猫の追い出し飯
猫について調べてきて、面白いことがわかってくる、その過程そのものを書籍にしたいなと思っています。これは『オオカミは大神』も同じで、だんだんと素人の俺が狼信仰について知っていく過程を書籍にしたのでした。裏テーマとして「探求」があるんです。
今、猫の民俗について本を読んでいる最中ですが、香川県には追い出し飯を御馳走して猫を捨てる風習があったらしく、猫も涙を流して諦めて家を出て行ったという話に興味を持ちました。
猫は3年とか5年とか期限を決めて飼うものだったようです。天明寛政のころのことわざ集には「猫を飼ふには年を限るべし」とあります。前もって猫に期限を告げておけば、3年とか5年で自ら家を出ていったらしい。
年取った猫は化けるとか、猫又になるとか、そういう俗信もありました。『徒然草』にも「猫の経あがりて、猫またとなりて、人とる事はあなるものを」とあります。
今、猫を愛玩動物として飼っている人がほとんどでしょうが、昔は、ネズミ捕りのために飼っていました。今では考えられませんが、3年、5年とたって、ネズミを捕らなくなった猫は要らないということだったんでしょうね。
そもそも、猫はフイッと家を出て行って帰ってこなくなることもあって(猫の家出については先日書いたばかり)追い出し飯を食べさせなくても出ていく習性の動物なので、その習性とこの俗信が生まれた理由はどこかでつながっていそうです。
こういった猫の俗信は、心理学的に考えれば、猫が家出しても、あるいは追い出しても、自分のせいではないと諦めがついたり、後ろめたさの解消に一役買ったのかもしれません。
この話は使いたいので、どこかの猫塚に無理やりこじつけようと画策しています。
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