カテゴリー「民俗・民族・文化習俗」の6件の記事

2023/08/19

今井恭子さんの『縄文の狼 』

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『縄文の狼 』を読みました。

今井さんは、本格歴史犬小説『こんぴら狗』の著者でもあります。「こんぴら狗」というのは、江戸時代、主人の代わりにこんぴら参りをしたという犬のことで、実在しました。今回も犬好き、狼好きの今井さんの思いが込められた作品になっています。

今、狼信仰のルーツをあれこれ妄想して楽しんでいる最中なので、この『縄文の狼』も時代的にぴったりで、興味を持って読みました。縄文時代の早期はこんな感じだったんだろうなと思いました。具体的な人物が喜怒哀楽を感じながら日常生活を送る姿はとてもリアルです。作者の想像の世界ですが、共感できる世界でした。資料や文献とは違う、作者の直感力と想像力のすばらしさです。

縄文早期が舞台ですが、移動しながら狩猟採取をする人たちと、海辺に定住している人たちが登場します。主人公のキセキは、移動しながら暮らす一族出身ですが、あるきっかけで定住者の村で暮らすことになります。

この状況もリアルだと思います。縄文人とひとくくりに言いますが、最近の古人骨のDNAの研究から、縄文人は各地域でかなりバリエーションのある集団だったようです。俺が知っている範囲でいうと、中国南部の少数民族が今でもそうであるように、山や谷を越えると違う民族の村があるといったような状態であったかもしれません。

キセキは定住村で、当時の先端技術をおぼえるんですね。それを他の集落や次の世代に受け継いでいくことになるのでしょう。こういうことが1万年以上も続いた時代が縄文時代です。ゆっくりと、少しづつ変わっていく。国家・国境などという縛りもなく、人間と動物たちが、それこそ自由に暮らしていた時代です。

作品ではまた、人や文化の移動について示唆的な描写があります。主人公キセキは、まず不可抗力で(自分の意志ではなく)海辺の村にたどり着くのですが、最後は自分の意志で移動します。たぶん、この「不可抗力の移動」と「意志を持った移動」というふたつは実際あったパターンなんだろうと想像できます。こうして人と文化が伝わっていったのでしょう。

また、縄文時代には、犬は人間の狩猟を手伝っていたらしい。実際縄文時代の遺跡からはきちんと埋葬された犬の骨も見つかっています。作品では、犬ではなく、狼犬ですが、犬と人間との関わりも、こんな感じだったんだろうなと思います。というか、犬と人間の関係性は昔も今もそれほど変わらないのではないでしょうか。

 

 

 

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2023/08/16

ジェノグラフィック·プロジェクト

121109(赤いルートが俺のDNAの「ヒューマン·ジャーニー」の軌跡)

昨日は、最新のDNA研究による人類拡散の旅を紹介する、篠田謙一著『人類の起源』について書きましたが、ひとつ、思い出したことがあります。

2005年に始まった進化人類学的研究プロジェクト「ジェノグラフィック·プロジェクト」というものがありました。

世界中から集められたDNAデータを解析して、現代人の遺伝子マーカーの出現頻度をマッピングして、「ヒューマン·ジャーニー」、つまり、どのように人類が地球上に拡散していったかを調べるプロジェクトでした。

ナショナルジオグラフィックが参加者募集の窓口になっていたので、俺も参加しました。「参加」と言っても、確か99ドルだったと思いますが、キットを購入し、自分の口内粘膜を擦った棒を送って、DNAを解析してもらうだけでした。その結果、俺のDNAの軌跡が掲載している地図の赤線になります。

一般的な日本人は、東アフリカから出て、アジア方向に拡散した集団の一部が日本列島に渡った人々ですが、ただ、途中は、いろんなルートがあります。

アラビア半島からイラン、チベット、雲南などを経由した集団。中央アジアからモンゴル、朝鮮半島経由で来た集団。インドや東南アジア経由で沖縄にたどりついた集団など、いろいろです。

俺は、そのなかで、東アフリカ→アラビア半島→イラン→アフガニスタン→チベット→雲南の集団であったらしい。ところが、雲南どまりで、雲南からどうやって日本に来たのか、そのルートはわからないようです。

このプロジェクトは、2020年に終了しています。俺が参加したのは10数年前なので、『人類の起源』よりも、結果は大雑把な感じがします。日本人の祖先は、この赤線よりはもっと南側を通り、東南アジアから内陸側と海側に北上した2集団がいて、海側を北上して日本列島に入ったのが旧石器時代人、後に、縄文人であったことは、『人類の起源』で知ったことです。

ただ「なるほど」と思ったのです。どうして俺はあんなにも当時雲南省にひかれて通い続けていたのかという、その理由がわかったような気になりました。赤い線が雲南で止まっているのは、まったくの偶然で、雲南で止まっているからどうだ、こうだという意味は何もないのですが、ただ俺が納得できる「自分の物語」を見つけて嬉しくなったのです。

