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2015年3月

2015年3月28日 (土)

夢日記 かぼちゃの真っ黄色

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【夢日記 かぼちゃの真っ黄色】

 

「××オープン」という名前のかぼちゃが入ったスープ。薄切りしてあり、ほかの野菜と一緒に入っていたが、「××オープン」の強烈な真っ黄色が印象的だった。

 

 

 

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2015年3月26日 (木)

夢日記 牧草地の牛

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【夢日記 牧草地の牛】

 

旅先で知り合ったのは牧場の親子だった。

彼らの牧場を訪ねて、牧草地に寝転んだ。大きな黒い牛が俺を覗き込むように目の前に迫ってきた。俺は踏みつぶされるのではないかと心配だった。

黒牛の動きに敏感になっていたが、ふと横を見ると、牧場の息子が背中に竹籠を背負ってどこかへ行こうとしていた。籠の中には何本もの槇が入っているのが見えた。

そうか、この槇はヴィーノのご飯になるんだなと思った。

 

 

 

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2015年3月23日 (月)

「犬が見ている人の姿」の想像図

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今まで読んだ犬や心理学の本を参考にして「犬が見ている人の姿」の想像図を描いてみました。あくまでも「想像図」ですが、犬にならない限り実際はわかりません。ひとつ参考になるのは子供の絵ですが、子供は人間の頭と足だけの「頭足人」を描くそうです。関心のある部分だけ描くのでしょうね。

犬が見ている色覚は2色型。70cm以内のものはピントがぼけるようです。

形については、人の脳は物を見るとき全体を優先する「全体優先処理」をするそうで、それに比べて、犬は、全体よりは細部にこだわっているらしい。だから人を、俺たちが認識しているようないわゆる「人の形」には見ていない可能性がありそうです。

犬は飼い主の顔は覚えています。ただどこを見て覚えているのかはまだ研究段階のようです。だからこれはあくまでも俺の想像なんですが、ヴィーノを注意して見ていると、俺や妻の目をちょくちょく見ているのがわかります。だから目には一番関心がありそうです。それと声を出すとき動く口もわかるのではないでしょうか。

鼻や耳は見えてない(関心が無い)かもしれません。(人の「嗅覚も聴覚も、犬にしたら取るに足らない能力だろうし)

それと人が犬と接するときは、手を使うので、犬にとって人の手は、かなり大きな関心事ではないかと想像します。だから手は一番大きく感じるのではないでしょうか。子供の絵も(古代の絵も)、線遠近法は無視し、関心が高いものは大きく描かれます。つまり大きく見えているといってもいいのではないでしょうか。

手と足の区別はつかなく、「4本の手」、「4本の突起物」に見えているかもしれません。

俺はヴィーノを「足でなでる」ことがあります。(蹴っているのではないし、きれいな足のときだけですが) 妻は当然嫌がるのですが、俺はヴィーノにとって足と手は「4本の突起物」でどれも同じと感じていると思っているので、決して失礼なこと、かわいそうなことをしているつもりはありません。むしろ犬の気持ちに寄り添いたいし、「犬の常識」を知りたいので、あえてこういうことも試してみます。

「足でなでる」のが「行儀が悪い」「可愛そう」と思うのは、あくまでも人の常識、感覚で、しかも、「足を使う」ことに関しては、生物学的にはもちろん、文化的な感覚の方が大きいのではないかと思っています。足は地面に着くから「不浄」という文化的感覚です。

たとえば、サルの場合を考えてみるとよくわかるのですが、サルが器用に足でバナナを掴んだりしますよね。それをたとえば他のサルに渡そうとしたとします。そしたら渡されたサルは「足を使ったから失礼だ」とは考えないでしょう?

