カテゴリー「旅(外国)」の435件の記事

2024/08/21

「Air」が「空気」ではなくて「水」の国

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「Air」が「空気」ではなくて「水」の国とは?

一昨日、NHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」でロケ地がペナン島と聞いたので思わず見てしまいました。

海上集落やアルメニアンロードやフードコートなど、自分が行ったところも映ると懐かしさがこみあげてきました。

ペナンは、マレー系、インド系、中華系など、いろんな文化が混在していて、そこが一番の魅力でもあります。

朝は飯店で飲茶をし、昼はイスラムレストランでカレー、夜はフードコートでイラン料理を食べたりしました。

だからペナンには、中国系寺院、モスク、ヒンズー寺院、教会などもあります。

中国系では、いろんなところで狛犬を見ました。じゃっかん日本とは趣が異なる狛犬像の数々です。

 

 

 

 

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2023/11/09

【犬狼物語 其の六百九十八】犬型土製品

 

google翻訳すると「歴史的な神話から、アッシリア人は犬の霊が家に侵入する悪霊の攻撃を撃退してくれると信じていたため、犬の像を家の下に埋めました。」
となり、これでピンときたことがあります。

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栃木県栃木市の藤岡神社遺跡から縄文時代後期の犬型土製品や、犬の頭骨などが出土しています。

この犬型土製品は、日本で出土している犬形土製品としてはたぶん一番有名なもので、数年前、フランスで開かれた日本文化を紹介するイベントでも展示されました。(事情により、写真はここには掲載できませんが『犬像をたずね歩く』には掲載しています)

 

埼玉県加須市の長竹遺跡からも、これまでに縄文時代・晩期(約3500〜3000年前)の動物形土製品が複数出土しています。その中に犬形土製品もあります。(写真上) 縄文時代の犬像は猪像と同時に出土する例が多いらしく、狩猟の儀式に使われたのでは?と言われていますが、実際はどんな目的で作られたかはわからないそうです。

 

弥生時代の遺跡から出土の土製品もあります。(写真下)

志木市埋蔵文化財保管センターに展示されている「動物形土製品」と呼ばれるものですが、管理センターのスタッフによると、以前は「弥生の犬」と呼んでいたそうですが。学術的にまだ「犬」と確定していないので、正確を期すために今は「動物形土製品」と呼んでいるそうです。

遺跡は弥生時代後期から古墳時代前期のものです。この犬と思われる土製品は、1軒の住居の床から発見されました。これもまた、用途がわかりません。

 

そこで、このXを見たとき、日本で発掘された犬型土製品もアッシリア人のように、犬像が邪悪なものから守ってくれる意味があったのではないか、と思ったわけです。事実どうかは証明しようがありませんが、参考にはなる話だと思います。

日本でも「犬」「狼」は邪悪なものから人を守ってくれる、たとえば狼の護符や「犬」文字のような信仰も残っています。ちなみに、恵那市の中山神社のお犬さまは土製の小さな像です。

そう考えると、犬や狼が、邪悪なものから人間を守ってくれるという信仰は、人類共通の可能性もあるのかもしれません。

 

 

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2023/09/10

「モロッコ地震 死者2000人超」のニュース

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地震のニュースには敏感で、他人事には思えません。今回の地震は数百年ぶりの規模らしい。
とくに最近は関東大震災から100年ということもあり、地震に対する意識は高まっています。

昔モロッコ には2回行ったことがあって、マラケシュ にも滞在しています。

今回の地震の震源地は、マラケシュから南西約70kmとのこと。2枚の写真はそのあたりになると思われる集落の写真です。

今も変わってないと思いますが、モロッコの田舎はこのようにレンガ造りの建物が多く、耐震構造にはなっていないので、地震には弱いのではないかと心配します。

ツイッターにあげられた地震の様子ですが、建物が崩れているのがわかります。写真と同じ村かはわかりませんが、同じような被害に遭っていると思われます。

日本からも救助隊の速い派遣をお願いしたいところです。

 

 

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2023/07/23

牟定県「諷刺調」

 

90年代に雲南省昆明で購入した雲南芸術学院編「雲南民族器楽」より

この中には雲南省の民族音楽を楽譜にしたものがたくさん載っています。

その中から今回は、雲南省牟定県「諷刺調(二)」の楽譜から作曲ソフトを使って再現しました。(楽譜には民族名は書いてありませんが、おそらくはイ族の音楽だと思います)

