツを探っていくと、どうしても先行する狐像を考えなければならなくなり、浅井了意『江戸名所記』に、狐像があったことをうかがわせる記載があったからです。
穴稲荷の由来譚はこうです。
もともと狐たちの巣穴があったところで、それを奪ってしまったことで御堂を建てて祀ったという。現在は鉄の赤い扉を開けて中に入るのですが、中は撮影禁止。ただネット検索すると、写真は出てきます。
「穴稲荷」名前その通りで、直径70cmほどの大きな穴が開いていて、その上にも祠があるのが見えます。
『江戸名所記』「太田道灌これをくはんじょうせらる。本社は洞の内にあり、洞のうへにもまた社あり。やしろの前はすなわち石のほりぬき也。穴のまへ両わきに白き狐有」とあります。『江戸名所記』は1662年刊なので狐像はその前からあったということになるでしょう。
今のところ年代がわかっている江戸の狐像で一番古いものは吹上稲荷神社の1762年のものなので、それよりも100年早い狐像になるかもしれません。
現在でも穴の前には狐像が置いてありますが、当時の狐像ではありません。洞内なので、大きな狐像ではなく、現在のと同じくらいの狐像ではなかったかと思いますが。
ちなみに穴(巣穴)に祠を建て祀るのは、狐信仰が稲荷信仰といっしょになる前、山の神、田の神とみなされていた狐信仰の名残なのではないかと想像します。
最新の狐像もありました。キャラクター化した可愛らしい白狐が、鳥居のところに4体あります。
狼、犬、狐は形態的にも民俗的にも近い位置にいて、お互いに影響しあい、また近いからこそ差別化しながら、3者のイメージが作られてきたようで、これからはこの3者(もしかしたら狸も)をいっしょに考えていかないとダメなんだろうなという予感はします。
| 固定リンク
コメント