カテゴリー「【犬狼物語】犬像と狼像(狼信仰)」の832件の記事

2023/09/25

【犬狼物語 其の六百八十五】 お犬さま(狼さま)像の見分け方

287a8162_20230924082901(一見「狐」に見えますが由来がはっきりしている西日本の「狼」像)

Img_9061_20230925072601(川越氷川神社内の三峯神社の「お犬さま」)

 

お犬さま(狼さま)像を探して歩いていると、これは「お犬さま? それとも狐? それとも犬?」という像にたまに出会います。

そこでどう判断するのか、参考までに見分け方を書いておきます。

基本は、たとえば胴体にあばらの表現があるとか、牙があるかとか、鬣があるとか、尻尾はお尻に回してあるか(西日本ではそうとも限らない ↑のような)とか、そして、それが置いてある神社や祠が、狼信仰と関係のあるものかどうかで判断していますが、あることに気がつきました。

何かに興味が出たら、まずどうするか。「何も考えないで」と言ったら言い過ぎですが、まずは、ひたすら多くのものを見ますよね。

お犬さま(狼さま)像についてもそうです。数多く見てくると、最初は、狐像と、犬像と、狛犬像とも区別ができなかったのに、だんだんできるようになっていきます。

たとえば、顔の判断は「平均顔説」というのがあります。日本人なら日本人の顔の平均を知っているので、そこからどれだけ外れているかの「差」で判断しているという。外国人が日本人の顔がみな同じに見えるというのは、日本人の「平均顔」を知らないからで、反対に、日本人は外国人の「平均顔」を知らないと、みな同じに見えます。若い世代との付き合いが減ったお年寄りは、だから若者の「平均顔」がわからず、同じに見えてしまいます。

外国旅行すると、その国の滞在が長くなるにしたがって、その国の人の顔の区別がつきやすくなるという体験は俺にもあるので、この説は説得力があります。

これは人間の顔だけではなく、いろんなことに言えそうなのです。俺は、お犬さま(狼さま)像にはバリエーションを感じて、細かい区別はつくのに、いわゆる狛犬はどれも同じに見えるのも、この「平均顔」説で説明できるかもしれません。

よりたくさんのお犬さま(狼さま)を見ることで、お犬さま(狼さま)の「平均顔」がわかってくると、それぞれの微妙な差異にも気が付けるようになる、ということです。そしてその「平均顔」からかなり外れたものには、もしかしたら、これは狼じゃないな、狐かな?とか、犬かな?とか、気が付けるということになります。

とはいえ、けっこう難しいものもあります。これは平均顔説とは関係ない例ですが、明らかに狐像なのに、三峯神社前に置かれているもの。栃木県のある三峯神社の例です。社務所で尋ねたら、だれかが勝手に(?)置いて行った(奉納した)像だそうで、その人がそれを狐、あるいは狼と意識していたのかどうか。三峯神社には狼、稲荷神社には狐、ということもあまり意識していない可能性もあります。もっと言えば、その神社が三峯神社であることを知らない可能性だってあります。

もうひとつの例が川越氷川神社内の三峯神社です。「狐」に見える(「狐」そのもの?)「お犬さま」です。

民間信仰という面からいえば、そこらへんは重要ではないかもしれません。大切なのは、手を合わせる謙虚な気持ちです。拝む「物」はなんでもかまいません。

なので、俺は、三峯神社など狼信仰の神社・祠の前に置いてあったら、たとえ狐に見えても、あるいは狐そのものでも、一応「狼」として捉えるしかないのかなぁと思っています。奉納した人の気持ちを考えると、間違っていますなんて言えないですよ。

いや、狼も狐も、この場合区別する必要もないというか、要するに全部ひっくるめて「お犬さま」なんですね。あいまいさも包み込んでくれる言葉「お犬さま」、いいじゃないですか。

 

 

 

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2023/09/21

【犬狼物語 其の六百八十四】狼信仰関連分布地図

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狼信仰関連地図を作りました。


現在の狼信仰の地域差(濃度)を、見える化するために作った地図です。


どこが濃度が濃いか、地図にするとわかると思います。一般的には東日本の狼信仰が話題になりますが、岡山県鳥取県など、西日本でも狼信仰が盛んなところがあります。


九州地方はほとんどないのですが、半分は犬像です。とくに子安信仰の犬像ですが、子安信仰の犬像をさかのぼっていくと、狼の多産や子供が生まれたときに供え物をする産見舞いなどの習俗と関係がありそうで、大きな意味で狼信仰に入れてあります。 俺の推測でもあって、学術的に正しいかはわかりません。