オリジナルは四弦らしいのですが、ソフトにはないので、三線で代用しました。ただし、太鼓の音はアレンジして入れたものです。

写真は1988年ころの、三弦を持つ牟定県で出会ったイ族の夫婦ですが、音楽とは直接関係ありません。

 

 

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2022/10/24

2023年の干支は「卯」

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最近「卯」「兎」の東巴(トンパ)文字のページが検索されているなと思ったら、来年の干支は「卯」なんですね。

これは12年前、年賀状で準備した「兎」のトンパ文字。あれから12年も経ってしまいました。

年末にかけて、トンパ文字の新作デザインでも考えてみます。

ナシ族は千年あまり前、表意象形文字を作り出しました。この象形文字で、民間故事伝説、宗教経典などを著しました。とくに、この文字は、トンパ(東巴)教の経典を書写 するのに用いたところから「東巴文(トンパ文字)」と呼ばれます。ナシ語では「ソチォ・ルチォ」(樹の記録・石の記録)と呼び、千数百種類(1200~1300とも言われる)の文字があります。

トンパ(東巴)教は、ナシ族の原始宗教で、太陽、月、星、山、水、風、火などの自然物を崇拝し、万物に霊魂がやどると信じられていました。 唐の時代から、ナシ族とチベット高原の吐蕃とは頻繁に接触があり、トンパ教は、チベットのボン教の影響、および仏教、道教の影響も受けているといわれます。冠婚葬祭や、病気の時や、邪気払いの時は、トンパを呼んで儀式を行ってもらっていました。トンパは、宗教儀式を司る祭司のことで「智者」を意味します。しかしこの宗教も、1950年代からだんだん廃れていきましたが、観光業や民族意識の高まりによって、復活しています。

トンパ文字で著したトンパ経典は現在でも、中国内外に2万冊ほどが残っています。経典の内容は、宗教、民俗、歴史、文学、天文歴法、哲学など多岐にわたっています。古代ナシ族の「百科全書」と呼ばれるゆえんです。

 

 

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2022/08/21

【犬狼物語 其の六百二十二】内モンゴルの狼の呼び名「大口さん」

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千葉大学「ユーラシア言語文化論集」第19号、サランゴワ氏の「内モンゴル東部における狼の民俗」に興味あるモンゴル人の民俗について書いてありました。

ひとつは、おまじないのようなもので、家畜を狼に襲われないように、ハサミの口を開けて石を入れて挟み、それを布で強く包んでおく習慣があります。ハサミは明らかに狼の口を象徴しています。石は堅く、嚙み砕くことができません。石で、家畜の安全を願っているという。

また、内蒙古東部のモンゴル語で狼のことはチョンといいますが、名前を直接呼ぶことを避ける習慣があり、

「へーリン・ノハイ(野良犬)」

「テングリ・イン・ノハイ(天の犬)」

「ヘイ・アマト(大口さん)」

などと呼ぶという。

日本の猟師・木こりなども、忌言葉(いみことば)としての「山言葉」を使います。狼は「お客」「やせ」「やみ」と言ったりします。忌言葉は、「神や神聖な場所に近づく際には不浄なものや行為を避けるだけでなく、それを言葉に出していうことも忌み、代用語を用いていい表したことから生まれたと考えられている」(世界大百科事典)

モンゴル人が「チョン」と直接呼ばない理由は、名前を直接呼ぶと数が増えて、害が拡大するからだという。牧畜民にとって狼は害獣でもあるのですが、ここにも数のバランスの大切さが現れています。多くてもダメ、少なくてもダメなのです。

この数のバランスについては、狼信仰ではちょくちょく目にするもので、例えば、日本でも、津山市の奥御前神社(狼さま)では、本勧請と呼ぶ正式な祀り方で、霜月の大祭に狼さまをいったん本宮に戻し、新しく生まれた狼さまを迎えますが、それはその家で狼さまが勝手に増えるのを防ぐ意味があるそうで、牧畜民の狼に求める数のバランスと共通しているのが面白い。

「大口さん」は、日本の「大口真神」を思わせますが、実際、狼の「大きな口」は、モンゴル人にも日本人にも同じような特徴として捉えられているんですね。

 

