カテゴリー「旧暦(太陰太陽暦)と宇宙」の400件の記事

2024/04/04

今日から二十四節気「清明(せいめい)」、七十二侯「玄鳥至 (つばめ きたる)」

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意外と今年の桜開花は遅くなりましたが、よっやく桜のシーズンです。

今日から二十四節気「清明」です。

七十二侯「玄鳥至」ですが、ツバメの写真がないので以前日本一周車中泊の旅で立ち寄った島根県の出雲日御碕灯台、4月2日撮影のヤツガシラの写真を掲載しておきます。

 

 

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2024/02/10

2024年2月10日は旧暦1月1日

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あけまして、おめでとうございます。

今日、2024年(令和6年)2月10日は、旧暦の元日です。

 

旧暦棚田ごよみについて

2年前、岡山県のある神社で夜の神事に参列する機会がありました。その日は11月15日でした。ただしこれは新暦の日付で、昔は旧暦の霜月11月15日に斎行されていた神事なので、満月の夜だったのです。真夜中ならちょうど中天に月が煌々と輝いていたことになります。それを想像するとぞくぞくっとしました。

昔の祭や神事は月の満ち欠けと関係していました。だから昔の人はいまよりも月の満ち欠けに敏感だったことが想像できます。

柳田国男は『年中行事覚書』の中でこう言っています。

「暦が字で書き印刷した本になり、どこの家庭でも見られるようになったのは至って新しいことで、もとはその暦本の数も少なく、こしらえる処が遠くに在って持って来る方法も なく、それに第一読める人が少なかった。そのためにたいていの農村では昔の仕来りのままに、月の形を見ていろいろの祭や行事の日をきめたのであった。年や月というものの境 も、この満月の日だったろうかと私は思うが、その点は確かにそうだとまでは言えない。ただ少なくとも多くのお社の祭が、今でも十五日の後先になっているのは、文字を知らない人々には月の形が、一ばんわかりやすい暦だったからである。」

毎日変化する月の満ち欠けそのものが暦だったのです。月の満ち欠けには規則性があるということに気がつくには、約29.5日という周期は、偶然とはいえ、ちょうどいい長さだったかもしれません。

ただ、月の満ち欠けだけでは、季節がずれていくので、太陽の動きも考慮したのが太陰太陽暦です。

日本では中国由来の太陰太陽暦を日本風に改良して使ってきましたが、明治6年から太陽暦(新暦/グレゴリオ暦)に変更され、それまで使っていた暦は「旧暦」と呼ばれることになりました。今年は改暦から151年目です。

世界標準となった太陽暦によって科学技術が発展し、豊かになったのも事実なので、否定するものではありませんが、旧暦と新暦の併用はできないものでしょうか。中国、台湾、ベトナム、韓国などの国々では旧暦を併用していますが混乱はありません。日本でも「中秋の名月」など、旧暦を意識せざるをえない日はあって、生活に潤いを与えています。

私たちもこの10年旧暦を使ってきて、確実に月を見上げる機会が増えたし、田んぼの稲の様子の移り変わり、周辺の草花、気温の変化などに敏感になったのは確かです。これは旧暦を意識しているからにほかなりません。

新暦に慣れているので、旧暦ごよみは初め使いづらいかもしれませんが、普段は気にも留めないことに意識を向けさせてくれるのも旧暦なのです。旧暦を使うことは懐古趣味というのではなく、むしろ新しいライフスタイルを提案するという意味もあります。

 

 

 

 

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2024/01/20

今日から二十四節気の「大寒(だいかん)」、七十二候「款冬華(ふきのはなさく)」

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今日からは二十四節気の「大寒」、七十二候「款冬華」です。

二十四節気第24番目が「大寒」。寒さが一番厳しい時期です。

今年は関東地方で暖冬だと言っていますが、本当にそうですね。全般的に暖かいです。「大寒」はもはや暦の上だけの話です。でも、もともと「大寒」にあまり暗さを感じないのは、次に「立春」を控えているからではないかなと思います。