つまり俺の結論はこうです。人は二足歩行になって、足先が器用に使えなくなってしまったことで、「足」と「手」の機能が大きく分かれてしまったのではないか、ということです。だから「手」と「足」を特別違ったものと感じるようになった動物ではないかなと。

言い訳する必要はないかもしれませんが、俺が「足でなでる」のは「犬の常識」「犬の本当の気持ち」「犬の見ている世界」が知りたいからなのです。

 

 

 

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2015年3月22日 (日)

ヒトがfacebookにはまる理由

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ヒトはどういう生き物か?というテーマは奥が深いですね。

昔は、ヒトは万物の霊長で、特別な存在であるという考えが主流で、「言葉を話す」とか「道具を使える」とか「文化を持つ」特別なサルと習ったような気がします。ヒトを特別視(特権視)したがる考えは今でも健在ですが。

でも今となっては、ヒトを特別視する根拠はなくなっているそうです。「言葉」も「道具」も「文化」も、ヒトに特別なものではなく、他の動物にもあることが証明されて、ヒトと動物は、連続的な存在であるということがわかりました。だから「特別なサル」ではなくて「風変わりなサル」にすぎないというのです。

じゃぁ、ヒトがヒトである最後の砦というか、一番の特徴というのは何なんでしょうか?

それは、「教え教えられる」、「模倣するのが得意」な種であるというところらしい。

そしてもうひとつ、自己と他者の違いはわかりつつ、その垣根を越えて、共感したがるというのがヒトの特徴であるらしい。とくにポジティヴな感情を共有したがるのは。

これを聞いてピン!ときました。

そう、「いいね!」ですね。

どうして「いいね!」(共感)がはやるのかわかった気がします。どうしてヒトがfacebookにはまるのか、です。

facebookのアカウントは持っていますが、この1年はほとんど更新していない俺が言うのもなんですが。

「共感」にそれほど関心が無い性格なので、たぶん俺は典型的なヒトではない、つまり変わり者だということなのでしょう。心的には、類人(チンパンジーやボノボ)に近いのかもしれません。それは否定しません。

実際、チンパンジーは犬よりも社会的サインに鈍感だそうです。他人が何をしようとしているかとか、嬉しそうにしているとかに鈍感で、犬とは違って、他人のことはあまり気にしない個人主義らしいので、このあたりも俺の性格と似ているといえます。

ところで、faceとは何でしょうか? 英語で「顔」「表面」「外見・見かけ」の意味です。

精神分析家の土居健郎氏に「オモテとウラ論」というのがあります。オモテとは対人・対社会関係で外に見せるもの、ウラとは外に見せないで内々にしておくもので、日本の古語では「オモテ」は「顔」を、「ウラ」は「心」を意味していたと指摘しています。

ということは、faceというのは、外に対しての見せかけであって、本心ではないということを暗示しているわけですね。いや、創始者のマーク・ザッカーバーグ氏がそのことを意識してfacebookと名づけたのかどうかはわかりませんが。無意識がそうさせたのかもしれません。

facebookには、たしかに本心・本音は隠し、表面的な部分で「いいね!」しあっているところはあります。見ず知らずの「友だち」にやたらに本心・本音を見せないというのは、動物であるヒトの生存本能としては当然のことでしょう。

俺も本心・本音を見せるのは面と向かって話をする人に対してです。このブログも本心・本音を100パーセントオープンにしているとは言えないし、ましてやネット上だけで知り合った「友だち」に対してオープンにすることはありません。

ただ、本名ではなく、匿名ならまた違ってきます。匿名だったらfacebookでも本心・本音を語れるのではないかと思うのですが。それについては、またの機会に書きます。

とにかく、facebookというのは、表面的ではあれ、他人とポジティヴな感情を共感できる、ぴったりな場なんですね。ヒトがヒトらしくいれる場だということがわかりました。

 

 

 

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2015年3月20日 (金)

認知症には芸術療法が効果的というニュース

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以前、「認知症には芸術療法が効果あり」というニュースがありました。

認知症には薬の治療もありますが、「非薬物療法」である芸術療法(絵画・音楽など)も応用されているようです。

脳を活性化させることが認知症予防に有効だという話は聞いていましたが、治療としてもすでに取り入れられているんですね。

「脳を使う」ということだったら、写真よりも、絵のほうがより使うかもしれないですね。そもそも頭の中にイメージがないと絵に描けないし、それを出力するには、紙に向かって手を動かさなければなりません。

写真はとりあえず、機械的にシャッターを押すだけで撮れます。それがいい写真かどうかは別として。

ただ「こころを活性化させる」ということであれば、むしろ写真のほうが絵よりもハードルが低い分、手軽にやれる部分もあるのではないか、という気もします。

「写真療法」というのはちゃんと確立されているんでしょうか。残念ながら「絵画療法」ほどではなさそうですが、何かいいやり方がないのか、考えてみたいと思います。新しい写真の使い方として。

