カテゴリー「環境・自然」の162件の記事

2023/08/19

今井恭子さんの『縄文の狼 』

71qk4xkc4os

 

『縄文の狼 』を読みました。

今井さんは、本格歴史犬小説『こんぴら狗』の著者でもあります。「こんぴら狗」というのは、江戸時代、主人の代わりにこんぴら参りをしたという犬のことで、実在しました。今回も犬好き、狼好きの今井さんの思いが込められた作品になっています。

今、狼信仰のルーツをあれこれ妄想して楽しんでいる最中なので、この『縄文の狼』も時代的にぴったりで、興味を持って読みました。縄文時代の早期はこんな感じだったんだろうなと思いました。具体的な人物が喜怒哀楽を感じながら日常生活を送る姿はとてもリアルです。作者の想像の世界ですが、共感できる世界でした。資料や文献とは違う、作者の直感力と想像力のすばらしさです。

縄文早期が舞台ですが、移動しながら狩猟採取をする人たちと、海辺に定住している人たちが登場します。主人公のキセキは、移動しながら暮らす一族出身ですが、あるきっかけで定住者の村で暮らすことになります。

この状況もリアルだと思います。縄文人とひとくくりに言いますが、最近の古人骨のDNAの研究から、縄文人は各地域でかなりバリエーションのある集団だったようです。俺が知っている範囲でいうと、中国南部の少数民族が今でもそうであるように、山や谷を越えると違う民族の村があるといったような状態であったかもしれません。

キセキは定住村で、当時の先端技術をおぼえるんですね。それを他の集落や次の世代に受け継いでいくことになるのでしょう。こういうことが1万年以上も続いた時代が縄文時代です。ゆっくりと、少しづつ変わっていく。国家・国境などという縛りもなく、人間と動物たちが、それこそ自由に暮らしていた時代です。

作品ではまた、人や文化の移動について示唆的な描写があります。主人公キセキは、まず不可抗力で(自分の意志ではなく)海辺の村にたどり着くのですが、最後は自分の意志で移動します。たぶん、この「不可抗力の移動」と「意志を持った移動」というふたつは実際あったパターンなんだろうと想像できます。こうして人と文化が伝わっていったのでしょう。

また、縄文時代には、犬は人間の狩猟を手伝っていたらしい。実際縄文時代の遺跡からはきちんと埋葬された犬の骨も見つかっています。作品では、犬ではなく、狼犬ですが、犬と人間との関わりも、こんな感じだったんだろうなと思います。というか、犬と人間の関係性は昔も今もそれほど変わらないのではないでしょうか。

 

 

 

| | コメント (0)

2023/08/03

【犬狼物語 其の六百七十八】「イヌ」の始まり(2)

_mg_9987(国立科学博物館 ハイイロオオカミの眼。視線強調型)

_mg_2636(山梨県上野原市犬目宿 ヴィーノの眼。黒目強調型)

オオカミとイヌの違いは何かというと、いろいろありますが、たとえば目。オオカミは視線強調型であるのに対して、イヌは黒目強調型。

オオカミに比べて、全体的にイヌは丸っこく、体に対する頭の大きさも大きい。

オオカミは遠吠えはしますが、吠えることはなく、一方のイヌは吠えます。

オオカミは人間の意図を察することはありませんが、イヌは人間の意図を察して行動します。

オオカミは人間に懐くことはありませんが、イヌはもっと穏やかな性格で懐きます。

などなど、いろいろあります。昨日は、オオカミからイヌが分岐するとき、長年、何世代にもわたって、オオカミは人間の周辺で「野犬」のような状態で暮らしたのではないか、その中で、オオカミはもっと人間に近づく方法として、自分の姿を変えていったと思われると書きました。

どういうことかというと、「野犬」状態の環境の中で、イヌ的な突然変異がオオカミのある個体に現れたということなのでしょう。ただ、その変異は、1頭のオオカミにすべてのイヌ的変異が同時に現れたのではなく(1頭のオオカミが突然イヌになったわけではなく)、各変異が現れた個体はおのおのばらばらで、しかも、その変異が現れたのは「有利」だからはなく、ほぼ偶然、そういう変異が突然に現れたということにすぎなかったでしょう。

でも、その変異、たとえば黒目が増した個体、体に対する頭の大きさが大きい個体の方が幼く見えて、人間に脅威を与えず、人間が保護しようとして生き延びるチャンスが増したとは言えるでしょう。黒目になったり頭が大きくなったりという遺伝子頻度が高くなったと考えられます。

他の変異についてもそうです。「野犬」状態の環境下では、オオカミがイヌ的変異を持った個体の方が生き延びたと思われます。そうしてその変異は何世代ものうち固定され、変異は遺伝するようになりました。オオカミからイヌに変わるために、何世代、何年必要なのかはわかりませんが、だんだん「イヌ」に変わっていったということなのでしょう。ただし、オオカミとイヌの間の化石がほぼ見つかってないということなので、このイヌ化は意外と速く進んだ可能性もあります。

