カテゴリー「埼玉県内(秩父など)」の174件の記事

2023/05/09

福井昭夫絵画展 ギャラリー楽風にて

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今回は日本の四季を描いた福井昭夫絵画展が、さいたま市浦和の「ギャラリー楽風」で始まります。

5/11(木)~23(火)  17(水)休
10時~7時  最終日5時

日本茶喫茶・ギャラリー 楽風(らふ)
さいたま市浦和区岸町4-25-12
電話048-825-3910
http://rafu-urawa.com/

福井昭夫WEB画廊
http://www.hidekiyo.sakura.ne.jp/akio/

 

 

 

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2023/03/21

ヌートバー選手で盛り上がる埼玉県東松山市の箭弓(やきゅう)稲荷神社

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今年の初詣で参拝したのが東松山市の箭弓稲荷神社。

今、ヌートバー選手の祖父母(タツジさん)が住んでいる東松山市が熱いらしい。

そして偶然にも、この街には箭弓(やきゅう)稲荷神社があって、「やきゅう」ということで、以前から野球関係者が参拝し、バット絵馬なども奉納されている神社です。

日本三大稲荷や日本五大稲荷にも数えられることがあるほど、稲荷神社としてもたいへん有名で、境内にはいくつもの美しい狐像がいますが、今は、やっぱりヌートバー選手で盛り上がる「野球の神社」ですかね。

 

 

 

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2023/03/05

岩槻の雛祭り

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岩槻の雛祭りに行ってきました。

愛宕神社の「大ひな壇飾り」は圧巻です。上から見るのも面白いです。

街のいろんなところにいろんな人形が飾られていて、それを巡る街歩きは楽しいものです。吊るし雛とか、舌切り雀をモチーフにした人形などもありました。

そして個人的には、産育の民俗を知る貴重な資料も見ることが出来ました。

雛人形のルーツともいわれる ものが岩槻人形博物館に展示されています。

「天児(あまがつ)」、「這子(ほうこ)」は平安時代からある、形代から進歩したもので、幼児の祓いに用いられました。

T字型のかかしのような姿をした天児には、魔除けとして幼児の新しい着物を着せました。天児も這子も江戸時代のものです。

一番下の写真が、江戸時代の「次郎左衛門頭立雛」です。ここまでくると見慣れた雛人形と近い感じがします。

 

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2023/02/03

節分の夜は、外出を控える理由

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「福は内、鬼は外」

今日は節分で、俺も東京都のある寺院の節分祭の撮影をすることになっています。

節分の豆まきについて、小松和彦著『日本の呪い』には、

「この「ケガレ」(カオス)を浄化する儀礼には、ふたつのタイプがある。これは「ケガレ」の発現を未然に防ごうとする儀礼である。予防注射のようなものだ。これは、まだ「ケガレ」の状態になっていない、つまり「ケ」の状態にある者が、身体や家や集団のなかにたまりつつある「ケガレ」のもとを、「ケガレ」になるまえに祓い落とし、外部へ追放しようとするものだ。」

節分の豆まきは「ケガレ」の元になるものを、前もって追い出してしまおうという儀礼でもあるようです。「ケガレ」の元は「鬼」として表現されています。

鬼は外へ出してしまえば、内は安泰だ、という発想ですね。内、外、は心理的な区別と、実際の物理的区別にもなっています。

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以前、秩父の夏の祭、皆野町上日野沢立沢地区の「虫おくり」に参加したことがありました。虫おくりは、3本のオンベイ(御幣)を持って村を練り歩き、害虫の悪霊を呼び寄せ、村の外へ出してしまい、村の安泰を祈願する行事です。オンベイというのは、神霊の依代で、竹竿の先に幣を取り付け、その下に七夕飾りに使った色とりどりの短冊をつなぎ合わせて作ったもので、高さは5mほどあります。