 

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2022/05/14

【犬狼物語 其の六百三】姜戎 (著)『神なるオオカミ』牧畜民のオオカミ信仰

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姜戎 (著), 唐亜明 (翻訳), 関野喜久子 (翻訳)  

「文化大革命時代、北京の知識青年・陳陣(チェンジェン)は内モンゴルのオロン草原に下放され、現地の古老・ビリグのもとで羊飼いをはじめた。天の教えを守り、草原とともに生きる遊牧民の暮らしに魅せられていく陳陣。やがて、かれの興味は、遊牧民の最大の敵でありながら、かれらの崇拝の対象であるオオカミへと向かう。オオカミにのめりこんでゆく陳陣は、自らの手でオオカミの子を捕らえ、飼うことを夢見るのだが……。」(amazon『神なるオオカミ』より

オオカミの子どもを飼いはじめますが、最後まで人間になつくことはないんですね。だからこそオオカミ、という気もします。

モンゴル人の最大の敵がオオカミです。家畜をめぐっての、オオカミたちとモンゴル人たちとの攻防戦はすさまじいものがあります。どうしてこの凶暴なオオカミを崇拝するんでしょうか?

 

メコン源流を探しに、チベット高原を旅したのは、今から30年も前のことです。

当時はまだ東西冷戦が終わって間もないころで、メコン川流域の国々も、ようやく外国人旅行者に門戸を開いたという時期でした。だからそれまでは、メコンはほとんど価値のない大河と考えられていました。中国人(漢民族)にとってさえ、黄河や揚子江と違い、メコン(瀾滄江)は異民族が住む辺境の無価値な川にすぎませんでした。だから90年代まで、源流も確定していませんでした。

俺がメコンの源流に行こうと思ったのは、そんなときで、結局、科学的・地理学的な源流はわかるはずもなく、探したのは、地元チベット人が「ここが源流だ」と思っている水溜まりでした。でも、俺の旅の目的や興味からすれば、この民俗的な源流こそ探し求めていたものかもしれません。

北京から文革時代に内モンゴルに下放された経験を基に書いたジャンロンの小説が『神なるオオカミ』という本です。読んでいるうちに、いろいろ思い出したことがあります。上下2巻の長編小説なので、遅読な俺にはけっこう時間がかかりました。

この小説の舞台は内モンゴルですが、メコン源流のある、青海省の草原も似たようなところがあります。草原が広がり、そこで牧畜民(100%の遊牧民はもういませんが)が、高原牛のヤク、羊、山羊、馬などを放牧して暮らしています。ヤクの毛は編んで黒い布の天幕住居になり、乳はバターやチーズなど乳製品に、糞は木のない草原では燃料になるなど、ヤクという動物がいなければ生活が成り立たないところです。

俺は青海省の西寧という街で、旅行社に頼んで、車をチャーターしました。源流まで、往復約2週間の旅です。そして車で行けたのは、3日間かけてたどり着いたモーユンという、役場の建物があるだけの村でした。そこからは車を使えないので、馬で行くことになりました。

その行程で、案内人のチベット人は、銃を持参しました。それはオオカミ対策です。オオカミに襲われたときに使うのだと教わりました。

あるとき、「あそこ、見てみな」と言われて草原を見渡しましたが、何を言っているのかわからず「何?」と聞き返すと、「狼(ラン/漢語)」というではないですか。チベット人の視力はかなり良いらしく、おそらく2~3kmくらい離れたところに2匹のオオカミが走っているらしいのですが、俺にはまったくわかりませんでした。牧畜民にとってはオオカミが一番怖い動物なので、彼らはオオカミに敏感です。オオカミを見つける能力も日々の生活から研ぎ澄まされていたんだろうなと今となってはわかります。

そして、「これ撃ってみな」といって、銃を手渡されたのでした。実弾の入った本物の銃です。そして空缶を20mほど離れたところに置いて、練習させてもらいました。俺も2発撃たせてもらいました。もちろん当たりませんでした。幸い、この銃をオオカミに向ける機会がなくて幸いでした。

ある地元牧畜民の天幕住居のそばにテントを張らせてもらいました。食事も彼らから買ったものでした。俺は何でも食べられるので、街から特別の「文明食」を持っていく必要はまったくありませんでした。ヨーグルトも好きだし、ヤクの干し肉もおいしく食べられます。バター茶とツァンパという麦焦がしも大丈夫です。ただ、干し肉がガムのように固いのは閉口しました。

