カテゴリー「映画・テレビ」の251件の記事

2023/08/31

映画『福田村事件』関東大震災から100年

1_20230831091901(映画『福田村事件』公式サイトより)

 

そのうち観なければ、と強く思う映画です。

映画『福田村事件』公式サイト

https://www.fukudamura1923.jp/

関東大震災直後、避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報を聞いた福田村の村人が、疑心暗鬼に陥り、人々は恐怖にかられます。そして混乱のなかで善良な村人たちがだんだんと過激化していき、ついには惨劇が起こってしまいます。

昨日、NHKクローズアップ現代で、監督のインタビューがありました。監督は、人間の集団行動に注目しているようです。肉体的に弱い人間が地球上で生き延びることができたのも、集団行動をとることでした。(集団で狩をすることはオオカミから学んだという説は、何度も書いていることですが)

でも、集団行動には副作用があります。とくに平時は問題ないのですが、有事になったときです。恐怖や疑心暗鬼にとらわれ始めると、「個」はなくなり「集団」の意志が暴走し始めます。不安や恐怖を感じたとき「集団」は、ひとつにまとまろうとし、異質なものを見つけては攻撃し排除しようとします。

こういった悲劇を起こさないためには?という質問に、監督は、「集団」を主語にしないことが大切だと言います。その通りですね。ただ有事には「個」を保ったとしても、「集団」の力は強く、どうしようもなくなる場合があるとも。まさに「福田村事件」がそうだったのでしょう。

心理学者スタンレー・ミルグラムが行った服従実験というのがあります。ナチス政権下でユダヤ人虐殺に関係したとされるアイヒマンに由来して「アイヒマン実験」ともいわれますが、普通の人たちも、ある状況の元では、権威者に命じられるままに、罪のない人に電気ショックを与え続けるという実験です。

それと並んで有名な心理学的実験は、フィリップ・ジンバルドの監獄実験というものがあります。

スタンフォード大学で模擬刑務所を作り、大学生を囚人役、看守役に分けて生活をさせるものでした。参加者たちは自分の「役」に没頭し、看守は攻撃的、威圧的になってゆき、囚人役はより服従的になっていきました。でも、囚人役が心身に異常をきたしたので、2週間の実験を取りやめ、6日間で終了したという実験です。

普通の人たちが「役」にはまることで、どんなふうに変わっていってしまうのか、見ていると恐ろしくなります。なぜ恐ろしいかというと、「彼らは特別な人間」ではないからです。

ミルグラムがいうところの「状況の力」がいかに人間の行動に影響するか、俺たちはなかなかわかりません。

たとえば、ある犯罪が起こったとすれば、「あいつは残忍で非情な性格だからあんなことをやったんだ」と、つい結論してしまいます。それは「あいつは異常で俺たちとは違うのだ」と思い込むことで、どこか安心したがっているからでしょう。「俺は犯罪を犯さない」という(根拠の無い)自信を持ちたいのです。

ところが「状況の力」を過小評価し、個人の性格などに理由を求めてしまうのは、人間が共通して持っている「基本的な帰属のエラー」と呼ばれるものだそうです。

つまり状況しだいでは、どんなに「善良な人」も、最悪なことをやってしまいかねないということです。ということは、「俺もそうやってしまうんだろうか」という不安がぬぐえないことになってしまいます。

でも、「状況の力」のことを恐れているなら、逆に、そういう状況を作らない、そういう状況を拒否することで、最悪な行動を取らなくてすむかもしれません。

「自分はそんなことはしない」という自信を持っている人ほど危ないとも言えるわけですね。「(自称)善人」の危うさはここにあるようです。

 「福田村事件」のような状況はまた生まれる可能性があります。いや、現に今、そんな危ない状況が生まれているように見えます。

 たとえば、福島第一の原発処理水問題。インタビューである中国人は、正確には忘れましたが、こんなふうに言っていました。これは世界中の環境を破壊し、人々を不幸にします、といったようなことをです。

一方の日本人も、中国人は科学的ではないとか、なんとか。両方とも、中国人は主語を「世界の人々」にし、日本人もだんだんと「個人」の意見ではなく「日本人」の意見のように言い始めている人たちがいます。「お前が世界の人や日本人を代表しているわけじゃないだろ?」と突っ込みを入れたくもなります。気持ち悪い正義感のような物がにじみ出ています。