日本芸術療法学会理事の山中康裕先生は、患者に合わせて、いろんな療法を試してきたといいます。その中には「写真療法」というものがありました。「写真療法」を初めて提唱したのが先生だそうです。

ある精神的に悩む患者さんがいて、写真が好きだとわかったので、写真を撮るように勧めたら、撮ること自体で、症状が改善したという例から思いついたらしい。

病気の人にだけではなくて、イメージの表現は一般の人にも、精神的にいい状態を保つひとつの方法であるといいます。芸術療法は認知症にも効果があるという話は納得できますね。

 

 

 

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2015年3月19日 (木)

夢日記 ラオスの山里を抜けて寺院へ向かう

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【夢日記 ラオスの山里を抜けて寺院へ向かう】

 

ラオスあたりの山里。村を抜けて仏教寺院を目指していた。みんなが通っている普通の道を避けて、近道しようと民家の庭を抜けていくことにした。すると、真似をしようとしたのか外人女性二人も俺に着いてきた。

すぐ急坂があった。滑らないように注意して降りると、日本庭園のような場所になった。岩と植木が多くて歩きづらい。小路が迷路のようになっていた。

ようやく出口を見つけたが、段差が5mほどあった。下に民家のおばさんがいた。「ここから降りられますか? 寺に行きたいんですけど」と声をかけた。彼女は「向こうの方からまわって」と言った。敷地を通られるのが迷惑らしい。

しかし彼女は「以前は、マップも作っていたんですけどね」と言った。どうも、この庭の迷路を観光スポットにしようとした時期もあったようだ。

 

 

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2015年3月18日 (水)

夢日記 赤い見出しとヴィーノ

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【夢日記 赤い見出しとヴィーノ】

 

長い文章を書いたが、2章だけ、見出しが赤色になっている。ここに俺は何かこだわっているようだ。「検索すればこの見出しがひっかかるはずだ」と思った。見出しはカタカナだったが、正確には思い出せない。

部屋にはヴィーノ(犬)がいて、「また脱走されるかも」という心配が頭をよぎった。でも首輪をつかもうとするがつかめない。急に近づくと逃げてしまいそうだったので、ゆっくりと首輪に手を伸ばした。

 

 

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2015年3月17日 (火)

「芸術療法」と棚田

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箱庭療法というものを知ったのは、ユング心理学の河合隼雄氏の本を読んだときでした。

砂の入った箱の中に、人や動物や木などのミニチュアを置いていき、箱庭を完成させるという心理療法のひとつです。

これを見たときハッとしたのです。そして思い浮かんだ言葉は「棚田」や「原風景」というものでした。

そのときは漠然とですが、棚田の写真を撮る(というより棚田のある現場に立つ)行為が、この箱庭療法と似ているのではないかというものでした。とくに棚田のある集落を俯瞰したときの感覚が、箱庭を眺めているような感覚なのです。

その後いろいろ調べてみると、箱庭療法は、大きな意味で芸術療法(アートセラピー)に入り(独立した療法だという説もあり)、この芸術療法の中には、写真療法というのもちゃんと入っていたのです。芸術療法は、日本では1960年代から研究実践されていて、イギリスでは保険サービスとして認められている公式な療法だそうです。怪しいものではありません。

俺は「写真家になりたくてなったのではない」とさんざん言ってきました。俺にとって写真は、職業ではないという自覚が最初からあったからですが、この芸術療法という点から見れば、まさに、俺にとっての写真を撮る行為は、写真療法そのものになっていたんだなぁということが分かります。「療法」というと病気を治すイメージですが、「表現」にはそもそもそういう治療的側面が伴ってしまうので、ここではあまり病気か病気でないかを区別する必要なないような気もします。

そして写真を撮る行為だけではなく、その被写体である棚田や原風景というものも、もしかしたら、この芸術療法と関係があるのではという直感があります。

心に関して、ユングの考え方では、「意識」→「個人的無意識」→「普遍的無意識」というふうに階層を作っています。この一番深いところの「普遍的無意識」というのは、人類が共通して持っている無意識で、あるイメージとなって現れるといいます。

掲載したバッティック(ろうけつ染め布)は、昔、マレーシアのコタバルに滞在していたとき描いたものです。これは俺の心に浮かんだ曼荼羅ですが、曼荼羅も「元型」のひとつだそうです。この場合は、写真ではないので「絵画療法」といっていいんでしょうか。(ただ、だからといってこの曼荼羅から俺の精神状態を分析できるのかはわかりませんが)

