カテゴリー「ひとり会議」の22件の記事

2010/06/23

【ひとり会議 その二十二】  「上」は上、「下」は下? 逆さ眼鏡

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(写真をクリックすると、大きな写真が現れます)

桃: ビーノ、あんた、さっきからじっと上を向いているけど、何見てるの?

ビーノ: やっぱりボクは、「上」を向いているんだね?

桃: 何言ってるのよ。上を向いているじゃない。

ボゾルグ: ビーノ、去年1年間、日本を放浪して、とうとう壊れちゃったかな。まぁ、元から壊れている犬だったけどね。

ビーノ: 桃もボゾルグも疑問に思わないの?

桃: 何をよ?

ビーノ: ボクが見ている「上」って、ほんとに上にあるのかなぁ、って。

桃: おバカね、ビーノは。上に見えているんだから、上にあるに決まってるでしょ。

ビーノ: さっきね、ボク、「上」が下に見えた夢をみていたの。

桃: あぁ、すごくうなされていたけど、そんな夢みていたんだぁ。てっきり、おやつのビーフジャーキーを、川に落とした夢でも見てるのかと。でも、夢でしょ? 変な夢はよくあることよ。気にすることないわ。「上」が下に見えたって、逆立ちでもした夢でしょ。

ビーノ: 違うの。体の感覚は、「上」は上、「下」は下なのに、見えているものだけが逆なんだ。空が下に見えていたんだよ。

さぶじい: ビーノさん。

ビーノ: 何? さぶじい。そんなにニコニコして。

さぶじい: いや、ビーノさんはすごいなぁと思いまして。

ボゾルグ: どうして?

さぶじい: 人間の常識を疑うような発想をしますからな。

ボゾルグ: それが、感心するほどのものかどうかはわからないけどね。

桃: 犬の特権ね。

さぶじい: 逆さ眼鏡って聞いたことがありますかな?

ボゾルグ: ないね。

さぶじい: 直角プリズムを使っている、上下が反対に見える眼鏡のことです。

桃: そんなのあるんだぁ。

さぶじい: これをかけると、はじめは慣れなくてめまいがするそうです。でも、そのうち慣れてきて、元通り、普通の生活ができるそうですよ。

桃: 考えただけで、クラクラして気持ち悪くなりそう。

ボゾルグ: 俺も、絶対かけたくないね。

桃: それは何のためにかけるの?

さぶじい: いや、これはメリットがあってかけるわけではなくて、心理学で人間の知覚や認知を調べる実験道具らしいのですな。インターネットには体験談もありますし、書籍も出版されています。でも、これはおもしろい話だと思いました。

ボゾルグ: どこが?

さぶじい: なぜなら、私たちは、目の前の空間が、上は上、下は下に見えるのは当然と思っていますが、考えてみれば、網膜に映ってる像自体は上下逆転しているわけですな。それを、脳がもう一度、さかさまに変換して、上は上、下は下に、「見せている」ということ。だから、逆さ眼鏡は、それを再々変換することになるということですな。

ボゾルグ: つまり? ・・・ 頭がこんがらがってきたよ。

さぶじい: カメラで撮られる像も、センサー上では上下逆転しているのを、あとで、ソフトが「回転」させてみせてくれるわけで、脳の働きと同じことではないですかな。だから、もともと初めから「上」を下に見るようになっていたとしても、不都合はないようですよ。

ビーノ: どっちでもいいんだ。

桃: 慣れというか、人間の適応力ってすごいわね。

ボゾルグ: そういえば、人の顔写真をさかさまに見せられると、だれだかわからないってことある。顔は頭が上、顎が下の状態で見慣れているので、なかなかさかさまではわからない。地図もそうだね。普段見慣れている「北」が上に描いてある地図に慣れていると、「南」が上になった地図は見づらい。でも、見慣れてくると、なんにも不都合は感じなくなる。

桃: そうかぁ。慣れているだけってことなのね。

ビーノ: だから、慣れは恐ろしいとも言えるんでしょ?

桃: 何だか、こういう常識を疑うって、他のことにも応用できそうね。たとえば、ここに写真があるけれど、上下逆に飾ったときも、美しいとか、いい写真だとか思うのかなぁ。

ボゾルグ: これも慣れないと、難しいよね。普通、木は地面(下)から生えていると思っているから、この写真は、なんだか不安感が漂う。

さぶじい: そういえば、ある写真家の先生が、こんなことを言っていましたな。逆にして見てもいい写真はいい写真だと。コンテストの審査では、逆にして見て判断したこともあったそうです。つまり、「常識」の中で写真を見続けていると、いいのか悪いのか、わからなくなる。だから「常識」から逃れるひとつの方法ではないかと、わたしはそのとき思ったのですがな。逆にすることで、写真を抽象絵画のような感覚で選ぶ、という・・・。

ビーノ: そんなふうにして写真の賞を決めたんだ。その写真家、いいかげんだね。

さぶじい: どうですかな。いいかげんと言われればそうかもしれませんが。逆に、見慣れている写真が、いいと思いやすい、ということでもあるかもしれませんな。

ボゾルグ: 親近感が沸くというか、安心するっていうか・・・。

さぶじい: その慣れを、いったん断ち切って、まっさらな目で見直すという意味では、いいかもしれませんよ。

ボゾルグ: とにかく、「常識」の中にいると、その「常識」がどういうものか、わからないってことはあるよ。そこから抜け出すヒントみたいなものはあるね。それは俺もわかる。

ビーノ: じゃぁ、ふたりが逆立ちして向き合ったら、相手の顔はすぐわかるのかな?

ボゾルグ: 試してみれば? めんどくさい。頭がおかしくなりそう。だいたいにして、ビーノが逆立ちしたら、耳が長く伸びて、お化けみたいになってしまうんじゃない?

桃: 頭に血が上って、それどころじゃないかもよ。

ボゾルグ: 「血が上って」じゃなくて「血が下がって」だろ?

桃: 何が何だかわからなくなってきたわ。

ビーノ: ところでこんど選挙でしょ? 候補者たちが、これでもか、これでもかって、顔を露出するのも、見慣れさせて、票を入れてもらう作戦なの?

桃: 見慣れてくると、確かに親近感はわくし、入れようかなぁという気持ちが起こるわね。

ビーノ: その候補者の本心を見抜くためには、どうするか? ボク、いいこと考えたよ。

桃: 何?

ビーノ: 逆さ眼鏡をかけて見たらいいんだよ。

ボゾルグ: それもいいね。でも眼鏡がなかったら、候補者の前で逆立ちして顔を見るんだね。

桃: ふたりとも、何馬鹿なこと言ってるの? 選挙権もないくせに。ビーノは、ソフトバンクの「おとうさん」とは違うのよ。「おとうさん」は立候補したけど。

さぶじい: みなさん、上下逆の写真ですが、これを「棚田」だと意識せずに、しばらく見続けていたら、いい写真に見えてきましたな。

ビーノ: あれ、ホントだ。すばらしい写真だね。

桃: ビーノ、どうせこの写真を撮ったあんたの飼い主の腕がいいといいたいだけでしょ?

ビーノ: ばれた? だって、写真をほめないと、ボクの飼い主、怒って、ご飯くれないんだもの。


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2009/04/25

【ひとり会議 その二十一】  SMAPの草なぎ剛さん

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【ひとり会議 その二十一】  SMAPの草なぎ剛さん


ビーノ: びっくりしたね。SMAPのクサナギくんが逮捕だって。しかも、公然わいせつ罪だからね。

ボゾルグ: そうだね。「嘘だろう」と思ったよ。でも、それと同時に、「やっぱりやったか」とも思ったよ。

桃: どういうことよ?

