カテゴリー「心理学の話題」の245件の記事

2025/11/28

【犬狼物語 其の八百十一】心理学から見る狼信仰ー「元型」としての狼

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狼信仰は害獣の鹿や猪除けとして、主に農業関係の守り神としての信仰から始まったとされますが、それはあくまでも江戸時代に盛んになった理由です。

でも、狼信仰自体は、ずっと古く、おそらく太古の時代に狼とファーストコンタクトがあったときから始まったのではないでしょうか。

縄文時代ではどうかというと、狼と縄文人の関係を想像させる資料がいくつか出土しています。東京国立博物館で開催された『JOMON 縄文』でも展示されましたが、岩手県一関市の貝鳥貝塚からは、細長い鹿角の先端に狼の頭が彫られた狼形鹿角製品や狼の犬歯や下顎骨に穴を開けた垂飾品が見つかっています。千葉県我孫子市の下ヶ戸貝塚からは、狼の下顎骨を加工した垂飾品、千葉県千葉市の庚塚遺跡からは、上顎犬歯が加工された垂飾品も出土しています。 

このように、なんらかの狼信仰と呼べるような片鱗が見えます。

これは日本だけではなく、世界的に見ても、狼の骨などは力の象徴、魔除けとして身に着けられたようです。

そこでこの狼に対する人間の共通した信仰はどうして生まれたかについて、マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』の中で、「元型」という言葉を使っています。

フォックスはイヌ科動物の権威。心理学、行動学の博士号を取得して『イヌの心理学』、『イヌのこころがわかる本』などの著書もある生態学者・獣医師です。

この本は、単なるオオカミの生態・行動を紹介した本ではなく、行動学、心理学、哲学、社会科学など幅広い領域の成果をもとに、現代の人間が抱える精神的な問題に踏み込んだ本です。オオカミだけではなく、あらゆる生き物への畏敬の念の大切さを訴えています。

フォックスはこのように言っています。

「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」
「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」

「元型」とあるのは、フォックスの心理学的な考察からきた言葉でしょう。

「元型」は心理学者ユングが提唱した概念で、人間の心は「意識」→「個人的無意識」→「集合的無意識」と階層を作っていますが、もっとも深い所にあるのが人類共通の「集合的無意識」です。「元型」とは「集合的無意識で働く人類に共通する心の動き方のパターン」といった意味です。

代表的なものに「太母」「老賢者」などがありますが、「オオカミ」もそうなのではないかというのです。

人類が長い間、狼との接触によって、DNAに刻まれた”記憶”のようなものが「元型」となり、狼に対する共通したイメージを作るのかもしれません。

狼信仰についていろいろ調べていく中で、西洋でも、モンゴルでも、日本でも、時代をさかのぼればさかのぼるほど、狼信仰に共通したイメージを感じられたので、それがどうしてなのかという疑問を持ってきました。そのひとつの解釈として、心理学から見た狼信仰のルーツということで、「元型」を用いると、個人的に腑に落ちるということなのです。だからこれが「正解」なのかはわかりません。

「元型」という用語は難しくもあるので、精神世界における本能のようなものと言い換えてもいいかもしれません。民族や時代に関わらず人の心は狼に対する同じようなイメージを生み出すということです。

それでは今話題の熊についてはどうなんだという話ですが、熊も「強さ」に関しては狼に引けをとらないので、熊も「元型」となっているのかもしれませんが、もしかしたら棲息範囲が狼ほど広くはなかったと思うので、「元型」になるほどではなかったのかもしれません。以上、熊については詳しく調べたわけではないので、あくまでも憶測です。

さて、日本では狼信仰はその後どういった経緯をたどったのでしょうか。

先日の飯能市立博物館での西村敏也先生の講座「秩父地域のオオカミ信仰について」を参考にすると、日本では、中世になると山の神の神使・警護者として狼を認識するようになった修験者などが全国に進出し、狼信仰を伝えたということであったらしい。日光修験、熊野修験らが行場として利用するため秩父の山岳へ進出し、室町時代になると、修験が秩父の山岳に祠を設けて居住するようになりました。

