カテゴリー「書籍・雑誌」の227件の記事

2024/02/24

【犬狼物語 其の七百三十一】『絶滅したオオカミの物語 イギリス・アイルランド・日本』

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志村真幸・渡辺洋子著『絶滅したオオカミの物語』を読みました。サブタイトルに「イギリス・アイルランド・日本」とあり、それぞれの国でどのようにオオカミが絶滅したか、3国を比較しながら書かれていてわかりやすい。

とくに、アイルランドとイギリスは、オオカミについては対照的な考えがあって、アイルランドは、古いケルト文化の影響もあり、日本と似ている部分も感じます。

ケルトについては以前から気になっていて、とくにケルト音楽は比較的よく聴いているし、あるオーストリアのケルト遺跡が、まるで日本の神社を思い起させるようなたたずまいに、日本と何か通じるものがあると思っていました。

それと、ローマから離れた遠い島国のアイルランド。一方、中華文明から遠い島国の日本。地理的な類似性からも、どちらにも古い文化が残りやすい共通項があったようです。

よく、西洋と日本は対比されて論じられますが、キリスト教が入る前の西洋は、共通するところが多いようにも思います。いや、西洋というのではなくて、これはもっと人類共通の、原初的なアニミズム的な宗教感なのかなとも思います。もちろん、地域差はあって、見た目はだいぶ違うのですが。

オオカミの絶滅に関する研究として現在も参照される一冊となっているというジェイムズ・ハーティング(1841~1928年)の『ブリテンの動物たち』によると、

「オオカミは、イングランドではヘンリー七世治下(1485~1509年)、スコットランドでは1743年、アイルランドでは1770年(もしくは1766年)に絶滅したとハーティングは結論づける。絶滅の正確な年代については、ハーティング以降も多くの研究がなされ、イングランドはヘンリー七世治下ということで意見が一致しているが、スコットランド、アイルランドについては、現在でも確定できていない。」

ということらしい。イングランドでは15世紀にはオオカミはいなくなっていたようです。イングランドの風景ですが、危険動物を人的に排除したある意味、人間の理想国土を作り上げたということなのでしょう。

それと比べると、スコットランド1743年、アイルランド1770年と、絶滅時期は遅れますが、日本ではちょうど狼信仰が盛んになった時期です。それから百数十年後、日本でも結局オオカミが絶滅してしまいました。

こうしてみてくると、時間差はありますが、19世紀までは、人類はオオカミを絶滅しようという方向で活動してきたということです。(イギリス(フランス?)でオオカミが一時保護されたといいますが、それは貴族の狩猟対象だからという意味でした)

また、この本では、アイルランド人とイギリス人のオオカミの見方の違いについても触れています。それがオオカミ絶滅に3世紀の隔たりを生んだ理由でもあるでしょう。

「ここに『アイルランドのオオカミ』の著者キーラン・ヒッキーのコメントを紹介したいと思う。この島の土着の住民であるアイルランド人と、新しくやって来たイギリス人ではオオカミの見方が大きく異なるように見える。アイルランド人はオオカミをこの国の自然の風景の一部と見ている。(中略) 彼らにはアイルランドの風景からオオカミを抹殺してしまおうなどという考えはまったくなかった。(中略)
いっぽう新しいイギリス人の入植者たちの態度はまったく違っていた。ほとんどのイギリス人はアイルランド島にやって来たとき、山野にまだオオカミの群れがうろついているのを見て恐れおののいたのである。彼らはオオカミをこれから自分たちがこの地に形成していこうと思っている風景を脅かすものであると恐れ、できるだけ早く抹殺しようと考えたのである。新しい入植者たちにはオオカミを受け入れようという考えは微塵もなかったのである。」

 