それとある人からの疑問に答える形になりますが、岡山県、鳥取県に密度が濃いのは、江戸から明治にかけて流行った疫病除けとして、多くの木野山神社、山野口神社が勧請され、その分社が残っているからです。そしてこの密度は、信仰の「篤さ」とも違っています。あくまでも、残っている神社や祠の数です。


この地図は、どこを取材撮影したらいいか、自分用に作った地図で、途中経過でもあるので、これを学問的な資料として使う人もないとは思いますが、もし誤解をされている人がいるとまずいので、一応、書いておきます。


今後も、この地図はアップデートされます。

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2023/09/19

新日本風土記「オオカミとカワウソ」

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新日本風土記で「オオカミとカワウソ」が放映されます。 

 https://www.nhk.jp/p/fudoki/ts/X8R36PYLX3/episode/te/J7GQWM8YJW/

 

新日本風土記の予告編に出てくる鳥居は見覚えがあります。鳥居に付けられた「山神図」も見えます。

ここはもしかしたら東北の、かつてオイノ(狼)祭りが行われていた「山の神」と「三嶺山」の碑が残っているあの鳥居ではないでしょうか?

 地元住民によると、オイノ祭り自体はもう行われていませんが、しめ縄を替えたり、お参りしたり、ということはやっているそうで(数年前の時点)、予告編に出ている3人の参拝者は近所の村人なのでしょうか。

この鳥居の近くから山へ登る道が続いていますが、それは遠野へ通じる旧道で、山と里の境界でもあって、狼がこれ以上里に来ないでほしいという願いもあったとか。

 

【9月24日追記】 

 先日の放送は見られなかったので、さきほど、新日本風土記「オオカミとカワウソ」再放送で観ました。

三峯・山神の石碑にお参りしていたのは『ニホンオオカミの最後』の著者、遠藤さんだったんですね。

遠藤さんは、昔、ここで行われていたオイノ祭りにも参列していたそうです。

ところで、放送では少しわかりにくいことがありました。

「祭りのときにオオカミが出た」、みたいな遠藤さんの話だったんですが、それは遠藤さん参加時ではなくて、「かつてそういうことがあった」という話ですよね。俺の勘違いだと思いますが、じゃないと、岩手県で、昭和にも狼の目撃談があったという、すごい話になってしまいます。 

 

 

 

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2023/08/26

【犬狼物語 其の六百八十三】西日本のある神社の狼像

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これは西日本のある神社の狼像です。

造形的にも優れていて、木目がきれいに現れています。子狼でしょうか。二重まぶたで、小さな牙もあります。健気で可愛らしい。

この狼像、今は宮司宅に置かれています。

宮司のおじいさん、つまり先々代の宮司は、馬で神社へ通っていましたが、ある日、明治初期のころ足元で狼を見たことがあるという話を聞いたという。明治時代には、このあたりにも狼はいたようです。

宮司の話では、この神社では、どのような経緯で狼信仰が始まったのかわからないが、昔の人にとっての最大の関心事は、五穀豊穣と疫病が流行らないことの二つ。日本最強の動物、狼を祀って、害獣を追い払い、五穀豊穣と、疫病退散を祈ったのではないか。そういった災害が起こらないように、祭りもたくさん行っていたという。

ところで、この神社では昔、盗難に遭っているそうです。現在の宮司のお父さん、先代のときですが、「狛犬調査」と称して電話があり、先代が狼像があると答えたところ、後日、高さ70cmほどの狼像が無くなっていたそうです。

実際にそういう目に遭っているので、この狼像を宮司宅に置いておくのはしかたありません。

俺の思い込みや、たまたまかもしれないですが、東日本では、あまり聞いたことのない狼像の盗難が、西日本では複数回聞きました。と、いうことは、西日本には昔はもっと狼像があったのではないかと想像します。

先日の記事「渡来系弥生人と狼信仰」の続きのようですが、西日本では昔はもっと狼信仰が盛んだったのではないか、という話を、逆に裏付けるような盗難の話を聞くことになってしまいました。

「物」が無くなるということは、「物語」も同時に失うことです。「物語」が無くなってしまえば、表面上は最初から無いのと同じように見えてしまいます。

 