このオンベイを、村外れの谷川に流し、村の安泰を願っていました。虫を外へ追い出してしまえば、内は安泰だというわけで、豆まきの発想と同じです。

ところが、この虫を付けたオンベイを川に流せなくなったというんですね。ゴミを川に勝手に捨てられないというわけです。

内さえ良ければ、外はどうでもいいという発想は、もう通用しないということでもあるんでしょう。

今日、多くのところで、鬼が外に追い出されます。日本中、異常な数の鬼が跋扈することでしょう。

ならば、今夜、外を歩くのは危険極まりない、ということになります。鬼=ケガレを自分が吸い取ってしまうかもしれないからです。

だから節分の夜の外出は控えたいと思います。

行き場のなくなった鬼たちはどうなってしまうんでしょうか。

 

 

 

 

 

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2022/08/10

吉見百穴

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埼玉に住み始めて20年経ちますが、何度も近くを通り、いつか見よう見ようと思って、結局今まで実際に足を運んだことはありませんでした。

穴がたくさん開いていて、不思議な光景です。

調査の結果、従来は住居説などありましたが、古墳時代後期、死者を埋葬した墓穴であることがわかったそうです。

穴に入ることもできます。少し涼しいです。ヴィーノは地べたに寝そべって、暑い外へ出たがりませんでした。

また資料館では、吉見町で発掘された石器や土器、土偶、中世の壷などが展示されています。

その中に、動物型土製品も展示されていました。動物型土製品は、やっぱり猪のようです。「やっぱり」というのは、全国から出土している縄文時代の動物型土製品では、猪が圧倒的に多いからです。犬は少ないですね。

 

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2022/06/13

埼玉県越生町 黒山三滝&渋沢平九郎自決の地

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黒山三滝は、男滝(おだき)、女滝(めだき)、天狗滝の3つの滝の総称です。

大きな滝ではありませんが、雨上がりという天候だったからかもしれませんが、幽玄な雰囲気で気に入りました。

室町時代に山岳宗教修験道の拠点になっていたようです。明治時代から観光客が訪れ始め、昭和初期には、小学校の遠足なども訪れる観光地として賑わっていたそうですが、今はコロナ禍もあり閑散としています。

なお滝の近くには、渋沢平九郎自決の地があります。NHK大河ドラマ『青天を衝け』でも出てきた渋沢栄一の妻・千代の弟で、見立養子だった人物です。慶応4年(1868)5月23日、飯能で官軍に敗れ、この「自刃岩」で自決したという。

「自刃岩」には「平九郎茱萸(ぐみ)」と呼ばれる木がありますが、実が平九郎の血の色と言われています。

 

 

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2021/07/12

『オオカミは大神』重版決定

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『オオカミは大神』の重版が決まりました。

もちろん「弐」じゃなくて、最初に出た本の方「壱」です(「弐」ができるとは思ってなかったので、「壱」とは表記していませんが、実質「壱」になりました)。カバー写真が、埼玉県皆野町蓑山神社のお犬さまのやつです。

このようなテーマでは「発売、即重版」などはありえない話だし(夢でもありますが)、2年かけて重版になったのは、少しづつでも確実に売れ続けている証拠でもあるので、良かったと思います。これも皆さんのおかげです。

今は、写真展の準備と、次回作に向けて構想を練っている最中ですが、「参」はやっぱり「東北の狼像・狼信仰」か「西日本の狼像・狼信仰」になるんだろうなぁという気がしています。

本当は、狼のイメージを使ってもっと心理学的な方向へ行きたい気もしますが、たぶん、そんな方向では興味を持たれなくなってしまうのではと思っています。

結局、俺の役目というか、立ち位置は、それを知らなかった人に興味を持ってもらう媒介者(メディア)なのです。入り口を作る役目ですね。「メコン」や「棚田」もそうでした。

それもこれも、まずはコロナ禍が少し収まってくれて、後ろめたさなく旅行ができる状態にならないと、インタビューを依頼するにも気が引けます。狼信仰関連の祭りものきなみ中止になっているし。

 

 

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2021/06/26

青柳健二写真展「オオカミは大神」2021年7月15日~

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写真展「オオカミは大神」の告知です。

昨年同様、コロナが収束しない中での写真展になりそうなので、無理のないようにご来場ください。

マスク着用、ソーシャルディスタンスを保ってご鑑賞ください。また、人数制限を行う場合があります。

通常であれば、会期中にスライドショーなどのイベントを行うところですが、残念ながら感染拡大予防のために、今のところ予定にありません。それと青柳が在廊するかどうかも当日の状況を見て判断いたします。

