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2015年8月

2015年8月29日 (土)

子供の自殺は9月1日が多いと聞いて思い出したこと

報道番組を見ていたら、子供の自殺は9月1日が多いと聞いて思い出しました。

こういう問題は微妙だし、専門家でもないので、個人的な話をします。

俺は自殺までは考えなかったような気がしますが(情報も無くてそういう発想にはならなかった時代だったし)、どうやってあの時期の危機を脱出したかもよく覚えていません。

集団が苦手ということだったんだろうと思いますが、幼稚園・小・中学校時代は、突然学校に行きたくなる日があり、「今日学校に行きたくない」というと、親は何も聞かずに休ませてくれました。それが嬉しかったことは覚えています。

そういう意味では、いいかげんな親だったことが幸いしたのかもしれません。今から思えば、休ませてくれたことが「逃げ場」になっていたからです。

大人になってからこのことを親に聞いたら、「何かあるんだろうから休ませようと思っていた」そうで、「いいかげんな親」でもなかったなと感謝しなおしました。

どうして行きたくないのかは自分でもわからなかったのです。それを「どうして?」なんて聞かれたら俺は爆発していたでしょう。(たまに爆発していましたが)

「腹が痛い」とか「頭が痛い」とか言って仮病も使いました。子供ながらに病気のほうが理解されるだろうと思ったのかもしれませんが、正直、本当の理由は自分でもわからなかったのです。

別にいじめられていたわけでも、勉強が嫌いだったわけでもありません(特定の科目を除いて)。ただ集団で同じことを同じ時間でやることが苦痛だったのは覚えています。たまに給食を時間内に食べることができなくて、泣いたこともあります。いつも、というわけではないのですが、実際吐き気がして喉を通らないのです。とくに覚えているのは、食パンの妙な塩味です。

それと集団での複雑な人間関係でしょうか。だから放課後少人数の仲の良い友だちと遊ぶのは楽しかったし問題ありませんでした。

ところで、子供の年間自殺者が300人を越えているという痛ましい状況ですが、自殺予防だといって、「命の大切さ」という正論を説かれても、あまりピンとこないかもしれません。俺の経験からは。

今の子供は賢いから、「命の大切さ」なんて百も承知だと思います。死にたくなるのはそんなことにはあまり関係ない気がします。(いじめを受けているなど、具体的な原因がある場合は別)

もっと個人的なことです。ここから逃げれば、もっと楽しいことがあるかもしれない、といった些細なことに気がつくだけでいいような気がします。

「明日、あのお菓子を食べてみようかな」と思い、そのお菓子のおいしさを想像して、とりあえず死ぬのはやめようかなと、そんな程度のこと。あるいは大好きなペットのワンちゃんのお腹をなでたときの感触。死んだら、もうあの手触りを楽しめないんだよ、とか。

騙し騙しでもいいので、何とかこの時期の危機を脱出できれば、世界は広いんだなぁと気がつき、どんな生き方・考え方をしても、まぁなんとかなると思える日がきっと来るのではないでしょうか。(そう信じています)
 
 
 

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2015年8月27日 (木)

シャッターを押す瞬間---意識と無意識を記録するカメラ

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前から気になっていたことがあります。

撮った写真をあとで詳しく見たとき、映りこんでいたものに初めて気がつくという体験があります。それと撮った記憶がない写真に気がつく(しかも、それがいい写真だったりする)という体験もあります。

写真を撮っている人ならきっとあるでしょう、こういう体験。

たとえば、こんな具体例です。

中国の雲南省元陽で撮影した棚田の写真なのですが、無人だと思っていたのに、あぜ道に人が立っていたのです。小さくてよく見ないとわかりません。撮影しているときはまったく気がつきませんでした。

自分の写真展のとき、大きくプリントした写真の隅のほうをじっくり見るのは面白いですね。棚田の「あぜ道の人」はそうやって見つけたのでした。

写真が客観的に見えるとでもいったらいいでしょうか。自分では「あぜ道の人」にも気がつかず、違ったところに注意を向けてシャッターを押しているのだから、当然ですね。自分の写真でありながら、他人の写真のように楽しめます。

キャノンの新しいEOS 5Dsは5060万画素という驚異的な高解像度を実現しました。性能的には一次元違ったカメラになった印象を受けます。EOS 5Dsの高解像度は、気がつかないものがもっとたくさん自動で写し撮られるということにもなります。あとでの発見が多くなるでしょう。

それとこれも雲南省の写真ですが、当時はまだフィルムだったので、現像したら、まったく撮った記憶のないハニ族少年が藍染の布の間から顔を出している写真に気がついたのでした。

意外と何も見ないでシャッターを押しているのでしょうか。

「何も見ない」というと極端かもしれないので、「フレームの隅々まで注意を払って見て、シャッターを押しているのではない」ということです。ある狭い部分をスポットライトのように意識を集中させているか、あるいは反対に、全体をボヤ~っと見ているかもしれないなぁと。

