カテゴリー「旧学舎(廃校)」の19件の記事

2016/10/22

2016年秋の撮影旅(32) 岩手県から山形県へ

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昨日は山形県河北町の実家に寄りました。所用があって初めから寄るつもりでしたが、なんと母方のおじさんが亡くなったという知らせが、昨日の早朝に入って、結局今日の葬儀に出席することに。

偶然と言えば偶然ですが、俺が実家に戻るのは、平均して年に1回か2回だけなのです。だからかなり低い確率での偶然です。

これは河合隼雄氏も薦めているユング心理学での「共時性」と解釈して、何かこの偶然に意味があるのではないかと思いをめぐらしました。

そう言えば、俺が20代のころ、外国旅行ばかりし始めたときに、たまたま実家に帰っているとき、母方のおばあさんが亡くなりました。

このときも、「ばあちゃんに呼ばれたんではないのか」などと人にも言われたし、俺もそう思いました。

他人にはまったく関係のない、意味のない「共時性」ですが、俺にとっては何か大きな意味があるかもと。

今のところ、どんな意味かはわかりませんが。

写真は、山形県に来ると必ず撮影する大石田町の大浦棚田です。稲は刈り取られ、田んぼは冬ごもりへと向かいます。それと近くの次年子の廃校。宇宙船のようなユニークな形をしています。

ところで、車のタイヤ前輪が半分つるつるになっているのを見つけ、雨が降ったら危ないな、これから埼玉まで距離もあるしと思ったので、タイヤを注文したら、なんとか明日届くことになったので、交換することにしました。

車のトラブルについては、前回のボンゴフレンディの件もあって、敏感になっています。
 
 
 
 
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2016/10/13

2016年秋の撮影旅(24) 岐阜県郡上市の旧野々倉小学校と、長野県中川村  美里の棚田

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岐阜県美濃市から郡上市の盲導犬サーブ(ここにもあります)を撮影した後、山の中の道を通ってみました。

そしたら、途中に2階建ての木造校舎の廃校があって、おかあさんと子供たち数人が遊んでいました。郡上市の旧野々倉小学校校舎です。

なかなかこういった廃校は取り壊されることも多いのですが、この学校は、今でも地区の公民館や選挙時の投票所の役割を果たしているそうです。今でも使われているから「生きた」感じがしたわけですね。

おかあさんが小学生のころすでにこれは廃校で、別な学校に通っていたというので、廃校になったのも、ずいぶん前のことです。

学校は単なる建築物ではなく、地域の歴史と人を結ぶ中心としての心の文化財です。学校が生きているころは、ここが中心に地域が周っていました。

男の子は、どうして廃校になったか調べて、地域の多くの学校を訪ねたらしい。自由研究です。「それを全国的に広げていったら面白いと思うよ」と俺は言いました。実際、俺もやってみたいテーマでもあるので、男の子には頑張ってほしいと思います。

写真を撮った後、「ヴィーノ、バイバイ」と子供たちに見送られて廃校を後にしました。

なんだかこういう雰囲気は、中国雲南省や貴州省で、村歩きをしていたころのことを思い出します。

偶然ですが、この道を選んだこと、良かったと思います。たまには(いつも?)ナビを無視してみるのもいいもんです。

山の中を通りようやく国道に出て、今度は長野県中川村に。いくつか棚田があると聞いていたので行ってみました。

美里の棚田と言われているところには撮影ポイントとなる茅葺屋根の民家が残っていました。
 
 
 
 
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2016/06/11

2016年初夏の撮影旅(15) 【犬狼物語 其の二十五】 宮城県栗原市 龍国寺の「参宮犬石碑」

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宮城県栗原市金成町の龍国寺を訪ねてみようと思ったのは、こんなニュースを見たからでした。

「伊勢神宮の参宮犬石碑 宮城で発見」
(河北新報 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150804_15005.html)

記事によると、

「三重県の伊勢神宮に参拝した犬の石碑が宮城県栗原市金成の寺院、龍国寺の参道にあるのを、動物信仰などを調べている宮城県村田町歴史みらい館副参事の石黒伸一朗さん(57)が見つけた。明治初期に建立された可能性がある。参宮犬の石碑は全国でも珍しく、東北地方で唯一とみられる。」

東北地方からも伊勢参りの犬が送り出されていたわけですね。ずいぶん遠いところです。

参道の入り口に10数基立っている古碑の中にありました。周りは馬頭観世音の碑が目につき、立てられたのも昭和、大正が多い中、この「白毛犬参宮」と彫られた石碑は、「明治六酉年」とあります。明治6年は西暦1873年で酉年です。

明治6年と言えば、ちょうど旧暦から新暦へと改暦した年でもありますね。文明開化の時代です。そんな時代に、まだ、「まだ」という言い方は適切ではないかもしれませんが、ワンコがお伊勢参りをしていたとは。