ここまでは、人間側からみたイヌの進化ですが、同様に、イヌからみた人間にも進化があったのでしょうか。

人間の中にも、オオカミを怖がらない個体が現れ、野犬状態のオオカミと友達になった個体、あるいは、狩に出たとき、オオカミを使えばもっと狩が楽になることを知った個体などあったかもしれません。たとえば外敵の接近を知らせてくれる野犬状態のオオカミをそばに置くことで、外敵に怯えるストレスは多少なりとも軽くなったなどはあったのではないでしょうか。

オオカミをそばに置いてもいいと思う個体は、そうでない個体よりも有利になったかもしれません。このように、人間側にも、形質的な進化というより、心理的な進化が起こったとしても不思議ではありません。

オオカミがイヌになることには、人間とオオカミの双方にメリットはあったと思われます。

 

| | コメント (0)

2023/08/01

【犬狼物語 其の六百七十七】「イヌ」の始まり(1)

_mg_1438

101025

イヌはどのようにしてオオカミから生まれたのかが気になるところです。遅くても1万数千年前の出来事で、実際どうだったのかを証明することは不可能なので、想像するしかありません。毎日こんなことばかり考えている俺は、どこかおかしい、それは自覚しています。

それでいろいろと本を読んだりしていますが、定説は、もちろんありません。

ただ、野犬やアフリカのブッシュマンなどの狩猟採取民のイヌたちがヒントになるのではないか、という気がします。野犬(野良犬)は最近ではめったに見なくなりましたが、10年ほど前には、四国で何回か野犬を見たことがあります。

徳島県、高知県、香川県です。そのときはヴィーノも連れた「犬旅」だったので、とくに野犬には気がつくことが多かったようです。

香川県三豊市観音寺の公園には、同じような姿の薄茶色の2頭の野犬がいました。兄弟姉妹かもしれません。

1頭は4mほどまで近づきました。人間が嫌いなわけではなさそうです。でも、それ以上接近することはありませんでした。こちらが近づいていくと逃げていきます。もう1頭は、人の姿を見ただけで逃げていきました。兄弟でも人間に対する態度はかなり違うようでした。どちらも飼い犬にはない、緊張感が漂っていました。野生の匂いですね。

もちろん近づいてくるのは、人間が食べ物を与えるからでしょう。でも、飼い犬のように、すぐ近づいてくることがないというのは野犬らしいところです。

「付かず離れず」 この微妙な距離が、人間と野犬たちの関係を象徴しているようです。この距離が長くなればなるほど、「飼い犬」から「野犬」に近くなるということでしょう。「野犬度」と、この距離は比例しているといってもいいかもしれません。

この「野犬」の感じこそ、「イヌ」が「オオカミ」から分岐したころの姿に近いのではないでしょうか。ここからは、俺の想像するシナリオの一つです。

人が狩猟採取していた時代、人の近くに近づいたオオカミがいた。人が現れると、逃げて、見えなくなると、また人の捨てた残飯などをあさっていた。人も最初は追いはらっていた。それでも狼にとっては、確実にえさにありつける人のところは魅力で、追いはらわれながらも、隙あらば、近づいていた。人が狩をしたときは、残った骨などにかぶりついた。双方が警戒しながらも、半分存在を認め合う間柄だ。そんな「野犬」状態のオオカミが何世代も続いた。

偶然に人間に近づいたオオカミの個体がそのままイヌとして飼われるようになった、あるいは、オオカミの子どもを拾ってきて飼い始めてイヌになったということはあり得ないので、何世代もの「野犬」状態が続いたはずです。それは100年単位、1000年単位かもしれません。あるいはもっと10000年単位であってもおかしくはないでしょう。DNAとして固定されるまでには長時間が必要です。

「野犬」状態のオオカミの中には、ずっと人間のそばに居つくようになった個体もいたかもしれません。また、人間がこれは狩に使えると思った個体もあったかもしれません。とにかく、長い間、こんな「着かず離れず」状態が続いたのではないでしょうか。

やがて、オオカミはもっと人間に近づく方法として、自分の姿を変えていったと思われます。目を黒目に変えて、幼く見えるように変わりました。そして吠えることをおぼえました。幼く見せることは人間の警戒心を解き、より近づきやすくなったし、吠えることで、危険を察知する番犬として、また、狩をするときの合図として、人間の役にたつことにもなった。双方にとってメリットがあった、というわけです。

だから考えてみれば当然なんですが、「オオカミからイヌになった瞬間」なんてものはないということなんでしょうね。 

 

| | コメント (0)

2023/05/09

NHKのBSプレミアム「ワイルドライフ 厳冬のモンゴル 雪原を駆ける蒼きオオカミ」

1_20230509070901(ワイルドライフHPより)