それと俺にとっては、作曲や旅も「療法」と考えることもできます。ただし、すべて「療法」と捉えてしまうのもどうかと思いますが。

「普遍的無意識」には、いろんな「元型」があるわけですが、もしかしたら、「棚田」や「原風景」といわれるものも、この「元型」のひとつなのではないかということも、ひとつの考え方としてはありでしょう。

なぜそう思うようになったかというと、20代の青年と話をしたとき、彼は都会生まれで「田舎」というものもないし、近くに棚田があるわけでもないのに、「なぜか棚田にひかれる」と言ったのです。

俺は子供のころ「棚田」とは意識していませんでしたが、さんざん田んぼは見て育ったので、俺が棚田にひかれるのは、子供のころの体験が影響しているんだろうと漠然と考えていたわけですが、彼のようなタイプだと、そういう理由が見当たりません。

また、外国の棚田を訪ねたとき、外国人(欧米人)と会う機会があって、彼らと話をしていて不思議だったのは、こういった棚田の風景に癒されるというのです。彼らもまた子供のころの体験というものでは説明できないものを持っています。

そこで考えられるのは、このユングの「普遍的無意識」の「元型」のひとつなのではないかということです。もちろん「棚田」そのものではなくて、あくまでも意識されたときのイメージとしてですが。「原風景」というのは、なおさらそうかもしれません。もちろん「原風景」は個人的なものです。だから「日本人の原風景」という表現は正しくないかもしれません。

これから先、この芸術療法(とくに写真療法)と「棚田」や「原風景」のイメージについて少しづつ考えていきたいと思います。

なぜ「棚田」や「原風景」に癒されるのか。いろんな角度から考えてみる。そのひとつに心理学的アプローチがあってもいいのではないかと考えています。

 

 

 

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ビブ・ラタネ、ジョン・ダーリー 著『冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学 』

ビブ・ラタネ、ジョン・ダーリー 著『冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学 』という本があります。

1964年にニューヨークで起こった婦女殺人事件「キティ・ジェノヴィーズ事件」というのがありました。たくさんの目撃者がいたにもかかわらず、誰も警察に通報もせず、助けなかったというこの事件をきっかけに、心理学者がある仮説を実験して確かめたという話です。

結論は、緊急事態の現場に居合わせた人の数が多いほど、助ける人が少なくなるというもの。これを「傍観者効果」と呼ぶそうです。

その後、癲癇発作や、煙が出るなどの実験でも確かめられました。

どうしてそうなってしまうんでしょうか? 大きく2つの理由があるそうです。

【責任の分散】 人数が多いほど、自分よりも援助に適した人がいるはずだ、自分がやらなくてもいい、ほかの人にも責任はあると考えてしまう。

【集合的無知】 みんな同じことを考えていることを知らず、自分の考えはほかの人とは違うのではないか。自分では緊急事態なのかもと思っても、周りの反応を見ると、他の人たちは何もしようとしていないのをみて、緊急事態ではないんだと思い込んでしまう。みんながそう考えてしまうので、誰も助けなくなってしまう。 

これを知ってなるほどと思いました。一昨年と去年、俺も2回の「緊急事態」に遭遇しました。火事と、発作を起こした男です。

火事が目の前に起こっていても、俺は大声も出さずに、不自然なほど冷静でした。それが自分でも不思議だったのですが、この「傍観者効果」が働いている、ということなのかも。

火事の現場にはすでに他の人間がいたので、もう誰かが消防に通報したんだろうと思ったし、彼らがあまりにも冷静だったので、「俺が思っているほどこれは緊急事態ではないかもしれない」などと考えてしまったのでした。

もうひとつ、図書館で発作を起こした男のときも、俺は緊急救護の知識がないので、自分よりも適した人がいるはずだとは思って、ちょっとだけ助けに向かう時間は遅れたということも事実です。

その場には、俺のほか6人ほどいましたが、男の異変に気がついても、みんな何もしようとしませんでした。でも、たぶん、内心は俺と同じだったのかもしれません。

たとえば、電車内でトラブルがあっても誰も助けてくれなかったなどと、「都会人の冷たさ」を非難しますが、たぶん、これも「傍観者効果」と関係があるのかもしれません。個人的には親切な人も、大勢の中では傍観者になってしまう。でもそれは「冷たい」からではない、むしろ「やさしさ」や「思いやり」かもしれないんだぁと、ちょっと見方が変わってきますね。