寒さも極まれば、あとはだんだん暖かくなるだけ。その春への期待も込められているからに違いありません。

写真は一昨年の12月、九州に雪が降った時撮影したもの。

 

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2023/12/22

今日から二十四節気「冬至」、初候「乃東生(なつかれくさしょうず)」

150622(夏至のころの「靫草(ウツボグサ)」、別名「夏枯草(カコソウ)」)

 

冬至は、北半球では一年のうちで昼が最も短く、夜が最も長くなる日です。

冬至の対に当たるのが、一年で最も昼が長い日「夏至(げし)」です。そして夏至の初候は「乃東枯(なつかれくさかるる)」で、これも対になっています。

「乃東」というのは、「靫草(ウツボグサ)」のことで、冬至のころに芽を出し、夏至のころに枯れることから別名「夏枯草(カコソウ)」といいます。写真は夏至のころに撮影したウツボグサ(カコソウ)です。

冬至を祝うところは多く、実はクリスマスも冬至祭が起源なのだそうです。新暦(グレゴリオ暦)の1年の元旦と、クリスマスが、冬至の日に近いことも偶然ではないそうです。実際、冬至を1年の始まりにした暦がありました。

だからクリスマスの起源を探っていくと、キリスト教以前の、もっとむかしから続いていた信仰や伝統があるわけで、キリスト教徒ではない日本人がクリスマスを祝っても不自然ではないという理屈になるのでしょう。

ただ名前が違っているだけ。だから「クリスマス」じゃなく「冬至祭」でもいいと思います。アメリカでは多宗教の事情から「メリークリスマス」とは言わず「ハッピーホリディ」と言うようになっているし。

それとキリスト教以前、冬至祭(クリスマスのルーツ)は、「死と再生」の儀式であったかもしれません。異界の国から異界の者が「煙突」を通ってやってきて、贈り物を届ける話なのです。

ここで「煙突」は、狭くて暗い、すなわちこれは異界との通り道。

「煙突」は比較的新しいイメージなので、昔は「洞窟」や「穴」だったかもしれません。桃源郷へ抜けるときも狭くて暗いところを通っています。

古い年が死んで、新しい年がやってくる。その新しい年が贈り物なのではないでしょうか。

聖人ニクラウスがモデルになったサンタクロースはその後に作り上げられた話なのではないかなと。

 

 

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2023/12/20

長野県上田市 稲倉の棚田

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来年の棚田サミットが開催される長野県上田市の稲倉の棚田です。

「旧暦棚田ごよみ」を作っているので、こういう時期、いわゆる「何もない」時期の写真も必要となってきます。

でも、「何もない」と書きましたが、写真を見てわかる通り、「何もない」わけではない、ということですね。この時期じゃないと見ることができない棚田の風景があります。

 

 

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2023/09/29

今年の「中秋の名月」も満月

100910(これは2018年の「中秋の名月」)

普段は新暦で暮らしている日本人ですが、どうしても旧暦を意識せざるをえない日、というのがあります。

「中秋の名月」もその一つです。

秋を初秋(旧暦七月)、中秋(旧暦八月)、晩秋(旧暦九月)の3つに分けますが、「中秋の名月」は、「秋の真ん中」=「旧暦八月十五日夜」の月のことです。だから、「中秋の満月」とは言いません。年によっては必ずしも満月になるとは限らないのです。

旧暦では、「中秋の名月」は八月十五日で日付は固定されていますが新暦では、毎年、日付が変わります。

今年2023年の「中秋の名月」は新暦9月29日で、満月です。3年連続で「中秋の名月」と満月が重なったそうです。

個人的には、やっぱり「中秋の名月」は、満月がふさわしいかな。

 

 

 