また碑には「飼人菊池新●」とあります。飼い主は菊池さんだったようです。

「菊池家で飼っていた白い毛の犬が伊勢神宮まで行き、戻った記念に石碑を建てた」と発見者の石黒さんは推測しているそうです。たぶんそうなんでしょう。

お寺の人に尋ねると、菊池家の人は、金成にはもう住んでいないということです。だから参宮犬についての情報はありませんでした。参宮犬を出すくらいなので、当時は裕福な家だったのではないかと想像できます。

それで、何かないだろうかと思い、今は歴史民俗資料館として公開されている旧金成小学校の校舎を訪ねました。明治期に建てられた和洋折衷様式の貴重な建物です。近くには、金成ハリストス正教会の建物もあります。以前も、この建物を撮影に、金成町にやってきたことがありました。すばらしい建物なのです、ふたつとも。

館長さんが親切に、栗原市に合併する以前の金成町史など調べてくれましたが、残念ながら龍国寺の文化財・古碑リストにも載っていませんでした。

ところで館長さんが面白い指摘をされました。伊勢神宮に近いなら人間が行けるけど、遠いところは難しいので、かえって遠いところから代参犬を送り出す意味はあるということ。それと、伊勢参り犬が「流行」していたとしても、その「流行」が地方に伝わる時間差があって遅い時期になったのではないか、ということ。そうかもしれないですね。

とにかく、こんな遠くから犬が伊勢神宮を目指して、無事に戻ってきたということに、江戸・明治時代のロマンを感じてしまうのは俺だけでしょうか。

まだ日本の犬が、西洋から入ってきた「犬を管理する」という考え方以前の状態でなければありえないできごとです。自由な犬が人と気ままに暮らしていた時代でした。
 
 
 
 
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2015/05/12

2015年春、東北撮影の旅(07) 福島県昭和村の「旧喰丸小学校」

150512_1(昭和村 早朝の集落)

150512_2(昭和村 旧喰丸小学校とイチョウの木)

150512_3(昭和村 旧喰丸小学校)

150512_4(昭和村 旧喰丸小学校の校歌の碑)

150512_5(昭和村)

150512_6(昭和村 田園)


西島秀俊さん主演の映画『ハーメルン』を観た話は、以前書きましたが、今回ロケ地である昭和村に行きました。

いや、以前から行ってはいたんです。でも、こんないいところだとは、映画を観るまでは知らなかったので、素通りしていたのでした。

昭和村は「苧麻(からむし)織りの里」。

からむしは、伝統織物の上布の原料で、昭和村は唯一本州で栽培生産している村だそうです。

そんな昭和村の喰丸地区にあるのが映画の舞台になった「旧喰丸小学校」です。監督・脚本の坪川拓史氏は、イメージに合う廃校をずいぶん探し回ってここを見つけたそうです。

映画の公式HPはこちら。

http://www.hameln-film.jp/

廃校はまだありましたが、痛みが激しいようで、片側にはブルーシートがかけられていました。解体されてしまうんでしょうか。

映画でも大きなイチョウの木が印象的ですが、その木もありました。秋になったらまっ黄色になるんでしょうね。それも見てみたい。去年落ちた葉っぱと銀杏が地面に残っていました。

映画の中で、この廃校に住んでいたのが、坂本長利さん演じる元校長先生。

独特の時間の流れ方と、静かさは、実際昭和村に来てみると、それは演出以前の、この土地が持っている個性であることを強く感じました。

時代の流れにあらがうような村のたたずまいと、校長先生の頑固な性格が、重なって見えてくるようです。
 
 
 
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2014/06/17

俳優 坂本長利さん出演の映画『ハーメルン』と独演劇『土佐源氏』を鑑賞して

Fukui_2013(映画『ハーメルン』のロケ地になった昭和村の紅葉。福井昭夫作)

140617(『土佐源氏』の旧梼原村(現梼原町)にある棚田「神在居」)

先日、友人の知り合いの俳優坂本長利さんの出演している映画と独演劇を鑑賞するイベントに行ってきました。

坂本さんは『北の国から '87初恋~』で、純の初恋の相手であるれいの父親、大里政吉役をやっていた俳優さんです。この登場人物は印象に残っています。

映画『ハーメルン』では、福島県の山の中の廃校に住み続ける元校長先生役でした。ロケ地は奥会津の昭和村にある「旧喰丸小学校」。大きなイチョウの木と木造校舎が印象的なところです。監督・脚本の坪川拓史氏は、イメージに合う廃校をずいぶん探し回ってここを見つけたそうです。田舎独特の静かな時間の流れが画面から伝わってきました。

坂本さんは『北の国から』でも、仲間ともうまくやれない偏屈で頑固親父を演じていましたが、今回も、孤高の頑固者です。でも、かつての教え子である西島秀俊氏扮する県職員の男は、だんだんこの校長先生の思いに共感していくのでした。

もうひとつの独演劇『土佐源氏』は、宮本常一著『忘れられた日本人』の中にある話です。「創作ではないのか?」と疑われたほど物語として完成度の高いものだそうです。

民俗学者 宮本常一氏が高知県の山の中、旧梼原村で出会った盲目の貧しい男の昔話を聞き書きしたものです。独白の内容は、過去に関係を持った女たちが登場する女遍歴(自慢?)なのです。学問も才能も金もない男が女にだけはもてる。どうしてなのか? という自己分析もちゃんとしていて、当たっているなぁと思うのですが、それが妙に面白い。参考になります。創作ではないか?と宮本氏が疑われるのもわかります。