「傍観者効果」というのを知って、とっさの場合どうすればいいかのか、少し肩の荷がおりた感じがします。とにかく、わからなくても、助けようとすればいいこと。その行動につられてほかの人も動き出すだろうし、その中には自分よりも緊急救護の知識を持った人もいるかもしれません。とにかく他の人が動いてなくても、自分が動けばいい、ということですね。

ところで「田舎の人は親切だ」というのも、もしかしたら錯覚なのかなとも思います。要するに、親切な人は都会、田舎にかかわらないということなんでしょう。

 

 

 

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『心理学とは何なのか』(中公新書 永田良昭著)という本

『心理学とは何なのか』(中公新書 永田良昭著)という本を読んでいたら、太平洋戦争末期にビルマで捕虜生活を体験した歴史学者会田氏の話が載っていて、俺も同じような体験をしていたことを思い出しました。

英軍兵舎の掃除にノックの必要なしといわれたときはどういうことかわからず、日本兵はそこまで信頼されているのかとうぬぼれた。ところがそうではないのだ。(略) イギリス人は大小の用便中でも、私たちが掃除しに入っても平気であった。(略) 

その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音に後ろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。

 「ひと」を人と思わない状況では、相対する人々が互いに相手の意図や感情・情動をもつ存在とは思わない。相対する一方だけが相手を「人」と見ない場合には、他方は、自分の存在そのものを無視された屈辱感を味わう。

これと同じような体験です。 それは1990年ころ、香港の海水浴客でにぎわうビーチでのことです。数人の白人女性たちがやってきて、真っ裸で着替えをするのです。周りには香港人の男もいっぱいいるのに(もちろん日本人の俺たちも男だし)。

このとき俺は彼女たちには、俺たち(アジア人)は、「人」に見えてないんだろうなと感じました。

それともうひとつ、「ひと」を人と思わないことで、できることがあるんだと知った体験があります。

中国に行くようになったのは80年代半ばですが、90年代になっても、田舎に行くとトイレは個室ではなく、良くも悪くも(?)、隣の男と並んでウンコすることになります。 でも、慣れればどうってことなかったのです。それも「中国的」だと思って割り切っていました。

ところが、これができなくなる場合があったのです。 ゲストハウスでのトイレで、同じ客と隣り合ってウンコをするのは苦痛でした。

中国人なら平気なのです。でも隣が外国人(とくに日本人)だと、ウンコができなくて、すぐに出てきてしまいました。 俺も、中国人を「人」と思わない訓練はできていたけど、外国人(日本人)はどうしても「人」だと意識してしまうということだったんだろうなと思います。

ただ言い訳になってしまいますが、俺が中国人を「人」と思わなくなったのは、中国人でさえ、隣の人間は「人」ではないと思わないと暮らせないほど、当時の中国はプライベート空間がなく、そういった社会で暮らす術として、「人」と思わないことを生活の知恵として学んだということなのです。だから俺が特別中国人だけを差別していたわけではありません。

その応用編として、日本でも、満員電車の中で、周りの人を「人」と思わないことで、不快感を減らすという効果は日々実感しているのではないでしょうか。

でもこれは、ある意味、両刃の剣で、「ひと」を人と思わないというのは、没個人になって名前を失い、「人」ではなくなります。「人」ではないのだから、何をやってもいいし、何を言ってもいいということになりやすいのではないかと感じます。

そこで最近目立ってきたヘイトスピーチの集団です。たとえば「嫌韓」を叫ぶ彼らには、具体的な名前を持った個人として知っている韓国人の友だちや知人はいないんだろなと思います。「人」ではなくて「レッテル」に対して叫んでいるだけなので、「殺す」だの何だのと酷いことも平気で言えるのでしょう。しかも集団なので、気も大きくなるわけです。

たぶん、彼らをひとりにして、実際に韓国人の前に立たせたら、すごくおとなしくて穏やかな人間なのかもしれません。

 

 

 

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2015年3月16日 (月)

夢の覚え方にも「コツというか、ある種のレシピのようなものがあります」

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夢を見ていたことは覚えているものの、どういった内容か忘れてしまう日も多く、なかなか夢を覚えておくのも難しいなぁと思う今日このごろ。