ボゾルグ: 草なぎくんは、「いい人」で売っているけど、プライベートでは違うんだろうなと、ひそかに思っていたから。先生や警察官や公務員とか、まじめで硬い仕事の人が、けっこう羽目をはずしてしまうってことが多いような気がするし。

ビーノ: クサナギ君は、「日本で一番有名な凡人」なんていう人もいるね。

桃: ビーノ、なんてこと言うの。ひどいよ。私、草なぎくんのファンなんだから。

ビーノ: ボクが言ったわけじゃないよ。しかも、悪い意味でもないでしょ。

ボゾルグ: 俺も、最初ニュースを聞いたとき、さっきもいったように「やっぱりやったか」と思ったけど、昨日の記者会見を見て、ちょっと彼に対しては見方が変わったな。

桃: 彼は本当にまじめなのよ。「いい人」を演じているわけじゃわ。

ボゾルグ: うん。たしかに彼はまじめなんだなと思った。大きな問題になってしまったけど、逃げないで、自分でちゃんと記者会見して自分の言葉でせいいっぱい説明しようとしている姿に、誠実さを感じたよ。

ビーノ: でも、記者会見で、クサナギくん自身が、自分は酒に飲まれやすく、いつかは失敗するかもしれないと思ってたみたいなことも言ってたよね。

桃: 完璧な人なんていないよ。酒飲んで失敗する人なんて、世の中たくさんいるじゃない。こんなの「犯罪」じゃないよ。

さぶじい: そういえば、外務大臣が、酒に酔ってへべれけになって会見する姿が世界中に放映されたということがありましたな。

ボゾルグ: あれは恥ずかしかった。

桃: それより、ましでしょ? 今回の件は、世の中騒ぎすぎだと思うわ。あの鳩山邦夫総務相の発言は何? 自分を何様だと思ってるの? 「アルカイダから爆弾情報を得ていた」といって非難された人よ。あんたにだけは言われたくないよ、「最低の人間」なんて。草なぎ君をさんざん利用しておきながら、ちょっとでもミスをすると徹底的に非難して、自分の所に火の粉が飛んでこないように予防線を張る。そういう機敏さは、さすが政治家だわ。

ボゾルグ: 俺も、だんだん怖くなってきた。マスコミの騒ぎ方は異常だよ。裸になったというのも、どうも、自分の部屋に帰っていると勘違いしたのかもしれないそうだし。そういうことってあるよ。酒に酔って、トイレと勘違いして、俺のスポーツバッグにおしっこした友だちがいるけど、翌日聞いたら、さっぱり覚えていなかった。

桃: そんな友だちといっしょにしないで。

ビーノ: でも、酒で問題を起こしそうだと分かっていたなら、ちゃんと注意すべきだったんだよ。普通の人じゃなくて、超有名人なんだから。影響が大きいよ。普通の人のように、酔っ払って裸になりました、ハハハ、で終わる話じゃないでしょ。

桃: そうかもしれないけど、あまりにも厳しすぎない?

ボゾルグ: 「血祭り」ってあるじゃない。なんだか今回の件は、「待ってました」とばかりに、「祭り」に飢えた日本人が、かっこうのエサにありついたって見えるんだけど。たとえば、公然わいせつとはいっても、公園には一人だけだったんだから、うるさい声に迷惑した住民の人たちを除けば、被害者はいないし、尿検査や、家宅捜索で、薬物もなかった。だから、ある意味、すごく単純な事件。もし、薬物なんか出てきていたら、今度は、SMAPのメンバーに捜査が及んだり、誰から買ったとか、密売ルートも解明しなければならなくなる。でも、草なぎ君の件は、そうじゃなかったので、ある意味、安心して「血祭り」にあげられる。事件の裏には何もなく、どうせ、すぐ沈静化するのは分かっているわけだから、マスコミも、視聴率取れるのは今だけだと、短期集中的に取材攻勢をかける。

桃: 警察官の制止を振り切っても、草なぎ君を乗せた車に群がるカメラマンの姿を見ていたら、どっちが「悪者」って言いたくなったわ。

さぶじい: そうですなぁ。ボゾルグさんがおっしゃるように、「祭り」ですな。「祭り」を楽しんだ後は、何事もなかったように静かになるんでしょうな。あるいは、別な「祭り」を探すということでしょうか。

ボゾルグ: 「祭り」を提供し続けないと、マスコミは生き残れないのさ。今回の「祭り」では、とてつもなく大きな花火が上がったような感じだね。まさに「血祭り」。謝罪会見もきちんとやったので、この「祭り」もすぐ終わるんだろうけどね。

桃: きちんと謹慎して、けじめをつけてから、早く出直してほしいわ。

ビーノ: そう簡単に終わるかな。ファンにはそれでいいかもしれないけど、仕事関係では、とても大きな損害を与えてしまったわけで。許されないんじゃない。

桃: ビーノ、今回は、どうも厳しいね。

ビーノ: 「人前で裸になって何が悪い!」って、ボクも叫んでみたいよ。

桃: なんだぁ。人前で裸になっても、話題にならないので、ひがんでいるのね?

ボゾルグ: バカか、ビーノは。

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2009/01/24

【ひとり会議 その二十】 地球温暖化祭り?

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ボゾルグ: 去年はエコがブームになったね。今年も続くのかな。年が明けてからも、やたらと地球環境問題がテレビ、新聞、ラジオ、インターネットで取り上げられていることに対して、いちゃもんつけたら、また「KYな人」と言われてしまうのかなぁ。

ビーノ: だと思うよ。ボゾルグは、地球温暖化してないっていう意見だったよね。

ボゾルグ: そんなことないさ。温暖化してるかもしれないけど、「100パーセントはわからない」というだけだよ。

桃: ボゾルグは、疑り深いのよねぇ。

ボゾルグ: もちろん、地球環境問題についてみんなの関心が高まって、なんとかしなければと思うことは大切なことだと考えているよ。ただ、温暖化に関しては、CO2が「原因」なのではなくて、むしろ温暖化の「結果」としてCO2が増えるという研究もあるし、それどころか、温暖化ではなくて、寒冷化しているという発表まであるので、素人の俺たちには、ほんとうは何が正しいのか、正直分からないんだよ。俺は、わからないことは、わからないって言いたいだけ。それよりも、このお祭り騒ぎ、気になるんだよなぁ。

さぶじい: 急激な地球温暖化問題の盛り上がり方に、私も懸念を感じますな。そもそも、温暖化を含む地球環境問題は、すぐに解決するものはひとつとしてありません。被害者と加害者、敵と味方、といったものも見えずらい。だから、たぶん、何年もかかって、それこそ、「持続可能な」活動で、ようやく、何年後、何十年後かに、解決する問題なのではないかと思っています。

桃: 日本人の性格として、何か話題になると、みんながいっせいにそれに飛びつき、お祭騒ぎになり、お祭が過ぎると、何もなかったように無関心になるところがあるわね。

ボゾルグ: 俺の思い過ごし? それならいいんだけど。

さぶじい: 去年の洞爺湖サミット。洞爺湖サミットの直前は盛り上がりましたなぁ。終わったら、トーンダウンしたような気がします。やっぱり、政治との関係が深い・・・。

桃: 温暖化問題は、純粋に科学の問題だけではなくて、政治問題でもあると?

ビーノ: そんなら、ただ単に、地球が、温暖化してるかどうか、論争してる科学者はばかみたいだね。

桃: なんてこと言うの? ビーノったら。純粋に科学的な論争も重要なのよ。

さぶじい: やはり、環境問題というのは、政治問題でもありますなぁ。極端なことを言いますと、私は、地球が温暖化しているかどうかというのは、どっちでもいいのかなと思うときもあります。

ビーノ: どっちでもいい? どうして?