舞台挨拶で坂本さんは、『土佐源氏』は「芝居としてやっているのではありません」といいました。たぶん(俺の解釈ですが)、原作を忠実に再現するということなんでしょう。つまりは、自分は「役者」ではなくて、「媒介者(メディア)」としてやっているという意味でもあるような気がします。この男が坂本さんに乗り移ったような舞台を目指しているのかもしれません。現に原作者である宮本氏は、坂本さんの舞台を見て、ときどき坂本さんの表情がこの男と似ているとも言っていたそうです。

迫力がありました。ほんとに「この男がそこにいる」ようでした。

悲惨な境遇にもかかわらず、けっして暗くはなく、むしろひょうひょうと人生を歩んできた男の軽やかさみたいなものも感じました。それを表現できるのは役者坂本さんの力量もあるんでしょう。そして男の人生を丸ごと肯定する坂本さんの暖かい眼差し(解釈)があるからこその表現なんだろうなと思いました。
 
 
 
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2012/09/07

大正時代に建てられた木造校舎 長野県上田市の浦里小学校の火事

Kizawa_shogakko(この写真は火事とは関係ありません。旧木沢小学校(長野県飯田市)の写真です)

長野県上田市浦野の市立浦里小学校の木造校舎が全焼しました。

放火の疑いもあるそうです。

この旧校舎は1924(大正13)年に建てられましたが、現在は、教室としては使われていませんでした。そのかわり多くの映画やドラマのロケ地に使われていました。主な作品を調べてみると、

「南極大陸」
「スパイ・ゾルゲ」
「リング0~バースデイ~」
「ゼロの焦点」
「私は貝になりたい」

など、ざっとこれだけあります。

火事の様子を泣きながら見ている生徒や住民の人たち。思い出が目の前で失われていく生徒や住民の悲しみは想像できます。

俺は全国の旧学舎(廃校)の写真を撮り続けています。まだ浦里小学校旧校舎は訪ねたことはありませんでした。でも、各地の旧学舎が取り壊される現場を見て、地元の人たちの気持ちが少しはわかるつもりです。だからこころの準備も何もなしに突然火事で校舎を失うことの衝撃は、解体されるとき以上の大きなものがあると思います。

学校は単なる建築物ではありません。学校の行事がその地域の行事そのものだったりします。学校は地域の中心でした。校舎がなくなるのは、自分と地域の歴史をなくしてしまうような気がするのかもしれません。

思い出がどんなにか大切なものか。311の津波で思い出を失った人たちと同じような気持ちなのではないでしょうか。

「ロケ地の小学校全焼 大林宣彦監督の話」
NHK「かぶん」ブログ http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/800/130567.html )


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2011/10/30

山梨県  廃校(旧学舎)を利用した「みなもと体験館 道志・久保分校」

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前から気になっていた山梨県道志村の廃校(旧学舎)を利用した施設です。

「みなもと体験館 道志・久保分校は、廃校になった小学校を利活用し『みなもとからの体験ができる施設』として、道志村を訪れる学校や各種団体、家族までが体験型施設として平成22年5月1日にオープンしました。」(HPより引用)

詳細はこちらのHPで。
みなもと体験館 道志・久保分校

「「学校」は地域の「文化施設」として子どもだけでなく、おとなたちも集う場でした。」ともあります。そうですね。

学校の行事が村の行事でした。学校は村の中心でした。校舎がなくなるのは、自分と村の歴史を失ってしまうような気がするのかもしれません。

卒業生たちが中心になって、校舎を何とか残そうという活動は全国で行われています。そんな人たちを応援したいと思います。


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2011/09/27

2011年、秋の旅 (03) 長野県 旧木沢小学校

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天空の里と同じで、こちらも引越しのさかいのコマーシャルで有名になった廃校。

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2011/09/13

長野県松本市 旧開智学校

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重要文化財、旧開智学校は、明治6年5月に開校しました。

日本でもっとも古い小学校のひとつです。

外観は和風・洋風の混じった擬洋風建築の校舎で、文明開化を象徴するものです。

中は資料館になっています。

↑の写真は元禄4年(1691年)武士の子供たちの教科書、↓の写真は明治13年(1880年)、明治天皇御巡幸のとき、休息室になった校舎の1室。


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2009/09/26

妻と犬連れ3匹の、日本一周の旅 (102) 野麦峠

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野麦峠を越えて、長野県から岐阜県へ。

野麦峠といえば、『あゝ野麦峠』に代表されるように、明治から昭和初期にかけて飛騨の農家の娘さんたちが、この峠を越えて諏訪、岡谷の製糸工場へと働きに出たことで有名。


乗鞍岳を見て、九十九折の坂道を数キロ下ると、野麦集落があった。ひっそりとした集落の中に、りっぱな旧学舎。廃校を利用した施設らしい。


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