 もうひとつ、この本にはアイルランドの狼報恩譚が紹介されています。

「恩返しをしたオオカミ」を要約すると、

あるところにコノールという若い農夫がいた。あるときコノールの2頭の牝牛がいなくなり探しに出かけた。夜になり、粗末な避難小屋があり、戸をたたくと、中には白髪の老人と女がいて「どうぞおはいりなさい。よくきたなあ。わしらはおまえさんを待っていたんだよ」といい、夕食を出された。二人を疑いながらも、腹が減って疲れていたので、ごちそうになることにした。しばらくすると、戸を叩く音がして、老人が戸を開けると、一頭のほっそりした黒い若いオオカミが入ってきたが、すらりとした浅黒い美しい若者に変身した。「よく来たなあ。おれたちはおまえのことをずっと待っていたんだ」といった。その後もう一頭のオオカミも入ってきて、若者に変身。老人は、この二人は息子で、コノールになぜここへやってきたかを聞いた。いなくなった二頭の牝牛を探しにきたといった。すると家族は笑ったので、コノールは怒りだして、出ていくといった。すると、若者がいった。「おれたちは見るも恐ろしい邪悪なものに見えるかもしれない。しかし親切にしてもらった恩を忘れることはない。お前は覚えているだろうか。昔、谷底でいまにも死にそうで苦しんでいた小さいオオカミのことを。奴の脇腹にはいばらのとげが刺さっていたんだ。そのとげをおまえが抜いてくれて、水を飲ませてくれた。おまえはそのオオカミをそのままそこにそっと休ませて行ってしまった」コノールは覚えていた。「そのときのオオカミがおれなんだ。おれは何とかしておまえを助けたいと思っている。怖がることはない。今夜はここに泊っていきなさい」そのあとはみんなで陽気に食べたり飲んだりして、ぐっすり眠った。コノールが目を覚ますと家の近くの畑にいた。畑には今まで見たこともない美しい牝牛3頭がいたが、これはオオカミの贈り物だと知った。この3頭の牛は立派に成長し、その子孫は今日にいたるまで栄えている。コノール一族が金持ちになり、繁栄したことはいうまでもない。その後、オオカミ一家に礼を言いたくて探したが、あの避難小屋も探し当てることはできなかった。

 この報恩譚を読んで正直驚きました。オオカミのいばらのとげを抜いてあげたら恩返ししてくれた、という。

この主題でいえば、日本のオオカミの報恩譚とほぼ同じと言ってもいいくらいです。日本でも、オオカミの喉に刺さったとげを抜いてあげたら恩返しされるという話なのです。これも偶然なのでしょうか。

もちろん、この一例だけをもって関係があるとか、ないとか俺が言える立場ではありませんが、東西離れたところに似たようなオオカミの報恩譚があることが面白いなぁと思います。

 (ちなみにカナダの先住民族の民話にも、とげを抜いてあげたら恩返ししてくれたという狼報恩譚が伝わっています)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024/02/10

2024年2月10日は旧暦1月1日

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あけまして、おめでとうございます。

今日、2024年(令和6年)2月10日は、旧暦の元日です。

 

旧暦棚田ごよみについて

2年前、岡山県のある神社で夜の神事に参列する機会がありました。その日は11月15日でした。ただしこれは新暦の日付で、昔は旧暦の霜月11月15日に斎行されていた神事なので、満月の夜だったのです。真夜中ならちょうど中天に月が煌々と輝いていたことになります。それを想像するとぞくぞくっとしました。

昔の祭や神事は月の満ち欠けと関係していました。だから昔の人はいまよりも月の満ち欠けに敏感だったことが想像できます。

柳田国男は『年中行事覚書』の中でこう言っています。

「暦が字で書き印刷した本になり、どこの家庭でも見られるようになったのは至って新しいことで、もとはその暦本の数も少なく、こしらえる処が遠くに在って持って来る方法も なく、それに第一読める人が少なかった。そのためにたいていの農村では昔の仕来りのままに、月の形を見ていろいろの祭や行事の日をきめたのであった。年や月というものの境 も、この満月の日だったろうかと私は思うが、その点は確かにそうだとまでは言えない。ただ少なくとも多くのお社の祭が、今でも十五日の後先になっているのは、文字を知らない人々には月の形が、一ばんわかりやすい暦だったからである。」

毎日変化する月の満ち欠けそのものが暦だったのです。月の満ち欠けには規則性があるということに気がつくには、約29.5日という周期は、偶然とはいえ、ちょうどいい長さだったかもしれません。

ただ、月の満ち欠けだけでは、季節がずれていくので、太陽の動きも考慮したのが太陰太陽暦です。

日本では中国由来の太陰太陽暦を日本風に改良して使ってきましたが、明治6年から太陽暦(新暦/グレゴリオ暦)に変更され、それまで使っていた暦は「旧暦」と呼ばれることになりました。今年は改暦から151年目です。

世界標準となった太陽暦によって科学技術が発展し、豊かになったのも事実なので、否定するものではありませんが、旧暦と新暦の併用はできないものでしょうか。中国、台湾、ベトナム、韓国などの国々では旧暦を併用していますが混乱はありません。日本でも「中秋の名月」など、旧暦を意識せざるをえない日はあって、生活に潤いを与えています。

私たちもこの10年旧暦を使ってきて、確実に月を見上げる機会が増えたし、田んぼの稲の様子の移り変わり、周辺の草花、気温の変化などに敏感になったのは確かです。これは旧暦を意識しているからにほかなりません。