会期:2021/7/15~8/10(21、28、4休み)※会期は追加されました。お盆休みの後は8/19~24日
   10:00~19:00(最終日15:00)
会場:ギャラリー楽風(さいたま市浦和区岸町4-25-12)
   1Fは日本茶喫茶・楽風で、ギャラリーは2Fになります。

   http://rafu-urawa.com

主催企画:ギャラリー楽風
作品数:約45点
※ギャラリーは無料
※『オオカミは大神』など書籍購入のお客様には、青柳作成の、お犬さまのお札風作品をプレゼントいたします。

 

【青柳健二写真展『オオカミは大神』について】

 ニホンオオカミは、明治38年(1905年)、奈良県東吉野村の鷲家口で、東亜動物学探検隊員の米人マルコム・アンダーソンに売られた雄の標本を最後に絶滅したといわれています。現在、東吉野村小川(旧鷲家口)に、最後の狼を記念してニホンオオカミの等身大ブロンズ像が建てられています。
 オオカミは絶滅しましたが、オオカミは大神になって生き続けています。今でも全国に狼信仰の神社は多いのです。皆さんが登山の時、何気なく見ている山中の神社や祠に鎮座する石像が、実はいわゆる狛犬ではなくて、狼像だったりするかもしれません。狼信仰の神社の多くにはこのように狼像が鎮座し、狼の姿が入ったお札を頒布しているところもあります。
 西洋では、家畜を食べられるなどの被害が深刻で、狼は人間の敵でした。しかし日本の場合、ニホンオオカミはそれほど大型ではなかったこともあるし、また牧畜が発達しなかったので、狼は人間にとって、田畑を荒らす猪や鹿などを追い払ってくれる益獣でした(東北の馬産地は除く)。狼信仰はこの農事の神としての信仰から生まれました。もちろん山に棲む狼が恐ろしい動物であったのも事実だったようで、狼被害に遭った記録も残っています。狼の、益獣として人を助けてくれる面と神秘性や畏れ、この両面性を持っていた動物は、まさに人々の信仰の対象としてふさわしいものだったのでしょう。
 また今回の写真展は、コロナ収束祈願を兼ねています。
 埼玉県秩父市に鎮座する三峯神社は狼信仰の神社で、狛犬の代わりに狼(お犬さま/御眷属様)像が守っています。江戸時代、疫病(コレラ)が流行ったときも狼(お犬さま)が疫病除けとして用いられました。コレラは「狐狼狸(コロリ)」などと呼ばれ、この世のものではない異界の魔物の仕業だと思われました。日本を侵そうとする異国が「アメリカ狐」などを操ってコレラを蔓延させているという妄想を生んだのです。
 そこで、異国の狐の魔物を退治してくれるのは、日本で最強の狼しかいない、狼なら三峯神社だ、ということで人々が殺到しました。三峯神社の狼のお札を村で祀り、コレラ除けを祈願したのです。もともと狐憑きという精神病にも、昔から狼(頭骨)が効果があるという信仰もベースとしてあったので、なおさら狼に頼ることになったようです。
 また、岡山県の高梁市の木野山神社も狼信仰の神社で、古くから流行病、精神病に対する霊験あらたかで、コレラや腸チフスなどの疫病が流行した時に、病気を退治するものとして狼様が祀られました。木野山神社への参拝者が増えたので、県は、今で言うところの「密を避けるために」多人数で同社を参拝することを禁じる布達まで出しています。
 今回の写真展では、疫病除けに御利益があるといわれた全国(北は岩手県から南は岡山県まで)の狼像を紹介します。早くこのコロナ禍が収まってくれることを願うばかりです。
 なお、ギャラリー内の写真撮影、SNSへのアップはご自由にどうぞ。
                               

 

 

 

 

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2021/06/10

角川武蔵野ミュージアム&」武蔵野坐令和神社

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角川武蔵野ミュージアムは、 図書館・美術館・博物館が合体した複合施設です。「本」のテーマパークです。