これは個人の家系をたどるものではなくて、あくまでも民族集団レベルの話です。それと「DNAの移動」と「人の移動」とは必ずしも同じではないので、俺の祖先が東アフリカから歩いて(日本海は船で)日本列島にたどり着いた、という話でもありません。

「 2019年12月の時点で、約100万5,694人、140ヶ国の人々が参加したそうで、参加者たちによって提供されたDNAの生データは人類遺伝学・分子生物学の分野の発展に大いに貢献された」という。(wikiより)

俺も少しは役に立ったかなと思います。

 

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2023/07/28

 河合隼雄著『ケルト巡り』の渦巻き模様について

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河合隼雄著『ケルト巡り』を読みました。

河合氏のNHK番組企画としてのアイルランドの旅を書籍にしたものです。

ケルトについては以前から気になっていて、とくにケルト音楽は比較的よく聴いていたし、あるオーストリアのケルトの遺跡が、まるで日本の神社を思い起させるようなたたずまいに、日本と何か通じるものがあると思っていたのですが、この本を読んでみて、それが自然崇拝やアニミズム的宗教感で、日本とケルトはつながっているんだなぁとあらためて思いました。

それと、ローマから離れた遠い島国のアイルランド。一方、中華文明から遠い島国の日本。地理的な類似性からも、どちらにも古い文化が残りやすい共通項があったようです。

よく、西洋と日本は対比されて論じられますが、キリスト教が入る前の西洋は、むしろ、共通するところが多いようにも思います。いや、西洋というのではなくて、これはもっと人類共通の、原初的な宗教感なのかなとも思います。もちろん、地域差はあって、見た目はだいぶ違うのですが。

「ケルト文化の特徴としての、渦巻きの存在はよく知られている。ケルトでは、渦巻きは「アナザーワールド」への入り口とされていた。」

「これは世界共通の認識なのだが、古代から渦は、偉大なる母の子宮の象徴と考えられてきた。そしてそれは、生まれてくるという意味と、そこに引き込まれて死ぬという、二つの意味を併せ持っている。ポジティブな面とネガティブな面を持つ。まさに輪廻転生を象徴するものなのだ。日本の縄文土偶の女神には渦が描かれているものが多いし、世界でも、守護神にはよく渦の文様が彫られている。つまり母性の象徴なのである。」

この渦巻き文様を見ていると、どうしても、蛇がとぐろを巻いている姿とダブります。蛇もまた子孫繁栄、生命を司るもの(神)として、日本では(外国でも?)信仰されてきました。例えば山自体がご神体であると言われる三輪山も、蛇がとぐろを巻いている姿だという説もあるようです。それと先日にも書きましたが、鏡餅なども、蛇がとぐろを巻いている姿を模したものという説があります。この渦巻きは何か蛇と関係するのでしょうか。

蛇が渦巻きに似ているのか、渦巻きが蛇に似ているのか、どっちなのかはわかりませんが。

河合氏が言う「渦巻きは母性の象徴」ということと、蛇がとぐろを巻いている姿の意味は、 大きな意味で同じことをあらわしている、ということになるのでしょう。命の根源が渦巻きで象徴されているのではないかということです。

さらに想像を膨らませれば、夏に多い盆踊り。中国南部のミャオ族などの踊り。これもまた渦巻きの形と言ったら言い過ぎでしょうか。輪を作り移動しながらの踊りを、上から見たら、渦巻きを描いているようです。

また、上に掲載のろうけつ染(蝋染)2点は、昔、中国貴州省のプイ族村のろうけつ染めの女性に弟子入りして、伝統的な模様を描いたものです。プイ族も、渦巻き模様を多用しています。

当時、渦巻きにどんな意味があるかプイ族に尋ねた記憶もあるのですが、忘れてしまいました。

 渦巻きが生命の根源、永遠、輪廻転生などを表すということは、たしかにそうなんでしょう。ただ、自分がプイ族で渦巻きを描いたり、マレーシアで、バティックに蛇で円環を描いた経験から、「描きやすい」「描いていると気持ちが落ち着く」ということが実際あるわけです。ユングが無意識に曼荼羅を描いたということと似ているのかもしれません。

だから渦巻きの「意味」は後付けで、もっと直感的な形(=無意識の形)である可能性もあるんじゃないかと考えます。 

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2023/07/26

東京都中央区 佃天台子育地蔵尊

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「佃煮」で有名な佃島。

ここに、長さ15mほどの、人ひとり通れるくらいの細い通路があって、途中には、地蔵堂に佃天台子育地蔵尊があります。

地蔵堂の6畳ほどの境内に天井を貫く樹齢300年といわれる大きな銀杏が生えています。全体像はわかりませんが、幹の太さからその歴史が偲ばれます。

銀杏の奥には、地蔵尊の姿が刻まれた平らな黒い自然石が立っています。

多くの人が撫でるからでしょうか、姿が消えかかっているので、触わってはダメらしい。

 「子育」とあるのはどうしてかなと思ってネットで調べたら、佃島は川で囲まれていたので、子どもたちの水難事故が起こらないようにとの願いで建てられたということで納得しました。

