カテゴリー「いきもの塚【弔いの旅】」の51件の記事

2025/11/18

「鯨信仰」

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「鯨信仰」。

日本の一番古い鯨供養碑は三重県のもののようですが(要確認)、講演では触れられるでしょうか。

 

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2025/11/16

猫塚

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「猫塚」

どういった由来の物なのか、わかりません。

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2025/11/07

祭獺供養塔

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文化14年のカワウソの供養碑で、正面に「祭獺之制底」と刻まれています。「制底」とは、古くは神霊が宿る聖なる場所で、祠堂、霊廟といった意味らしい。

 

手賀沼で捕まえたカワウソを殺したことが原因で亡くなった若者がいて、カワウソを葬ったところに供養碑を建てたという。

 

これは道しるべともなっていて、右側には「右松戸道」、左には「左わかしらか道」と記されています。

 

 

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2025/10/05

NHK『ばけばけ』と丑の刻参り

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昨日NHK『ばけばけ』ダイジェスト版ちょっとだけ見たら、丑の刻参りのシーンが出てきました。

ある神社は猫神様を祀っていますが、ここの丑の刻参りの由来には猫が関わっています。祟る猫の力にあやかるということでしょうか。この猫神社は『猫神さまをめぐる旅』でも掲載予定です。

 
 
 

 

 

 

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2025/10/04

再び、ねこ塚とねずみ塚

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前回は雨模様だったので、もう一度撮り直しました。

漁業の神様となった、ねこ塚とねずみ塚。

ちょうど漁へ出る船が港から出て行きました。

 

 
 
 
 

 

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2025/10/01

霊亀の墓

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 隠岐の島の塩の交易をしていた塩屋源助が、大しけに遭い船が難破しました。

そのとき大きな亀が現れて、源助を背に乗せて陸地まで運んでくれましたが、亀は力尽き息絶えました。

源助はこの亀に感謝し、元文2年、冥福を祈って碑を建てて供養したものと言われています。

 

 

 
 
 

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2025/09/28

誘惑に負けるな招き猫

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 9月29日は「招き猫の日」だそうです。

豪徳寺の招き猫は小判を持っていません。

「これは商家ではなく武家である井伊家の菩提寺であるためであるとされる。豪徳寺は小判を持っていない理由として「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考え方から、としている。」(wiki招き猫

三重の塔には十二支の動物の飾りものが置かれていますが、その中にはなんと鼠といっしょ猫もいます。しかも鼠が猫に小判を渡そうとしているように見えます。

誘惑に負けるな豪徳寺の招き猫。

 

  

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2025/09/24

猫神神社

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元々は住職の愛猫の供養のために建てられた猫神神社。

喘息に効能があるといわれ多くの人が参拝したという。

 

 

 

 

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2025/09/22

ねこ塚

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元禄時代、ここを通りかかった巡礼中のおばあさんが飢えと疲れで亡くなった。

おばあさんが連れていた猫も後を追うように動かなくなった。

哀れに思った村人は、おばあさんと猫を埋葬した。

それが「ねこ塚」です。

 

 

 

 

 

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2025/09/19

軻良根古(からねこ)神社の唐猫伝説

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むかし、ツツガムシが発生したとき、洞穴に住む大鼠に駆除を頼んで、お礼に食べ物をあげましたが、大鼠はだんだん増長し、村のニワトリやウサギまで食べるようになりました。

恩のある大鼠ですが、このままだと村がつぶれてしまうと思った村人は、相談の結果、虎のような大きな猫のいる唐の国へ村の代表が渡り、大鼠退治を頼んだところ快諾。

唐の国からやってきた大猫「唐猫」と大鼠、激闘の末、唐猫は勝ちますが、大鼠は岩鼻を壊したせいで上流の水が流れ込み、大鼠といっしょに流されてしまいます。

唐猫が流れ着いたところが千曲川沿いの軻良根古(からねこ)神社、という伝説です。

 

 

 

 

 

 

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