【犬狼物語 其の七百七十七】長命寺の「六助塚」
向島に行ったついでに、数年ぶりに長命寺を参拝しました。
ここには『犬像をたずね歩く』に載せた明治21年4月建立「六助塚」の碑と犬像がありまます。
ユニークな犬像として紹介した六助ですが、実際は頭だけです。頭だけの犬像というのは他に記憶がありません。
今回見たら、六助の頭は、碑の土台といっしょになっていることがわかりました。数年前はもっと土に覆われていて、地面に首が置かれたように見えたのでした。もしかしたら左側に胴体、あるいは尾の一部分のようなでっぱりも見えるので、もっと掘り下げると、横たわった六助像があらわれるのかもしれません。
お寺で聞いても何も資料が残っていない(焼けた)とのことで、首から下がどうなっているか、お寺でも把握していないとのことです。
ところで、六助とはどういった犬だったのでしょうか。
倉林恵太郎氏の「鼠を取(捕)る飼い犬「六助」」に、碑文が掲載されているのでそこから引用させてもらうと、
「名前は六助,生まれつきの性質は強く,ものごとに屈せず,幼いときより北新川のある酒問屋で飼われていた。飼い主に対して忠実で家を守り,また勤勉であったが,この犬は鼠を取る珍しい技能を持っていた。おおよそ,鼠の類に遭遇した場合,数々の猫より身軽ですばやさが優り,鼠は死をまぬがれることはなかった。これをもって六助は鼠を取り,数年間,人に対して被害を加えなかった。突然,屠犬者によって斃死した。縁故の皆様が悲しみ,その不幸のため資金を集めて碑を建てて,その魂を慰さめた。」
とあります。
ネズミを捕るという珍しい犬でした。猫よりも身軽というのだから小型犬だったのでしょうか。犬像を見ると、柴犬のようにも見えます。
六助は、野犬狩りに殺されたようです。明治時代になって、無主の犬は、一掃されてしまうわけですが、おそらく六助は酒問屋で飼われてはいても、日ごろは自由に歩き回っていた犬だったのかもしれません。だから野犬と誤解されて殺されたということらしい。
ところで、六助が飼われていた酒問屋は「北新川」とありますが、倉林氏は、現在の永代橋西側、中央区新川1丁目付近だろうと推測しています。長命寺からは南へ約6kmのところです。
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