【ひとり会議 その二十二】 「上」は上、「下」は下? 逆さ眼鏡
桃: ビーノ、あんた、さっきからじっと上を向いているけど、何見てるの?
ビーノ: やっぱりボクは、「上」を向いているんだね?
桃: 何言ってるのよ。上を向いているじゃない。
ボゾルグ: ビーノ、去年1年間、日本を放浪して、とうとう壊れちゃったかな。まぁ、元から壊れている犬だったけどね。
ビーノ: 桃もボゾルグも疑問に思わないの?
桃: 何をよ?
ビーノ: ボクが見ている「上」って、ほんとに上にあるのかなぁ、って。
桃: おバカね、ビーノは。上に見えているんだから、上にあるに決まってるでしょ。
ビーノ: さっきね、ボク、「上」が下に見えた夢をみていたの。
桃: あぁ、すごくうなされていたけど、そんな夢みていたんだぁ。てっきり、おやつのビーフジャーキーを、川に落とした夢でも見てるのかと。でも、夢でしょ? 変な夢はよくあることよ。気にすることないわ。「上」が下に見えたって、逆立ちでもした夢でしょ。
ビーノ: 違うの。体の感覚は、「上」は上、「下」は下なのに、見えているものだけが逆なんだ。空が下に見えていたんだよ。
さぶじい: ビーノさん。
ビーノ: 何? さぶじい。そんなにニコニコして。
さぶじい: いや、ビーノさんはすごいなぁと思いまして。
ボゾルグ: どうして?
さぶじい: 人間の常識を疑うような発想をしますからな。
ボゾルグ: それが、感心するほどのものかどうかはわからないけどね。
桃: 犬の特権ね。
さぶじい: 逆さ眼鏡って聞いたことがありますかな?
ボゾルグ: ないね。
さぶじい: 直角プリズムを使っている、上下が反対に見える眼鏡のことです。
桃: そんなのあるんだぁ。
さぶじい: これをかけると、はじめは慣れなくてめまいがするそうです。でも、そのうち慣れてきて、元通り、普通の生活ができるそうですよ。
桃: 考えただけで、クラクラして気持ち悪くなりそう。
ボゾルグ: 俺も、絶対かけたくないね。
桃: それは何のためにかけるの?
さぶじい: いや、これはメリットがあってかけるわけではなくて、心理学で人間の知覚や認知を調べる実験道具らしいのですな。インターネットには体験談もありますし、書籍も出版されています。でも、これはおもしろい話だと思いました。
ボゾルグ: どこが?
さぶじい: なぜなら、私たちは、目の前の空間が、上は上、下は下に見えるのは当然と思っていますが、考えてみれば、網膜に映ってる像自体は上下逆転しているわけですな。それを、脳がもう一度、さかさまに変換して、上は上、下は下に、「見せている」ということ。だから、逆さ眼鏡は、それを再々変換することになるということですな。
ボゾルグ: つまり? ・・・ 頭がこんがらがってきたよ。
さぶじい: カメラで撮られる像も、センサー上では上下逆転しているのを、あとで、ソフトが「回転」させてみせてくれるわけで、脳の働きと同じことではないですかな。だから、もともと初めから「上」を下に見るようになっていたとしても、不都合はないようですよ。
ビーノ: どっちでもいいんだ。
桃: 慣れというか、人間の適応力ってすごいわね。
ボゾルグ: そういえば、人の顔写真をさかさまに見せられると、だれだかわからないってことある。顔は頭が上、顎が下の状態で見慣れているので、なかなかさかさまではわからない。地図もそうだね。普段見慣れている「北」が上に描いてある地図に慣れていると、「南」が上になった地図は見づらい。でも、見慣れてくると、なんにも不都合は感じなくなる。
桃: そうかぁ。慣れているだけってことなのね。
ビーノ: だから、慣れは恐ろしいとも言えるんでしょ?
桃: 何だか、こういう常識を疑うって、他のことにも応用できそうね。たとえば、ここに写真があるけれど、上下逆に飾ったときも、美しいとか、いい写真だとか思うのかなぁ。
ボゾルグ: これも慣れないと、難しいよね。普通、木は地面(下)から生えていると思っているから、この写真は、なんだか不安感が漂う。
さぶじい: そういえば、ある写真家の先生が、こんなことを言っていましたな。逆にして見てもいい写真はいい写真だと。コンテストの審査では、逆にして見て判断したこともあったそうです。つまり、「常識」の中で写真を見続けていると、いいのか悪いのか、わからなくなる。だから「常識」から逃れるひとつの方法ではないかと、わたしはそのとき思ったのですがな。逆にすることで、写真を抽象絵画のような感覚で選ぶ、という・・・。
ビーノ: そんなふうにして写真の賞を決めたんだ。その写真家、いいかげんだね。
さぶじい: どうですかな。いいかげんと言われればそうかもしれませんが。逆に、見慣れている写真が、いいと思いやすい、ということでもあるかもしれませんな。
ボゾルグ: 親近感が沸くというか、安心するっていうか・・・。
さぶじい: その慣れを、いったん断ち切って、まっさらな目で見直すという意味では、いいかもしれませんよ。
ボゾルグ: とにかく、「常識」の中にいると、その「常識」がどういうものか、わからないってことはあるよ。そこから抜け出すヒントみたいなものはあるね。それは俺もわかる。
ビーノ: じゃぁ、ふたりが逆立ちして向き合ったら、相手の顔はすぐわかるのかな?
ボゾルグ: 試してみれば? めんどくさい。頭がおかしくなりそう。だいたいにして、ビーノが逆立ちしたら、耳が長く伸びて、お化けみたいになってしまうんじゃない?
桃: 頭に血が上って、それどころじゃないかもよ。
ボゾルグ: 「血が上って」じゃなくて「血が下がって」だろ?
桃: 何が何だかわからなくなってきたわ。
ビーノ: ところでこんど選挙でしょ? 候補者たちが、これでもか、これでもかって、顔を露出するのも、見慣れさせて、票を入れてもらう作戦なの?
桃: 見慣れてくると、確かに親近感はわくし、入れようかなぁという気持ちが起こるわね。
ビーノ: その候補者の本心を見抜くためには、どうするか? ボク、いいこと考えたよ。
桃: 何?
ビーノ: 逆さ眼鏡をかけて見たらいいんだよ。
ボゾルグ: それもいいね。でも眼鏡がなかったら、候補者の前で逆立ちして顔を見るんだね。
桃: ふたりとも、何馬鹿なこと言ってるの? 選挙権もないくせに。ビーノは、ソフトバンクの「おとうさん」とは違うのよ。「おとうさん」は立候補したけど。
さぶじい: みなさん、上下逆の写真ですが、これを「棚田」だと意識せずに、しばらく見続けていたら、いい写真に見えてきましたな。
ビーノ: あれ、ホントだ。すばらしい写真だね。
桃: ビーノ、どうせこの写真を撮ったあんたの飼い主の腕がいいといいたいだけでしょ?
ビーノ: ばれた? だって、写真をほめないと、ボクの飼い主、怒って、ご飯くれないんだもの。
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