「中国人」「日本人」として応酬が始まると、だんだんエスカレートしていき、それこそ監督が言っている主語を「集団」に持っていく危ない兆候といわざるをえません。

監督が言っていることはこういうことなんだろうな。福田村事件の犯人たちも、国のためにやった、みたいなことを裁判で言っていたらしい。罪悪感がなくなっているんです。これも「個」を離れ「集団」(この場合は日本)が主語になった恐ろしさです。

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2023/07/31

【犬狼物語 其の六百七十六】 映画『石岡タロー』を観て

170514_0(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

 

170514_2(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

 

170514_3(石岡駅前広場 みんなのタロー像の後側)

 

170514_4(石岡駅の待合室 タローの紹介パネル)

 

170514_5(土浦市 タローが葬られた墓地)

 

170514_6(土浦市 タローが葬られた墓地 「愛」の碑)

 

映画『石岡タロー』の試写を観ました。

茨城県のJR石岡駅西口前の広場で「みんなのタロー」という新しい犬像の除幕式が行われたのは、2017年4月15日のこと。

忠犬タローの物語を語り継ごうと、犬と子どもたちのブロンズ像が建てられました。

そして、今回は、映画にもなりました。全国の犬像の中には、映画になった犬も多くいます。松本市の「校犬クロ」や「ガイド犬・平治」などです。タローもその仲間入りです。

タローが最初の飼い主に会いたくて何年間も学校から駅に通ったのですが、その犬の持っている一途さに胸がキュンとしてしまうわけですね。そして映画はそれを見守った石岡の街の人を描いています。これほど街ぐるみで飼っていた犬は珍しいかもしれません。いや、昔は放し飼いの犬が多く、自由に歩けたし、今の東南アジアで見る犬たちのような犬が昔はたくさんいたと思います。だから昔は良かったというつもりはありませんが。時代が変われば、犬を取り巻く事情も変わってくるのは当然のことです。

だから犬の話ですが、人の話、時代の話でもあります。タイトル『石岡タロー』の「石岡」にはそんな街の人や昭和という時代を抜きには語れない物語であることを思わせます。当時の車やバイクが多用され、昭和の街並みにこだわった感じがするのも、この時代を特別に描きたかったからではないでしょうか。

その物語に過剰な演出もなく、淡々とつづられるタローと石岡の人々との日常生活に、心地よさや懐かしさを感じたのでした。

10月20日には一般公開されるようです。まずは茨城県で先行上映し、いずれ全国で上映されることになると思います。

 

 

 

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2023/07/27

映画『石岡タロー』の試写会

170514_2(石岡駅前広場 みんなのタロー像)

 

_87a3775 (みんなのタロー、オリジナルの石膏像)

 

いよいよ映画『石岡タロー』の試写会が29日に迫りました。どんな映画になっているか、期待を持って観たいと思っています。

これは事実を元にした映画(もちろんいろんな演出はあるでしょうが)なので、「ネタばれ」もないとは思うので、以下、もう一度、タローとはどんな犬だったのか、ということを紹介しておきます。(詳しくは『犬像をたずね歩く』に書いています)

1964(昭和39)年、石岡市立東小学校に一匹の犬が迷い込んできました。その犬はタローと名付けられ、学校で飼われることになりました。

その後、タローは、学校から2km離れたJR石岡駅に通うようになりました。地元の人たちは、誰かを待って駅通いをしているのでは、と思っていたようです。

81年の夏、タローは亡くなりました。学校で追悼式が行われ、石岡市には動物の墓地がなかったので、20kmほど南にある土浦市内の墓地に葬むられました。

その後、奇跡は起こります。

同小創立50周年記念誌にタローの写真が載りました。その写真を見て、元の飼い主である女性から連絡がありました。当時彼女は自宅のある玉造から、石岡の幼稚園に電車で通っていたのですが、45年前に石岡駅で別れてしまった愛犬のコロではないかと。

毎日忙しい両親に代わってコロが自宅から玉造駅まで見送ってくれていました。頭をなでると、自宅に帰っていたのですが、その日、頭をなでるのを忘れたのか、コロは電車を降りずに、そのまま石岡駅までいっしょに来てしまいました。

石岡駅では、「お嬢ちゃんの犬?」と、改札口で駅員に聞かれました。犬を乗せたことを怒られると思って首を横に振りました。それでコロは追い払われてしまいました。それがコロとの別れになってしまいました。