そして江戸時代になると秩父を中心にした地方では、民間信仰であった狼信仰的なものを寺社が取り込み、狼のお札を配り始め、害獣防止などの需要があったために、急速に関東地方周辺に広まっていきました。

各時代によって狼信仰の形態が違いますが、もともと「元型」としての狼信仰がずっと底辺に流れていたことは間違いないのではないでしょうか。

ただし、太古の時代はまさしく狼そのものに対する信仰でしたが、時代が下るにしたがって(特に日本では)、「狼さま」「お犬さま」という狼を元にした霊獣のようなもの(観念的な狼)を信仰するように変わってきたのかなと思います。

 

 

 

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2025/10/06

2025年「中秋の名月」

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「中秋の名月」です。

秋を初秋(旧暦七月)、中秋(旧暦八月)、晩秋(旧暦九月)の3つに分けますが、「中秋の名月」は、「秋の真ん中」=「旧暦八月十五日夜」の月のことです。「満月」とは限りません。

旧暦では、「中秋の名月」は八月十五日で日付は固定されていますが新暦では、毎年、日付が変わります。

今年2025年の「中秋の名月」は新暦10月6日。

今晩、天気予報では雲が多くなりそうで月は見えないかもしれないので、写真は去年の「中秋の名月」を掲載します。 

 

予報通り、今晩は月が見えないようです。

それもまた良かったかもしれないですね。月と狂気の言い回しは世界各国にありますが、たしかに「田毎の月」撮影中の真夜中の月は怖いくらいでした。

月は「映す星」だからではないかと思っているんですが。

「深淵を覗くと・・・」ですよ。 

 

 

 

 

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2025/10/02

あらためて今『茶色の朝』

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フランク・パブロフ著『茶色の朝』という、約20数年前、フランスでベストセラーになった物語があります。西ヨーロッパ全体に広がっていた極右運動への危機意識から書かれた物語でした。

「茶色以外のペットは処分するように」という法律を皮切りに、少しづつ周りが茶色に変わっていくのですが、主人公は、半分は疑いながらも、「茶色に守られた安心、それも悪くない」と思い、まぁいいかとやり過ごしていると、突然、自分がその茶色にとらえられそうになって、初めて危機を理解するというもの。

「茶色」とは、フランス人にとっては、ナチスをイメージさせる色だそうです。

心理学には、「チェンジ・ブラインドネス(変化盲)」というのがあります。たまにテレビの「脳トレ」などでも行われるテスト、いわゆる「アハ体験」で、静止画の一部がだんだん色や形が変わっていくものですが、意外とそれに気が付くのは難しいというテストです。

ゆっくりした変化は気が付きにくい。でも、気が付いたときには取り返しがつかない状態になっているという怖さもあります。『茶色い朝』もその怖さの物語です。

ナチスがなぜ支持されたのか?

ナチズムは大量虐殺で「極悪」のイメージですが、当初ナチズムは、人間の理想形を求める思想でもありました。タバコやアルコールの害について啓蒙し、健康増進運動を展開、菜食主義や自然に親しむこと、子供を母乳で育てることの勧めなど、これだけ聞けば、なんて理想的な社会を目指しているんだろうと思ってしまいます。

だったら、これは良いことなのではないかと思うようになります。徐々に、徐々に。でも、それとセットになっているのが理想形から外れたものの排除でした。

行きつく先は、自分が抹殺されるということです。なぜなら、みんな、誰ひとりとして「理想形」ではないからです。

いや、そもそも人間の「理想形」などというものはありません。

 

 

 

 

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2025/09/30

本物の猫?