 

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2023/08/23

【犬狼物語 其の六百八十二】渡来系弥生人と狼信仰

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縄文人の後で大陸から入ってきた弥生人との混血によって現代日本人が作られたという「二重構造モデル」。

東南アジアから北上した2集団のうち、海岸沿いに北上して日本列島に入ったのが旧石器人、後に縄文人。そしてそのとき日本には入らず、内陸側を北上した集団は、やがて寒冷地適応をうけて東北アジアの旧石器人に。

その後、この集団の一部が朝鮮半島から日本(九州北部)に入ってきました。それが渡来系弥生人です。今のところ、長江流域の古人骨の分析が行われていないので、稲作をもたらした集団が、この東北アジアの旧石器人とどのようなつながりがあるかわかりませんが、ふたつの集団は、朝鮮半島付近でいっしょになり、渡来系弥生人として日本に渡って来たと考えるのが、今のところ妥当であるらしい。

そこで以前紹介した書籍『人類の起源』の中で気になったのが次の地図です。各都道府県によってどれだけ縄文人の痕跡の濃度に差があるか、というものですが、近畿地方と四国地方や中国地方の瀬戸内海側で、一番縄文人の痕跡が少ない、つまり逆に言えば、一番弥生人的であるということが興味をひきます。

DNA解析から、この渡来系弥生人の流入の数は考えられていた以上に多かったのではないかという話です。その人たちが日本に稲作や金属器を伝えました。もしかしたら「狼信仰」もあったのでは?という話になってくるわけですね。

日本の狼信仰のルーツを考えたとき、日本で自然発生的に始まった説と、大陸から伝わった伝播説とあるかもしれませんが、どちらか一方、というのではなくて、両方あるんだろうと思います。どちらにしても、狼という恐ろしくも強く気高いものに接したときの、人間が共通して持った畏怖の気持ち。これが狼信仰の原点かなと思うので。

それはそうと、四国に渡来系弥生人の痕跡が多いことに興味を持つのは、香川県の神社に祀られている狼像が、狼信仰を持っていた渡来人の末裔の影響だったらしいという話を聞いているからです。

それは香川県さぬき市に鎮座する津田・八幡宮(津田石清水八幡宮)です。ここには狛狼像が1対あります。わざわざこの石像は狼像であると表示してあります。

その由来、正確にはわかりませんが(資料などは焼失)、宮司や郷土史家の話では、神社は1600年に現在地に遷座したのですが、元あった社には狼像があったそうです。渡来系の末裔たちが住んでいた地域で、地元民とのいさかいを極力避けるため、山犬を番犬化して使っていたそうです。そのなごりで元社にも狼像が置かれたとのこと。

四国ではこの1件だけだし、大和政権に請われて来た渡来系の人たちなので、弥生時代初期の話ではありません。なので、渡来系弥生人が本当に狼信仰を持ってやってきたかはわかりませんが(文化・信仰の伝達はひとりでもできるので)、少なくとも、そういう例があったということはひとつ参考になるかなと思います。

それとこれは近畿ですが、『欽明天皇紀』(540年)に、秦大津父が喧嘩をしていた二頭の狼に出会い「あなたは貴い神で、荒々しい行いを好まれます。もし猟師に会えば、たちまち捕獲されるでしょう」といって仲裁をしたところ、天皇は夢を見て秦大津父を捜し出し、大蔵大臣に取り立てました。これは秦氏が狼信仰を持っていたとされる記述で、いろんな媒体にたびたび引用されています。この秦氏は中国系渡来氏族とされます。(なお、秦氏は稲荷信仰ともかかわります)

現在の狼信仰の濃度と、この弥生人痕跡の濃度は、反比例しているじゃないか、という人もいるかもしれません。たしかに西日本では、江戸・明治時代に盛んになった木野山信仰や賢見信仰などを別にすれば、東日本と比べてあまり狼信仰の痕跡は濃くないというのが印象としてあります。

でも、文化の中心地から波のように周辺に伝播していき、中心地ではその文化が逆に薄れてくるという状況は、他にも見られて、柳田が唱えた「方言周圏論」は、言葉の話ですが、文化一般にも当てはまるような気がします。