彼女はショックで熱を出し、10日間寝込んでしまいました。家族は石岡駅周辺へ6回も捜しに行きましたが、見つかりませんでした。

そして45年後、コロの消息を知ったという奇跡の物語です。

彼女はずっと、後悔と自責の念にかられていたようですが、コロはタローとして子どもや町の人に愛された幸せな人生を送ったことを知って、安堵したのではないでしょうか。

 

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2023/05/09

NHKのBSプレミアム「ワイルドライフ 厳冬のモンゴル 雪原を駆ける蒼きオオカミ」

1_20230509070901(ワイルドライフHPより)

_mg_7327 (夏のモンゴルに雹が降る)

_mg_7309(夏のモンゴルに雹が降る)

 

「ワイルドライフ 厳冬のモンゴル 雪原を駆ける蒼きオオカミ」HP

https://www.nhk.jp/p/wildlife/ts/XQ57MQ59KW/episode/te/V2NGY8Y2W4/ 

昨日の夜、「厳冬のモンゴル 雪原を駆ける蒼きオオカミ」を、後半の40分だけですが、観ることができました。

気温マイナス30度にもなる厳冬のモンゴルが舞台です。

俺は夏のモンゴル(写真)しか知らないので、モンゴルオオカミそのものにも興味はありますが、風景・環境を知ることができてよかったです。

それにしても雪原の中を疾走するオオカミのなんと美しいこと。寒さに適応した結果なのか、じゃっかん丸みを帯びた姿でした。 

いくつかの群で生活していますが、中には、外から入ってきたはぐれオオカミを群に迎え入れて新しい家族になるというのも素晴らしいものでした。

それと狩のしかたです。モンゴル人は(というより人間は)、オオカミから狩を学んだという話があります。日本のような木々が多い山岳地帯では無理ですが、モンゴル草原のようなところであれば、オオカミたちがどのような狩をするのか、はっきりと見ることができるんだなぁとあらためてわかりました。

姜戎 著『神なるオオカミ』には、人間も家畜も草原も、オオカミに鍛えられている、といった意味の言葉が出てきたと記憶していますが、厳しいぎりぎりの環境で、人間はオオカミが怖い動物、というのと同時に、生きる先生でもあったこと。どうしてオオカミが草原の民にとってトーテムになり、神になったのか、少しだけですが、わかるような気がします。

それと、オオカミが人間によって飼いならされてイヌになった過程を想像しました。「イヌ」は人間の画期的な発明のひとつだったのではないでしょうか。

産業革命や、インターネット、AIの登場などと同じように、大きな人間の分岐点になったのかも。動物を初めて飼いならしたという以上に、「神」なるものを手元に置くことに成功したわけですから。

 

 

 

 

 

 

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2022/07/27

アントニオ・バンデラス主演の『オートマタ』 人類の後を受け継ぐ者

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アントニオ・バンデラス主演の、『オートマタ』を観ました。

2014年、スペインイギリス合作映画です。ちなみにオートマタ(英: Automata [ɔːˈtɑmətə] 複数形)とは、12世紀~19世紀にかけてヨーロッパなどで作られた機械人形ないしは自動人形のこと(wikiより)。

https://gyao.yahoo.co.jp/episode/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%80%80%E3%80%90%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88%E3%80%91/619f51bb-8fc8-4357-8e8a-f24daa6ba09a

なんだか考えさせられるものがあって、GYAO!で2回も観てしまったのですが、どういう内容かというと、砂漠化や放射能汚染で地獄となった地球で、人間が管理できる(理解できる)範囲内に能力を制限されていたはずのロボット「オートマタ」が改造され、自己修復・自己学習を始めるのです。

人工知能が人間の能力を超える技術的特異点、シンギュラリティの到来です。

そうなると人間はいらなくなります。そこに危機を感じた人間がそのロボットを抹殺しようとするわけです。

考えてみれば、放射能汚染とか、砂漠化とかいう環境が「悪い」と思っているのは、人間の立場であって、この環境でも生きていけるのは(「生物」の定義をし直さなければならないですが)、たしかに放射能汚染化でも、水がなくても生きていけるロボットたちなのです。めざめてしまったロボットはいいます。「我々が人間の後を継ぐ」と。