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本物の猫がいると思ったのでしたが…

これは明らかに造り物とわかる「招き猫」がたくさんあったので、なおさら本物と勘違いしたわけですね。

 

 

 

 

 

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2025/04/05

招き猫の姿

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家畜として、犬と比べると猫の歴史は浅いので、猫の民俗も西洋から中国、日本へと連続しているものが多いようです。

どうして招き猫がこのような姿をしているか、というのも、中国唐代の文献「俗にいわく。猫面を洗ひて耳を過ぐれば、すなわち客至る」などの俗信が中国にもあり、その影響があったのではないかという。

猫が顔を洗っているとき、手が耳のところまで上がるシーンは良く見ます。このとき「客が来た」というのが結びつき記憶された、ということかもしれません。「雨乞いの儀式」と「雨が降った」が結びついたように。

そこから客や富を招く縁起の良い姿として招き猫の形が出来上がっていったということなんでしょうか。

これは「錯覚の科学」でもやっていたと思いますが、「猫が顔を洗う」と「客が来る」には直接的関係はないし、猫が顔を洗っても、客が来ないときの方が圧倒的に多いでしょう。でも、印象的な方が記憶されやすいということはあると思います。 

このような俗信がうまれるのには確率以上の何か理由があるのかもしれません。

「錯覚の科学」では「雨乞いの儀式」と「雨が降る」との関係だったかなと思います。ただし、これは「科学的ではないからダメだ」という話にはなりません。そうではないところにむしろ「人らしさ」が現れると思っているので。 

 

 

 

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2025/01/13

千葉ポートタワー

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「建物はこう見えるはずだ」というトップダウン処理が働いて、違和感を持ってしまいます。 

心理学や錯視の話をするときはいい教材になるのではないでしょうか。

タワーの上は、千葉市内、富士山、東京スカイツリーも一望できる普通の展望台です。

 

 

 

 

 

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2024/07/22

【犬狼物語 其の七百六十七】狐信仰から見える日本の動物観

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今まで知らなかったことが、いろいろ調べたり、現場へ行って見たりして、だんだん分ってくるのが楽しいですね。狐の世界は未知でしたが、「知った後」はもちろんのこと「知る過程」そのものがおもしろいんだなぁと感じます。そして狼信仰がこれほど狐信仰と関係しているんだということに驚いているところです。

何度も書いていますが、狼には強靭・気高さを、犬には忠実・やさしさを、狐には狡猾・怪しさをイメージしますが、人間が持つ内面をこの3者に投影しているのではないかという直感は当たっているのかもしれません。(そのうち4者として狸も?)

狐は最初から今のようなイメージを持たれたわけではなく、古代は山の神・田の神そのものとして、あるいは神の眷属で良いイメージでしたが、狐付きなどの観念と中国の狐妖異譚が結びつきだんだんと怪しい、陰険な方向へ変わってきたということらしい。と、言うか、狐にそういう負のイメージを担ってもらうことになったということです。

特に江戸では狐信仰が結び付いた稲荷信仰が盛んになりましたが、都市開発が進んで狐の棲息場所を侵食していることに後ろめたさを感じていることが、つまり狐の反乱と言ったらいいか、狐の祟りと言ったらいいか、狐付きという現象を生み出した一因(別な原因ももちろんある)ではないかといったようなことを宮田登氏は指摘していて、はなるほどなぁと思います。稲荷神社が増えたことと狐付きが増えたことには正の相関関係があったようです。

そういう江戸町民の意識的・無意識的心理的背景があって稲荷神社が増えていったのかもしれません。そういえば、先日参拝した上野の穴稲荷も巣穴を壊したからそこに祠を祀ったという。これも狐の祟を恐れて祀り始めた一例です。

そして品川神社にある阿那稲荷神社(上の写真)の「阿那」も「穴」の意味だそうで、巣穴を壊したことから仕返しを恐れて祠を建てて祀ったというものらしい。まだ調べたわけではないですが、都内の稲荷神社の起源がこの穴を祀るものが意外と多いのかもしれません。