_mg_7327 (夏のモンゴルに雹が降る)

_mg_7309(夏のモンゴルに雹が降る)

 

「ワイルドライフ 厳冬のモンゴル 雪原を駆ける蒼きオオカミ」HP

https://www.nhk.jp/p/wildlife/ts/XQ57MQ59KW/episode/te/V2NGY8Y2W4/ 

昨日の夜、「厳冬のモンゴル 雪原を駆ける蒼きオオカミ」を、後半の40分だけですが、観ることができました。

気温マイナス30度にもなる厳冬のモンゴルが舞台です。

俺は夏のモンゴル(写真)しか知らないので、モンゴルオオカミそのものにも興味はありますが、風景・環境を知ることができてよかったです。

それにしても雪原の中を疾走するオオカミのなんと美しいこと。寒さに適応した結果なのか、じゃっかん丸みを帯びた姿でした。 

いくつかの群で生活していますが、中には、外から入ってきたはぐれオオカミを群に迎え入れて新しい家族になるというのも素晴らしいものでした。

それと狩のしかたです。モンゴル人は(というより人間は)、オオカミから狩を学んだという話があります。日本のような木々が多い山岳地帯では無理ですが、モンゴル草原のようなところであれば、オオカミたちがどのような狩をするのか、はっきりと見ることができるんだなぁとあらためてわかりました。

姜戎 著『神なるオオカミ』には、人間も家畜も草原も、オオカミに鍛えられている、といった意味の言葉が出てきたと記憶していますが、厳しいぎりぎりの環境で、人間はオオカミが怖い動物、というのと同時に、生きる先生でもあったこと。どうしてオオカミが草原の民にとってトーテムになり、神になったのか、少しだけですが、わかるような気がします。

それと、オオカミが人間によって飼いならされてイヌになった過程を想像しました。「イヌ」は人間の画期的な発明のひとつだったのではないでしょうか。

産業革命や、インターネット、AIの登場などと同じように、大きな人間の分岐点になったのかも。動物を初めて飼いならしたという以上に、「神」なるものを手元に置くことに成功したわけですから。

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2023/02/19

【犬狼物語 其の六百五十四】2022年開催の国立科学博物館企画展「発見!日本の生物多様性」のニホンオオカミ

0p3a0420

0p3a0414

0p3a0425

0p3a0417

0p3a0411

 2022年開催の国立科学博物館企画展「発見!日本の生物多様性」のニホンオオカミ剥製です。

常設展では、体の右側からは見ることができなかったので、これは貴重なアングルでした。今、どういう展示をしているかわかりませんが。

NHK「ダーウィンが来た!」でも、のの剥製が参考にされたんだろうなと思います。

 

 

| | コメント (0)

2022/05/14

【犬狼物語 其の六百三】姜戎 (著)『神なるオオカミ』牧畜民のオオカミ信仰

Photo_20201219081701(チベット)

10_29(モンゴル)

1_20220329083001

 

姜戎 (著), 唐亜明 (翻訳), 関野喜久子 (翻訳)  

「文化大革命時代、北京の知識青年・陳陣(チェンジェン)は内モンゴルのオロン草原に下放され、現地の古老・ビリグのもとで羊飼いをはじめた。天の教えを守り、草原とともに生きる遊牧民の暮らしに魅せられていく陳陣。やがて、かれの興味は、遊牧民の最大の敵でありながら、かれらの崇拝の対象であるオオカミへと向かう。オオカミにのめりこんでゆく陳陣は、自らの手でオオカミの子を捕らえ、飼うことを夢見るのだが……。」(amazon『神なるオオカミ』より

オオカミの子どもを飼いはじめますが、最後まで人間になつくことはないんですね。だからこそオオカミ、という気もします。

モンゴル人の最大の敵がオオカミです。家畜をめぐっての、オオカミたちとモンゴル人たちとの攻防戦はすさまじいものがあります。どうしてこの凶暴なオオカミを崇拝するんでしょうか?

 

メコン源流を探しに、チベット高原を旅したのは、今から30年も前のことです。

当時はまだ東西冷戦が終わって間もないころで、メコン川流域の国々も、ようやく外国人旅行者に門戸を開いたという時期でした。だからそれまでは、メコンはほとんど価値のない大河と考えられていました。中国人(漢民族)にとってさえ、黄河や揚子江と違い、メコン(瀾滄江)は異民族が住む辺境の無価値な川にすぎませんでした。だから90年代まで、源流も確定していませんでした。

俺がメコンの源流に行こうと思ったのは、そんなときで、結局、科学的・地理学的な源流はわかるはずもなく、探したのは、地元チベット人が「ここが源流だ」と思っている水溜まりでした。でも、俺の旅の目的や興味からすれば、この民俗的な源流こそ探し求めていたものかもしれません。