さぶじい: そもそも、この地球上に、人間が増えてしまった。その増えた人間を減らすことはできません。もちろん、増えないようにする努力はやっています。しかし、このままこの大勢の人間が、エネルギーを大量に消費し、地球環境を汚していったら、人類が破滅するのは明らかです。そうならないためには、やっぱり、低炭素社会は、あるべき姿かなとは思います。ただ、そうなると、今までの産業の構造では立ち行かなくなります。構造を変えねばなりません。仮に温暖化してなくても、変わらなくてはならないんです。

ビーノ: チェンジ! だね。

さぶじい: その全人類的な産業構造の変化と、思想の変化は、やはり、ある程度の衝撃がないと、前には進まないと思うのですがな。

桃: 多少の脅しも必要だってこと? このままでは、地球が温暖化し、大変なことになると。

さぶじい: そうです。温暖化という全人類的な危機感は、かっこうのきっかけなんだと思いますな。

桃: 利害が一致するんだわ。CO2を減らすことは。新しい産業構造を興し、自然エネルギーに関する雇用を作り出し、みんなを幸せにする、夢を与えるという政治の目的と。だから地球温暖化問題は、政治問題でもあると。たぶん、そうかもしれない・・・。

ビーノ: 自然エネルギー100パーセントの世界。クリーンな環境のバラ色の地球。なんて人間はロマンチックなの。たぶん、社会主義思想が生まれたときや、原子爆弾が発明されたときも、人間はバラ色の夢を見たんでしょ?

ボゾルグ: なんだか俺が言いたいことを、今回は、ビーノが言っちゃったかな。

さぶじい: でも、ビーノさん、ボゾルグさん。バラ色の未来を見せなくてはならないのが政治家の仕事ですからな。今できることは、それしかないと思います。たとえ、そのバラ色の世界の先に何が来るとしても。アメリカの新大統領オバマさんも、これからのアメリカの復興のカギは、グリーン・ニューディール政策だと言っています。良くも悪くも、アメリカが動けば、世界が動きますからな。ますます環境問題が、政治的になっていくでしょう。

桃: 自然エネルギー100パーセントの世界が実現したとき起こる新しい問題って、あるのかな?

ビーノ: やっぱり、ボクがにらんだとおり、なにか問題がある?

ボゾルグ: いや、まだわからないけど、何事にも、100パーセントいいことなんてないと思っているから。この前テレビで、ある科学者が、将来、自然エネルギーに100パーセント代わりますと、笑顔で予想してたけど、俺は、あの笑顔を見て、「怪しいな」と疑ってしまったよ。なぜって、一番良く知ってる科学者がだよ、100パーセント自然エネルギーになったとき、心配事が出てくるのは、当然でしょ? それなのに、「バラ色の世界」みたいなことしか言わない。しかも笑顔で。絶対、何かあると、俺は思ったね。

桃: ボゾルグは、ホント、疑り深いよ。


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2008/12/28

【ひとり会議 その十九】 年末ジャンボ宝くじ、当たるかなぁ

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【ひとり会議 その十九】 年末ジャンボ宝くじ、当たるかなぁ


さぶじい: 今年も年末ジャンボ宝くじの時期ですな。

桃: 仙人のくせに、さぶじいも買ったのね。

ボゾルグ: 俺も買ったけど、当たることは期待してない。

桃: 私は、占いの本を見て、日を決めて買ったわ。今までたくさん当たりくじが出た売り場でね。

ビーノ: ボクは、何も考えずにテキトウに買っちゃった。

ボゾルグ: えらい、ビーノ。宝くじのようなものは、考えるとダメなんだよ。ビギナーズ・ラック(初心者の幸運)ということがあるし。

ビーノ: どうして? みんな寒い中、長い時間並んででも、当たる売り場で買おうとしてるじゃない。やっぱり当たる売り場で買うと、当たりやすいんじゃないの。

ボゾルグ: そんなことないよ。前回当たりくじが出たといって、みんながその売り場に殺到すると、結果的に売り上げ枚数が増えるから、当然その中に今回も当たりくじが含まれる確率が高くなる。だけど、その「売り場の確率」は、たしかに高くなるけど、一枚一枚の確率は、まったく変わらない。そこで買うと、当たる確率が高くなるように感じるのは、勘違いじゃない? 売り場で当たりくじが出る確率と、宝くじ一枚が当たる確率とは違うと思うよ。

ビーノ: そうなんだぁ。それを聞いちゃうと、あんな寒空で、長時間並んで買っている人間て、悲しくみえてしまうよ。

桃: じゃぁ、どこで、いつ買っても同じだというの?

ボゾルグ: 同じかどうかはわからない。

桃: どういうこと?

ボゾルグ: いや、俺が言いいたいのは、確率じゃないんだよね。確率だけの話なら、ひたすら枚数を多く買う。それで「俺が当たる確率」は高くなる。

さぶじい: たしかに。全部買ったら、100パーセントの確率。必ず当たる。

桃: 現実問題、それは不可能ね。

ボゾルグ: 俺が言ってるのは、宝くじの一枚ごとの当たる確率は同じだけど、占いや、お呪いと同じで、気持ちの問題があるってことだよ。「当たる」と信じるところで買ったほうが、気分がいいということ。げんを担いで、毎年同じところで買ったり、ある数字を買ったりして、気持ちを落ち着かせる。そのことと、当たる確率は違うってこと。

桃: でも、巷では、ここで買ったほうがいいとか、何日の何時に買ったほうがいいと、言ってる人もいるよね。

ボゾルグ: じゃぁ、聞くけど、みんなが「当たる」と言われる売り場で、何日の何時に買ったとするね? 結果はどう? 全員が当たるはずないじゃない。そもそも、そいういうことをホントに信じているなら、他人に教えると思う? 俺だったら、教えないよ。人に教えるってことは、自分が当たらなくなる確率を増やすってことだからさ。大きな矛盾。

桃: なんだかボゾルグ、占いや、げんを担いで買っても無駄だって言ってるみたい。

ボゾルグ: いや、反対だよ。

ビーノ: ボゾルグは、他人が、占いを信じたり、げんを担いで当たるのを知るのが、いやなんだよ。ね? ほんとは、自分も信じたいから。

ボゾルグ: 鋭いなぁ、ビーノは。ちょっと当たってる。俺は占いを信じたくない、と言うより、「どこで買っても、いつ買っても宝くじ一枚あたりの確率は同じ」という前提がなければ成り立たないと思っているんだよ、宝くじって。当選番号は、まったくの偶然に決まり、誰かが予想したりできるものではないし、また、そうでないからこそ、みんなに平等な宝くじを楽しめるってことだろ? 誰か特別な人たちだけが、当たりを独占できるとしたら、もうすでに、宝くじなんか、なくなっていたよ。ビギナーズ・ラックというのがあるよね。何も知らず、考えずに買ったほうが当たるというのは、意外と、「科学」かもよ。確率から言えば。それは、どこで買っても同じだということの証明じゃないかなって思うんだけど。あえて、人間の「意思」が働かないほうが、ちゃんと当たるという・・・。

さぶじい: ビギナーズ・ラックというのは、何の分野でも聞きますなぁ。

桃: けっきょく、みんなの自由でしょ?

