2025/01/31
2025/01/30
2025/01/29
2025/01/27
2025/01/25
2025/01/24
2025/01/22
2025/01/21
NHK大河『べらぼう』綾瀬はるか演じる「九郎助稲荷」
NHK大河『べらぼう』
ドラマは、明和9年2月29日(1772年4月1日)に発生した大火のシーンから始まります。主人公 蔦屋重三郎が九郎助稲荷の祠を背負って火事から逃げるというシーンがありました。
1772年というと、狼信仰が江戸でも盛んになり始めているころです。
綾瀬はるかの九郎助稲荷の狐像は白く、立耳、立尾の典型的な狐像です。
九郎助稲荷神社は、現在吉原神社に合祀されていています。
ここには残念ながら狐像は見当たりません。その代わり、りっぱな狛犬が立っています。
境内はさほど広くはないのですが、参拝客がひっきりなしに訪れて、賑わっている印象です。「大河効果」なんでしょうね。
当時、新吉原には、北に榎本稲荷、南には九郎助稲荷、東に明石稲荷、西に歌丸稲荷が鎮座していました。
九郎助稲荷が勧請されたのは明暦四(1658)年とする説が『浅草志』にあるようです。
遊郭の経営者は商売繁盛を願って稲荷神社を祀ったのでしょうが、遊女たちは、好条件での見受け話が来るように、性病に罹らないように祈っていたようです。当時梅毒が流行っていたらしい。
吉原大門は江戸に大火が多かったので、何度も建て替えられています。この写真は明治14年ころの吉原大門。
2025/01/18
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2025/01/13
2025/01/12
2025/01/10
『メコン・ザ・ラストリバー 無垢なる大河 旅の記憶』のカバーデザイン
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2025/01/08
2025/01/06
【犬狼物語 其の七百九十二】火災・盗難除けとしての狼信仰
NHK大河『べらぼう』で描かれた1772年に起きた明和の大火。主人公 蔦屋重三郎が九郎助稲荷の祠を背負って火事から逃げるというシーンがありました。
1772年というと、狼のお札を配り出して、狼信仰が江戸でも盛んになり始めているころです。
江戸の狼信仰は火災・盗難除けとして信仰されました。大火が何度も発生していた江戸で、火災除けは必然だったのでしょう。ちなみに1601年から1867年の267年間に、江戸では49回もの大火が発生しています。
浅草寺内にも三峯神社が鎮座しますが、他のお堂はみな南側を向いているのに、三峯神社だけ東側の本堂を向いているのは、火防の守り神だからだそうです。
都電「荒川区役所前」駅で降り、区役所を通り過ぎて1分ほどのところ、交通量の多い、明治通り沿いのビルの谷間に三河島三峯神社が鎮座します。
鳥居がなければ、そのまま通り過ぎてしまうような小さな社ですが、奥へ進むと、マンションを背景とした三峯神社が現れます。ここに2対4体のお犬さま像がいらっしゃいます。
4体とも、色が黒いのが目立ちます。これは米軍の空襲で焼けたのでは?というHPを見て、それはありえるなぁと思いました。
地元の三河島三峯講が、火難盗難除けに勧請したもの、と言われています。
NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』九郎助稲荷の白狐像
ドラマは、明和9年2月29日(1772年4月1日)に発生した大火のシーンから始まります。
綾瀬はるかの九郎助稲荷の狐像は白く、立耳、立尾の典型的な狐像です。
九郎助稲荷は、吉原大門から遊郭に入って突き当りにありましたが、今、その場所には何もないそうです。明治になって吉原神社に合祀されたようです。
江戸時代「伊勢屋稲荷に犬の糞」という言い回しもありました。「伊勢屋」という屋号の店や「稲荷社」や「犬の糞」など、江戸に多いものを並べたものです。 それだけ江戸には稲荷神社が多かったということです。
上野公園の不忍池へ向いた斜面に穴稲荷(忍岡稲荷)があります。
『江戸名所記』「太田道灌これをくはんじょうせらる。本社は洞の内にあり、洞のうへにもまた社あり。やしろの前はすなわち石のほりぬき也。穴のまへ両わきに白き狐有」とあります。『江戸名所記』は1662年刊なので狐像はその前からあったということになるでしょう。
今のところ年代がわかっている江戸の狐像で一番古いものは吹上稲荷神社の1762年のものなので、明和の大火のちょうど10年前です。上野公園の狐像はそれよりも100年早い狐像になるかもしれません。
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