北京から文革時代に内モンゴルに下放された経験を基に書いたジャンロンの小説が『神なるオオカミ』という本です。読んでいるうちに、いろいろ思い出したことがあります。上下2巻の長編小説なので、遅読な俺にはけっこう時間がかかりました。

この小説の舞台は内モンゴルですが、メコン源流のある、青海省の草原も似たようなところがあります。草原が広がり、そこで牧畜民(100%の遊牧民はもういませんが)が、高原牛のヤク、羊、山羊、馬などを放牧して暮らしています。ヤクの毛は編んで黒い布の天幕住居になり、乳はバターやチーズなど乳製品に、糞は木のない草原では燃料になるなど、ヤクという動物がいなければ生活が成り立たないところです。

俺は青海省の西寧という街で、旅行社に頼んで、車をチャーターしました。源流まで、往復約2週間の旅です。そして車で行けたのは、3日間かけてたどり着いたモーユンという、役場の建物があるだけの村でした。そこからは車を使えないので、馬で行くことになりました。

その行程で、案内人のチベット人は、銃を持参しました。それはオオカミ対策です。オオカミに襲われたときに使うのだと教わりました。

あるとき、「あそこ、見てみな」と言われて草原を見渡しましたが、何を言っているのかわからず「何?」と聞き返すと、「狼(ラン/漢語)」というではないですか。チベット人の視力はかなり良いらしく、おそらく2~3kmくらい離れたところに2匹のオオカミが走っているらしいのですが、俺にはまったくわかりませんでした。牧畜民にとってはオオカミが一番怖い動物なので、彼らはオオカミに敏感です。オオカミを見つける能力も日々の生活から研ぎ澄まされていたんだろうなと今となってはわかります。

そして、「これ撃ってみな」といって、銃を手渡されたのでした。実弾の入った本物の銃です。そして空缶を20mほど離れたところに置いて、練習させてもらいました。俺も2発撃たせてもらいました。もちろん当たりませんでした。幸い、この銃をオオカミに向ける機会がなくて幸いでした。

ある地元牧畜民の天幕住居のそばにテントを張らせてもらいました。食事も彼らから買ったものでした。俺は何でも食べられるので、街から特別の「文明食」を持っていく必要はまったくありませんでした。ヨーグルトも好きだし、ヤクの干し肉もおいしく食べられます。バター茶とツァンパという麦焦がしも大丈夫です。ただ、干し肉がガムのように固いのは閉口しました。

そのテントは普通の登山用のテントなので、夜、寝ているとき、外で音がするとビクッと身構えてしまいます。さんざんオオカミについて脅かされていたので、風の音さえ敏感になっていました。ところが、オオカミ以上に怖いのはチベット犬だということがわかり、俺は、テントをうろつく犬たちの鼻息に熟睡できないし、明るくなるまで小便を我慢する羽目になったのでした。

でも、この犬も、小説を読むとわかるのですが、オオカミと戦えるほどの犬じゃないと役に立たないし、獰猛な犬はある意味、牧畜民には大切な相棒なのです。

と、ここまで書くと、オオカミは敵か?という感じですが、モンゴルもチベットも、草原には黄羊などの野生の草食動物がいて、彼らが草原の牧草を食べつくすと、砂漠化が進んでしまい、いずれは草原がなくなるのです。この黄羊を食べてくれるのがオオカミです。オオカミは怖いし、家畜の敵でもあるんですが、いなくなるとまた困る。つまり、人間も、草原も、黄羊も、オオカミも、絶妙なバランスを取って存在しているということです。

オオカミは、人間を襲うといよりは家畜を襲ったときに、人間と戦うことになってしまうのが真相らしい。そして家畜を襲うのも、草食動物が少なくなったときです。めたらやったら家畜と人間を襲うわけではありません。

小説では、すさまじいのです。オオカミと遊牧民との関係が。それでも、いや、だからこそなのかもしれませんが、人間はオオカミと同等なのではないかと思えます。このオオカミがモンゴル人のトーテムとして、かつて、ヨーロッパまで征服したモンゴル人の崇敬する動物であるということです。敵でもあり、神でもある。このあたりは、日本のオオカミがどちらかというと抽象的なイメージになったのとは違い、ずっと具体的です。日々の暮らしの中で、オオカミは人間と戦い、かつ、草原を守ってくれている目に見える動物です。モンゴル人がいう、人間も、犬も、家畜も、草原さえも、オオカミに鍛えられてきた、という言葉は印象的です。

日本では牧畜が発達しなかったから、家畜を殺される(人間の敵)ことがなかったオオカミは益獣だった、だから神にもなったというのは、モンゴル遊牧民だったら鼻で笑うのかもしれません。