ボゾルグ: そうとも。だから、言ったじゃない? 気持ちの問題だって。そもそも、宝くじは、「夢を買う」とも言うよね。つまり、たいていの人は、外れることも覚悟して買ってるわけ。でも、もしかしたら、当たるかもしれないという夢を見れるわけでしょ。3億円当たったら何をしようかな?なんて、楽しいじゃないか。

ビーノ: ボクなら、ペディグリーチャムじゃなくて、サイエンスダイエットのご飯をお腹いっぱい食べたいな。

さぶじい: 私は、若い天女たちに囲まれて、酒池肉林ざんまいで暮らしたいですな。

桃: さぶじいったら。ほんとにしょうがない。仙人らしからぬ夢ね。さぶじいには、宝くじ、当たらないほうがいいわね。

さぶじい: 桃さんのおっしゃるとおりですな。当たったら、人生、狂ってしまいそうです。しかし、夢を見るのは楽しいものです。宝くじは、単純に「当たる」確率だけを求めるんじゃないということでしょうな。ボゾルグさんのおっしゃる通り、気持ちの問題でもあるのでしょう。一枚当たりの確率は同じですが、人は、「どこかに、確率の偏りはあるはずだ」とも思いたいんですな。だから、予想や占いを信じてみたくなる。そして、それが信じられれば、その売り場で、何日の何時に買えばいい。それはみんなの自由です。

桃: つまり、予想や占い、げんを担ぐのも、宝くじの一部なんだということね。

ボゾルグ: そういうことだよ。だから俺は、宝くじは平等であってほしいと思っているので、あえて、買う売り場にはこだわらないし、当たるとも思ってない。ただ、そう考えること自体、俺の意思は入っているので、ビギナーズ・ラックは、もう期待できないけどね。ただ、せっかくだから、当たった夢を見て楽しんでいるだけ。だから、何も考えずに買ったビーノは、偉いって言ったんだ。

桃: ところで、ビーノは、何枚買ったの?

ビーノ: 10枚。バラで。バラの方が、いろんな味が楽しめていいんだもの。

桃: ビーノ?

ビーノ: 桃、どうしたの? 宝くじって、インクが特別な匂いがするでしょ? 特に今年は、片岡鶴太郎さんの絵で、おいしいんだよね。それと、あの紙質。ワシャワシャ、噛みごたえがいい感じなんだ。

桃: ビーノの飼い主が、ビーノのウンチに数字が書いてあって不思議だなって言ってたけど、そういうことだったのね。

ボゾルグ: 偉いなんて言ったけど、撤回するよ。まったく。


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2008/12/22

【ひとり会議 その十八】 六本木のビルの中国人?

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【ひとり会議 その十八】 六本木のビルの中国人?


ボゾルグ: この前、六本木の、あるビルへ初めて行った。俺には似合わないオシャレな場所なので、めったに出かけないエリアでもあるけどね。

桃: そうね。わかるわ。

ボゾルグ: それはともかく、ビルの中には、簡単な食事ができる軽食レストランが並んでいる一角があった。その店のひとつに、「刀削麺(包丁で削って麺にした中国の麺)」の店があって、おねえちゃんが、「トウショウメン、イカカテスカ~」って、お客さんを呼び込んでいた。それが、明らかに中国人ふうの発音だったんだよね。

ビーノ: それが何か? 中国人、働いているんじゃないの? 今じゃぁ珍しくないし。

ボゾルグ: そうなんだ。でも、それを聞いて、とっさに思ったことは、彼女は、ほんとうは中国人ではなくて、純粋な日本人で、中国人ふうの発音をわざとやっているんじゃないかということ。

桃: どうしてそんなことを? 

ボゾルグ: わざわざ確かめようとは思わず、素通りしたけどね。別に、それでもいいんだけど。非難するんじゃないよ。ただ、俺がとっさにそう思ったのは、それなりに訳があるんだな。ある意味、「今の東京だから」かもしれない。

ビーノ: 聞いてあげるよ。どうぞ。

ボゾルグ: 以前、外国人が経営する飲食店で聞いた話だけど、日本に住み始めて10数年の主人は、日本語がぺらぺらだった。彼が、テレビに出たことがあるそうだ。もちろん日本のテレビにね。彼がテレビに出るとき、日本語がうますぎると、もっと下手にしゃべるように、ディレクターに要求されたって。そのほうが、外国人ぽくてウケるからっていう理由なんだな。

桃: そういえば、テレビ番組で有名になったナイジェリア人タレントのボビー・オロゴン(最近は格闘家)も、じつは日本語がとてもじょうずだという疑惑(?)があるわね。つまり、「下手な日本語をあやつる外国人」を演じている(演じさせられている)というもの。これも、もちろん確かめたわけじゃないけど、ありえる話でしょ。

ボゾルグ: そう。それも聞いたことある。それで、六本木のビルの話に戻ると、でも、なんで、そんなことをする必要があるのか?と、思うでしょ? 一昔前、東京にあるエスニック料理は、はっきりいって美味しくなかった。それは、俺が旅先で覚えてきた味を再現して出してくれる店ではなくて、日本人の舌に合わせた味だったので、満足できなかった。

桃: そうね。「フランスパン」とか言いながら、「フ」みたいな、ふにゃふにゃしたパンがあったもんねぇ。

ビーノ: 今もあるよ。ボク、歯ごたえがないパンなんか、まずくて食べられないよ。

桃: あんたは、なんでも食べちゃうんでしょ?

ボゾルグ: ところが、いまや、外国人がたくさん住んでいる国際都市東京。エスニック料理店も、日本人ではなくて、ほんとの外国出身者が作っている店が増えてきたので、本格的な味に変わってきた。だから、俺はとっさに思った。日本人が作る「刀削麺」よりは、中国人が作った「刀削麺」がうまいに違いないとね。もちろん、その女性が作っているのではなかったけど。中国ふうの雰囲気を強く出したほうが、今は、「本格派」をイメージするんじゃないかなぁと。

桃: まぁ、それはボゾルグ、あんたの思い込みだけどね。そんなに手の込んだことしなくてもいいんじゃない。本物の中国人を雇って使えば問題ないよ。日本語を下手にしゃべる中国人を。

ボゾルグ: じょうずだと意味がない。まぁ、たまたま中国人を雇えなくて、しかたなく、日本人が中国人を演じさせられているのかも。

桃: そこまでするかな? 考えすぎなんじゃない?

ボゾルグ: そういう可能性もあるって話さ。

桃: 可能性を言ってしまったら、なんでも可能性はあるわ。

ビーノ: まぁまぁ、桃ちゃん。そんなに突っ込まないで。ボゾルグがそう考えてしまうようなところが、今の東京という国際都市なんだ、ということを言いたいんじゃないの?

ボゾルグ: そう。そう。俺が言いたかったのはそこなんだよ、ビーノ。でも、俺、馬鹿にされてるような気がする。

ビーノ: ボゾルグ、そんなことないよ。


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2008/10/09

【ひとり会議 その十七】 サル一匹とさえ共生できない都会人

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ボゾルグ: サルが東京都内に出没していたようだね。まだ捕まってないのかな。

ビーノ: サルさん1匹に大騒ぎして、右往左往してる人間は、こっけいだね。

ボゾルグ: 「自然との共生」とか言ってるわりには、サル1匹とさえ共生したくないんだな、都会人は。「共生」なんて、やたらと言いたがるのは、都会人に多いのかもね。

桃: でも、子供が噛まれたりしている事故もあるからね。心配なのよ。

ビーノ: 最初から、野生のサルさんは危ないと思われてる。動物園では、あんなにかわいがられているのに。檻の外ではどうして嫌われるの。サルさんかわいそう。

桃: しかたないよ。東京だけじゃなくて、地方でも、サルは困った問題よ。商店から物を盗んだり、ホテルに侵入しておしっこやウンチしたり、農作物を食い荒らしたり・・・。だから、そこでは害獣になってる。「駆除」されることもある。

ビーノ: 「殺される」ってことでしょ? でも、これは、サルさんのせいなの? 人間が原因を作ったんじゃないの?

桃: そうね。サルたちの住む場所が狭くなったせいね。だからどうしても、人間の生活圏とかぶってしまう。

さぶじい: サルばかりではありません。野生動物の問題は、山や森のカミを殺してしまった人間が、自分がカミになったと錯覚したところから始まっているのではないですかな。

ビーノ: さぶじい、それ、『もののけ姫』で見たよ。ウケウリだね?