そこでもっと想像を進めると、人型ロボットである必要もないということになります。人型であるのは、これも人間の都合です。人型の方が親近感がわくとか、可愛らしい顔ならば、警戒心が無くなり愛着もわくでしょう。

でも、単に、厳しいい地球環境で生き抜く者というふうに考えていくと、映画では、ゴキブリをイメージしているような新型ロボットが人型ロボット「オートマタ」によって作り出されました。砂漠でも生きているゴキブリのシーンが出てきます。たしかにゴキブリが次の地球の支配者だ、みたいな話は昔から聞いています。

俺が嫌いなものの第一番はこのゴキブリなんですが、この形がダメなんです。平べったくてつやつやした表面。残念ながらその一番嫌っているものが厳しい地球環境で生き抜く一番の適者というのも皮肉なものです。

ただ、もっといい形があるのでは? 要するに空飛ぶ円盤型が一番効率的なのではないかと思います。

アメリカ人のケネス・アーノルドが世界で初めてUFOを目撃した1947年以来、空飛ぶ円盤(UFO)の目撃例が多くなりました。アダムスキー型や葉巻型などいろいろありますが、その形には共通する部分があります。

ゴキブリから手足を取った形。UFOの大部分はそんな形であるような気がします。

UFOは人類の深層心理が生み出した「もの」であるかもしれません。救済者か破壊者か侵略者かはわかりませんが、どこかに存在し、人類にインパクトを与えてくれるもの。

それは地球外生物であるのが、もっともインパクトあるでしょうが、この行き詰った人類の殻を破ってくれる衝撃を人類は待ち望んでいるのではと、俺は思うのですが。

 

 

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2021/05/21

今日から二十四節気「小満(しょうまん)」、七十二候「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」 ◆世界遺産「富岡製糸場」

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_mg_4400(富岡製糸場 フランス製の機械)

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_mg_4343(富岡製糸場 寄宿舎)

_mg_4446(桑畑)

_mg_4104(荒船)

_mg_4131_20210517063501(荒船風穴)

_mg_3996(高山社跡)

_mg_4041(高山社跡)

_mg_4056(高山社跡)

_mg_4469(田島弥平旧宅)

 

今日(2021年5月21日)から二十四節気「小満」、初候「蚕起食桑」です。

 木々が青々とし命輝き、蚕が桑の葉をいっぱい食べて成長する季節です。

蚕といえば絹です。

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成要素4ヶ所は「富岡製糸場」、「荒船風穴」、「高山社跡」、「田島弥平旧宅」の4ヶ所です。

 明治政府は、生糸の品質を向上させるため、洋式の繰糸器械を備えた官営模範工場を建設することになり、このとき大蔵省租税正であった渋沢栄一は、養蚕にも詳しかったので、富岡製糸場設置主任に任命されました。

フランスの技術を導入した富岡製糸場は明治5年(1872年)に設立され、国内養蚕・製糸業を牽引しました。 初代場長を務めたのが、栄一のいとこ、尾高惇忠です。フランス人技師が飲んでいるワインを見た人たちが、人の生き血を飲んでいると噂をし、女工が集まらなかったといいます。そこで、惇忠の娘のゆうが伝習工女第1号になり、その誤解を解いたというエピソードがあります。赤ワインだったんでしょうね。

資料棟には当時使われていたフランス製の機械も展示され、入り口の正面のレンガ壁には「明治五年」のプレートも見えます。

製糸工場の南側には川が流れていますが、この川は利根川水系の鏑(かぶら)川で、上流に「荒船風穴」があります。

「荒船風穴」は自然の冷気を利用した日本最大規模の蚕種(蚕の卵)貯蔵施設です。それまで年1回だった養蚕を複数回可能にしました。取引先は全国各地、朝鮮半島にまで及びました。

下仁田の街を過ぎ、神津牧場を経由した、かなり山の中です。今は建屋はなく石垣が残っているだけですが、温度計も設置されていて、外気温と石垣の下から出ている冷気の温度が示されています。手をかざすと冷たいのがわかりました。

「高山社跡」は日本の近代養蚕法の標準「清温育」を開発した養蚕教育機関です。2階に上がると蚕棚が並んでいました。

「田島弥平旧宅」は、通風を重視した蚕の飼育法「清涼育」を大成した田島与平の旧宅です。瓦屋根に喚起設備を取り入れた近代養蚕農家の原型です。

 