西日本を旅して、狼信仰については東日本ほどはっきりしたイメージがなく、もやもやっとしているんですが、話を聞いてみると、めちゃくちゃ歴史が古いということがあって、この周圏論は、説得力を持ちます。つまり古い文化は、周辺に残るということを実感するのです。

すでに書いているように、もちろん、縄文時代の遺跡から発掘された遺物にも狼信仰の痕跡をうかがわせるものがあるので、縄文時代には、すでに何等かの狼信仰的なものはあったと想像できます。弥生時代に関してもそうです。だから、日本の狼信仰のルーツを考えた場合、いろんなパターンがあるのだろうと想像するしかありません。渡来系弥生人がもたらした狼信仰もそのひとつでしょう。

 

 

 

 

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2023/08/19

今井恭子さんの『縄文の狼 』

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『縄文の狼 』を読みました。

今井さんは、本格歴史犬小説『こんぴら狗』の著者でもあります。「こんぴら狗」というのは、江戸時代、主人の代わりにこんぴら参りをしたという犬のことで、実在しました。今回も犬好き、狼好きの今井さんの思いが込められた作品になっています。

今、狼信仰のルーツをあれこれ妄想して楽しんでいる最中なので、この『縄文の狼』も時代的にぴったりで、興味を持って読みました。縄文時代の早期はこんな感じだったんだろうなと思いました。具体的な人物が喜怒哀楽を感じながら日常生活を送る姿はとてもリアルです。作者の想像の世界ですが、共感できる世界でした。資料や文献とは違う、作者の直感力と想像力のすばらしさです。

縄文早期が舞台ですが、移動しながら狩猟採取をする人たちと、海辺に定住している人たちが登場します。主人公のキセキは、移動しながら暮らす一族出身ですが、あるきっかけで定住者の村で暮らすことになります。

この状況もリアルだと思います。縄文人とひとくくりに言いますが、最近の古人骨のDNAの研究から、縄文人は各地域でかなりバリエーションのある集団だったようです。俺が知っている範囲でいうと、中国南部の少数民族が今でもそうであるように、山や谷を越えると違う民族の村があるといったような状態であったかもしれません。

キセキは定住村で、当時の先端技術をおぼえるんですね。それを他の集落や次の世代に受け継いでいくことになるのでしょう。こういうことが1万年以上も続いた時代が縄文時代です。ゆっくりと、少しづつ変わっていく。国家・国境などという縛りもなく、人間と動物たちが、それこそ自由に暮らしていた時代です。

作品ではまた、人や文化の移動について示唆的な描写があります。主人公キセキは、まず不可抗力で(自分の意志ではなく)海辺の村にたどり着くのですが、最後は自分の意志で移動します。たぶん、この「不可抗力の移動」と「意志を持った移動」というふたつは実際あったパターンなんだろうと想像できます。こうして人と文化が伝わっていったのでしょう。

また、縄文時代には、犬は人間の狩猟を手伝っていたらしい。実際縄文時代の遺跡からはきちんと埋葬された犬の骨も見つかっています。作品では、犬ではなく、狼犬ですが、犬と人間との関わりも、こんな感じだったんだろうなと思います。というか、犬と人間の関係性は昔も今もそれほど変わらないのではないでしょうか。

 

 

 

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2023/08/13

【犬狼物語 其の六百八十一】8月13日は「世界(国際)オオカミの日」 International Wolf Day

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今日は「世界(国際)オオカミの日」だそうです。

上に掲載の写真は、ミュージアムパーク茨城県自然博物館展示のオオカミの剥製です。博物館によると、30年前の開館当時に購入したものですが、どこ産のオオカミかはわからないとのことです。

 

 「世界(国際)オオカミの日」についても由来がはっきりしなかったので、ChatGTP先生に聞いてみました。

「8月13日は、世界オオカミの日」の由来は?

