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2024/08/31

【犬狼物語 其の七百七十七】長命寺の「六助塚」

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向島に行ったついでに、数年ぶりに長命寺を参拝しました。

ここには『犬像をたずね歩く』に載せた明治21年4月建立「六助塚」の碑と犬像がありまます。

ユニークな犬像として紹介した六助ですが、実際は頭だけです。頭だけの犬像というのは他に記憶がありません。

今回見たら、六助の頭は、碑の土台といっしょになっていることがわかりました。数年前はもっと土に覆われていて、地面に首が置かれたように見えたのでした。もしかしたら左側に胴体、あるいは尾の一部分のようなでっぱりも見えるので、もっと掘り下げると、横たわった六助像があらわれるのかもしれません。

お寺で聞いても何も資料が残っていない(焼けた)とのことで、首から下がどうなっているか、お寺でも把握していないとのことです。

ところで、六助とはどういった犬だったのでしょうか。

倉林恵太郎氏の「鼠を取(捕)る飼い犬「六助」」に、碑文が掲載されているのでそこから引用させてもらうと、

「名前は六助,生まれつきの性質は強く,ものごとに屈せず,幼いときより北新川のある酒問屋で飼われていた。飼い主に対して忠実で家を守り,また勤勉であったが,この犬は鼠を取る珍しい技能を持っていた。おおよそ,鼠の類に遭遇した場合,数々の猫より身軽ですばやさが優り,鼠は死をまぬがれることはなかった。これをもって六助は鼠を取り,数年間,人に対して被害を加えなかった。突然,屠犬者によって斃死した。縁故の皆様が悲しみ,その不幸のため資金を集めて碑を建てて,その魂を慰さめた。」

とあります。

ネズミを捕るという珍しい犬でした。猫よりも身軽というのだから小型犬だったのでしょうか。犬像を見ると、柴犬のようにも見えます。

六助は、野犬狩りに殺されたようです。明治時代になって、無主の犬は、一掃されてしまうわけですが、おそらく六助は酒問屋で飼われてはいても、日ごろは自由に歩き回っていた犬だったのかもしれません。だから野犬と誤解されて殺されたということらしい。

ところで、六助が飼われていた酒問屋は「北新川」とありますが、倉林氏は、現在の永代橋西側、中央区新川1丁目付近だろうと推測しています。長命寺からは南へ約6kmのところです。

 

 

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2024/08/30

デコピン

 

デコピン、大きくなったね。子犬の成長は速いです。

始球式までやってお犬さまのヒーローです。

でもやっぱりそうなんですね。デコピンのあの動きは一発勝負では難しいのではないかと。

大谷さんは2~3週間練習した、1回は球場に連れてきてリハーサルしたと聞いて、あのデコピンの完璧な動きに納得しました。それにしても何に対しても手を抜かず完璧を目指すんですね、さすがです大谷さんは。

大谷さんが抱き上げようとしたとき、ちょっと嫌がって逃げるんですが、このあたりヴィーノもこんな感じだったので、ヴィーノを思い出しました。もう4ヶ月経つんですね。

いつかデコピン連れた大谷さんの銅像が立つ確率高いので、その時は『犬像をたずね歩く』に加えさせていただきます。ちゃんと取材もして、本人のインタビューも載せられたら最高ですが。

 

 

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2024/08/29

狐の嫁入り

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この三囲神社の狐像は享和2年(1802)奉納のもので、江戸狐の中でも古い方です。尻尾が直立、立ち耳の典型的なお狐さまです。

「狐の嫁入り」とは、日が照っているのに、急に雨がぱらつくこと。いわゆる天気雨のこと。

まさにこの日は「狐の嫁入り」でした。雨が止まった瞬間に、東京スカイツリーとのコラボ写真を撮影。

「狐の嫁入り」は地方によって他に「狐雨」「狐のご祝儀」などとも呼ばれるそうです。

 ちなみに、外国でも天気雨のことをマレーシアでは「狐の嫁入り」、韓国では「狐の雨」、スリランカでは「狐の結婚式」という情報がネットにありました。

 なぜこの天気が「狐」と関係するのか(一説には晴なのに雨が降る怪現象が狐に騙されているようだからとも)、調べればまた何か面白そうなことが出てきそうです。

 

 

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2024/08/28

多武峯内藤神社内稲荷神社の狐像

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新宿御苑の東に鎮座する多武峯内藤神社。境内に稲荷神社が鎮座し、嘉永元年(1848)奉納の江戸時代の狐像があります。

左は宝珠、右は鍵を持っていて、今まで撮影してきた江戸狐の中では小ぶりな像です。尻尾は横に回してあるし、宝珠がなかったら狼像かなと間違えそうな像で、現在でも割とよく見かける狐像かなと思います。