さぶじい: バレましたかな。

ボゾルグ: 都会では、サルに大騒ぎだけど、その一方で、地方で作物を荒らすサルを「駆除」すると、「かわいそうだからやめろ!」なんていう苦情が殺到するらしいよ。地方のサル害なんて、関係ないからね。たいていは、都会に住んでる「自然が大好き」「動物が大好き」な人間が多いらしい。ちゃんと自然と「共生」してる人は、「かわいそう」とかいう一方的な意見は言わないもんだよ。言えるはずがない。なぜなら、みんな悩んでいることを、ちゃんと知っているからさ。駆除なんか、ほんとはしたくない。苦渋の選択をしているんだよ。

ビーノ: だったら、東京でサルさんの1匹と共生するくらい、どうってことないと思うのに。やっぱり、身近に問題が起こると、共生なんて軽々しく言えなくなるの?

ボゾルグ: 「共生」という言葉には、なんとなく、「仲良く暮らしてます」みたいな偽善を感じるよ。だいたいにして、農業だって、林業だって、狩猟だって、漁業だって、ある意味、自然との闘いでもあるだろ? やさしい自然なんて一面だけだ。自然は厳しいものでもあるんだよ。それをちゃんと分かっている人が、「共生」っていう言葉を使ってほしいな。田舎では、自然と「共生」するために、どれだけ苦労しているのか、都会人はわかってないよ。

さぶじい: 今回、東京に出没するサルに関しては、そんなに悪さをしているわけではありませんし、放っておいてもいいのではないか、という気がします。そのくらいの包容力をもたないのでしょうかな。あのサルが迷惑かけているとしても、その界隈で、たち小便したり、吐いたり、大声出してけんかしたりしている人間の方が、よっぽど迷惑だと思うのですがな。

ビーノ: そうだ、そうだ。そっちを「駆除」しちゃおうか。「駆除」が可愛そうなら、島流し。

桃: ビーノ、「島流し」なんて知ってるの? でも、あのサルは、やっぱり捕まえられてしまうんだろな。追い出されたサルは、田舎へ行って、けっきょく人間に害を及ぼす。都会はよくなるけど、サル害のつけは、田舎が引き受けるってこと?

ボゾルグ: だろうね。都会とは、そういう異物を排除して快適さを得ているから。その快適さを脅かすものは、たとえ、小さくても、取り除こうとする。タバコの煙を徹底排除、危なく見える人間も排除、臭いものも排除、ばい菌も排除。ぜんぶ排除しようとする。だから、サルなんてもっての他なんだろうな。

桃: そして、もし何かあったら、「誰の責任だ!」といって騒ぐ人がいるから、そうなる前に、トラブルの芽を摘み取ってしまおうということなんでしょ?

ボゾルグ: だろうね。

さぶじい: 人工的な空間、都市空間は、人間の脳が作ったパラダイスですからな。だからサルなどという異物が入り込むと、苦痛でしかたなくなる。脳は、都会でサルと共生する方法をまだ考えられず、混乱してしまう。

ボゾルグ: せいぜい、檻に入れて見てるだけ。

ビーノ: 人間の脳なんて、まだその程度。ボクのと同じレベルってこと?

桃: ちょっと違う気がするけど・・・

ボゾルグ: ビーノ、せいぜい、おとなしくして「駆除」されないようにね。おとなしくしてれば、「異物」じゃないから。

ビーノ: またボゾルグは、「異物」じゃなくて「汚物」だって言いたいんでしょ?

ボゾルグ: だれも言ってないよ、そんなこと。最近ビーノは、ひがみっぽいよ。


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2008/09/09

【ひとり会議 その十六】 エコ自慢したがる人々

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ボゾルグ: 最近、「エコ、エコ」って、エコ自慢するタレントが増えてきたね。

桃: どんな?

ボゾルグ: 「私は、割り箸を使わずに、『マイ箸』(私の箸。つまり塗箸)使ってます」だの「レジ袋の代わりに、『エコバッグ』を持ち歩いてます」だの、どうでもいいようなことを自慢して、高感度アップを狙っている一部のタレント。

ビーノ: 実際、そうやってエコに取り組んでいるからいいじゃん。ボゾルグはそうやって、すぐイチャモンつける。

ボゾルグ: 別にイチャモンでもかまわないけど。ただ、よくもまぁ、恥ずかしげもなく、そういうことを言えるもんだなと。『マイ箸』だろうが『エコバッグ』だろうが、いいよ、使っても。その人の趣味なんだから。それは俺も認めるよ。でも、それを「私は地球環境を考えてます」みたいな顔して自慢されるのが嫌なんだよね。

さぶじい: そういえば、「森林保護のために割り箸を使うな」みたいな議論がありますが、ちょっとそれは違うようですな。

ボゾルグ: タレントならまだ許せるかもしれない。この前ラジオを聴いていたら、いわゆる「自然環境保護」を訴える学者が堂々と「使い捨てにする割り箸は良くないから、私は『マイ箸』を使ってます」と真面目にいっていた。ほんとかな?と思ったね。

桃: そうね。ちょっと、違うわよね。特に、日本製の割り箸は。あれは、間伐材の真ん中から柱などを取ったあとに残った、捨てられてしまうような端材で作る。だから、森林を破壊しているわけじゃない。むしろ「山を育てる」とも言われているわ。ただ、外国産の割り箸は、割り箸のために木を切って作っているのもあるから、そこが問題なのよ。環境意識が高いことをアピールしたくて、「割り箸を使わず、『マイ箸』を持ってる」と自慢したがるタレントの気持ちはわかるわ。その学者は、外国産の割り箸の話をしたんじゃない?

ボゾルグ: そうかなぁ。だったら、「マイ箸」は、環境にいいの? マイ箸だって、ちゃんと使ったあとは洗わなくちゃならないし、水と洗剤を使って環境に負荷をかけているだろ? 「エコバッグ」だって、最近は、ブランド物まででてきた。エコバッグが大量に売れることは、はたして環境にいいことなのか?と思うよ。

ビーノ: ボゾルグ、意外と細かいね。

ボゾルグ: いやいや、「敵」も細かいところを突いてくるんだから、こっちもそれに合わせているだけだよ。割り箸・マイ箸、レジ袋・エコバッグ、どっちにしろ、環境に負荷をかけるんだから。ほんとは、そんなわずかな差を自慢しても、どうしようもない。だって、そのタレント、テレビ局には、電車と歩きで来るのかな? そうじゃないだろ? タクシー使って来てるんだよ。だから、仮にマイ箸を使うことに、多少のメリットがあっても、タクシー使った時点で、前部帳消しになっちゃうんじゃない。

ビーノ: ほんとに細かい・・・。

さぶじい: ボゾルグさんがおっしゃること、わかりますな。でも、人によって、気になるところが違うだけ、ということかもしれませんよ。ある人は、割り箸を使うことには抵抗があるけど、タクシーをばんばん使っても気にならない。ある人は、割り箸は気にならないけど、電車じゃなくて、タクシーを使うことは、環境に悪いと考えてしまう。でも、なんだか、どっちもどっちではないかなと思ってしまいますなぁ。ところで、どうして、割り箸やレジ袋が目の敵にされてしまうんでしょうな。

桃: それは「使い捨て」ということが、後ろめたいからじゃない?

さぶじい: そうかもしれませんな。「使い捨て」ということに何か罪悪感を持つからでしょうか。でも、割り箸でも、レジ袋でも、燃えるごみに混ざっていたほうが、ごみは良く燃えて、環境に良いという説もあるようですし、「捨てる」ことが即「無駄」と考えるのは、間違っているのかもしれませんな。

ボゾルグ: そうなんだよ。「使い捨て」がすべて悪いというのは、思い込みだよ。だいたいにして、「使い捨て」が悪いといったら、医療ごみなんかどうなるの? 注射器も使いまわししたほうが、環境にいいのは分かりきっている。でも、そうじゃない。それは、環境と、健康とのバランスを考えたとき、捨てたほうがいいから捨てるようになったわけだろ? だから、俺は、割り箸も、レジ袋も、環境を考えるために、ちゃんと使い捨てしたいね。

ビーノ: ボゾルグは、あいかわらず極端で単純だね。僕はそもそも、箸もレジ袋も使わないから偉いよね?