「「8月13日は、世界狼の日」についての情報は私の知識のカットオフ(2021年9月)までには存在しませんでした。したがって、その由来や詳細については提供することができません。」 

ChatGTP先生にはめずらしく、知りません、と素直な回答。 

それで今度はbing先生に聞きましたが、こちらもはっきりしません。。

「「8月13日は、世界狼の日」の由来は、ウェブ検索の結果からは明確には分かりませんでしたが、以下の可能性が考えられます。

8月13日は、旭川市旭山動物園で「国際オオカミの日」として紹介されているようです。この動物園では、シンリンオオカミを飼育しています。」

他、関係なさそうな回答が続きます。

さらに調べると、ネット上には、「2011年にアメリカのWhite Wolf PackというWebサイトにて制定された」という有力な情報がありました。

そこでWhite Wolf Packを見ると、このようにありました。(googleによる翻訳)

http://www.whitewolfpack.com/2011/08/international-wolf-day.html 

「世界におけるオオカミの重要性、あらゆる誤解、そして米国でオオカミ狩りが今年の9月に始まるという事実により、オオカミの認識と教育を確実に行うための特別な日を確保することが非常に必要になった。オオカミの迫害を止めること。この日は今後、毎年「国際オオカミの日」として制定されます。8月13日が選ばれたのは、満月の日という特別な理由からです。」とあります。

細かいことを言うようですが、日ごろ旧暦を考えているので、2011年8月13日は、アメリカでも満月の前日か前々日だったようなのです。どうしてわざわざ満月から微妙にズレた日に制定したかは不明。

とにかく、由来はこういったことです。オオカミと満月とをくっつけてイメージするのは、俺もそうですが、「月(=夜)」と「野生」「神秘」との親和性や、「人狼」(日本でいうなら「狼男」)伝説とも関係するかもしれません。

 

 

 

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2023/08/08

【犬狼物語 其の六百七十九】 埼玉県吉見町 横見神社内の三峯神社

287a9572(横見神社の鳥居)

287a9588(三峯神社)

287a9571(稲荷社)

 

吉見町の横見神社は、吉見丘陵の東端部に位置し、こんもりとした古墳の上に鎮座します。古墳時代後期の集落跡があったそうです。

境内には、三峯神社の石祠があります。新しそうに見えましたが、三峯神社は平成26年に合祀されたものです。今、どのように管理されているかはわかりませんでした。

なお、明治5年ころ、稲荷塚に勧請された末社稲荷社も鎮座します。

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2023/08/03

【犬狼物語 其の六百七十八】「イヌ」の始まり(2)

_mg_9987(国立科学博物館 ハイイロオオカミの眼。視線強調型)

_mg_2636(山梨県上野原市犬目宿 ヴィーノの眼。黒目強調型)

オオカミとイヌの違いは何かというと、いろいろありますが、たとえば目。オオカミは視線強調型であるのに対して、イヌは黒目強調型。

オオカミに比べて、全体的にイヌは丸っこく、体に対する頭の大きさも大きい。

オオカミは遠吠えはしますが、吠えることはなく、一方のイヌは吠えます。

オオカミは人間の意図を察することはありませんが、イヌは人間の意図を察して行動します。

オオカミは人間に懐くことはありませんが、イヌはもっと穏やかな性格で懐きます。

などなど、いろいろあります。昨日は、オオカミからイヌが分岐するとき、長年、何世代にもわたって、オオカミは人間の周辺で「野犬」のような状態で暮らしたのではないか、その中で、オオカミはもっと人間に近づく方法として、自分の姿を変えていったと思われると書きました。

どういうことかというと、「野犬」状態の環境の中で、イヌ的な突然変異がオオカミのある個体に現れたということなのでしょう。ただ、その変異は、1頭のオオカミにすべてのイヌ的変異が同時に現れたのではなく(1頭のオオカミが突然イヌになったわけではなく)、各変異が現れた個体はおのおのばらばらで、しかも、その変異が現れたのは「有利」だからはなく、ほぼ偶然、そういう変異が突然に現れたということにすぎなかったでしょう。

でも、その変異、たとえば黒目が増した個体、体に対する頭の大きさが大きい個体の方が幼く見えて、人間に脅威を与えず、人間が保護しようとして生き延びるチャンスが増したとは言えるでしょう。黒目になったり頭が大きくなったりという遺伝子頻度が高くなったと考えられます。

他の変異についてもそうです。「野犬」状態の環境下では、オオカミがイヌ的変異を持った個体の方が生き延びたと思われます。そうしてその変異は何世代ものうち固定され、変異は遺伝するようになりました。オオカミからイヌに変わるために、何世代、何年必要なのかはわかりませんが、だんだん「イヌ」に変わっていったということなのでしょう。ただし、オオカミとイヌの間の化石がほぼ見つかってないということなので、このイヌ化は意外と速く進んだ可能性もあります。