そのテントは普通の登山用のテントなので、夜、寝ているとき、外で音がするとビクッと身構えてしまいます。さんざんオオカミについて脅かされていたので、風の音さえ敏感になっていました。ところが、オオカミ以上に怖いのはチベット犬だということがわかり、俺は、テントをうろつく犬たちの鼻息に熟睡できないし、明るくなるまで小便を我慢する羽目になったのでした。

でも、この犬も、小説を読むとわかるのですが、オオカミと戦えるほどの犬じゃないと役に立たないし、獰猛な犬はある意味、牧畜民には大切な相棒なのです。

と、ここまで書くと、オオカミは敵か?という感じですが、モンゴルもチベットも、草原には黄羊などの野生の草食動物がいて、彼らが草原の牧草を食べつくすと、砂漠化が進んでしまい、いずれは草原がなくなるのです。この黄羊を食べてくれるのがオオカミです。オオカミは怖いし、家畜の敵でもあるんですが、いなくなるとまた困る。つまり、人間も、草原も、黄羊も、オオカミも、絶妙なバランスを取って存在しているということです。

オオカミは、人間を襲うといよりは家畜を襲ったときに、人間と戦うことになってしまうのが真相らしい。そして家畜を襲うのも、草食動物が少なくなったときです。めたらやったら家畜と人間を襲うわけではありません。

小説では、すさまじいのです。オオカミと遊牧民との関係が。それでも、いや、だからこそなのかもしれませんが、人間はオオカミと同等なのではないかと思えます。このオオカミがモンゴル人のトーテムとして、かつて、ヨーロッパまで征服したモンゴル人の崇敬する動物であるということです。敵でもあり、神でもある。このあたりは、日本のオオカミがどちらかというと抽象的なイメージになったのとは違い、ずっと具体的です。日々の暮らしの中で、オオカミは人間と戦い、かつ、草原を守ってくれている目に見える動物です。モンゴル人がいう、人間も、犬も、家畜も、草原さえも、オオカミに鍛えられてきた、という言葉は印象的です。

日本では牧畜が発達しなかったから、家畜を殺される(人間の敵)ことがなかったオオカミは益獣だった、だから神にもなったというのは、モンゴル遊牧民だったら鼻で笑うのかもしれません。

この草原の論理がわからない漢民族が草原を農地に変えれば生産性が上がるという考えを、モンゴル人たちは批判します。

モンゴル老人はいうのです。

「もしオオカミが絶滅したら、草原も生きられない。草原が死んだら、人間と家畜が生きられるか。おまえら漢人はこの道理をわかってない亅

と。 

オオカミ狩りが大勝利を収めた時、老人はこういいます。

「戦果が大きければ大きいほど、わしの罪が深い。これから、こんなふうにオオカミを狩ってはいけないんだ。こういうことばかりしてたら、オオカミがいなくなって、黄羊とか野ネズミとか、野ウサギやタルバガンがのさばってくる。そうなったら、草原はおしまいよ。天が怒りだして、牛や羊や馬、そしてわしら人間は、報いをうけるにちがいない」

結局、何年か経ち、草原は開墾され、結果、砂漠化が進んでしまったことは、歴史は必ずしも人間は「進化」しているわけではないということを証明しているようです。オオカミの生態学的意義を無視して、危険だからといって全部狩ってしまえという考えが、やがて草原までも失い、黄砂が吹き荒れる砂漠化を進めてしまいました。モンゴル老人が言ったとおりになってしまったのです。日本に飛んでくる黄砂が、オオカミがいなくなったことと関係があったと知って悲しくなります。

モンゴルの草原だけではありません。日本でも、ニホンオオカミが絶滅してしまったことで、鹿や猪の害に悩まされるようになりました。モンゴルやチベットと日本の自然環境や歴史は違い、比べてもしかたないことかもしれませんが、ただ、どちらも、バランスが崩れれば、すべては狂ってくるというのは真理でしょう。

そのバランスは、誰かが頭で考えたことではなく、何年、何百年、何千年にもわたって、日々の暮らしの中で試行錯誤しながら学んできた知恵なのです。その民衆の知恵を無視して、「科学」だとか「近代化」だとか「経済効率」で突き進んだ先にあるのは、モンゴルの草原と同じ、「死んだ山」ということになるのでしょう。