新暦に慣れているので、旧暦ごよみは初め使いづらいかもしれませんが、普段は気にも留めないことに意識を向けさせてくれるのも旧暦なのです。旧暦を使うことは懐古趣味というのではなく、むしろ新しいライフスタイルを提案するという意味もあります。

 

 

 

 

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2023/08/19

今井恭子さんの『縄文の狼 』

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『縄文の狼 』を読みました。

今井さんは、本格歴史犬小説『こんぴら狗』の著者でもあります。「こんぴら狗」というのは、江戸時代、主人の代わりにこんぴら参りをしたという犬のことで、実在しました。今回も犬好き、狼好きの今井さんの思いが込められた作品になっています。

今、狼信仰のルーツをあれこれ妄想して楽しんでいる最中なので、この『縄文の狼』も時代的にぴったりで、興味を持って読みました。縄文時代の早期はこんな感じだったんだろうなと思いました。具体的な人物が喜怒哀楽を感じながら日常生活を送る姿はとてもリアルです。作者の想像の世界ですが、共感できる世界でした。資料や文献とは違う、作者の直感力と想像力のすばらしさです。

縄文早期が舞台ですが、移動しながら狩猟採取をする人たちと、海辺に定住している人たちが登場します。主人公のキセキは、移動しながら暮らす一族出身ですが、あるきっかけで定住者の村で暮らすことになります。

この状況もリアルだと思います。縄文人とひとくくりに言いますが、最近の古人骨のDNAの研究から、縄文人は各地域でかなりバリエーションのある集団だったようです。俺が知っている範囲でいうと、中国南部の少数民族が今でもそうであるように、山や谷を越えると違う民族の村があるといったような状態であったかもしれません。

キセキは定住村で、当時の先端技術をおぼえるんですね。それを他の集落や次の世代に受け継いでいくことになるのでしょう。こういうことが1万年以上も続いた時代が縄文時代です。ゆっくりと、少しづつ変わっていく。国家・国境などという縛りもなく、人間と動物たちが、それこそ自由に暮らしていた時代です。

作品ではまた、人や文化の移動について示唆的な描写があります。主人公キセキは、まず不可抗力で(自分の意志ではなく)海辺の村にたどり着くのですが、最後は自分の意志で移動します。たぶん、この「不可抗力の移動」と「意志を持った移動」というふたつは実際あったパターンなんだろうと想像できます。こうして人と文化が伝わっていったのでしょう。

また、縄文時代には、犬は人間の狩猟を手伝っていたらしい。実際縄文時代の遺跡からはきちんと埋葬された犬の骨も見つかっています。作品では、犬ではなく、狼犬ですが、犬と人間との関わりも、こんな感じだったんだろうなと思います。というか、犬と人間の関係性は昔も今もそれほど変わらないのではないでしょうか。

 

 

 

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2023/08/15

篠田謙一著『人類の起源』古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」

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篠田謙一著『人類の起源』を読みました。サブタイトルに「古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」」とあります。最近の古代DNA研究の成果によって人類がどのように地球に拡散していったか、その中には、日本人の成り立ちも含みますが、壮大な人類の旅が明らかになっています。

ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスに駆逐されたというイメージではなく、同時代に共存し、混血もしていたということがわかりました。そしてそのネアンデルタール人のDNAは、現代人にも受け継がれているということです。 

日本人のルーツについても触れられています。大雑把に言えば、東南アジアから北上してきた人が日本列島に住み始め、それが旧石器時代人、後に、縄文人で、あとで大陸から入ってきた弥生人が西日本に入り、やがて混血して現在の日本人になった。だから、縄文人の痕跡は沖縄人やアイヌ人に多く残っているという話です。

これが、「二重構造モデル」で、一応の定説になっていますが、古代DNAの研究からそれほど単純ではないことがわかってきたそうで、大雑把にはこのようなシナリオですが、縄文人もすべて均質な集団ではなく、DNA的にはさまざまなグループがあったことがわかったそうです。中国南部にに住んでいる少数民族みたいなものだったかもしれません。谷ひとつ越えると、違う民族が住んでいるみたいな。

そして弥生時代から古墳時代にかけて多くの渡来人が日本列島にやってきました。もちろん「渡来人」といっても、今の韓国朝鮮人・中国人というわけではありませんが、渡来人の数は思っていたよりも多く、むしろ在来の先住民族であった縄文系の人間を上回っていたらしいということ。日本人の成り立ちのイメージが少し変わってきました。