ここまでは、人間側からみたイヌの進化ですが、同様に、イヌからみた人間にも進化があったのでしょうか。

人間の中にも、オオカミを怖がらない個体が現れ、野犬状態のオオカミと友達になった個体、あるいは、狩に出たとき、オオカミを使えばもっと狩が楽になることを知った個体などあったかもしれません。たとえば外敵の接近を知らせてくれる野犬状態のオオカミをそばに置くことで、外敵に怯えるストレスは多少なりとも軽くなったなどはあったのではないでしょうか。

オオカミをそばに置いてもいいと思う個体は、そうでない個体よりも有利になったかもしれません。このように、人間側にも、形質的な進化というより、心理的な進化が起こったとしても不思議ではありません。

オオカミがイヌになることには、人間とオオカミの双方にメリットはあったと思われます。

 

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2023/08/01

【犬狼物語 其の六百七十七】「イヌ」の始まり(1)

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イヌはどのようにしてオオカミから生まれたのかが気になるところです。遅くても1万数千年前の出来事で、実際どうだったのかを証明することは不可能なので、想像するしかありません。毎日こんなことばかり考えている俺は、どこかおかしい、それは自覚しています。

それでいろいろと本を読んだりしていますが、定説は、もちろんありません。

ただ、野犬やアフリカのブッシュマンなどの狩猟採取民のイヌたちがヒントになるのではないか、という気がします。野犬(野良犬)は最近ではめったに見なくなりましたが、10年ほど前には、四国で何回か野犬を見たことがあります。

徳島県、高知県、香川県です。そのときはヴィーノも連れた「犬旅」だったので、とくに野犬には気がつくことが多かったようです。

香川県三豊市観音寺の公園には、同じような姿の薄茶色の2頭の野犬がいました。兄弟姉妹かもしれません。

1頭は4mほどまで近づきました。人間が嫌いなわけではなさそうです。でも、それ以上接近することはありませんでした。こちらが近づいていくと逃げていきます。もう1頭は、人の姿を見ただけで逃げていきました。兄弟でも人間に対する態度はかなり違うようでした。どちらも飼い犬にはない、緊張感が漂っていました。野生の匂いですね。

もちろん近づいてくるのは、人間が食べ物を与えるからでしょう。でも、飼い犬のように、すぐ近づいてくることがないというのは野犬らしいところです。

「付かず離れず」 この微妙な距離が、人間と野犬たちの関係を象徴しているようです。この距離が長くなればなるほど、「飼い犬」から「野犬」に近くなるということでしょう。「野犬度」と、この距離は比例しているといってもいいかもしれません。

この「野犬」の感じこそ、「イヌ」が「オオカミ」から分岐したころの姿に近いのではないでしょうか。ここからは、俺の想像するシナリオの一つです。

人が狩猟採取していた時代、人の近くに近づいたオオカミがいた。人が現れると、逃げて、見えなくなると、また人の捨てた残飯などをあさっていた。人も最初は追いはらっていた。それでも狼にとっては、確実にえさにありつける人のところは魅力で、追いはらわれながらも、隙あらば、近づいていた。人が狩をしたときは、残った骨などにかぶりついた。双方が警戒しながらも、半分存在を認め合う間柄だ。そんな「野犬」状態のオオカミが何世代も続いた。

偶然に人間に近づいたオオカミの個体がそのままイヌとして飼われるようになった、あるいは、オオカミの子どもを拾ってきて飼い始めてイヌになったということはあり得ないので、何世代もの「野犬」状態が続いたはずです。それは100年単位、1000年単位かもしれません。あるいはもっと10000年単位であってもおかしくはないでしょう。DNAとして固定されるまでには長時間が必要です。

「野犬」状態のオオカミの中には、ずっと人間のそばに居つくようになった個体もいたかもしれません。また、人間がこれは狩に使えると思った個体もあったかもしれません。とにかく、長い間、こんな「着かず離れず」状態が続いたのではないでしょうか。

やがて、オオカミはもっと人間に近づく方法として、自分の姿を変えていったと思われます。目を黒目に変えて、幼く見えるように変わりました。そして吠えることをおぼえました。幼く見せることは人間の警戒心を解き、より近づきやすくなったし、吠えることで、危険を察知する番犬として、また、狩をするときの合図として、人間の役にたつことにもなった。双方にとってメリットがあった、というわけです。

だから考えてみれば当然なんですが、「オオカミからイヌになった瞬間」なんてものはないということなんでしょうね。 

 

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