桃: 何言ってるの? ビーノもエコ自慢する気? あんたの飼い主、レジ袋、たくさん使っているじゃない。

ビーノ: えっ?

桃: 知らなかったの? あんたのウンチを入れるのに、レジ袋が重宝だって言ってたわよ。でも、1回で捨てるんじゃなくて、何度も何度も洗って使って、最後は燃えるごみで出してるの。レジ袋がないときは、食パンの空き袋を使うそうよ。涙ぐましいわ。そこまで使われるレジ袋なら、エコだと思うわ。

ビーノ: そうかぁ、僕、気がつかなかったよ。だってウンチしているときは、犬にとっては一番無防備な状態なんで、周りに敵がいないか、そればかり気になっちゃってたし。それになんだか、僕の飼い主は、ウンチしているとき、じっと目を覗き込むんで、落ち着かなくってさ。

ボゾルグ: ビーノの周りは、敵ばっかりだろうしな。でも、なんだよ、桃。けっきょく、ビーノの飼い主のエコ自慢じゃないか。みんな、そんなにエコ自慢したいかな。

桃: したいのよ。しかも、「小さいエコ自慢」をね。だって、ほんとうの環境問題は、地球規模の大問題で、一人の人間がどんなに努力したところで、どうにもならない構造的な問題よ。ただ、それでも、「何か役に立ちたい」という気持ちの表れじゃないの? ボゾルグが目くじら立てることはないと思うわ。

ボゾルグ: でも、ほんとはそうでもないのに、「環境意識が高いです」みたいに装って、人気取ってるとしたら、一種の詐欺だろ? エコ偽装タレントだよ。

桃: そこまで大げさかな? だって、「マイ箸使ってます」とか、タレントが言っても、たいていの視聴者は、気にもしないし、信じない。そんなに視聴者は馬鹿じゃないわ。

ボゾルグ: それならいいんだけど。

さぶじい: ただ、「マイ箸使ってます」「エコバッグ使ってます」ということで、安心してしまっては元も子もないですな。あるいは、それを使ってるんだから、あとは、何をやってもいい、みたいな免罪符になっているとしたら、問題ありだと思いますが。

桃: そこね。エコ自慢はいいけれど、考えなくなってしまうことが一番ダメなのよ。

ボゾルグ: それなら俺は、わざと使い捨てをして、「罪悪感」を持ち続けながら生きていくよ。

ビーノ: ボゾルグ、えらいぞ。人間は考え続けろ!


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2008/06/08

【ひとり会議 その十五】 予言者、占い師、霊能者について 

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【ひとり会議 その十五】 予言者、占い師、霊能者について (これは、ジュセリーノ・ルース氏とC・D・ブロード氏の話以外はフィクションです)


ボゾルグ: 前に、予知夢を見るブラジル人予言者ジュセリーノ・ルースの番組をテレビでやってたね。彼は、911アメリカ同時多発テロ、サリン事件、阪神淡路地震などを予言したらしいよ。でも、うそ臭いなぁ。

さぶじい: これが本当かどうか、私にはわかりませんが、予知夢を見ることは可能性としてあるだろうと思いますな。実際、私が学生のとき、夢に出た試験問題が、翌日の問題と同じだったという経験があります。ただ、これを「予知夢」といえるかどうか、微妙ですが。

ボゾルグ: それは予知夢とは言わないんじゃないの? だって、試験前には山を賭けるのはあたりまえだし、「山を賭けた夢」がたまたま当たったというふうにも考えられるじゃない。

さぶじい: だから、私も、これが「正夢」「予知夢」だったと言うつもりはありませんが。

桃: 無意識が夢に反映されるといわれるわね。そして無意識は、民族、人類のレベルの歴史を背負っていて、個人を越えたところで活動しているらしいじゃない?

さぶじい: 番組の中では、彼の睡眠中の脳波を調べていましたが、夢を見ている時間が長く、しかも覚醒状態に近いところで夢を見ているらしいということでした。無意識をすれすれで意識できる、貴重な人間であるとは言えるようですな。だから夢で、人類の過去は当然としても、過去から続いていく未来に起こるであろう必然的な出来事も見てしまう可能性はあるのではないか、と思います。ユングが言っている「共時性」ということですかな。

ボゾルグ: でも、「日付」「名前」までぴったり当たるのは、ありえないよ。ここが、この予言者を信じられないところなんだよね。

桃: 予知夢を考えるうえで、もうひとつ参考になりそうな話を見つけたわ。茂木健一郎著『生きて死ぬ私』(徳間書店刊)の中に、イギリスの哲学者、C・D・ブロードの「制限バブル説」というものが出てくる。「ブロードの説に従えば、私たちの認識は、本来脳がなければ世界の全体を同時に認識できるのに、生存のために敢えてその一部だけを残して残りを除去してしまう、「引き算」の過程」ということらしい。あくまでも、これは特殊な説であることも付け加えているけど。

さぶじい: つまり、こういうことですかな。宇宙の森羅万象、一瞬のうちにすべて認識できるのが人間の本来の姿であるので、過去や未来を「知る・夢で見る」のもありえると。普通の人は、認識が「制限される」ので、見えないということでしょうか。

桃: あえて見えなく・知らなくなるように脳が進化(?)したとも言えるかもしれないわよ。なぜって、見ない・知らないことで、人生は、むしろ楽しく、おもしろいものになっているから。

さぶじい: そうかもしれないですなぁ。宇宙の森羅万象をすべて知りながら生きるなんて、苦しいだけです。アンドロメダ星雲X惑星に住む生物Yの遺伝子配列なんて知っても、私たちの人生に全く関係ないですからな。

桃: だから、この予言者ジュセリーノ・ルース氏は森羅万象が見えてしまう「不幸な人」なのかもしれないね。

ビーノ: でも、人間て変わっているね。これだけ科学万能の世界になったのに、予知夢とか霊とか占いとか、意外とそういうものを信じているよね。ボクなんか、「食べ物」しか信じてないもん。ボクのほうが、現実主義者ってこと?

さぶじい: そこが人間の不思議なところであり、おもしろいところでもあるんじゃないですかな。

ボゾルグ: 新聞に出てたけど、今の若い人たちの3分の1が、霊の存在を信じていたり、占いは「当たる」と信じているんだろ? 最近霊感商法で被害が増えているのは、こういった占いや霊を扱ったテレビ番組の影響があるんじゃないかって話も書いてあった。

さぶじい: そこは程度問題だと思いますな。私も、あまり信じるほうではありませんが、「参考」程度には信じてもいいのではないかなと思っています。まぁ、遊びですな。あまりにも、すべてのことを「科学的」に割り切ってしまうのも、なんとなく、つまらない。

桃: その通りよ。そもそも「科学的」と信じられていることも、将来は、かならず違った事実がわかってくるんだから、「占い」も「霊」も「科学」も、それほど大差ないのかもよ。50年前に「夢物語」だとバカにされてた世界も、50年たって実現してるじゃない。

ボゾルグ: いや、実害がなかったらかまわないんだけど、最近は、そうでもないだろ? そういうものを信じる風潮、他力本願な風潮ってどうかなぁ。ある意味、精神的な環境汚染だと思うよ。霊感商法は論外としても、たとえば、ある占い師が当たったりすると、その周りに信じる人たちが、集まりだして、いつの間にかその占い師自身、自分が特殊な能力を持っていると勘違いしだす。ずかずかと、人の心に土足で踏み込んできて、人の生き方に口出しするおせっかい。それが「いい」とか「悪い」とかは、あえて言わないけれど。だって、そういうのが好きだという人たちがいるから、ああいう占い師が存在するわけだしさ。