比較的、日本国内でのDNAの変化が少なかったのは、古墳時代より後、明治時代くらいまででしょうか。鎖国していた江戸時代は、ほとんど外からのDNAは入っていないだろうということは想像できます。そして今は、グローバル化によって、DNA的には激動の変化を迎えています。

ところで、日本最古の人骨は、沖縄県・石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から2009年に発見されたものです。これが2万7千年前のものとみられることがわかり、国内最古の人骨になりました。

それまでは沖縄本島南部で発見された2万2千年前の人骨「港川(みなとがわ)人」が日本最古とされいて、たしか「港川人」は教科書にも載っていたような気がします。

この港川人ですが、DNAの解析結果から、現代の沖縄人の直接の祖先ではないらしい。港川人の系統は途絶え、あとで九州から南下してきた縄文人が(後に大陸から入ってきた弥生人と混血して)沖縄人になったらしいという。

ところで、この本の一番大切なテーマは、古代DNAの研究によって、人間、ホモ・サピエンスの「種」としての位置づけかなと思います。

「種」というのも意外とあいまいな定義だそうで、その下位の「人種」はもっとあいまいで、「人種」という概念は、西洋人が奴隷を売買するようになった当時、自分たちを正当化するために生み出した概念なのではないかと思われます。「種」としての人間には線引きされるような区別、ましてや、「白人は優れていて、黒人は劣っている」などという区別はできないことがDNA研究からはっきりとわかってきました。

そしてホモ・サピエンスは日々進化を続けていて、このまま未来永劫にわたってホモ・サピエンスのままで進化することはないんだということです。つまり、現在進行形なのです。ただし、大谷翔平が、ホモ・サピエンスの新しい系統だとしても、それがわかるのは何万年後のことでしょうが。

これは「種」だけでなく、「日本人」もそうなんでしょう。「日本人」というのもDNAからは定義ができないことは当然で、今は「日本国籍を持っている人間」という法によって無理やり定義されているわけですね。「日本国民」として。

たとえば「日本人」を「日本列島に昔から住み続けている人間」と定義したところで、古墳時代までは大量の渡来人がやってきていたし、「昔から」とはどのくらいまで遡るか、ということが問題になってきます。

だから、「日本人」と「日本国民」は微妙にニュアンスが違うのですが、「日本国籍を持っている人間」しか、今のところ定義の方法はないと思います。

そしてそれは、「人種」とも関係ないし、「民族」とも違います。ただ一番重要なのは、現在進行形で、昔からも、今からも、「日本人」という塊りのある集団(均質なDNAの集団)がそのままの形で続くことはありえないということなんでしょう。

 俺たちは、ホモ・サピエンスも、日本人も、途中経過を見ているに過ぎないということです。

 

 

 

 

 

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2023/05/22

エリ・H・ラディンガー著、シドラ房子翻訳『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか 』

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動物の家畜化に成功したのはオオカミから犬が最初です。そのことは人間にとって大きな転換点になったのではと思います。

『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』の著者、エリ・H・ラディンガーは、女性弁護士から転身してオオカミの保護活動を行い、講演会・セミナーなどで「オオカミと自然や生態系についての知識」を広めている異色の作家だそうです。

 犬の家畜化についてはいろんな説がありますが、この本には、さすがに女性の目からみた説だなぁと思う部分がありました。

「オオカミを社会化するために、つまり、最初から人間に慣れさせるために、赤ちゃんを早期に母親から離す必要がある。私たち職員は赤ちゃんの乳母であり、哺乳瓶でミルクを与え、毛づくろいや添い寝をして、数週間後に家族のもとに戻す。これは家畜化ではなく(家畜化は数万年を要するプロセス)早期感化であり、こうして育ったオオカミの大人は人間を怖がることはない。(略)
 はるか昔に人間の男がこのようにしてオオカミの赤ちゃんを感化したということは考えられない。なぜなら、ミルクを与えることがそこに含まれるが、家畜のいない時代は女性の乳しかなかったからだ(牛・羊・山羊・豚の家畜化は、オオカミより遅い)。つまり大昔のある日、ある女性がオオカミの赤ちゃんを抱いて母乳を与えたということになる。母乳が余っていたのか、それとも見捨てられた無力なオオカミの赤ちゃんをかわいそうに思ったのか。何も予期せずに人類に革命をもたらしたことになる。というのも、オオカミに続いて有用動物が家畜化され、狩猟から牧畜へと移行することになったから。こうして歴史は新しい針路をとった。」