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2023/08/18

今日からは、二十四節気「立秋」、七十二候「蒙霧升降(ふかききりまとう)」

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今日からは、二十四節気「立秋」、七十二候の「蒙霧升降」。「深い霧が立ち込める」などといった意味です。

関東では連日猛暑です。昔は夏の暑さが大好きでした。さすがに今、大好きとは言い難い。早く涼しくなってほしいというおが正直なところ。

写真は、新潟県十日町市星峠、早朝の棚田です。

 

 

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2023/07/02

今日からは、二十四節気「夏至」の七十二候「半夏生(はんげしょうず)」

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140701(ドクダミ科の「半夏生(カタシログサ)」)

 

七十二候は「半夏生(はんげしょうず)」です。

棚田は、広島県の井仁棚田です。山間部のすり鉢状の地形に広がる石垣が美しい棚田です。

ところで、この「半夏生」について毎年疑問なんですが、まだ解決していません。

というのは、略本暦(日本)での意味は、「サトイモ科である半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃」だそうです。ということは、このドクダミ科である「半夏生(カタシログサ)」のことではないのでしょうか?

 

 

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2023/06/01

今日から、二十四節気「小満(しょうまん)」の末候「麦秋至(むぎのときいたる)」

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今日からは、二十四節気「小満」、七十二候「麦秋至」です。

Wikiによれば、麦秋とは、麦が熟して、麦にとっての収穫の「秋」であることから、名づけられた季節だそうです。

写真は、北海道富良野で撮影した麦畑です。

 

 

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2023/05/26

今日から二十四節気「小満(しょうまん)」、七十二候「紅花栄(べにばなさかう)」

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今日から二十四節気「小満」、七十二候「紅花栄」です。

古代エジプト時代から染料や口紅として利用されていた紅花が一面に咲く頃です。

Wiki「ベニバナ(紅花)」によると、

「江戸時代中期以降は現在の山形県最上地方や埼玉県桶川市、上尾市周辺(桶川宿の頁を参照)で盛んに栽培された。しかし、明治時代以降、中国産の紅花が盛んに輸入され次いで化学的に合成可能なアニリン染料が普及したことから、紅花生産は急速に衰退した。」

とあります。

『広報あげお946』の「上尾市域の紅花商人」には、

「紅花の栽培は江戸商人の柳屋五郎三郎の手代が、上村(上尾市)の七五郎に種を遺して栽培させたのが始まりと言われる。」

とあります。

武州に広がった紅花栽培ですが、山形産よりも1か月ほど早く収穫できて、品質も良かったので、京都では武州産の紅花を「早場」「早庭」と称し、高値で取引されたという。安政5年の相場表を見ると、山形産よりも約1.5倍ほどの値段で取引されていたようです。

NHK『青天を衝け』で、深谷の血洗島では藍の栽培が盛んだったということが描かれていました。同じころ、桶川、上尾周辺では紅花だったんですね。

ちなみに安政5年は、何度も書いていますが、江戸ではコレラが猛威をふるった年です。

桶川の稲荷神社には、安政4年に近在の紅花商人が寄進した「紅花商人寄進の石燈籠」があります。これは桶川市指定文化財になっています。

「かつて中山道の宿場町だった桶川宿は、染物や紅の原料となる紅花の生産地としても栄えました。この石燈籠は、桶川宿とその周辺の紅花商人たちが、桶川宿浜井場にあった不動堂へ安政4年(1857)に寄進したものでした。明治時代となり、神仏分離策などの動きの中で、やがてこの稲荷神社へ移されました。また、不動堂は現在浄念寺境内へ移築されています。燈籠には計24人の紅花商人の名が刻まれており、桶川のほか、上尾や菖蒲の商人の名前もあります。かつての紅花商人たちの繁栄を伝える貴重な文化財です。(桶川市教育委員会)」

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災で石灯籠は倒壊したようです。これは、昭和2年4月に再建されたものです。

 

 

 

 

 

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