さぶじい: ボゾルグさんがおっしゃることはわかるのですが、欧米では、精神科医が活躍しているそうです。けっきょく、そういう心の処方箋をくれる人が、どんな社会でも、必要なのではないですかな。「科学的」に見える「精神科医」か、「非科学的」に見える「占い師」「霊能者」「シャーマン」という違いはありますが。

桃: そうねぇ。何を信じるかは、その人しだいね。信じるものでしか、その人は癒されないものねぇ。孤独な独裁者や政治家ほど、占いとか、予言者に頼ったりするものらしいわ。

ビーノ: どんなに強くても、どうでもいいものに頼る。それで、プラスマイナスゼロ。人間て、おもしろいね。

ボゾルグ: 友だちがいないんだよ。本音を語れる人が。家族や、「友だち」でさえ、気を許せないライバルだしね。だから、お金を払ってでも、本音を聞いてくれる彼らに頼るしかない。まぁ、この程度なら、俺も許せるんだけど、最近は、その「弱み」に付け込んで、商売にしようというヤツが増えていることに怒りを感じるよ。

桃: でも、ボゾルグが「非科学的」と言っている予言者や占い師や霊能力者を見ても、「嘘」をついていると思えないんだけど。

ボゾルグ: そりゃぁそうでしょ。彼ら(彼女ら)の内面では、「本当」のことだと思うよ。未来の大事件や、他人の将来や、霊が実際見えるんだろうな。だから、彼ら(彼女ら)には嘘という自覚はないはずだよ。むしろ「下々の人間」に、良いことを教えてあげているという感覚なんじゃないの。テレビに映ってる彼ら(彼女ら)の目、見てごらんよ。とても「嘘でしょ?」なんていえない、真剣な目をしてるよ。

ビーノ: それって、自分自身を騙すことができる優秀な詐欺師といっしょなの?

ボゾルグ: こらっ! ビーノ、それは・・・。

桃: ビーノ、ダメでしょ。すみません、占いや霊を信じているみなさん。こんな犬が言っていることなので、気にしないでください。

ビーノ: (こんな犬?) グルグルグル・・・。

ボゾルグ: とにかく、俺は、予知夢も霊も見えない普通の人間で良かった。自分の未来や先祖の霊なんか見えたら、疲れてしかたなかったよな。疲れるだけならまだしも、それを黙っていたら気が変になりそう。

ビーノ: あぁ、だから、あの人たちは、つい他人にしゃべってしまうのか。その重荷に耐えられなくなって。

ボゾルグ: それと、占い師が、自分自身の「未来」をしゃべらないのは、やっぱり、「未来」がわかったら、人生つまらないって、本能的にわかっているからかもね。

さぶじい: 自分の「未来」や「心」はわからないんです。「予言者」「占い師」「霊能者」は、あくまでも「他人」の心に処方箋を書くことができる人たちなんだと思いますよ。彼ら自身は、別な「予言者」「占い師」「霊能者」に頼っているかも知れませんよ。


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2008/05/21

【ひとり会議 その十四】 クローン犬

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【ひとり会議 その十四】 クローン犬


さぶじい: 「世界で初めてクローン犬を誕生させた韓国のソウル大学とバイオ関連企業がアメリカの女性の死んだ介護犬を複製するという契約を結んだ」というニュースを聞いて、人間の欲望には際限がないなと思いました。
( gooニュース http://news.goo.ne.jp/article/hatake/life/hatake-20080226-01.html )

桃: 倫理的な批判も出ているらしい。とうぜんかも。

ボゾルグ: でもね、そもそも、オオカミを飼いならして、人間の都合に合わせて「改良」してきたのが、ペットの犬なんだから、その「改良」の技術が、「交配」から「クローン技術」になっただけで、何もかわらないし、許されるという考え方もあるよね。

桃: そこには、動物は動物、人間とは違うという考えがあるわけね。

ボゾルグ: それは当然でしょ? もちろん人間にはクローン技術は使わないよ。(今のところ) 犬だからすんなり許される。倫理的に問題ないんじゃない?

ビーノ: ボクは、なんだかこのニュースを聞いて寂しくなった。このクローン犬を依頼した女性は、よほど前の犬が良かったのはわかるんだけど、でも、次も「前の犬」なの?と思っちゃう。どうして、違う犬じゃダメなの? まったく同じ犬じゃなければダメだというのは、同じおもちゃをねだる子どもだったり、同じ部品しか使えない機械みたいだよね。それが他の犬からすると、なんだかさびしい。別な犬でも、主人に尽くす犬はたくさんいるよと言いたいな。

桃: クローン犬は、遺伝子は同じだけど、「同じ犬」になるわけではないので、そのとき、この女性は、「違う犬」に対して、どう感じるんだろうか?と少し不安。もしも彼女の好み通りじゃなくて、聞き分けのない犬に育ったとしても、同じ遺伝子の犬だからって、許せるのかな?

さぶじい: 女性がクローン犬を欲しがるのは、「遺伝子が同じ犬」じゃなくて、「同じ性格の犬」ということではないですかな? それはクローン技術でも、解決できない問題です。しかし、ある技術が生まれたら、けっきょく使ってみたくなるのが人間なんですね、たぶん。それがどんなに倫理を外れていても。しかし、こざかしいのは、その技術を使いたいだけなのに、「困っている人を助けたくて」などと言い訳する人たちがいるんですな。

桃: つまり、後ろめたさはあるってことよ。あとから理屈をつけて、その後ろめたさを消そうとしているんじゃないの?

ボゾルグ: まぁ、犬だから「倫理」なんてことを持ち出してくるけど、家畜だったらどう? たぶん、これからもっと食糧危機になってくれば、家畜のクローン化は普通になってるかもしれないよ。そのとき、家畜がOKなら、なんで犬はだめなのか?って話になるんじゃない?

さぶじい: たしかに、線引きは難しいかもしれませんが・・・。

ボゾルグ: でしょ? そのうち、ぜったいこの問題が出てくると思うよ。そのときは、クローン技術を使うという「倫理」とは何かも問われるよ。

さぶじい: 一匹一匹、性格も、姿かたちも違うから「生き物」なのであって、全く同じというのは、機械でしかありえません。私は、生き物のクローン化にはやっぱり違和感を覚えますな。たとえ家畜でも。

桃: 「家畜」というのは、「動物」ではなかったのよ。今までの考え方では。人間の利益のために存在する「物」よ。捨ててもいい機械と同じ。それは、家畜だけではなくて、環境というものに対しても同じだったと思うわ。環境も、人間が利用できる「物」でしかなかった。でも、これからは、そうはいかない。たとえ家畜であっても、人間の価値とは無関係に、家畜自身に生きる価値があるという考え方に変わりつつあるんじゃないかな。だから当然犬にも・・・。

ボゾルグ: 家畜や犬自身に生きる価値があるって話と、クローン技術を使う話は別問題だと思うなぁ。新しい技術に対しての違和感というか、不安感を抱くのは、俺もわかるけどね。

ビーノ: ボクだって、クローン、気持ち悪いよ。ボクが死んだあと、ボクのクローン犬が生きてるなんて、想像したくないな。

ボゾルグ: というか、ビーノのクローン犬を欲しがる人はいないとは思うけどね。問題犬だからね。

ビーノ: どこが問題犬なの? 

ボゾルグ: 人の役に立ちたくないって宣言する犬なんか・・・。ねぇ? 今、ロボットの研究が盛んで、いずれ、遊び相手になったり「癒し」を与えるロボットや、番犬の代わりをしてくれるロボットが登場するんだろうね。そのとき、ペットの犬はどうなるのかな? 犬は、必要ないってことで、少なくなっていくのかなぁ。ビーノ、食べられちゃうかもよ。

ビーノ: ひどいよ、ボゾルグ!