 そしてもちろん、モンゴル人にとって神になるオオカミは、草原を守る動物というだけではなく、その圧倒的な強さです。狩の仕方もモンゴル人はオオカミから学びました。

「西北部とモンゴル草原の地で、オオカミトーテムが、無数の遊牧民族にとって、トーテムになりえたのは、草原オオカミがもっている崇拝せざるをえない、拒否できない魅力、勇敢な知恵といった精神的な征服力によるものだ」

オオカミの強さは、強くなりたい人間にとっては、神なる存在となります。これは万国共通の狼信仰です。

「モンゴル民族とは、オオカミを祖、神、師、誉れとし、オオカミを自分にたとえ、自分の身をオオカミの餌とし、オオカミによって昇天する民族である。」

モンゴル老人はこのように下放青年に言います。

「草原の人間は生涯、たくさんの命を殺して、たくさんの肉を食ったから、罪深いのじゃ。死んだら、自分の肉を草原に返すのが公平で、魂も苦しまずに、天に昇れるんだ」

 

ところで『神なるオオカミ』の最後の方に、面白いことが書いてありました。

 「一九七一年に内モンゴルの三星他拉村で出土した玉龍は、中国で最初の龍と呼ばれるもので、新石器時期の紅山文化に属している。その頃、中華の先祖は、狩猟、採集、遊牧、あるいは半農半牧の状態で、農耕民族にはなっていなかった。龍トーテムははじめ、華夏の原始人のトーテムであったが、変化しながら農耕民族のトーテムとなっていった。翁牛特旗三星他拉の玉龍注意深くみて、ぼくが驚いたのは、その原始の玉龍は中国人が普通にみなれている龍の姿ではなく、オオカミの顔をした龍であったことだ。」

龍は、空想上の動物と言われていますが、龍には手足があるので、「蛇」ではなくて、もしかしたらもともとは「オオカミ」を象ったものだったのではないか、などと俺の妄想は膨らみます。

 

 

 

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2022/03/02

良識あるロシア人に期待

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ロシアの侵略は続いています。


でも、ロシアは世界中から孤立し始めました。永世中立国でさえも、ウクライナを支援するという状況です。いつもはどっちつかずの日本も今回はウクライナ支持を鮮明にしました。


「ウラジミール」と呼んで得意満面だった安倍さんはどう考えているんでしょうか。恥ずかしさのあまりにポロリと出たのが「核共有」の話なのでしょうか。


ロシアの都市部の若者中心ではありますが、ロシア人の良識ある人たちは反戦を訴えてデモを展開しています。


このうねりは、プーチンの状況の読み違いだったのではないでしょうか。判断力が鈍っているのかもしれません。または独裁政治にありがちな、周りの人間にイエスマンしかいなくなって、周りが見えなくなっているのかもしれません。


プーチンを止める、排除できるのは、国内の反プーチンのうねりの高まりだと思っていたので、ロシア人の良識に期待したいです。


ロシア支援を表明した中国。今回の件で、もし中国が台湾進攻などすれば、世界からどのような目で見られるか知ったのではないでしょうか。今や中国も、ロシアの仲間と見られているし、ロシアと少し距離を取り始めるかもしれません。


 


 

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2022/02/27

ウクライナ侵攻のプーチン

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力を持った者が、やりたい放題する、力による現状変更は絶対許すことはできません。しかも「核」で脅すって、いつの時代だ?と驚くばかりです。脅すばかりではなく、本当に使ってしまうのではないかという危なさを感じます。

ここにいたっては、プーチンを排除するために、ウクライナ人だけではなく、痛み・混乱は我慢しなければならない、日本人もその覚悟はしないといけないのではと思います。

プーチンの言い分は、NATOがこれ以上東に延びるのを阻止する、ウクライナはもともと同じ民族だから、ウクライナの現政権は民衆を虐げているからそれを助けるためなどと言っていますが、これは表向きの大義であって、もっと下世話な理由なのではないかと思います。

どんなに権力を持とうが、単なるおっさんです。だから自分の身は可愛いし、死にたくない。とくに、イラクのフセイン、リビアのカダフィなど、独裁者がどんな惨めな末路を迎えるか、じゅうじゅう承知していると思います。