この草原の論理がわからない漢民族が草原を農地に変えれば生産性が上がるという考えを、モンゴル人たちは批判します。

モンゴル老人はいうのです。

「もしオオカミが絶滅したら、草原も生きられない。草原が死んだら、人間と家畜が生きられるか。おまえら漢人はこの道理をわかってない亅

と。 

オオカミ狩りが大勝利を収めた時、老人はこういいます。

「戦果が大きければ大きいほど、わしの罪が深い。これから、こんなふうにオオカミを狩ってはいけないんだ。こういうことばかりしてたら、オオカミがいなくなって、黄羊とか野ネズミとか、野ウサギやタルバガンがのさばってくる。そうなったら、草原はおしまいよ。天が怒りだして、牛や羊や馬、そしてわしら人間は、報いをうけるにちがいない」

結局、何年か経ち、草原は開墾され、結果、砂漠化が進んでしまったことは、歴史は必ずしも人間は「進化」しているわけではないということを証明しているようです。オオカミの生態学的意義を無視して、危険だからといって全部狩ってしまえという考えが、やがて草原までも失い、黄砂が吹き荒れる砂漠化を進めてしまいました。モンゴル老人が言ったとおりになってしまったのです。日本に飛んでくる黄砂が、オオカミがいなくなったことと関係があったと知って悲しくなります。

モンゴルの草原だけではありません。日本でも、ニホンオオカミが絶滅してしまったことで、鹿や猪の害に悩まされるようになりました。モンゴルやチベットと日本の自然環境や歴史は違い、比べてもしかたないことかもしれませんが、ただ、どちらも、バランスが崩れれば、すべては狂ってくるというのは真理でしょう。

そのバランスは、誰かが頭で考えたことではなく、何年、何百年、何千年にもわたって、日々の暮らしの中で試行錯誤しながら学んできた知恵なのです。その民衆の知恵を無視して、「科学」だとか「近代化」だとか「経済効率」で突き進んだ先にあるのは、モンゴルの草原と同じ、「死んだ山」ということになるのでしょう。

 そしてもちろん、モンゴル人にとって神になるオオカミは、草原を守る動物というだけではなく、その圧倒的な強さです。狩の仕方もモンゴル人はオオカミから学びました。

「西北部とモンゴル草原の地で、オオカミトーテムが、無数の遊牧民族にとって、トーテムになりえたのは、草原オオカミがもっている崇拝せざるをえない、拒否できない魅力、勇敢な知恵といった精神的な征服力によるものだ」

オオカミの強さは、強くなりたい人間にとっては、神なる存在となります。これは万国共通の狼信仰です。

「モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。」

モンゴル老人はこのように下放青年に言います。

「草原の人間は生涯、たくさんの命を殺して、たくさんの肉を食ったから、罪深いのじゃ。死んだら、自分の肉を草原に返すのが公平で、魂も苦しまずに、天に昇れるんだ」

 

ところで『神なるオオカミ』の最後の方に、面白いことが書いてありました。

 「一九七一年に内モンゴルの三星他拉村で出土した玉龍は、中国で最初の龍と呼ばれるもので、新石器時期の紅山文化に属している。その頃、中華の先祖は、狩猟、採集、遊牧、あるいは半農半牧の状態で、農耕民族にはなっていなかった。龍トーテムははじめ、華夏の原始人のトーテムであったが、変化しながら農耕民族のトーテムとなっていった。翁牛特旗三星他拉の玉龍注意深くみて、ぼくが驚いたのは、その原始の玉龍は中国人が普通にみなれている龍の姿ではなく、オオカミの顔をした龍であったことだ。」

龍は、空想上の動物と言われていますが、龍には手足があるので、「蛇」ではなくて、もしかしたらもともとは「オオカミ」を象ったものだったのではないか、などと俺の妄想は膨らみます。

 

 

 

| | コメント (0)

2022/02/03

【犬狼物語 其の五百八十八】 国立科学博物館企画展「発見!日本の生物多様性」のニホンオオカミ

0p3a0489

0p3a0420

0p3a0414

0p3a0425

0p3a0417

0p3a0411

0p3a0401

 

「発見!日本の生物多様性」展へ行ってきました。2月27日まで開催中です。

日本から絶滅寸前の生物やすでに絶滅してしまった生物の標本などが展示されています。

目的は「ニホンオオカミ」の剥製ですが、以前、常設展示されていた時は、オオカミの左側面が見える形の展示だったので、今回は、右側面からも見られるということで、とても貴重な展示です。ストロボを使わなければ写真撮影もできます。

剥製といっしょに展示されていたパネルのニホンオオカミは、松森胤保著『両羽博物図譜』に掲載されている見世物の豺(オオカミ)の図です。

明治14年3月8日秋田県由利郡仁賀保で撃ち取った雌で、山形県鶴岡において死体を売り物にしてあったもの。ただし、その場で写生したのではなく、あとで記憶を頼りにして描いたものだそうなので、少し正確さには欠けるのかもしれません。(平岩米吉著『狼ーその生態と歴史ー』より)