祟られるのも嫌なので祀りあげ、同時に火伏の御利益・商売繁盛の御利益も得てしまう、民間信仰の一石二鳥のしたたかさが感じられます。

それと日本人の自然観というか動物観も見えてきます。動物の巣穴を壊して後ろめたさを感じ、そのまま平気な顔をしていられないという気持ちは現代人にも通じているように思います。

 

 

 

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2024/06/14

マイケル・W・フォックス著『オオカミの魂』 オオカミは「元型」

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4年ほど前にこの本は一度紹介しています。

「狼信仰」自体は日本固有の信仰ではなくて世界中にあります。もちろん、島国であったり、牧畜を行わなかったりという日本の環境が独特の狼信仰をはぐくんだとは言えるでしょう。 

時代を遡るほど、狼に対しては人類共通のある心理的傾向が見えてきます。

人類共通のある心理的傾向とはどういうことかというと、これまで外国の狼信仰について調べた中で、どの民族でも、オオカミに対しては「畏怖」と「軽侮」、「憎悪」と「憧憬」など、アンビバレントな気持ちが生まれ、そこから狼信仰が始まっているようなのです。 その狼に接した時に抱く心理的傾向に共通性を感じます。

マイケル・W・フォックスはイヌ科動物の権威で、心理学、行動学の博士号を取得して『イヌの心理学』、『イヌのこころがわかる本』などの著書もある生態学者・獣医師です。著書『オオカミの魂』は、単なるオオカミの生態・行動を紹介した本ではなく、行動学、心理学、哲学、社会科学など幅広い領域の成果をもとに、現代の人間が抱える精神的な問題に踏み込んだ本です。オオカミだけではなく、あらゆる生き物への畏敬の念の大切さを訴えています。

「オオカミは野生状態の象徴的な存在、つまり野生に対する意識の元型になっています。」

「自然は、わたしたち人間が健全さと文明を取りもどす最後の望みなのかもしれません。そしてオオカミはわたしたち人間にとって、高貴な野蛮人といういくぶん空想的な存在よりもずっと現実的で、実際により適切でもある水先案内人、元型となりうるのです。」

ちなみに「高貴な野蛮人」とは 「創作物におけるストックキャラクターで、先住民、アウトサイダー、未開人、他者、といったものの概念を具現化したものである。彼らは文明に汚染されておらず、従って人間の本来の美徳を象徴する。」(wikiより)

フォックスは「元型」と表現しています。

「元型」とは、心理学者ユングが提唱した概念です。「集合的無意識で働く人類に共通する心の動き方のパターン」といった意味。代表的なものに「太母」「老賢者」などがありますが、「狼」もそうなのではないか、ということです。

西洋でも、モンゴルでも、日本でも、時代を遡れば遡るほど、狼に接した時の心理的傾向が同じように見えますが、そこが「元型」といわれる所以でしょう。狼は人間に共通の「元型」の一つなのではないかと思います。狼は世界のいたるところに生息し、人間にとってはあるときは同じ獲物を巡って競合する敵であり、凶暴な怖い動物であり、同時に、狩の仕方を学ぶ先生、強さに対する憧れの存在でもありました。

狼信仰がある程度認知されて、神社から狼のお札やお守りをもらってきて、実際いいことがあったり、災厄から逃れたから「良かった」と思っているかもしれませんが、狼のお札やお守りの扱いをおろそかにしたら、悪いことが起きる、ということもセットで考えなくてはならないということでしょう。それは、狼自身を想像してみればわかるのではないでしょうか。

お札やお守りは、いいことだけを与えてくれるアイテムではないということです。扱いをおろそかにしたら悪いことが起こる、ということとセットで考えないと。

そしてそれは自然界の狼と相似形なのです。どうも現代人は、ご利益だけいただいて、負の面を考えていないようにも見えます。パワースポットにも副作用があると思うので注意したほうが良いと個人的には思います。

 

 

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2024/05/10

NHK『フロンティア ヒトはなぜ歌うのか』

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NHK『フロンティア ヒトはなぜ歌うのか』を観ました

ヒトはなぜ歌うのか? なぜ言葉を忘れても、歌は忘れないのか?