細かいところまで注意を払っていたら、脳がいくら大きくてもたりません。写真の情報は膨大なメモリーを必要としますが、人間の脳でもカメラでも同じです。

ただ、ここが人間の不思議で面白いところなのですが、注意を集中してなくて、「何が映っているか」に気がついていなくても、目の網膜ではちゃんと捉えていて、無意識レベルではその情報も処理しているらしいのです。認知心理学では「無意識の認知」と呼ぶらしい。

意識しているところでは「見てない」と思っていても、無意識では「見ている」ということなので、頭がこんがらがってしまいますね。けっきょくどっちなんだ?と。

雲南省の棚田の写真も、無意識では「あぜ道の人」にちゃんと気がついていた可能性があるらしい。それどころか、この「あぜ道の人」になんらかの影響を受けてシャッターを切った可能性すらあるということ。

もっとすごいのは、写真を撮ったことさえ記憶がないハニ族少年の写真ですが、これなんかは、おばさんの写真を何枚も撮っている途中で、少年が布から顔を出した瞬間「はっ」と思ってシャッターを切り、今まで続けていたおばさんの写真を撮り続けたので、この1枚のことは意識されなかったのかもしれません。フィルムには、おばさんの写真の間に、少年の写真が1枚はさまっていたからです。俺の意識はおばさんしか見ていなかったということになります。

こういう面白い実験があります。「選択的注意 Selectiv Attention Test」というものです。

ネタバレ注意。先に内容がわかってしまうと意味がないので、テストを受ける人は、以下の文章は後で読んでください。

https://www.youtube.com/watch?v=vJG698U2Mvo

バスケットボールのビデオなのですが、「何回パスをしたか正確に数えてください」と言われて数えることに集中すると、試合会場を横切ったゴリラの着ぐるみの人物に気がつかないという実験です。

人が何かに注意を集中していると、かなり大きな事が画面の中で起こっていても、意識できないということを証明する心理学実験です。

この実験を見れば、「あぜ道の人」や「ハニ族の少年」に気づかなかったことも、ありえる話だなぁと思います。

カメラは、「選択的視認 」の実験にはだまされません。だから、カメラは人間の意識・無意識すべて含めたところを記録してくれるすごい機械であると言えるかもしれません。

「すごい機械」というのは、良くも悪くも、その冷徹な感じさえする圧倒的な客観性です。それと比べると、人間のなんといい加減なことか。前も書きましたが人間は「見たいものしか見ていない」と言ってもいいでしょう。でも、そのいい加減さが人間らしく、また愛おしいところなのですが。
 
 
 
 

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2015年8月18日 (火)

「ワンダーラスト」という病

「ワンダーラスト Wanderlust 」とは「頭がおかしくなるほど旅に出たくてたまらない!」という病気らしい。

世界人口の20%がかかっている「病気」- ワンダーラストとは?
ハフポスト日本版 http://www.huffingtonpost.jp/triport/wanderlust-trip_b_7953888.html

旅に出たくなる病については、このブログでも何度か書いています。「旅は麻薬みたいなもの(2006/07/22)」とか。

とにかく、旅に出なかったら精神的に死んでしまうのです。

たぶん、旅に出たくなることがない人が読んだら、「なんておおげさなんだ」と思われてもいるでしょう。それは若いころから自覚しているし、そう思う人たちのことは理解できます。

この記事を見つけて、俺と同じような「ワンダーラスト」はたくさんいるという安心感を覚えたのでした。これが単なる「わがまま」や「無責任行動」や「逃避行為」ではなくて、「病気」ならしかたない。しかもDNAならしかたないと思ってしまう自分がいます。

ただ、「それ病気ですよ」と言われたとたんに楽になって病気が治ってしまうということもあるので、正直「治ってほしくない」とも思います。旅に出たくなる病気には、治らないことで精神的に安定するという「疾病利得」も絡んでいるからです。

ワンダーラストには「DRD4-7R」という遺伝子がかかわっているといわれているようです。このDRD4-7Rを持っているのは世界人口の20パーセント程度。だからこの遺伝子を持っているからみんながワンダーラストになるというものでもなさそうです。

ワンダーラストはもしかしたら、東アフリカを出た人類の祖先たちから続いているんでしょうか。

かつて人類の祖先たちが、どうして食料も豊かな東アフリカから出たのかは謎です。俺はきっと現状に満足せず、もっといい土地があると思ったから出たのではないかと思っています。

それともうひとつ、この宇宙というものが、ビッグバーン以降、膨張するという方向にあるなら、宇宙の構成要素である人間も、人間の細胞も、人間の気持ちも、膨張の方に向かうのは不自然ではないし、むしろ当たり前ともいえます。外へ向かうことは、人間にとって必然なのかもしれないのです。

外へ向かう、旅がしたいという人類の記憶が遺伝子に刻み込まれていることは十分に考えられることです。

ただ、最近はなんでもかんでもDNAに解を求めるのもどうかなと思うし、すべてが遺伝子ということはないでしょう。明らかに環境や後天的な学習がかかわっていると思われるからです。

それにしてもなんですね、この記事の最後にある文は…

「その気持ちに共感することはできないかもしれませんが、その人を大切に思うならぜひ理解してあげてください。」にはちょっと苦笑してしまいましたが。

こんなに労わられなくても、本人たちはまったく元気なんですが。


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