『両羽博物図譜』には、この他にも明治16年は山形、明治18年は酒田、明治23年の見世物となった3点の狼図が描かれています。ただ、その中には、尾っぽが上に立って巻いていたり、耳が大きい犬らしいものもあります。平岩によれば、オオカミだと思われるのは仁賀保のオオカミの図だけのようです。

このころ、山形・秋田県あたりでも、オオカミの見世物があったことは興味深いです。オオカミはすでに珍しい存在になっていたんですね。

 

| | コメント (0)

2022/01/13

【犬狼物語 其の五百八十一】京都府福知山市 大原神社と産屋(狼と犬の子安信仰)

287a9819_20220113082801

287a9806_20211223075301

287a9850

287a9800

287a9889

287a9935 

287a9938

 

川合川に沿った道から階段を上り大原神社の境内に入りました。

鳥居をくぐると、右側に茅葺の建物、絵馬殿がありました。これは京都府有数の絵馬を所蔵する絵馬殿だそうで、「神馬図」「四季耕作図」などが奉納されています。

拝殿前の黒灰色のブロンズ像は、狼を模した狛犬と聞いてきました。威厳のある立派な像です。拝殿の左側に社務所がありましたがシーンと静まり返って留守のようでした。

狼さまの姿が印刷された絵馬が置いていあったので、貯金箱のような箱に初穂料を入れて1枚いただきました。絵馬には、「安産祈願」とあり、「大原大神」の両側に、向かい合った狼像が配されています。右側は若干口を開け、左側は閉じている。「あ」「うん」の狼像です。

拝殿の向かいには、石造りの犬像が2体置いてありました。可愛らしい。これはどう見ても狼ではなく犬のようです。

社務所にインターホーンがあったので、試しに押したら、返事があって、お札を戴きたいというと、そこへ行きますから少しお待ちくださいとの声。その5分後、宮司さんが車で現れました。

拝殿の向かいに置いている2体の犬像が気になっていたので、さっそくそのことについて伺うと、「七五三やお宮参りで来る参拝者も多く、犬は安産の守り神で、可愛らしい犬は、お子さんを和ませるために置いているんです」

 狼信仰の神社に犬像。どっちもイヌ科なんだから別にいいだろうと思うかもしれませんが、意外とこういったちゃんとした犬像を設置している狼信仰の神社は少ないのです。(「少ない」というか、今、思いつかないほどです)

ここは綾部藩の領地になります。綾部藩主九鬼侯の信仰が厚く、江戸時代には、安産・万物生産の神として信仰を集め公卿諸侯の参拝も多かったようです。社記には、

安永年中 丹波園部藩主小出美濃守の代参
寛政二年 公家清水谷家の代参
寛政三年 公家北大路弾正少弼の代参祈祷
寛政七年 日野大納言家の代参安産祈祷
寛政十二年 伊豫国宇和島藩主世子夫人代参安産祈願
嘉永二年 丹後国宮津藩主本庄侯夫人御供田四畝六歩寄進

など、安産祈願をしたことが記されています。

俺が埼玉県から来たと知ると、宮司さんは、

「埼玉と言えば、深谷の岡部藩。岡部藩主の奥さんなどもお参りしたようですよ」

という。もちろん代参だったのでしょうが。西日本だけではなく、全国的にここは安産祈願としては有名だったようです。

 
産屋の里」によると、

 

「大原神社には『大原神社本紀』という大原神社の縁起を書き綴ったものが5点残されており、大原神社が安産の神として信仰を集める所以として、 「邪那岐と伊邪那美の神は天下万民を生み出した父母であるのだから、天下太平・国土安隠・宝祚長久・五穀能成・万民豊饒を守護すること、 他所の神社に勝り、天下万民を生み出した神なので、ことに婦人の安産を守る神なのである」と記されて」

 

いるそうです。

 

「本殿内には、非公開の狼の狛犬がありますが、お札の絵柄がこのご神体の狼さんの姿を象って記したものです」

と、宮司さんは教えてくれました。お札や車のステッカーもいただきましたが、狼の意匠はどれも同じようです。

 

川合川に橋が架かっていますが、西へ50mほど行くと、産屋があります。

京都府有形民俗文化財に指定されている産屋の解説看板には、このようにあります。

「この産屋と親しく呼ばれる建物は、大原神社の対岸にあり、茅葺、切妻屋根、それをそのまま地面に伏せたような天地根本造(てんちこんげんづくり)という、古い建築形式で造られています。屋根の合わさる「妻」の方向から出入りします。古くは古事記・日本書紀にも著されており、日本の産育の習俗として古くより使われていました。
大原では、出産の折、十二把のワラ(閏年は十三把)を持ち込み、出入口に魔除けとして古鎌を吊り、七日籠って出産していました。この習俗は大正年間まで続き、また産後三日三夜籠る(一日一夜と変遷するも)習慣は、昭和23年ごろまで続いていました。
現在は利用されなくなりましたが、産後に身体を休めた安息の場所であろうこの産屋を、地元の方々は大切に守っています。
全国に残る数少ない産育習俗を伝える文化財として、また安産の神、大原神社の信仰の源として多くの人々に愛されています。福知山市教育委員会」