 

 

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2023/07/23

牟定県「諷刺調」

 

90年代に雲南省昆明で購入した雲南芸術学院編「雲南民族器楽」より

この中には雲南省の民族音楽を楽譜にしたものがたくさん載っています。

その中から今回は、雲南省牟定県「諷刺調(二)」の楽譜から作曲ソフトを使って再現しました。(楽譜には民族名は書いてありませんが、おそらくはイ族の音楽だと思います)

オリジナルは四弦らしいのですが、ソフトにはないので、三線で代用しました。ただし、太鼓の音はアレンジして入れたものです。

写真は1988年ころの、三弦を持つ牟定県で出会ったイ族の夫婦ですが、音楽とは直接関係ありません。

 

 

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2023/06/11

歯固め

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お食い初めの儀式で「歯固め石」が、全国同じではないということを以前ブログに書きました。

https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-8b4bfc.html

赤ちゃんが生まれて、一般的に男の子は生後31日目、女の子は生後32日目に行うのが、お宮参り(初宮参り)です。氏神様に無事に生まれたことを報告し、健やかに成長していけるように祈願する儀式です。

一方、赤ちゃんが生まれて100日前後に行われるのが、お食い初めの儀式です。赤ちゃんの体調もあるし、31日(32日)も、100日も、地方によってさまざまで厳格ではなく、しかも最近は、お宮参りとお食い初めをいっしょにやる家族もたくさんいます。

お食い初めは、鯛や煮物や赤飯を箸で食べさせる真似をして、一生食べ物に困らないようにと願う儀式です。そして最後に「歯が丈夫になるように」との願いを込めて、箸でちょんちょんと石をつついて、赤ちゃんの口元へ持っていきます。

この石を「歯固めの石」と言いますが、お宮参りをした神社でもらうこともありますが、自分で境内から拾って使う人もいます。使い終わったら神社に納めます。(越谷香取神社や七社神社の歯固め石納所など)

歯固め石を使うのは、てっきり全国的な話なのかなと思っていたら、関西ふうでは、歯固め石の代わりに、茹でタコを使うことを知ってびっくりしたことがあります。

食文化などでも、関東、関西が違ったりするので、お食い初め儀式でも東西差があっても不思議ではないのですが。

石の代わりにタコを使うのは、「タコはなかなか噛み切れないので歯が丈夫になる」という理由もあるそうです。あとは「多幸」のごろ合わせからという説もあるようです。

そして石の代わりになるものとして、タコ以外にも、アワビ、クリ、紅白モチを使う地域もあるそうです。そうなってくると、必ずしも「石」を使わないということになります。

むしろ、堅いモチがオリジナルではないかともいわれています。正月初めに、歯を丈夫にするために堅いものを食べて長寿を願う風習があったようです。

『世界大百科事典 第2版』にはこのようにあります。 

「歯固め」とは、「正月初めに堅いものを食べて歯をじょうぶにし,長寿を願うこと。歯固めの歯は元来〈齢(よわい)〉のことで,齢を固めて新たに生まれ変わるところにこの風習の意味があった。古く,中国の《荆楚歳時記》には,年頭に膠牙餳(こうがとう)という堅いあめを食べる風習が記されている。日本にも古くこの風が伝わり,歯固めの具としてさまざまなものが用いられた。たとえば,平安時代の貴族社会では押鮎,鹿肉,大根などが用いられ,のちに鏡餅(古くは餅鏡(もちいかがみ)といった)も歯固めの具とされるようになった。」

じゃぁ、歯固めに用いられたという鏡餅とはなんなんでしょうか? 吉野裕子著『蛇―日本の蛇信仰』にはこんな説が載っていました。

まず「鏡餅」の「鏡」ですが、これは蛇を表す古語「カガ」、蛇目「カガメ」、蛇身「カガミ」で、鏡餅はとぐろを巻いた蛇の姿を模したもの、祖霊、歳神であって、これは延命・長寿を祈願する蛇信仰からきているのでは?という。形が丸かったところから「カガ(ミ)」は「鏡」に解釈されて変わったのではないか、というんですね。もともとは蛇神の依り代。

そのカガミ餅を正月に食べて(というより本来は見ることが大切だったようですが)、延命祈願・長寿を祝うという風習が、やがて産育習俗と結びついたのが「お食い初め儀式」のなかの「歯固めの儀式」なのかもしれません。

もともとは餅を食べる(見る)儀式であって、「歯固め」と呼ばれたところから、「硬さ」と「歯」との関連から石を使うようになった、ということでしょうか。いろんなものが歯固めの具として用いられたとのことで、いきついたところは、一番堅い「石」になったのかもしれません。

 

 

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