ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』 未来を信じるのは心の筋肉
「人格心理学('15)」の中で紹介されていたので、ナチス政権下、強制収容所に入ったユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』 (新版 池田香代子訳)を読んでみました。
人格を否定され、まるで動物扱いを受けた収容者たちでも、未来を信じ、希望を持つことがこの地獄を生き抜く力を与えてくれたということらしい。
「強制収容所にいる人間に、そこが強制収容所であってもなお、なんとか未来に、未来の目的にふたたび目を向けさせることに意を用い、精神的に励ますことが有力な手立てとなる。」(p.123)と書いています。
そしてフランクル自身が、暖房の効いた大ホールの演台で、聴衆を前に「強制収容所の心理学」というテーマで講演をしているところを妄想したそうです。
そうすることで、「すべては客体化され、学問という一段高いところから観察され、描写される…このトリックのおかげで、わたしはこの状況に、現在とその苦しみに、どこか超然としていられ、それらをまるでもう過去のもののように見なすことができ、わたしをわたしの苦しみともども、わたし自身が行う興味深い心理学研究の対象とすることができたのだ。」(p124)
でも、未来を信じなかった、未来を思い描かなかった者は、精神的にも、肉体的にも破綻してしまいました。
「希望」がどんなに人間を救うか、という話です。
この極限状態で生きるという意味で、2010年の夏、大きなニュースになった事故がありました。覚えているでしょうか? 俺はヴィーノと奥さんを連れて日本一周した年なのでよく覚えています。
チリのサンホセ鉱山の落盤事故です。地下700メートルの地下シェルター、閉鎖空間で作業員たちが奇跡的に生きていて、最終的には33人全員無事に救出されたというものでした。強制収容所ではありませんが、これも極限状態といっていいでしょう。
救出されるまで3ヶ月、必要だったのは「希望」と良好な人間関係だったといいます。実際「エスペランサ(希望)」がキーワードになったのはご承知のとおり。
救出後、作業員が自分の子供に「エスペランサ」という名前をつけたというエピソードは印象的で、今でも覚えています。
偶然ではないような気がします。この未来を信じる「希望」が極限状態を生き延びるために大切だったという話は。
「希望」を持つというのは、人間が得意といっていいかもしれません。それは未来をイメージできるということです。
人間が生き残ってきた理由はいくつもの偶然が重なったのでしょうが、この未来を思い描くことができるようになったことも、確実に、理由のひとつであるような気がします。
速く走れるように足の筋肉が発達するのと同じに、極限状態で精神的に追い詰められても簡単には折れないように発達した「心の筋肉」ですね、未来を信じることは。
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