 

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2021/05/13

2021年5月14日放送予定 NHK「チコちゃんに叱られる!」西郷さんと犬像のクイズ

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明日のNHK「チコちゃんに叱られる」では、西郷さんと犬像のクイズがでるそうです。

「なぜ西郷隆盛像は犬を連れているの?」という問題らしい。

明治22年、大赦によって西郷さんの「逆徒」の汚名が解かれ、薩摩藩出身者が中心となって建設計画が始まったという。銅像の除幕式は、明治31年でした。西郷さんの方は、高村光雲作、犬の方は後藤貞行作。

西郷さんが愛犬家で、飼い犬の1匹であった雌の薩摩犬ツン(モデルは雄犬で、ちゃんとおちんちんもついています)を侍らして、軍人から単なる兎狩りを好むおじさんにイメージを変えて、西郷の影響の無害化を明治政府が図った(明治政府の意向を忖度した)ためとか、そんな常識では番組にならないでしょうから、どんな答えなのかなぁと。

実際、鹿児島市(地元)に西郷像が立っていますが、こちらは直立不動の軍服姿なのです。

意外な答えを期待したいと思います。

 

 

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2021/04/27

NHK大河ドラマ「青天を衝け」

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今までもNHK大河ドラマを観てきましたが(つまらなくなって途中で観なくなったものも多いですが)、「青天を衝け」ほど、まじめに、積極的に、興味を持って観ることは初めてです。

なぜか、というと、たまたま執筆中だった『オオカミは大神 弐』の時代と合致するところがあったためと、有名な戦国武将とか政治家ではなくて、地方の農村の暮らしぶりが丁寧に描かれていて、その民俗が面白いと思うからです。

前々回あたりは、栄一の姉が狐憑きに罹り、修験者に祈祷してもらう話とか、江戸ではコレラが流行りましたが、それが異人がもたらした病であったことで、ますます攘夷思想に拍車をかけたこととか、『オオカミは大神 弐』にも、このような話を狼信仰とからめて書いています。

前回は、栄一と千代に生まれた初めての子どもが麻疹にかかって亡くなるというものでした。昔はそうだったんだなぁとあらためて思います。多産多死です。それと、しょっちゅう疫病が流行していたということです。この時も麻疹とコレラが同時に流行したそうで、20万人が亡くなったという。

子どもが全員すべて順調に育つという感覚は、昔はなかったのですね。だから、子安信仰というものが盛んだった理由もわかります。

かつて、栄養も医療環境も良くなかった時代は、出産・子育てはたいへんなことで、難産の末に亡くなってしまう赤ちゃんや、栄一の赤ちゃんのように病で亡くなるケースも多かったのです。このため、安産・子授け・子育てを神仏に祈願することが熱心に行われました。これが子安信仰です。全国には子安信仰の犬像がたくさんあります。(写真は、水天宮の「子宝犬」)

そして3年生きたら、とりあえずの第一関門をクリアしたなぁという安堵感が、栄一の母の言葉からも伝わってきました。だから、七五三という儀式も、意味があったわけですね。3歳を迎えることがどれだけ親たちにとって嬉しかったことか。そして、さらに5歳、7歳と生きてくれたらもう安心です。「7歳までは神の子」と言われたそうです。

そういう感覚は、現代の医療が発達した世界では、もうなくなったものです。でも「青天を衝け」は、その感覚をあらためて想像させてくれるのです。そこが積極的に関心を持って観る理由ですね。

 

 

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2021/04/26

【犬狼物語 其の五百五十四】埼玉県横瀬町 武甲山(日本近代化と狼信仰)

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先日のNHK「ブラタモリ」では、埼玉県横瀬町の武甲山が出てきました。

武甲山の石灰岩を運び出すための秩父鉄道に資金援助したのが渋沢栄一だったという。渋沢は、日本の近代化のため、コンクリートの原料となる石灰岩に目を付けたということですね。

武甲山が削られているのは北面の石灰岩ですが、南面は玄武岩だそうで、武甲山は2つの種類の岩からなっている山だということを「ブラタモリ」で知りました。

ちょうど山頂に鎮座するのが武甲山御嶽神社ですが、石灰岩と玄武岩の境目らしい。

そこであたらめて考えてみると、武甲山は、自分の身を削って日本の近代化に貢献したともいえますが、神であったはずの武甲山を削るという話が出たとき、人々はどのような反応をしたのか、興味のあるところです。

