『犬像をたずね歩く  あんな犬、こんな犬32話』 名犬・忠犬の「聖地巡礼」をしてみませんか?

『犬像をたずね歩く あんな犬、こんな犬32話』は、2018年8月20日から書店で発売されています。
 
 
Cover
 
 
青柳 健二(著)
出版社: 青弓社 (2018/8/20)
A5判 180ページ 並製
定価: 1800円+税
ISBN: 978-4-7872-2077-6 C0026
奥付の初版発行年月: 2018年08月20日
書店発売予定日: 2018年08月20日
 
 
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犬像を撮り始めたきっかけについては、前著『全国の犬像をめぐる:忠犬物語45話』(青弓社刊)で触れたように、妻と愛犬ビーグル犬ヴィーノといっしょに約1年間かけて日本一周の車旅をしたとき、偶然出会った犬像に興味を引かれたことに始まりました。

その後、犬像を調べてみると、全国には数多くの犬像が建っていて、それぞれ由来・伝説・伝承・物語などが伝わっていることがわかりました。

忠犬・名犬は今でもたくさんいますが、像になる・像にする、というのは一歩飛び越えた何かがあります。像にすることで、思い出は長く保たれることもあるでしょうが、その犬に対する関係者の愛情の深さや感謝の気持ちやこだわり、時には畏れを強く感じます。

犬像を探す旅は続いていて、前著出版後、読者の方々から犬像の情報をいただいた結果、現在150体以上を訪ねています。(日本の場合「犬」と「狼」を完全に分けるのは難しいところもあるので、狼像も含めれば250体以上)

今回は時間的なバリエーションにもこだわってみました。具体的には、犬像のルーツと言えそうな、栃木県や埼玉県の遺跡から出土した縄文時代の犬形土製品や、群馬県や大阪府の古墳時代の犬形埴輪なども訪ねました。一番新しいものは、2017年4月15日に除幕式が行われた茨城県石岡市のみんなのタロー像です。

全国的には有名ではなくても、その地域で愛され、語り継がれる犬たちの物語がたくさんあります。消えかかっている物語もあったので、それを何とか救い上げてみたいという気持ちも芽生えました。縄文時代から平成の時代まで、犬だけではなく動物や自然と日本人の関わり合いがどのようであったのか、お伝え出来たらうれしく思います。

なお、多くの犬像を訪ねてみると、カテゴリ分けした方が分かりやすいと思ったので私の勝手な分類ですが13章の構成にしてみました。前著で紹介した犬像で重要と思われるものは再び登場します。約100体の犬像が収められています。


なお、8月30日から埼玉県さいたま市浦和区のギャラリー楽風で写真展『犬像をたずね歩く』を開きます。
 
 
 
 
第1章:人を助けた犬
  
  第1話:北海道真狩村&札幌市 郵便犬ポチ
  第2話:神奈川県横須賀市 忠犬タマ公除幕式
  第3話:兵庫県宝塚市 介助犬シンシア
       北海道小樽市 消防犬ぶん公(前著参照)
       東京都中央区 名犬チロリ記念碑(前著参照)
       愛知県名古屋市 盲導犬サーブ(前著参照)

第2章:学校犬

  第4話:北海道札幌市 盤渓小学校の校犬クロ
  第5話:茨城県石岡市 東小学校のみんなのタロー
  第6話:長野県松本市 深志高等学校の学校犬クロ

第3章:人といっしょに歩く犬
 
  第7話:代参犬(おかげ犬・こんぴら狗)
       和歌山県九度山町 案内犬ゴン(前著参照)
       大分県九重町 ガイド犬平治(前著参照)

第4章:ユニークな犬像
   
  第8話:福島県福島市 アストロ犬チロ
  第9話:東京都墨田区 ネズミ捕り名人の六助
  第10話:神奈川県厚木市 狸と猪を育てたモスカ
  第11話:神奈川県座間市 伊奴寝子(いぬ・ねこ)社
        福岡県筑後市 羽犬の像(前著参照)

第5章:奇跡の犬

  第12話:山形県鶴岡市 忠犬ハチ公石膏像の奇跡
        愛知県名古屋市 南極観測隊のタロ・ジロ(前著参照)

第6章:日本犬

  13話:日本犬(秋田犬、甲斐犬、柴犬、紀州犬、四国犬、北海道犬、薩摩犬、狆)

第7章:古代の犬
  第14話:栃木県&埼玉県 縄文犬と犬形土製品
  第15話:群馬県高崎市 古墳の犬形埴輪

第8章:史実(明治まで)の犬の墓
 
  第16話:長崎県雲仙市 加藤小左衛門の矢間(やま)
  第17話:大阪府東大阪市 暁鐘成の皓(しろ)
  第18話:神奈川県南足柄市 老犬多摩
        長崎県大村市 義犬華丸(はなまる)

第9章:伝説の犬
 
  第19話:静岡県&長野県など しっぺい太郎(猿神退治)伝説
  第20話:大阪府&滋賀県など 小白丸(大蛇退治)伝説
  第21話:静岡県藤枝市 神犬クロ
  第22話:兵庫県神河町 播州犬寺の義犬
  第23話:鳥取県鳥取市 国分寺の犬塚
  第24話:長崎県松浦市 人柱観音供養塔と白犬之塚
        秋田県大館市 老犬神社の忠犬シロ(前著参照)
        奈良県王寺町 聖徳太子の雪丸(前著参照)