4階は、紅白の中継で有名になった吹き抜けの高さ8メートル巨大本棚。ここで上映されるプロジェクションマッピング。夢のような世界です。

5階には武蔵野ギャラリー。武蔵野関係の本が充実しています。「江戸」や「東京」を切り口にした施設はありますが、「武蔵野」は今までなかったような。実際ここは「武蔵野」をキーワードにした文化の発信地を目指しているようです。

武蔵野台地の地形図を見て、あらためて、その特徴や神社の位置がどうして「そこ」にあるのかが少し見えてくるような気がしました。

1点だけ、宝登山神社のお犬さまのお札も展示されていました。現在神社で授与されているお札より小さいものですが、見たことがない図柄です。いつくらいのものでしょうか。「御守」とあるので、お守り用のものなのかもしれません。

ミュージアムの隣には、『オオカミは大神 弐』でも取材させていただいた、近未来的な神社、武蔵野坐令和神社が鎮座します。武蔵野コーナーには、神社のお犬さま(狛狼)像の作成者、土屋仁応氏のインタビューも見ることができます。

令和神社のお犬さまについては、後日あらためて紹介します。

 

 

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2021/05/26

今日から二十四節気「小満(しょうまん)」、七十二候「紅花栄(べにばなさかう)」

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今日から二十四節気「小満」、七十二候「紅花栄」です。

古代エジプト時代から染料や口紅として利用されていた紅花が一面に咲く頃です。

Wiki「ベニバナ(紅花)」によると、

「江戸時代中期以降は現在の山形県最上地方や埼玉県桶川市、上尾市周辺(桶川宿の頁を参照)で盛んに栽培された。しかし、明治時代以降、中国産の紅花が盛んに輸入され次いで化学的に合成可能なアニリン染料が普及したことから、紅花生産は急速に衰退した。」

とあります。

上尾でも栽培されていたというのは初耳です。紅花畑など周辺では見かけないし、もう作ってないのでしょうか。それで調べてみました。

『広報あげお946』の「上尾市域の紅花商人」には、

「紅花の栽培は江戸商人の柳屋五郎三郎の手代が、上村(上尾市)の七五郎に種を遺して栽培させたのが始まりと言われる。」

とあります。

武州に広がった紅花栽培ですが、山形産よりも1か月ほど早く収穫できて、品質も良かったので、京都では武州産の紅花を「早場」「早庭」と称し、高値で取引されたという。安政5年の相場表を見ると、山形産よりも約1.5倍ほどの値段で取引されていたようです。

NHK『青天を衝け』で、深谷の血洗島では藍の栽培が盛んだったということが描かれていました。同じころ、桶川、上尾周辺では紅花だったんですね。

ちなみに安政5年は、何度も書いていますが、江戸ではコレラが猛威をふるった年です。

桶川の稲荷神社には、安政4年に近在の紅花商人が寄進した「紅花商人寄進の石燈籠」があります。これは桶川市指定文化財になっています。

「かつて中山道の宿場町だった桶川宿は、染物や紅の原料となる紅花の生産地としても栄えました。この石燈籠は、桶川宿とその周辺の紅花商人たちが、桶川宿浜井場にあった不動堂へ安政4年(1857)に寄進したものでした。明治時代となり、神仏分離策などの動きの中で、やがてこの稲荷神社へ移されました。また、不動堂は現在浄念寺境内へ移築されています。燈籠には計24人の紅花商人の名が刻まれており、桶川のほか、上尾や菖蒲の商人の名前もあります。かつての紅花商人たちの繁栄を伝える貴重な文化財です。(桶川市教育委員会)」

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災で石灯籠は倒壊したようです。これは、昭和2年4月に再建されたものです。

また境内には、日本一の力石といわれる「大盤石」があります。力石でも特に重たいものを「大盤石」というそうですが、大盤石は全国に4個ほどだけ。これは610kgあります。嘉永5年、岩槻の三ノ宮卯之助が持ち上げたということです。

人が仰向けに寝て、両足で持ち上げる「足指し」という方法で持ち上げたと推定されています。

卯之助は江戸一番の力持ちと評判になりましたが、卯之助は、この大盤石を持ち上げた3年後、48歳のとき不慮の死をとげました。

 

 

 

 

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