2024/12/29
2024/12/25
『Mekong the Last Riverメコン・ザ・ラストリバー』のテスト色校
『Mekong the Last Riverメコン・ザ・ラストリバー』のテスト色校が出ました。
全般的にコントラストが低く、スミっぽいものもありました。これから修整していきます。
https://www.amazon.co.jp/dp/4802215622
2024/12/21
『新編 オオカミは大神』のレビュー
『新編 オオカミは大神』が発売されて10日経ちました。
Amazonでは、10人ほどにレビューを書いていただいていますが、「Amazon Vine先取りプログラムカスタマーによる無料商品のレビュー」なので、いいことを書かれやすいことは考慮しても、初見の印象としては、みなさん同じような感想で、目指した目的と合致するということが一番うれしい。
https://www.amazon.co.jp/dp/4802215320
この本は学術書ではなく、今まで「狼像・狼信仰」を知らなかった人に、こういう世界があるんですよ、面白いですよ、ということを伝えることを目指した本です。
あくまでも俺はその魅力を伝えるメディアです。だから極力難しい言葉は使わず、民俗学的な資料にはならないように注意しました。入り口が難しすぎると、先に進まないというのが普通の人です。それは俺が普通の人だからよくわかるのです。だいたいにして「お犬替え」を犬の譲渡会かなんかだと勘違いして祭りを見に行ったという始まりからして俺も素人の何者でもなかったのです。
今まで何気なく見ていたものが、ある日を境に意味を持ったものになる、その瞬間がとてもワクワクします。例えば、渋谷の駅前を歩いている人たちから外れて、階段を昇って行った先に、狼信仰の神社があることに気がついたときの感動といったらいいか、衝撃といったらいいか。
渋谷の駅前を歩いている人のほとんどはそれに気が付いていないません。気がついたら最後、渋谷の駅前が違った風景に見えるはずです。この本は、そういう発見・気づきを提供するものです。
2024/12/20
あれから30年『メコン・ザ・ラストリバー 無垢なる大河 旅の記憶』2025年2月刊行予定
30年前の写真集『メコン河』とフォトエッセイ『メコンを流れる』をいっしょにしたような書籍が出版されます。
当時は未発表だった写真も掲載します。今では見ることのできない習俗・風景の写真は貴重な資料です。書籍は2025年3月刊行予定です。
Amazonでは予約のページが出来ました。カバー書影はまだ変わる可能性があります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4802215622
対象期間に『メコン・ザ・ラストリバー』をAmazonにて購入いただいたかたには、特典PDFをダウンロード提供!!
著者が訪れた当時、世界的大河であるにもかかわらず源流域が不明瞭であった最後の大河メコン源流探訪記はじめ、1995年の「メコン川の持続可能な開発に関する協力協定」から30年の時を経て国際社会から注目される昨今、現代化の波で激変した流域民の暮らしの最後の姿を活写する充実のノンフィクション。秘境的要素の強い現流域探訪から豊穣なる中・下流域までを旅して、悠久たる大河の流れと、流域で暮らしていた人々の最後の姿を活写する記念碑的ルポルタージュ。
【目次】
・源流に立つ
・大理 一九八五年
・西双版納 一九九三年
・モンラ 緑三角
・ミャンマー・シャン州 ある占い師の話
・北部タイ ケシ畑を見に行く
・北ラオス・ファイサイ 食堂の姉妹
・ビエンチャン 仏典とコンピュータ
・リーピー 精霊の棲む滝
・アンコールワットを見たい
・チュレンチャムレの巨大魚
・メコン・デルタ 一九九四年十二月
・メコン河口に立つ
・元版あとがき
・再びのメコン
2024/12/17
【犬狼物語 其の七百八十七八】お礼参り(秩父編)03 巌根神社
今回のお礼参りは、巖根神社です。書籍『オオカミは大神』で巌根神社を詳しく取り上げてはいませんが、ここはちょっと俺にとっては特別な神社です。
山岳信仰も考慮したうえで、狼信仰の古さをとどめた神社としては秩父の中でも古い方であるらしいのです。
狼の石像は多い。狛犬・狛狐同様、石像が多いのは何の不思議もありません。外に建てる場合、風雨にさらされても木像のように朽ちることもなく長持ちします。コンクリートなどなかった時代では石を使うことはもっともなことです。
でも、本来の石像の意味がよくわかるところが巌根神社にあります。
巌根神社は、本殿の後ろが大きな岩で、文字通り、岩根に鎮座します。もともとのご神体は縄文の先史時代から続くこの巨岩、懸崖信仰にあり、この巨岩(懸崖)そのものであったようです。奥の院がないのもそのためであるらしい。
巖根神社にも狼石像が立っていますが、狼石像は狼信仰と懸崖信仰が合体したものとの説(立正大学地域研究センター年報「秩父オオカミ信仰に関する比較民俗学的分析」石塚正英)があります。
聖なる狼は聖なる懸崖の一部としての岩石で作られるのが自然ではないかというのです。なるほど、巌根神社においては、狼像の本来の意味からすれば石像がふさわしいとなるのかもしれません。(ただし、現在の狼像はこの巨石とは違う石製とのこと)
ちなみにこちらのお犬さまもあばらの表現がありました。「新編」にあばら骨の表現として入れればよかったと少し後悔。
2024/12/13
2024/12/12
2024/12/10
2024/12/08
2024/12/06
2024/12/05
都会の狼像
狼像が山間部の神社の前に立っているのは魅力的です。山の神・山の神の眷属としての狼がいるべく場所としてふさわしい。ある意味、そこにいるのは自然です。
一方で、大都会の中に立つ狼像は意外性があって面白い。高いビルの間に立つ狼像は特に印象的です。知らなければ通り過ぎてしまうような場所です。「なんでこんなところに?」と思ってしまうでしょう。俺もそうでした。でも考えてみれば、ビルの間に狼像が立ったわけではなく、狼像の周りにビルが立ったということです。このビルで狼像が隠されてしまったというのが都会の状況です。
狼信仰は現代においては、特に都会では、見えない人には見えず、見える人にだけ見えるという状況かもしれません。
たとえて言えばgoogle mapレイヤーみたいなものです。俺もgoogle mapに狼像のレイヤーを設定しています。狼像のレイヤーを外せば一瞬で見えなくなります。そして狼像の無いレイヤー内を、水平に移動したとしても、どこまで行っても狼像には出会えません。
この狼像のレイヤーに気がつくには、縦方向の移動が必要です。そして気がついたら最後、今度は狼像だらけのレイヤー内を歩くことになります。
文化は重層的です。レイヤーが何枚も重なった世界です。水平方向だけの移動では全体が見えません。特に都会では状況が複雑すぎて全体が見えづらい。そんな中で、都会の狼像はひとつのきっかけを与えてくれます。
地方ではあまりに自然すぎるので通り過ぎてしまいますが、都会では逆に意外性が強烈な印象で、「なんでここに?」と今まで見えなかったものに突然気がつくということではないかなと思います。今まで見てていた世界が違って見えてきます。
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