第10章:信仰の犬

  第25話:子安信仰の犬
  第26話:弘法大師の犬

第11章:島や岩になった犬

  第27話:北海道古平町 セタカムイ岩
  第28話:島根県浜田市 犬島・猫島
        千葉県銚子市 犬吠埼の犬岩(前著参照)

第12章:歴史上の愛犬家たち

  第29話:京都府&東京都 桂昌院と綱吉
  第30話:和歌山県有田川町 明恵上人

第13章:お犬さま

  第31話:埼玉県&東京都 お犬さま(狼)信仰
  第32話:山梨県丹波山村 お犬さま修復プロジェクト
 
 
 
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これは「あとがきのあとがき」とでもいう位置づけのエッセーで、青弓社HP「WEB青い弓」に掲載されました。

棚田にも犬像にもその土地と切り離せない物語がある――『犬像をたずね歩く――あんな犬、こんな犬32話』を出版して


 「青柳さんには、棚田の写真も犬像の写真も同じようなものなんですかねぇ?」

ある新聞社から犬像の取材をうけたとき、記者からそう聞かれて、私はハッとしました。

実は数年前、犬像の写真を撮るようになった時、今まで私の写真を見てくれていた人からは「犬像?」と怪訝な顔をされたのです。それまで撮っていた棚田の風景写真と犬像の写真では、被写体として大きく違っていたからでした。

ある雑誌に企画を持って行こうとした時、担当者は、「犬像」の意味がわからないようだったので、「渋谷駅前にありますよね。忠犬ハチ公の像が。あんな感じの犬の像なんですが、全国にたくさんあるんです」と説明してようやくわかってもらえたようでしたが、今度は、あからさまに、犬の像なんか写真に撮る価値があるのか? それのどこがおもしろいんだ?というふうに感じているようでした。なので、企画は当然ながら没でした。

今まで普通にあったものの中に新しい価値を見出すのが写真家の仕事だと思っていますが、その端くれでもある私は、他人にその新しい価値を知ってもらうのは難しいこともわかっています。

実際、棚田を撮り始めた時も同じだったのです。今でこそ、棚田という言葉も市民権を得て、すぐわかってもらえますが、1995年ころは、棚田なんて10年もすれば全部なくなってしまう過去の遺物くらいに思われていたし「棚田って何ですか?」と、同じように聞き返されていた時代もあったのです。

でも私の中では、棚田にも犬像にも、何か共通するものにうすうす気が付いてはいました。それが言葉にならなかったのですが、他人に指摘されて、その思いは確信に変わりました。

棚田にも犬像にもその土地と切り離せない物語がある、ということなのです。棚田の場合、その土地の歴史や地形が、雲形定規のような棚田の形を決めているといってもいいでしょう。犬像も、その土地と切り離せない物語を持っています。犬像が「そこ」にある意味が私には大切なのです。

私は、その土地が持つ物語を探して歩くのが好きなようです。全国各地に点在する物語を探して、それをまとめるという作業は、棚田も犬像も同じかなと。

ある犬像は、街のキャラクターになったところもあります。たとえば、静岡県磐田市のしっぺい太郎の物語から、ゆるきゃら「しっぺい」が、奈良県王寺町の聖徳太子の愛犬・雪丸の物語からは、ゆるきゃら「雪丸」が誕生しています。その土地独特の犬たちが、現代に「ゆるきゃら」としてよみがえっているのです。何もないところから作り出されたフィクションの犬ではありません。もちろん誕生当時はフィクションの犬もあったかもしれませんが、それが何百年もの歳月をかけて、その土地の歴史に組み込まれています。

だからどこにあってもいい犬像(土地との繋がりがない犬像)には、あまり興味がわきません。今回の書籍での私なりの「犬像」の定義からは外れるからです。たとえば、某携帯電話会社の白い「お父さん犬」の像ですね。その土地に根差した物語がないからです。(それ以上に、これはコマーシャルなのですが。もちろん、「お父さん犬」も何百年か経てば歴史になるかもしれません)

だから犬像は棚田と同じように、町おこしに結びつきます。土地独特の魅力を、棚田や犬像が代表していると言ってもいいかもしれません。実際、「しっぺい」も「雪丸」も、町おこしに一役買っています。

ところで、人の顔の判別には「平均顔」説というのがあります。たとえば日本人なら日本人の顔の平均を知っているので、そこからどれだけ外れているかの「差」で判別しているという。外国人が日本人の顔がみな同じに見えるというのは、日本人の「平均顔」を知らないからで、反対に、日本人は外国人の「平均顔」を知らないので、みな同じに見えます。

外国旅行すると、その国の滞在が長くなるにしたがって、その国の人の顔の区別がつきやすくなるという体験は私にもあるので、この説は説得力があります。

多くの犬像を見て周ることで、その犬像の「平均顔」がわかってきます。そのとき、個々の犬像の全体における位置というのが客観的に見えてきます。今回の著書で、13章のカテゴリーに分けたのも、それが理由です。平均値が分かれば、個々の犬像の意味というか、性格もわかるということなのです。

読者のみなさんには、この本を持って、犬(忠犬・名犬)にゆかりのある場所をめぐる「聖地巡礼」をしてみては、と提案したいと思います。

多くを周ることで、先に言ったように、犬像の平均値が分かり、個々の犬像についてもより客観視ができるようになるだろうし、こんなにもいろんな意味を持っている犬像があるのか、こんなにもバリエーション豊かな犬像の物語があるのかと、驚くことがたくさんあると思います。そこから、犬と人間の関係、もっと言えば、動物や自然との関係なども見えてくるのではないでしょうか。