でも造形は洗練されてて、想像ですが、高遠石工の作ではないかと。なぜなら、ここは高遠藩内藤家の下屋敷の屋敷神として祀られていたからです。

ところで、この撮影が終わって、表通りに出たら、友人と似ている男が歩いてきました。ずいぶん似た人間いるもんだと思ったら、向こうも俺を見ていて、本物の友人だとわかりました。2年ぶりくらいに会いました。その間連絡もしていなかったし、彼がここにいたのも偶然で、もちろん俺も偶然で、おそらく10秒違っていたら気がつかずに通り過ぎていたでしょう。

まったくの偶然なのですが、これを単なる偶然で済ますのも惜しい気がします。お狐さまのお導きかとも思いますが、こんな偶然を楽しみたいと思います。

それで2年ぶりに会って何を話したかというと、狼像には狐像の影響がありそうなので、ここの狐像も本に載せるかもしれない、とかいった話で、彼も少しは興味を示してくれたものの、またかぁと飽きられていたかもしれません。

 

 

 

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2024/08/25

動物の慰霊碑・供養碑

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日本にはどうして動物の慰霊碑・供養碑(依田賢太郎氏は塚と呼んでいるようだが)が多いのか、猫、蛇、犬、狼などの動物像で1冊本を作りたくなってきました。

動物と人が水平の関係=日本、動物と人が垂直の関係=西洋と捉えると、動物観の違いが表現できて、面白い本になると思うんですが。

先日見た動物供養堂の狸なんかもあるし、鯨、蚕、虫、etc と際限ないかな。 

 

 

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2024/08/22

今日は、二十四節気「処暑」、七十二候「綿柎開(わたのはなしべひらく)」

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今日からは、二十四節気「処暑」の初候「綿柎開」です。

「処暑」は、暑さが峠を越えて後退し始めるころ、「綿柎開」は綿を包む萼(がく)が開くといった意味です。

今までの暑さに比べれば、今日は確かに峠は越えたかなと思える気温。

昔は東南アジアのような暑さが好きでしたが、今はそういうレベルではなくなってきています。これから毎年こんな酷暑の日々が続くと思うと恐ろしい。

 

 

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2024/08/21

「Air」が「空気」ではなくて「水」の国

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「Air」が「空気」ではなくて「水」の国とは?

一昨日、NHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」でロケ地がペナン島と聞いたので思わず見てしまいました。

海上集落やアルメニアンロードやフードコートなど、自分が行ったところも映ると懐かしさがこみあげてきました。

ペナンは、マレー系、インド系、中華系など、いろんな文化が混在していて、そこが一番の魅力でもあります。

朝は飯店で飲茶をし、昼はイスラムレストランでカレー、夜はフードコートでイラン料理を食べたりしました。

だからペナンには、中国系寺院、モスク、ヒンズー寺院、教会などもあります。

中国系では、いろんなところで狛犬を見ました。じゃっかん日本とは趣が異なる狛犬像の数々です。

 

 

 

 

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2024/08/20

【犬狼物語 其の七百七十六】永昌院の狼のお札

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お犬さまのお札について確認したいことがあったので青梅市の図書館まで行ってきました。武蔵御嶽神社のお犬さまのお札の記録です。

ついでに福生市の寺でお犬さまのお札をいただいたが、住職の口から知った人の名前が出て、ここが養蚕民俗でも大切な場所と知りました。 

獣霊諸魂供養堂には複数の狸像が。

イヌ科動物に広がるテーマ。そのうち狸も本格的に撮る日が来るのでしょうか。

 

 

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2024/08/17

アクアシティお台場神社やガンダム立像

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芝大神宮の御分霊を勧請して建立されたというアクアシティお台場神社。アクアシティの7階屋上に鎮座します。

狛犬の代わりに狐像なので最初稲荷神社かと思いました。

神社の後ろにはフジテレビのビル。その裏にはダイバーシティ東京プラザがあり、実物大ユニコーンガンダムの像が立っています。

日が暮れるとお台場公園からはライトアップされたレインボーブリッジやビル群が見えて夕涼みがてら散歩するのにはとてもいいところ。

 

 

 

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2024/08/15

慈眼院・澤蔵司稲荷

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池尻篤氏「東京都内の近世石工銘にみる江戸石工について 」によると、「寛政13 (1801)年、石工勝五郎」の狐像があるはずなのですが、これかなと思える古そうな狐像はありましたが、数が多くて特定できませんでした。

2番目の写真は、狐像の頭に「角」か「宝珠」の痕がありますが、これは狛犬に影響を受けた狐像ではないかなと思います。

それと、澤蔵司稲荷にも「穴」がありました。 

これまで周った江戸狐が奉納してある稲荷神社すべてに「穴」がありましたが、ここでは「霊窟(お穴)」と呼んでいます。

『東京名所図絵』には「東裏の崖下に狐棲(狐のすむ)の洞穴あり」とあります。この「穴」は他の稲荷神社同様、もともとは巣穴であったらしい。

霊窟の象徴である大きな鏡石が祀ってありますが、「穴」はその左側にあるようです。

 

 

 