日本が近代化した明治時代は、ニホンオオカミが絶滅した時でもあります。ニホンオオカミが神から害獣へと人々の認識が変化していくことと、ご神体であった山がやがて削られることは、近代化の中では同じ流れだったのでしょう。

『オオカミは大神【弐】』のカバーで使っている写真は、武甲山御嶽神社、一の鳥居のところにいるお犬さまですが、このお犬さまも、「通行の邪魔になるから」という理由で、産業道路から、一の鳥居に移されました。

いってみれば、明治以降、狼信仰は近代化に飲み込まれてしまったのです。でも、だからといって、狼信仰がなくなったわけではありませんでした。

お犬さまたちが、「三峯講」や「御嶽講」という舟に乗って、近代化という波に押し流されながらも、静かに、したたかに、都会に浸透し、山を守っていたのと同じように、今度は、山の分身であるコンクリートでできたビル群を守っているようにも見えてきます。中には、お犬さま自身が、近代化の象徴ともいえるコンクリートに姿を変えてもいるのです。

 

 

 

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2021/03/26

渋沢栄一先生「道徳経済合一説」の講義

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深谷市の渋沢栄一記念館、 旧渋沢邸「中の家」、尾高惇忠生家、「青天を衝け」の大河ドラマ館へ行ってきました。

記念館では、アンドロイド先生による「道徳経済合一説」の講義を受けました。8分ほどの短い講義ですが、道徳と経済は反するものではなく、両方とも同時に追求できる、道徳を失わない経済活動は人々を幸せにできるという、今の時代にピッタリの講義であったと思います。

渋沢栄一の最初の奥さんであった千代は、コレラで亡くなっているんですね。先週のドラマでは、安政4、5年が舞台だったようですが、安政5年には江戸でもコレラが大流行して、コレラ除けのために「お犬さま」を求めて多くの人が三峯神社、武蔵御嶽神社へ参拝した年でもあります。このことを今、『オオカミは大神2』の原稿で書いているところなので、興味を持って観ています。今度の放送ではコレラ禍がえがかれるのかどうか。そしてお犬さまのお札が登場するのかどうか。(ただ、千代が亡くなったコレラ禍というのは、安政ではなく、明治になって流行したときのもの)

富岡製糸場に最初女工があつまらなかったのは、フランス人技師がワインを飲んでいるのを見て、「血を取られる」という噂が立っていたからだそうです。赤ワインだったのでしょうか。コレラが外国からの「悪狐」の仕業だったり、外国人が人の血を飲むといった妄想は、外国人を知らないことによる誤解からきていただろうし、外国人に対しては、「怖い」イメージがついていたのでしょう。知らない外国人には意識的無意識的な身構え(もっと極端には差別)が生まれるのは、今もまったく同じです。話してみれば、普通の人間だとわかるんですが、やっぱり「見かけ」は大きいですね。もっとも、生物としての本能で、「見かけ」で判断するからこそ、瞬間的に、身の危険を避けることができるということでもあるので、「差別反対」と念仏のように唱えて安心するだけでは解決しない問題ではあると思います。

記念館の後ろに設置されている渋沢栄一の銅像ですが、前は駅前にあったらしいのですが、評判が悪く、ここに(しかも記念館の裏側)置かれたようです。たしかに、頭がやけに大きく感じ、バランスが悪いですね。

そこから桜並木を歩いて15分のところに、 旧渋沢邸「中の家」があって、ここには若いころの栄一の銅像があります。普段「狼像」などを撮っているせいか、ここでも銅像が気になって、つい撮影してしまいます。

 尾高惇忠生家は、惇忠や栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したところだそうです。この計画は実行されませんでしたが、もし実行されていたら、栄一も惇忠も生きてはいなかっただろうし、日本の姿は、今とはだいぶ違ったものになっていたのかもしれません。

もう一か所は、NHK大河「青天を衝け」のドラマ館へ。もともと建物は体育館だったようです。入り口には、栄一が、深谷市イメージキャラクター「ふっかちゃん」に現ナマを渡しているような看板が。

さっきは、「道徳を失わない経済」と講義していた栄一が、「ふっかちゃん」にお金を見せて、何かを要求しているように見えてしかたありません。

 

 

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