覚えておくのに一番いいのは、枕元にノートを置いておいて、目覚めてすぐメモすること。でも、これをやり始めると、以前の失敗(熟睡できなくなる)と同じことを繰り返しそうなのでやりませんが。

それで夢の内容をいったん言葉にしてつぶやくことにしました。そうするとじゃっかん覚えやすくなるようです。たぶん無意識からのメッセージであるイメージそのままで覚えておくというのは難しく、言葉にすることで、意識の世界に取り込めるのだろうと、勝手に解釈しています。

ところで、夢の記録を使って、面白い論文を書いた人がいます。まだはっきりとはわかりませんが、俺が夢の記録をしているのは、「原風景」、「棚田」、「田園風景」といったものがどうして人間を癒すのかを知りたいというのがあります(そればかりではありませんが)。この人の研究が参考になるのでは?と漠然と感じました。

自然と無意識の関係を研究した心理学論文なのですが、自然に触れ合うことで、自分の夢の内容がどういうふうに変化していったかというものです。 ここで意外というか、面白いなぁと思ったのは、自然に親しめば親しむほど、夢に自然に関するものが少なくなっていったことです。この結果はこの人も予想外だったようです。 どうして自然に親しむと、夢に自然が出てこなくなるのか、この人なりの考察も納得できるもので、つまり、自然に親しむことで、外の自然が自分の内側の自然になることで、ことさら外の自然に関心を寄せる必要がなくなったのではないか、というものでした。 なるほど、と思います。

足りないものは増やそうとするし、多いものは減らそうとするという、夢の補償作用を考えても理屈に合うし、たぶんそうなんだろうと思います。 と、いうことは、夢で自然のことばかり見ているうちは、まだ自然に親しんでいないということでもあります。

最近の俺の夢の傾向としては、「外国」「壁」「旅」「舞台」というキーワードが多いような気がします。「外国」「旅」は最近外国旅行をしてないからだろうと思います。 風景にはとうぜん田園風景も出てくるのですが、意外にも「棚田」は出てきません。 と、いうことはもしかしたら、俺にとってはもうすでに俺内部に「棚田」を持っているからなのかもしれません。「棚田病」を自認しているくらいだから当然そういうこともあるでしょう。

 

 

 

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故河合隼雄氏の言葉。「僕は、実はサイコパスなんや」

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「僕は、実はサイコパスなんや」と言われたのです。「サイコパス」というのは、どういう訳がいいでしょうね、「精神異常者」と言ってもいいんでしょうか。・ ・ ・略・ ・ ・だから、最後まで臨床をお放しにならなかったのは、自分自身をもそこで治療しておられたとも、私は考えているのですけどね。」

これは、『日本における分析心理学』のP.80、日本ユング心理学会の川戸圓氏が故河合隼雄氏について語っている部分です。 どの程度をもって「異常」というのかはここではおいておくことにして、河合氏が自分が「異常」であること、それを自分で「治療」しているという自覚はあったんですね。

なるほど、と思います。 俺もそうです。ただ「サイコパス」と言えるほど異常ではないとも思っていますが。写真や絵や音楽によって治療しているという自覚は今はあります。前は自覚はなく、結果として治療していたんだとわかったということです。 精神の安定といったらいいか、安寧といったらいいか、求めているものはそんなところですが、その方法としての写真であり、絵であり、音楽であり、といった感じでしょうか。俺も芸術療法を理論ではなくて、実践から入ったということになるのでしょう。 それと前も書きましたが、「棚田」や「原風景」といったものに、人はどうしてひかれ、癒されるのか、ということも心理学的なアプローチから探ってみたいと思うようになりました。

掲載の絵は、芸術療法のための習作No.001 『双蛇』です。先日バリ島へ行って、あらためてバリ絵画を見ましたが、すっかり影響を受けてしまいました。あの空間の埋め方、ぴったり来るものがあります。

 

   

 

 

  

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2015年3月14日 (土)

夢日記 丘陵地帯の村

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【夢日記 丘陵地帯の村】

 

緩やかな丘陵地帯。太陽がさんさんと輝いている。

低いところに観光地の村があるようで、そこへ行くにはこの大きな道から分かれている小道をたどらなければならないようだ。

道を引き返すと、その分岐点にきた。公衆トイレらしきプレハブ小屋が立っていた。村へ行くには、左側へ下っていく埃っぽくて白い道をたどっていくようだ。

 