といいます。さらにこう続けるのですが、

「もしかすると、進化における特別な役割のことがいまも記憶に残っているため、私たち女性はオオカミに親近感を抱くのかもしれない。」

ちょっとここは「女性」であることを強調しすぎの感があります。女性だけがオオカミに親近感を持っているわけではないでしょうし。

まぁ違った見方は何事にも大切です。結局は「説」でしかないわけですが。もしかしたら、オオカミの赤ちゃんではなく、性格穏やかな大人のオオカミだったかもしれないし、ケガをしたオオカミを馴らしたのかもしれません。いろんな状況が考えられます。

オオカミから犬に家畜化されたストーリーは、証明のしようがありません。だから、我々素人が勝手に想像することも自由ということでしょう。

でも、どうやってオオカミを犬にしていったか、ということはわからなくても、オオカミから犬を創り出したのは事実だし、そのことが後の人間にとってどれだけの転換点になったかということは重要なところかなと思います。

前回のブログ記事でも書きましたが、単に家畜化に成功したということ以上に、それまで神(あるいは神に近い存在)であったオオカミを、手元に置くことに成功したわけですから。人間に「これはいける」と思わせたのではないでしょうか。その後、牛・羊・山羊・豚の家畜化も成功しています。

近代になって、急激に神なるものを信じなくなってきたことも、元をさかのぼれば、この犬の家畜化に始まったのではないか、という気がするのですが、いかがでしょうか。

 

 

 

 

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2023/05/05

『この世とあの世のイメージ 描画のフォーク心理学』

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やまだようこ 、 戸田有一、 伊藤哲司 、加藤義信 著『この世とあの世のイメージ 描画のフォーク心理学』です。

「この世とあの世のイメージ」を、日本、イギリス、フランス、ベトナム4か国の大学生2040人が描いた描画を比較したものです。

あの世のイメージが「上(天)」にあるというのはだいたい共通しているようですが、ベトナムだけは、「下(地)」にイメージしている人が多いらしい。そのかわり、死後の世界がないというイメージを持つのもベトナム人には多いようです。

それはベトナムでは、社会主義的な教育が唯物論的な観点で行われているから、という解釈と、もうひとつ、近代化途上の国では科学を信じているのに、日本、イギリス、フランスでは、むしろ近代科学の限界を感じているとも解釈できるのでは、という。

意外だったのは、万物に霊魂が宿るアニミズム的世界観が、イギリス、フランス人にもあることです。それはキリスト教が入ってくる以前の信仰で、基層部分に今でも流れているということ。

先進国では、農村社会の古い共同体は解体し、宗教意識も低くなっているにも関わらず、他界の存在や魂の存在は否定されていません。「宗教以前」と考えられるような、アニミズム的世界観は、人類共通なのかなと思います。

本の「はじめに」にはこのようにあります。

「人々が描くイメージは個々に個性的であり、どれひとつとしてまったく同じものはないが、しかしまた驚くほど共通性も高かった。それは想像世界といえどもまったく自由にどのようにもイメージできるわけではないことを示している。」

イメージは、各自が勝手に作り上げているのではなく、人類共通の法則みたいなものがあるということなのでしょう。自分では「独創的」と思っているようなアイディアやイメージも、その人個人のものかどうかは微妙です。

こういったことはたぶんユング心理学でいうところの「集合的無意識」「元型」に通じるかもしれません。共通の部分がなければ臨床の場でイメージを使ったセラピーも行えないだろうし。

 

 

 

 

 

 

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2023/05/04

写真展『おいぬさまの肖像』図録

 

武蔵御嶽神社大口真神式年祭で開催中の写真展『おいぬさまの肖像』の図録を作ってみました。

これは「しまうまプリント」製で、カバー付きA5判、12ページ、1冊約500円の単価です。レイアウトに多少不自由さは感じましたが、おおむね満足です。ただし、発注から2週間くらいかかりました。

今まで仕事で註文が来たときは、「フジフィルム」のフォトブックを使っていましたが、同じA5判ソフトカバー相当だと、1冊当たりの単価は3465円。ただしページ数は16ページです。これも発注から2週間ほどかかります。

けっこう単価が高く、これに俺のレイアウト料や代理発注の手間を考えると、1冊12000円以上じゃないと受けられません。それでもっと安いところを探して、試しに「しまうまプリント」で頼んでみました。

単純に比較はできませんが、気軽に冊子を作るなら「しまうまプリント」でいいかもしれません。

ところで「しまうまプリント」の「フォトブック」は最低24ページからですが、「しまうま出版」の「写真集」からだと、12ページからのものも作れるようです。

竣工写真の場合は、12ページで充分だし、七五三やお宮参りでも、16ページくらいがちょうどいいかなと思うので、「しまうま出版」の「写真集」は今後使えるかもしれません。