アフリカ、バカ族の歌を分析したのは面白かったですね。

「集団の絆」を深める説。なるほどと思います。

また音楽によって高齢者の脳の機能が向上するのもわかってきて、認知症の役にも立つかもという希望の持てる話。

そして、この番組を見ていて、思ったことがあります。もしかしたら「言葉」の前に「音楽(ビート)」があったのでは?

繰り返し同じ間隔で物を叩けばビートになる。そして人間は「ビート予想」が優れているという。と、すれば、他の人がビートを予想して、次の一打を叩けばある意味それはその人に対しての「共感」を表すんじゃないでしょうか。「おお、お前、わかってくれるのか」と。

ヒトが他の霊長類と大きく違うのは「他人との共感」と心理学講座で習った気がします。チンパンジーは賢いけれど共感力に欠けるそうです。

ビート予想は言葉がなくても成り立つから、言葉の前にビート(音楽)があったということはないんでしょうか。あるいはビートが言葉のルーツとか、そんな研究はされてないんでしょうか。

と思って調べてみたら、人間の言葉が歌から始まったという説がやっぱりあるんですね。おもしろい。 

 

 

 

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2024/02/13

【犬狼物語 其の七百二十四】「お犬さま」「狼さま」とユング心理学

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今年の放送大学では新規講座「イメージの力('24)」も受講しようと思います。

イメージを重視するユング心理学は「お犬さま」「狼さま」と相性がいい。「お犬さま」「狼さま」もニホンオオカミが元になったイメージという側面もあります。(というか、そう解釈しています) だからこの「イメージの力('24)」は俺にはドンピシャな講座です。

全国の狼信仰を追っていると、狐憑き・犬神憑きなどの話が出てきます。特に西日本で。

兵庫県の神社では、ある女性が狐憑きになることがあり、それを祓う目的もあって、その神社の狼さま周辺をきれいにするようになったと、具体例も聞いています。

今では狐憑き・犬神憑きは、精神疾患のひとつとして考えられている症状ですが、心理臨床の場面でもイメージを用います。

昔、「憑き物を祓うのが狼」というのも、「犬神や狐よりも狼は強い」という信仰をみんなが持っていたから祓えていたのだろうと思います。日本最強の動物、「お犬さま」「狼さま」のイメージです。

目に見えない病気や災いも、犬神、狐という具体的な目に見える形に置き換え、また、それを祓う方も、狼という具体的で最強の動物をイメージすることによって、より祓いやすくなるということではなかったかと思います。そして、病気や災いの元凶である犬神や狐を、その患者の体内から追い出し、場合によっては、「よりまし」に一時的に移らせて(憑かせて)、それを遠くに捨て去るということで憑き物を治していたのではないでしょうか。大事なことは、憑かれた人が納得できる物語でなければならない、ということです。

そしてここでは「目に見える形」というのも重要なのではないかと考えます。「目に見える形」とは言っても、現物でなくてもいい、脳内での「見える形」、すなわちイメージです。

目に見えないものは、怖いし、どう扱ったらいいかわからないものです。どんな形であれ、目に見えるものなら、扱いやすくなり、効果百倍です。

昔、憑き物を落とすために「憑かれた人が納得できる物語」がなければならなかったならば、現代の「納得できる物語」とはどのようなものでしょうか。

狼が直接的に病気や火事や 盗難を防いでくれると本気で信じている人はほとんどいないでしょう。狼がいないので害獣除けもありません。

そしたら、狼が持っている現代のイメージとは何でしょうか。人によってさまざまでしょうが、強靭、神秘、孤高、自然、あたりでしょうか。

それが「納得できる物語」であれば、現代の狼信仰がどんな姿なのか、おぼろげながら見えてくるというものです。 

 

 

 

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