 

 

 

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2015年3月11日 (水)

夢日記 イランの山村

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【夢日記 イランの山村】

 

パキスタンの食堂にいた。俺は客の男たちとアジア大陸横断バスの話をしていた。ある山の村の行き方は、テヘランから30分行って右に折れると説明している。本当は、まだ行ったことはなかったが、行ったふりをして話をしていた。男たちも行ったふりをして話をしていた。お互いが探りあいをしていた。

イランの山は美しいという話になった時、俺は山の美しさなら、マダガスカルもそうだったといった。そこにいた欧米人も話に入ってきたが、「現地の人の行動がのろい」と英語で嘆いた。そしたら部屋にマダガスカル人がいたが、2人とも部屋を出ていった。

 

 

 

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2015年3月10日 (火)

夢日記 36という数字

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【夢日記 36という数字】

 

「36」という数が大切だった。それ以上は「多数」であり、区別されないという仮説があった。

 

 

 

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夢日記 コリドールの寝台 

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【夢日記 コリドールの寝台】

 

どこかギリシャのようなところで、石柱が並ぶ長い回廊「コリドール」の中にベッド「寝台」が置いてあって、俺はそこに横たわっていた。

病気ではなかったようだ。ただ昼寝していたのではないかと思う。

すると、ベッドの下から得体の知れないものが出てきて、俺の脚を触ろうとした。それで俺は脚をばたつかせて、捕まらないように必死になった。蹴った足の動作で目覚めた。

 

 

 

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夢日記 イラクの旅で瀕死のヴィーノが助かる

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【夢日記 イラクの旅で瀕死のヴィーノが助かる】

 

リアカーを引いて、犬(ヴィーノ)連れでイラクを旅をしていた。

「Q」の付く名前の埃っぽい町に到着した。誰かに道を聞こうと、あるビルへ入った。廊下を進んでいくと、階段に突き当たってしまった。これではリアカーは進めない。どうしようと思っていたら、ここでゲストハウスを経営する日本人が現れた。別な通路を教えてくれて、ようやくビルの外へ出ることができた。

この旅も目的地に着いたら終わってしまう。なんとなく名残惜しくなって、もう一度同じルートの一部を歩いてみようかという気になった。

そういえば、ヴィーノがいないと気がついた。どこへ行ったんだ? 向こうから女の人が来てバス停で立ち止まって俺の方に何か叫んだ。俺は悪い予感がして急いで行ってみたら、椅子の上、新聞紙に包まれたヴィーノが横たわっていた。「ヴィーノ! ヴィーノ!」と叫んだ。

ヴィーノの体が椅子から地面に落ちた。俺は急いで心臓マッサージを始めた。ちょっとだけ動いた。助かるだろうと俺は望みを持った。

 

 

 

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夢日記 ロシアの国境を越える

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【夢日記 ロシアの国境を越える】

 

そこは国境だった。狭い未舗装道路を下り、トラック数台の脇を抜けてたどり着いたところは、うっすらと靄が漂う広大な畑だった。インドか南ネパールの大平原のようにも見える。少し寒そうに毛布を頭からかぶった人たちが、畑に点在して立っていた。

俺は、ここはどこですか?と手前にいた女性に聞いた。女性は、ロシアですよ、と答えた。そうか国境はもう越えたのか。俺はヴィザが欲しいんだがどこへ行けばいいのか?と聞いたら、向こうの建物を指さした。

俺は建物を目指したが、どの道を通ればいいのかわからない。建物はなかなか見つからなかった。スペイン人ツーリストのカップルと出会ったのでヴィザのことを聞いたら、すでにヴィザは取ったという。

 

 

 

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2015年年賀状は「ハビテスタ」の絵

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(空想上のヒツジ「HABITESTA ハビテスタ」)

2015年もよろしくお願いいたします。

上に掲載の絵は翼を持った「ハビテスタ」という名前の架空の(俺の夢に出てきた)ヒツジのような動物です。

夜飛び回る魔物でもあります。ハビテスタから襲われた人間は、口、目、鼻などに分解されてしまいます。

分解された部分を自分の中で再統合して、まともな「顔」に戻すのが今年の目標です。

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