どんなたいそうな大義名分を掲げようとも、死にたくないから、という生き物としての戦い、そう考えるとこの非論理的な行動も少しは理解できるかもしれません。

反プーチンの敵を暗殺や粛清し、自分が権力を失なったときの状態を怖がっているのは間違いありません。権力が強くなればなるほど、いつ首を取られるかと戦々恐々とし、さらに強権になっていかざるをえない。

やたらマッチョな肉体を誇示するのも、心理学的なところからいえば、弱いからこその見せかけであり、それは、「弱い犬ほどよく吠える」という諺そのものです。狂人としかみえなくなったプーチンの今の姿はそれを表しているように思います。

そこで希望は、ロシア国内での反戦・反プーチンの動きですが、今のところ、徹底的に取り締まられていて、多くのロシア国民はプーチンに拍手喝采を送っているようです。とくに年寄りですね。

この反戦・反プーチンのうねりが大きくなれば状況は変わってくるのかなと思います。外国からどんなに非難されても、国内で人気があれば殺されることはありませんが、国内で反プーチンが盛り上がることが恐ろしいはずです。

予想に反してウクライナ兵の士気は高く、何の大義もなく、プーチンの命令で侵攻したロシア兵とは雲泥の差です。戦いは長引くかもしれません。そうなったらロシア人も、自分の家族が兵士として死ぬ人数が増えていけば、その憤りはプーチンに向かっていくことでしょう。

一般のロシア人も現実を知り、まともな感覚を持っていれば、プーチンの行動がどんなにか狂っているのかわかるはずです。

そして、今、これを許せないのは、ヨーロッパの話だけでは済まないからです。北方領土がロシアに占領されて、台湾問題なども影響するでしょう。明らかに日本も当事者です。

プーチンの論理でいえば、習近平が台湾同胞を助けるために台湾に侵攻するのも許することになってしまいます。華やかなオリンピックの陰で、ふたりはどんな話をしていたんでしょうか。

でも、習近平も、プーチンがこれほど狂っているとは予想していなかったようで、ロシアといっしょに「悪者」と見られるのは避けるでしょうから、逆に、当分、台湾進攻はなくなったかもしれません。

 

 

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2022/02/19

ウクライナとワリエワ

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ロシアが注目されています。(写真はアムール川(黒竜江)。対岸がロシア)

ひとつはウクライナ侵攻するのか?

もうひとつは、ワリエワ選手のドーピング問題。ロシアの国ぐるみのドーピングではないかという疑惑が持ち上がっています。

高梨沙羅選手が、スーツが規定よりも大きかったということで失格になっているのと比べると、なんて甘いんだ?という印象ですね。

フィギュア団体のときはまだ結果が出ていなかったのでしかたないとしても、その後は疑惑ではなく、陽性が出てしまったんだからこれは完全にアウトでしょう。

ルールはルール。ルールを大切するのがスポーツ。年齢を理由に出場させるというのも変な話です。これがOKなら、子供を薬漬けにしてオリンピックに出場させる悪い前例になってしまうのは確実です。

 ワリエワ選手も被害者ではないかなと思います。もちろんまだ調査段階なので、本人がどのくら知っていたかはわかっていませんが、すくなくとも、コーチなど、周りの大人が知っていないはずはありません。

もしワリエワ選手が知らないうちに、周りの大人たちから「これは問題ない薬だから」と言われて飲まされていたとしたら、それこそ、私のスケート人生をどうしてくれたんだ!と、周りの大人たちを訴えてもいいのではないかと思います。まぁ、そんなことができない状況がロシアの闇なんでしょうが。

 フィギュア女子個人のワリエワ選手のフリーの演技と、その後のコーチとのやり取りを見て、残酷なショー、古代ローマのグラディエターと猛獣の戦い、を見たような、後味の悪いものになりました。可哀そすぎます。子どもの虐待と言っても言い過ぎではないのではとさえ思います。フリーに出場させるべきではなかった。

ウクライナとワリエワ。

一見、関係ないようですが、一番の黒幕はプーチンということで共通しています。かの安倍さんはプーチンを「ウラジミール」と呼び得意満面でしたが、結局、どうなったでしょうか?

 

 

 

 

 

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