 

 

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2022/10/23

令和5年(2023年)版「旧暦棚田ごよみ」

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2023年(令和5年) 旧暦棚田ごよみについて

昨年「旧暦棚田ごよみ」は10周年目を迎えることができましたが、旧暦正月の直後、2月14日、ポスト「棚田百選」とも言える「つなぐ棚田遺産~ふるさとの誇りを未来へ~」が認定されました。

「棚田百選」は1999年7月に選定され、私はそのリストを頼りに翌2000年にかけて、すべての棚田を周りました。「百選」とは言っても、134カ所あったのですが、今回の「つなぐ棚田遺産」は、全部で271棚田です。数としては約2倍に増えました。中には後継者がいなくなった、耕作放棄地になったという理由でリスト落ちした棚田もあります。

1999年当時は、「タナダってなんですか?」と聞かれたり、自分の棚田が「百選」に選ばれたことを知らない耕作者がいたり、「今さらそんなもの選んでも遅いよ」という声もありました。ただその後「棚田」が一般の人たちにも知られるようになり、各地で棚田が復田されたり、オーナー制度で活気づいたり、都市と農村との交流ができたり、「棚田米」がおいしい米として人気になるなど、棚田と、棚田文化が消えるどころか、ますます勢いを増しているようにも思います。

「つなぐ棚田遺産」の全棚田を周ってみたいという気持ちも芽生えたので、数が多いので時間はかかるでしょうが、この20数年でどれだけ棚田の状況が変わったのか、この目で確かめたいと思っているところです。

ところで、昔の人は、毎日変化する月の満ち欠けに規則性を見出し、暦を生み出しました。ただ、月の満ち欠けだけでは、季節がずれていくので、太陽の動きも考慮したのが太陰太陽暦です。

日本では中国由来の太陰太陽暦を日本風に改良して使ってきましたが、明治6年から太陽暦(新暦/グレゴリオ暦)に変更され、それまで使っていた暦は「旧暦」と呼ばれることになりました。

月の満ち欠けは心理的にも物理的にも、人間の生活に影響を与えるものでした。だから時の為政者たちは暦作りにいっしょうけんめいになりました。暦は世の中の安定を保証するものだったからです。

世界標準となった太陽暦によって科学技術が発展し、豊かになったのも事実なので、否定するものではありませんが、旧暦と新暦の併用を提案したいと思います。中国、台湾、ベトナム、韓国などの国々では旧暦を併用していますが混乱はありません。むしろ旧暦も併用すると生活に潤いが増すような気さえします。

私たちもこの10年旧暦を使ってきて、確実に月を見上げる機会が増えたし、田んぼの稲の様子の移り変わり、周辺の草花、気温の変化などに敏感になったのは確かです。これは旧暦を意識しているからにほかなりません。

新暦に慣れているので、旧暦ごよみは初め使いづらいかもしれません。でも、「使いづらさ」とか「微妙なずれ」が、普段は何気なく、気にも留めないことに意識を向けさせてくれます。それは私たちがこの10年で実感してきたことです。

 

「旧暦棚田ごよみ」令和5年(2023年)版
「旧暦棚田ごよみ」のご注文は、棚田ネットワークのHPでどうぞ。

 

 

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2022/05/14

【犬狼物語 其の六百三】姜戎 (著)『神なるオオカミ』牧畜民のオオカミ信仰

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姜戎 (著), 唐亜明 (翻訳), 関野喜久子 (翻訳)  

「文化大革命時代、北京の知識青年・陳陣(チェンジェン)は内モンゴルのオロン草原に下放され、現地の古老・ビリグのもとで羊飼いをはじめた。天の教えを守り、草原とともに生きる遊牧民の暮らしに魅せられていく陳陣。やがて、かれの興味は、遊牧民の最大の敵でありながら、かれらの崇拝の対象であるオオカミへと向かう。オオカミにのめりこんでゆく陳陣は、自らの手でオオカミの子を捕らえ、飼うことを夢見るのだが……。」(amazon『神なるオオカミ』より

オオカミの子どもを飼いはじめますが、最後まで人間になつくことはないんですね。だからこそオオカミ、という気もします。

モンゴル人の最大の敵がオオカミです。家畜をめぐっての、オオカミたちとモンゴル人たちとの攻防戦はすさまじいものがあります。どうしてこの凶暴なオオカミを崇拝するんでしょうか?