産屋の入口が本殿に向いているのも、偶然ではないらしい。大原神社の狼さまの霊験をうけるためのようです。そして土間の砂は「子安砂」とよばれ大原神社の安産の神符として授けられたという。

狼と犬。

期せずして、子安信仰で有名な大原神社で、狼と犬の両方を見たわけですが、この偶然は、ある思いを抱かせました。

俗に犬は、安産・多産であること、また、生命力にあやかろうとして子安信仰の対象になりました。今でも、戌の日に安産のお参りをするとか、妊娠5か月の戌の日に妊婦が岩田帯(腹帯)をつける習俗は残っています。犬張り子、犬の子のお守りもあります。これについては何度も書いてきました。

子安信仰と犬には親和性があるのは確かですが、それじゃぁどうして他の動物ではなかったのか、という疑問が残ります。

犬像を探していたら、中には、犬と狼の区別がつかないものも出てきて、それから狼像や狼信仰に興味を持っていったわけですが、狼信仰を知るにつけ、狼もまた子安信仰と関わりがあることがわかってきました。

とくに、前著『オオカミは大神 弐』でも書いた「狼の産見舞い」という祭りを見てからですね。狼が子供を産んだら、小豆飯などのお供えするというものです。もともとは狼祭りだったのですが、群馬県六合の祭りは、狼は絶滅したし、最近では、狼の影はまったくなく、子どもの健やかな成長を祈る祭りに変わっていますが。

西村敏也著『武州三峰山の歴史民俗学的研究』には狼の産見舞いについて、

「柳田國男氏は、山の神が山の中で子を産むという俗信が神としての存在である狼と結びついた儀礼、松山義雄氏は狼害の緩和策としての儀礼と位置づけている。朝日稔氏は、犬の安産の知識が狼と習合したという可能性を示唆している」

とあります。朝日稔氏の説によれば、犬の子安信仰が先にあったようです。

そもそも狼と犬の区別はついていなかったというか、区別する必要があったのだろうか?とさえ思います。里にいるのが「犬」、山にいるから「山犬」という呼び名にも、それが表れているような気がします。

犬と狼、どっちが先かはわかりませんが、少なくとも、「犬」と「狼」がとくに動物の中では、子安信仰に関係しています。どうも同じイヌ科の「狐」も関係するようですが。

犬、狼の鋭い嗅覚が関係するという話、水との関係もあるかもしれません。

少なくとも、大原神社は、狼と犬が両方とも子安信仰と関係することが目に見える形で機能している神社で、俺の「物語」の中では、大切な神社になりました。

 

 

 

| | コメント (0)

2021/05/27

「北海道・北東北の縄文遺跡群」イコモスが「「登録が適当」の勧告

_mg_9333

 

_mg_9341

 

Img_0469

 

Img_0481

 

 

「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されるようです。イコモスによって「登録が適当」と評価されました。

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成要素は、津軽海海峡を挟んで、北海道と北東北にありますが、その中に三内丸山遺跡や大湯環状列石が含まれています。

三内丸山遺跡は青森市の南西部に位置します。縄文時代前期中頃から中期末(紀元前3,900年~2,200年頃)の、日本を代表する大規模な縄文集落遺跡です。復元された建物や、出土した土偶などの展示品を見ることができます。

秋田県鹿角市の大湯環状列石は、「ストーンサークル」とも呼ばれていて、ミステリアスな雰囲気があります。

後期前半(紀元前2,000年~1,500年頃)の遺跡ですが、200年以上にわたって造り続けられました。大規模な共同墓地と考えられているようです。

メインとなる環状列石は直径40m以上もあり、「日時計」といわれる石柱が立っています。実際にこれが日時計かどうかはわかりません。

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

2021/01/02

アレクサンドラ・ホロウィッツ著『犬であるとはどういうことか』

Photo_20210102084101

 

アレクサンドラ・ホロウィッツ著『犬であるとはどういうことか』を読みました。彼女の本は以前も読んだことがあります。

犬から見た世界』です。 

 今回は、「嗅覚」「匂い」というところに特化して、犬の世界を紹介しています。

「犬は瞬間を生きている」と俺は何度か今まで書いてきました。でも、これは、まんざら当てずっぽうな話ではないかもしれないと、この本を読んで気が付きました。

というのは、嗅覚で世界を見ている犬にとっては、匂いがそこにあるのは、その時だけです。すぐに匂いは流れ、二度と同じ臭いの状態にはなりません。つまり、犬が見ている世界というのは、その瞬間なのです。

