2025/11/18
2025/11/17
「レアなおふだ」展
飯能市立博物館で開催中の「レアなおふだ」展にようやく行くことができました。
この中で特に関心があったのは、やっぱり「狼」と「猫」札です。
たくさんの狼のお札を見てあらためてその狼の姿のバリエーションの多さに面白さを感じました。
神、あるいは神使としての狼の姿は、あくまでも人々がイメージする姿です。
また、1点しかありませんでしたが、養蚕の守り神としての猫札。眉毛と髭が強調されていて独特の姿です。
午後2時からは隣の市民会館で西村先生の「秩父地域のオオカミ信仰について」の講座がありました。
狼信仰についての興味深い話は当然として、最近の熊害についても触れられました。
そこで、狼信仰における「産見舞い」からの「オタキアゲ」儀式を熊に適応できないものかといった意味の話があり、なるほどと思ったのです。
狼の場合は、襲われる前にお供え物(豆腐やあずき飯)をあげることで、被害を防ごうという発想ですが、熊に対する「オタキアゲ」という象徴的な儀式がどれだけの効果があるのかは疑問ですが、発想としては面白い。
ただ、熊の餌を山に撒くという案が実際あるらしいのですが、それで市街地まで熊が下りて来なくなるかもしれないとしても、熊の母数が増えてしまうという大問題があります。根本問題が拡大してしまうという矛盾。
儀式というのは、実際の効果うんぬんというより、人々の決意の表明でもあると思うので、熊に対する「オタキアゲ」が無意味とも思いません。
2025/11/16
2025/11/09
2026年(令和8年)版「旧暦棚田ごよみ」
来年の「旧暦棚田ごよみ」販売始めました。
NPO法人棚田ネットワークのHPよりご注文ください。
https://www.tanada.or.jp/tanada_goyomi/
私たちは時計や暦を発明して「時間」を普通に感じて使っていますが、考えてみれば、たとえば1日が24時間、1年が365日というのは、偶然で特殊な例だと気がつきます。
昔、あるTV番組を見ていたら、赤色矮星を周るその惑星は、赤色矮星に近すぎるので、いつも惑星は引力の影響を受けて自転をしないそうです。赤色矮星は空のどこかにあってずっと動きません。
自転しない惑星の話ですが、そのような惑星に人類のような生物が生まれていたとしても、彼らは時間を意識できないかもしれません。できないというより、違った時間の単位を持つでしょう。当然ですが、24時間や365日にはなりません。
時間が違うとコミュニケーションは難しいという話です。SFの話だけではありません。私がイランのカスピ海沿岸地方の棚田を撮影に行ったときのことです。
何か祭りがあると聞いたので、それがいつなのか尋ねたのですが、いっこうにわからず諦めた経験があります。
イランへ行ったのも15年程前だし、テヘランなどの都会は別でしょうが、当時、田舎に行ったとき、「西暦(グレゴリオ暦)」がまったく通じず、すべて「イラン暦」で答えられたからでした。イラン暦は、春分から一年が始まる暦で「ヒジュラ太陽暦」ともいわれます。春分の日はノールーズ(ペルシア語で「新しい日」という意味)として盛大に祝われます。
暦が違っただけでこれだけ話が通じないんだなと愕然としました。西暦に慣れてしまっていると、他の暦には即座に対応できません。頭がこんがらがってしまうのです。「なんで西暦がわかんないの?」と逆切れしました。イラン暦でさえこうなんだから、ましてや、広い宇宙で自転のない惑星に住んでいる生物ならどんなことになってしまうのか。
暦はコミュニケーションを取るための必要なものであることを言いたいのですが、また、使っている暦によって、その人たちのライフスタイルは決まってくるということです。私たちは自分のライススタイルは自由自在に、自分で作っていると思っていますが、暦によって制約を受けていることも事実です。
毎年提案していることですが、西暦を否定するわけではなく、プラス、旧暦も気に留めておけば、世界は2倍に広がるということではないでしょうか。新暦に慣れているので、旧暦ごよみは初め使いづらいかもしれませんが、普段は気にも留めないことに意識を向けさせてくれるのも旧暦なのです。
こよみは、単なる日付が並んだ表ではありません。昔の権力者は、勝手にこよみを作ることを禁止していたくらいです。こよみが変わると、生活が変わる、そうすると考え方まで変わってきます。
2025/11/07
2025/11/03
2025/11/02
映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』
「ごくありふれた一日になるはずだったある日、出所不明の一発のミサイルが突然アメリカに向けて発射される。アメリカに壊滅的な打撃を与える可能性を秘めたそのミサイルは、誰が仕組み、どこから放たれたのか。ホワイトハウスをはじめとした米国政府は混乱に陥り、タイムリミットが迫る中で、どのように対処すべきか議論が巻き起こる。」(映画.comより https://eiga.com/movie/104226/ )
これは緊迫感があり、怖い映画でした。
核爆弾搭載したらしいミサイルを検知し、アメリカの本土に着弾するまでの何分かの物語。
そして、核爆弾が抑止力になるのは、ある意味、人間性を信じるからこそである、ということを思わせる映画でした。
「核を発射したら、こちらも反撃されてたいへんな被害を被る。だから核は発射しない」
そういう前提が崩れたら核爆弾の抑止効果などない。大統領も、抑止力になっていないじゃないかと溜息をつくありさま。
今、そういう国や集団が現れ始めているような世界情勢です。だからリアリティがありすぎて怖いのです。



























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