 

メコン源流を探しに、チベット高原を旅したのは、今から30年も前のことです。

当時はまだ東西冷戦が終わって間もないころで、メコン川流域の国々も、ようやく外国人旅行者に門戸を開いたという時期でした。だからそれまでは、メコンはほとんど価値のない大河と考えられていました。中国人(漢民族)にとってさえ、黄河や揚子江と違い、メコン(瀾滄江)は異民族が住む辺境の無価値な川にすぎませんでした。だから90年代まで、源流も確定していませんでした。

俺がメコンの源流に行こうと思ったのは、そんなときで、結局、科学的・地理学的な源流はわかるはずもなく、探したのは、地元チベット人が「ここが源流だ」と思っている水溜まりでした。でも、俺の旅の目的や興味からすれば、この民俗的な源流こそ探し求めていたものかもしれません。

北京から文革時代に内モンゴルに下放された経験を基に書いたジャンロンの小説が『神なるオオカミ』という本です。読んでいるうちに、いろいろ思い出したことがあります。上下2巻の長編小説なので、遅読な俺にはけっこう時間がかかりました。

この小説の舞台は内モンゴルですが、メコン源流のある、青海省の草原も似たようなところがあります。草原が広がり、そこで牧畜民(100%の遊牧民はもういませんが)が、高原牛のヤク、羊、山羊、馬などを放牧して暮らしています。ヤクの毛は編んで黒い布の天幕住居になり、乳はバターやチーズなど乳製品に、糞は木のない草原では燃料になるなど、ヤクという動物がいなければ生活が成り立たないところです。

俺は青海省の西寧という街で、旅行社に頼んで、車をチャーターしました。源流まで、往復約2週間の旅です。そして車で行けたのは、3日間かけてたどり着いたモーユンという、役場の建物があるだけの村でした。そこからは車を使えないので、馬で行くことになりました。

その行程で、案内人のチベット人は、銃を持参しました。それはオオカミ対策です。オオカミに襲われたときに使うのだと教わりました。

あるとき、「あそこ、見てみな」と言われて草原を見渡しましたが、何を言っているのかわからず「何?」と聞き返すと、「狼(ラン/漢語)」というではないですか。チベット人の視力はかなり良いらしく、おそらく2~3kmくらい離れたところに2匹のオオカミが走っているらしいのですが、俺にはまったくわかりませんでした。牧畜民にとってはオオカミが一番怖い動物なので、彼らはオオカミに敏感です。オオカミを見つける能力も日々の生活から研ぎ澄まされていたんだろうなと今となってはわかります。

そして、「これ撃ってみな」といって、銃を手渡されたのでした。実弾の入った本物の銃です。そして空缶を20mほど離れたところに置いて、練習させてもらいました。俺も2発撃たせてもらいました。もちろん当たりませんでした。幸い、この銃をオオカミに向ける機会がなくて幸いでした。

ある地元牧畜民の天幕住居のそばにテントを張らせてもらいました。食事も彼らから買ったものでした。俺は何でも食べられるので、街から特別の「文明食」を持っていく必要はまったくありませんでした。ヨーグルトも好きだし、ヤクの干し肉もおいしく食べられます。バター茶とツァンパという麦焦がしも大丈夫です。ただ、干し肉がガムのように固いのは閉口しました。

そのテントは普通の登山用のテントなので、夜、寝ているとき、外で音がするとビクッと身構えてしまいます。さんざんオオカミについて脅かされていたので、風の音さえ敏感になっていました。ところが、オオカミ以上に怖いのはチベット犬だということがわかり、俺は、テントをうろつく犬たちの鼻息に熟睡できないし、明るくなるまで小便を我慢する羽目になったのでした。

でも、この犬も、小説を読むとわかるのですが、オオカミと戦えるほどの犬じゃないと役に立たないし、獰猛な犬はある意味、牧畜民には大切な相棒なのです。

と、ここまで書くと、オオカミは敵か?という感じですが、モンゴルもチベットも、草原には黄羊などの野生の草食動物がいて、彼らが草原の牧草を食べつくすと、砂漠化が進んでしまい、いずれは草原がなくなるのです。この黄羊を食べてくれるのがオオカミです。オオカミは怖いし、家畜の敵でもあるんですが、いなくなるとまた困る。つまり、人間も、草原も、黄羊も、オオカミも、絶妙なバランスを取って存在しているということです。

オオカミは、人間を襲うといよりは家畜を襲ったときに、人間と戦うことになってしまうのが真相らしい。そして家畜を襲うのも、草食動物が少なくなったときです。めたらやったら家畜と人間を襲うわけではありません。