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2024/08/12

【犬狼物語 其の七百七十五】8月13日は「世界(国際)オオカミの日」

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8月13日は「世界(国際)オオカミの日」。

上に掲載の写真は、科学博物館展示の最近二ホンオオカミと特定された剥製です。

「世界(国際)オオカミの日」の由来について調べると、ネット上には「2011年にアメリカのWhite Wolf PackというWebサイトにて制定された」という情報がありました。

そこでWhite Wolf Packを見ると、このようにありました。

http://www.whitewolfpack.com/2011/08/international-wolf-day.html

「世界におけるオオカミの重要性、あらゆる誤解、そして米国でオオカミ狩りが今年の9月に始まるという事実により、オオカミの認識と教育を確実に行うための特別な日を確保することが非常に必要になった。オオカミの迫害を止めること。この日は今後、毎年「国際オオカミの日」として制定されます。8月13日が選ばれたのは、満月の日という特別な理由からです。」(googleによる翻訳)とあります。

由来はこういったことらしいです。

「満月の日という特別な理由」とありますが、それ以上具体的なことは書いてありません。俺としてはそこが知りたいところなんですが。どうして満月がオオカミにとって特別なのか。

そして「満月の日」が重要ならグレゴリオ暦ではなく太陰太陽暦(日本での「旧暦」)で制定してほしかった。そうじゃなくてもせめて、たとえば「8月の満月の日」とかでも良かったのではないかと思います。

ジャック・ニコルソン主演の『ウルフ』という映画があります。うだつの上がらない中年編集者が、ある夜、オオカミに手を咬まれたことで「狼男」になっていくのですが、だんだんと嗅覚や聴覚が鋭くなっていき、活力がみなぎっていきます。この映画でも「オオカミと満月」のイメージが多用されています。最後、野生に帰っていくという結末には、それしかないよねぇ、という思いと、悲しさみたいなものを感じました。

オオカミと満月とをくっつけてイメージするのは、「月(=夜)」と「野生」「神秘」との親和性や、この「人狼」(日本でいうなら「狼男」)伝説とも関係するかもしれません。

 

 

 

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2024/08/08

豊川稲荷東京別院の狐像

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豊川稲荷にも江戸狐があり、足元に子狐像がいて「子だき狐」と呼ばれています。 

これは万延元年(1860)奉納です。

 他にも狐像がたくさんあり、とくに興味をひかれたのは「子授霊狐」です。狐も犬や狼同様、イヌ科動物として子安信仰の対象でもあったらしい。

中村禎里著『狐の日本史』には、
「平安時代における六字経法修法例の一覧を見ると、十二世紀に入ってから、御産祈祷に六字経法が修せられる例が非常に多くなることがわかる。では、なぜ安産に六字経法が有効なのだろうか。出産時には、母と生まれようとする子の生命は、一種の危機状況におかれる。その危険を象徴するするのは、狐や物の気の産婦への憑依であった。密教の加持祈祷は、これを解除しなければならない。」とあります。

「安産祈願=狐を祓う」ということもあったのか。イヌ科の多産・安産にあやかって、というポジティブな理由とはまた違った考えがあったとは驚きです。

 

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2024/08/04

【犬狼物語 其の七百七十四】埼玉県寄居町 釜山神社

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久しぶりに釜山神社を参拝。

このお犬さまが「征露紀念」だったとは初めて気がつきました。日露戦争で勝利したのは明治38年(1905年)のこと。

戦争関連と言えば、狼信仰が珍しい山形県の昭和17年「三峯山神社」石碑があります。これも武運長久の祈願で建てられた可能性があるとのこと。

昭和17年というのは、1月には日本軍がマニラを占領、2月にはシンガポールを陥落させ、5月にはビルマのマンダレーを占領するなどした年です。戦争に突き進んでいた時期です。

また、境内社に伏見稲荷社があって置かれていたのが狐像。立ち耳・直立した尻尾と、他の狼像と区別する意識というか意図を感じます。(4番目の写真が狐)

比べてみると両者の特徴がよくわかります。

 

 

 

 

 

 

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2024/08/01

【犬狼物語 其の七百七十三】岡山県新見市 後醍醐神社

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後醍醐天皇伝説が詳しい『岡山県新見の伝説』を送っていただきました。

後醍醐天皇は京都から中国地方経由で隠岐に着いたようですが、現在も新見市には後醍醐神社があり狼像がいます。狼像はそんなに古くなく、また関東でなら狐と間違えそうな直立した尾っぽをしています。

『後醍醐天皇縁記写』によると、 狼は後醍醐天皇のお供をして隠岐からやって来たとの伝承があるようです。

『岡山県新見の伝説』には村人のインタビューが載っていて、それによると、狼像の足がちびたので替えたみたいなことを言っています。なので、このインタビューがいつ行われたのかは書いてないので正確にはわかりませんが、どうも今据えられている狼像ではなく、先代の狼像が以前あったようにも読めます。先代の狼像が痛んでしまったので現在の狼像に替えられたのではないかと想像します。

 

 

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