人間は嗅覚よりも視覚を重視しています。 ヴィーノを連れての散歩は、ほぼ同じルートを歩きます。俺にとっては、いつものルートなので、新鮮味はあまり感じません。人間は視覚で世界を見るので、物体が存在する限り、あまり変わりません。だから世界は、固定されたものとして映ります。

でも、ヴィーノは違うらしいのです。匂いの世界は、絶対同じ状態はありえません。瞬間瞬間で移ろう世界です。俺には「無臭」に感じても、ヴィーノにとっては、毎回、新しい世界を歩くようなものなのかもしれません。

犬の嗅覚はすごいことは俺もヴィーノから日々感じていますが、犬の嗅覚を使った探知犬はいろんな分野で活躍しています。

犬が病気を発見するという話はよく聞くようになりました。ガンや糖尿病などがあります。最近ヴィーノは夕食後、ソファーに座っているとやたら腹のあたりの服をなめるので、「だめ」と言って鼻先を払うのですが、まさか何かの病気か?などと冗談で考えてみたり。

それと去年は、新型コロナを発見する探知犬まで生まれています。新型コロナ探知犬がたくさん生まれたら、PCR検査する必要もなく、かなり楽になるかもしれません。ただ訓練する時間が必要なので、ワクチン接種でコロナが収束する時間よりは、今のところ、より長い時間がかかってしまうような気がします。

病気を発見する犬の能力は、その祖先であるオオカミから受け継いだ可能性があるようです。

「犬の嗅覚を研究してい るある学者がわたしに冗談めかして言ったものだ――獲物の群れの中でもっとも弱い、あるいは病気の動物を感知するオオカミの感受性が、ひょっとして人間の病気に反応する犬の感受性と関係しているかもしれないと。」

犬が人の病気を発見するのは、餌としてみたとき、弱った個体として認識されることで、これを知るとちょっと複雑な感じがしてきますが、でも、家畜化されてしまった犬が人の病気を見つけることは、オオカミが弱い個体を見つけるという意味は薄れ、むしろ、利点ともなっているわけです。 

「現代に生きるわたしたちはきわめて滅菌志向であり、機械依存症に なっているから、あえて患者を嗅ぐようなことはしない(時には見ることさえしない)。この傾向 は昔からあったわけではない。古代の文化も思想家たちも、病気にかかわる匂いの役割に気づいて いた。」

現代社会は、それこそ「無臭」を理想とした社会を目指しているようです。消臭剤がたくさん売れています。「おやじ」は臭いと嫌われます。

ただ、異性を好きになるのは、その異性の体臭が好きだからという説もありますね。自分では気が付いていない、無意識で、匂いで判断していることはあるのかもしれません。

俺は、匂いで過去を突然思い出すことがあります。たとえば、「あぁ、これはシリアの匂いだ」とか「雲南で嗅いだ匂いと同じだ」「これはカトマンズの街の匂い」とか。

実際は「無臭」にはならないんですが、人間はもう鈍感なので、無臭に感じているにすぎません。いや、「無臭」状態を望んでいるので、その無意識が、嗅覚を鈍らしているのかもしれません。

犬は人間のことを、嗅覚能力がないにもかかわらず、匂いを「ない」と思いこんでいるバカ者だ思っているかもしれません。

人間は二足歩行によって脳を発達させたという説がありますが、ひとつ、二足歩行することで、地面から鼻が離れ、あまり匂いを嗅がなくなった。そのために、嗅覚は衰えたということでもあるようです。

筆者は、匂いを追求します。自分で犬のようになって匂いを嗅ぐようになります。そしてこの嗅覚能力は、筋力と同じで、訓練によって上達するということでもあるようです。

自慢じゃないですが、俺もヴィーノと暮らすようになり、前よりは匂いを嗅ぐようになっているし、実際、道路の残り香で、ついさっきまで誰かここを歩いていたことが分かるようになりました。ただし、電柱のオシッコの匂いで、近くに雌の犬がいることを知るには、まだまだ訓練が必要です。ヴィーノには「やめとけ」と言われそうです。そもそも、人間には犬ような優れた嗅覚能力がないので、これは訓練しても無駄なことです。

ところで、飼い犬が主人の帰宅時間がわかるという話があります。これも「匂い」で判断しているらしいのです。でも、主人の匂いが近づいて来るから犬が主人を玄関先で待つのではない、ということです。意外です。実は、主人の残り香の減衰を感知しているらしいんですね。だいぶ主人の匂いが少なくなってきた、だから、そろそろ主人は帰ってくると。

その証拠に、こういう実験をやってみたそうです。この被験犬も、主人の帰宅時間がわかる犬です。主人が出て行ったあと、主人の匂いの付いた衣服をこっそり犬のそばに置いたところ、帰宅時間になっても、その犬はソファーで寝たままで、主人の帰宅には気が付かなかったというんですね。

匂いで帰宅時間が分かるという意味では、どっちにしろ、犬はすごいというしかありません。

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ
にほんブログ村

| | コメント (0)

より以前の記事一覧