小説では、すさまじいのです。オオカミと遊牧民との関係が。それでも、いや、だからこそなのかもしれませんが、人間はオオカミと同等なのではないかと思えます。このオオカミがモンゴル人のトーテムとして、かつて、ヨーロッパまで征服したモンゴル人の崇敬する動物であるということです。敵でもあり、神でもある。このあたりは、日本のオオカミがどちらかというと抽象的なイメージになったのとは違い、ずっと具体的です。日々の暮らしの中で、オオカミは人間と戦い、かつ、草原を守ってくれている目に見える動物です。モンゴル人がいう、人間も、犬も、家畜も、草原さえも、オオカミに鍛えられてきた、という言葉は印象的です。

日本では牧畜が発達しなかったから、家畜を殺される(人間の敵)ことがなかったオオカミは益獣だった、だから神にもなったというのは、モンゴル遊牧民だったら鼻で笑うのかもしれません。

この草原の論理がわからない漢民族が草原を農地に変えれば生産性が上がるという考えを、モンゴル人たちは批判します。

モンゴル老人はいうのです。

「もしオオカミが絶滅したら、草原も生きられない。草原が死んだら、人間と家畜が生きられるか。おまえら漢人はこの道理をわかってない亅

と。 

オオカミ狩りが大勝利を収めた時、老人はこういいます。

「戦果が大きければ大きいほど、わしの罪が深い。これから、こんなふうにオオカミを狩ってはいけないんだ。こういうことばかりしてたら、オオカミがいなくなって、黄羊とか野ネズミとか、野ウサギやタルバガンがのさばってくる。そうなったら、草原はおしまいよ。天が怒りだして、牛や羊や馬、そしてわしら人間は、報いをうけるにちがいない」

結局、何年か経ち、草原は開墾され、結果、砂漠化が進んでしまったことは、歴史は必ずしも人間は「進化」しているわけではないということを証明しているようです。オオカミの生態学的意義を無視して、危険だからといって全部狩ってしまえという考えが、やがて草原までも失い、黄砂が吹き荒れる砂漠化を進めてしまいました。モンゴル老人が言ったとおりになってしまったのです。日本に飛んでくる黄砂が、オオカミがいなくなったことと関係があったと知って悲しくなります。

モンゴルの草原だけではありません。日本でも、ニホンオオカミが絶滅してしまったことで、鹿や猪の害に悩まされるようになりました。モンゴルやチベットと日本の自然環境や歴史は違い、比べてもしかたないことかもしれませんが、ただ、どちらも、バランスが崩れれば、すべては狂ってくるというのは真理でしょう。

そのバランスは、誰かが頭で考えたことではなく、何年、何百年、何千年にもわたって、日々の暮らしの中で試行錯誤しながら学んできた知恵なのです。その民衆の知恵を無視して、「科学」だとか「近代化」だとか「経済効率」で突き進んだ先にあるのは、モンゴルの草原と同じ、「死んだ山」ということになるのでしょう。

 そしてもちろん、モンゴル人にとって神になるオオカミは、草原を守る動物というだけではなく、その圧倒的な強さです。狩の仕方もモンゴル人はオオカミから学びました。

「西北部とモンゴル草原の地で、オオカミトーテムが、無数の遊牧民族にとって、トーテムになりえたのは、草原オオカミがもっている崇拝せざるをえない、拒否できない魅力、勇敢な知恵といった精神的な征服力によるものだ」

オオカミの強さは、強くなりたい人間にとっては、神なる存在となります。これは万国共通の狼信仰です。

「モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。」

モンゴル老人はこのように下放青年に言います。

「草原の人間は生涯、たくさんの命を殺して、たくさんの肉を食ったから、罪深いのじゃ。死んだら、自分の肉を草原に返すのが公平で、魂も苦しまずに、天に昇れるんだ」

 

ところで『神なるオオカミ』の最後の方に、面白いことが書いてありました。

 「一九七一年に内モンゴルの三星他拉村で出土した玉龍は、中国で最初の龍と呼ばれるもので、新石器時期の紅山文化に属している。その頃、中華の先祖は、狩猟、採集、遊牧、あるいは半農半牧の状態で、農耕民族にはなっていなかった。龍トーテムははじめ、華夏の原始人のトーテムであったが、変化しながら農耕民族のトーテムとなっていった。翁牛特旗三星他拉の玉龍注意深くみて、ぼくが驚いたのは、その原始の玉龍は中国人が普通にみなれている龍の姿ではなく、オオカミの顔をした龍であったことだ。」

龍は、空想上の動物と言われていますが、龍には手足があるので、「蛇」ではなくて、もしかしたらもともとは「オオカミ」を象ったものだったのではないか、などと俺の妄想は膨らみます。

 

 

 

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2021/12/06

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