桃: あまりビーノを脅かしちゃだめよ。ビーノは、打たれ弱いんだから。

ビーノ: 桃の言うとおり。ボクはデリケートなんだ。だれかと違ってね。

桃: この前も話したけど、犬は、犬自身のためにも生きているのよ。なにも、飼い主のためだけじゃないわ。その点、ロボットは、飼い主、いえ、持ち主のためだけだし。

さぶじい: 要するに「道具」ですな。ビーノさんたち犬は、「道具」ではありません。人間と同じ生き物です。だからどんなにロボットが増えても気にすることありません。ロボットに負けないですから。

ビーノ: さぶじい、ありがとう。気休めでも嬉しいな。


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2008/05/11

【ひとり会議 その十三】 ペットの犬は、なんのために生きるのか?

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【ひとり会議 その十三】 ペットの犬は、なんのために生きるのか?


桃: ビーノ、いつもぴょんぴょん飛び跳ねてるあんたが、お座りしてる。どうしたの? 元気ないわね。

ビーノ: 親戚のばあちゃんが死んだの。

桃: そうなの。それは悲しいわね。

ビーノ: ううん、悲しくなんかない。ばあちゃんは、16歳だったから、犬の長寿をまっとうしたの。しかも、最期の日は、たくさんご飯を食べてから、飼い主の奥さんの腕に抱かれて死んだの。だから、悲しくはないの。でも、考えてしまうの。

さぶじい: 何をですかな?

ビーノ: ボクたち、どうして生きるのかってこと。

ボゾルグ: ははは・・・。そんなこと、考えても無駄だよ。「どうして生きるか」だって? やめな。そんな難しいこと。昔から哲学者が考えても、いまだに結論が出ないんだから、ビーノにわかるはずない。意味ないよ。くよくよ考えると、体に良くない。ほらほら、こうしてたれた耳引っ張ってやるー。

ビーノ: ボゾルグ、やめてよ。ボクの耳さわるの。

桃: ボゾルグは、デリカシーに欠けるわ。答えが見つからないからといって、考えるのは無駄なんて・・・。そういうデリカシーのない人間が増えるから、こんな子たちの心の行き場がなくなってしまうのよ。

さぶじい: 聞いてあげませんか、ボゾルグさん。答えなどなくていい。おそらく、考えることに意味はあるのだと思いますな。

ボゾルグ: もっとも、ペットなら、人間のために生きるってことで、結論は出ているんじゃない? 俺はうらやましいよ。ビーノになりたい。飯食って、寝て、飼い主の機嫌とって。悩みもないし・・・。

桃: ボゾルグ、いいから黙って。

ビーノ: ばあちゃんは、この数年、目は見えず、体もよぼよぼだった。今年の正月に、ばあちゃんに会ったとき、ボクのこともわからないみたいだった。体が弱っていたことはボクも感じていたの。ある朝、ばあちゃんは、ご飯食べた後、奥さんに抱かれたけど、ゆっくりゆっくり、体温が下がっていったそうなの。そのあと、奥さんの息子さんは、しばらく冷たくなったばあちゃんをコタツに入れて抱いていたそうだよ。

桃: 幸せだったね、ビーノのおばあちゃん。

ビーノ: そう、幸せだったと思う。でも、この16年間、何のために生きてきたの? ご飯を食べたり、散歩したり、みんなと遊ぶため? それだけのために、生を受けて、生きて、死んでいく? ボクたちは、ボゾルグの言うとおり人間のために生きているの?

ボゾルグ: だと思うけどねぇ。

桃: どうかなぁ。おばあちゃんが、「飼い主に癒しを与え」たり、「飼い主に役に立つ」ためだけに、生きていたんじゃないと思うけどね。ペットの犬が、人間が「改良」した動物だってことはあるけど、それは、人間側の都合であって、犬にしてみたら、「改良」されていることとはまったく関係なく、生きているんだからね。

ボゾルグ: ペットは、人間が、人間の都合にあわせて改良した。だから、人間は残酷だといいたいわけ?

桃: そんなこと言っているんじゃない。犬は、野生の狼から「家畜化」されることで、生きることができたともいえるわ。人間と犬の共存。でもね、犬に人間側の「意味」を与えるのは間違っていると思う。

ボゾルグ: 桃の言いたいこと、また、わからないなぁ。

桃: 人間のために生きるというのは、簡単な答えかもしれない。たとえば、飼い主を喜ばして、自分も楽しくなるということはあるし。そこに意義や意味を持てば、あとは考えなくてもすむしね。でも、ほんとうはそうじゃない。ビーノの苦悩も、そんなんじゃないでしょ? 人間のために生きるなんて聞いて、ビーノ、どう?

ビーノ: ううん。ボク、前も言ったけど、人間の役に立ちたいとは思わない。役に立って喜ぶという気持ちは、わかるけど、それだけじゃないような気がするの。

ボゾルグ: 最近は、ペット用だといって、ありとあらゆるものができている。需要があるから、供給する。そこにペット産業が生まれる。なんだかこっけいだよ。ペットがいい匂いしようが、可愛い洋服を着ようが、つやつやの毛並みになろうが、栄養のバランスが取れたエサを食べようが、それは、人間様の都合なんだよ。俺が言うのもなんだけど、ペットのことなんか考えてない。けっきょく、飼い主側の自己満足と見栄。つまり、ペットの犬は、人間のために生きているということ。

桃: でも、ないんだよね。たしかに、そういったことは、飼い主の自己満足もあるけれど、犬も、苦痛でない限り、飼い主が喜んでいると、その喜びは感じられるので、結果として、犬も、幸せってことでもあるんじゃない? そう思うわ。

ボゾルグ: 犬の幸せなんてあるのかな? だいたいは、飼い主の思い込みじゃないの? 自分に都合のいいように解釈して、犬は、幸せだとか、不幸だとか判断する。俺は、かえって、犬に対して失礼だと思うよ。犬の気持ちなんて、ほんとはわからないと思うんだけど。

ビーノ: ボクたちは、人間の中で暮らしているから、時々、自分が人間だと思うこともある。ボゾルグが言うように、ボクたちの「しあわせ」は、人間のとは違うかもしれないけど、でもね、やっぱり犬にも「しあわせ」な気分はあるよ。飼い主が喜べば、ボクたちもそれを感じるから、嬉しくなる。だからそういう行動をするときもあるの。他の犬と遊ぶのも好きだよ。あとは、そのへん、思いっきり走り回ること。それがないと、むなしいな。

桃: だと思うわ。人間もそうでしょ? それは自己表現をすることなのよ。それで「生きている」ことを実感するんじゃない? 遊び、芸術、スポーツ、政治活動・・・。だから、犬は、飼い主を満足させるだけのために生きているんじゃない。犬それ自身の自己表現をしているんだと思うわ。

さぶじい: ビーノさんは、りっぱに自己表現していますよ。「どうして生きるのか」。そういうことを考え、それを言葉で他人に伝えることが、りっぱな自己表現だと思います。この自己表現は、あまりうきうきした内容ではありませんが。しかし悩みもりっぱな自己表現ですし、運悪く、ビーノさんは人間の言葉を得てしまったので、悩みは増えたということではないですかな。

桃: あんたのおばあちゃんは、目立たなかったけど、きっと自己表現していたんだと思うなぁ。ちゃんと腕に抱かれて奥さんに見取らせたことが、何よりの自己表現だったのかもしれないわよ。そうしてあげたくなる犬だったことは確かだからね。

さぶじい: うらやましいですな。ビーノさんのおばあさん。目立たないように自己表現して、静かに命を閉じる。生き物の本来の姿を見るようです。


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