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2015年10月

2015年10月30日 (金)

夢の夢を見た

この前、不思議な「夢の夢」を見ました。

去年からまた夢日記を再開しましたが、20代にやったときのように「記録しなければ」とかいった義務感はないので(ないように務めているので)、挫折せずに済んでいます。

だから覚えられない夢は、忘れるだけのつまらない夢だったんだろうなと気にすることはなくなりました。

夢の中で見たことは現実にも影響する話は前にも書いています。現に俺は夢の中で聞いたメロディ使ってヴィーノの曲『そばにいるよ』も作りました。夢の内容は覚えていないのに、しばらくの間、心臓がどきどきしていたり、悲しさや切なさで涙を流していたこともあります。

「夢は現実ではないから」という理由で夢を「とるに足らないもの」と考えるのはしかたないのですが、昔はもっと夢は重要なものだと考えられていました。

「インキュベーション」というのがありました。古代ギリシャでは、夢で病を治療していたのです。古代ギリシャばかりではなく、日本でも、長谷寺や清水寺などでは、人は篭って夢のお告げを待って病を治療していました。

今考えると「なんて非科学的な」と思われるかもしれませんが、その時代では超越性が生きていて、夢治療が機能していました。でも、「神が死んだ」現代では、超越性よりも、夢の「解釈」によって治療が行われるということで、夢の機能がまったくなくなったわけではないようです。

それで今回見た夢が面白いのは、夢の中で夢を考えた、「夢の夢」とも言えるもので、「そうか」と気が付いたことがあります。

「突然いいアイディアが思い浮かぶときがあるが、きっと夢の中ではすでに考えたこと、見たこと、聞いたことで、それが無意識の中で眠っていて、あるきっかけで思い出すのだと俺は確信した」という夢なのです。

「天才的ひらめき」と言いますが、人間の能力はドングリの背比べで、大差はないはずで(大差がないから人類は滅びなかったのだろうし)、「無」から「有」を生み出すなんてことはないんじゃないかなとも思います。

何事も、以前の人間がやったことや考えたことを、試行錯誤で修正しながら取り入れているに過ぎないのではないかなと思います。たとえ「天才的ひらめき」でも過去の人間の影響が全くないということはあり得ないのでしょう。

「天才的ひらめき」ほどではなくても、俺たちのような凡人も、何かを突然思いつくことはよくあることですが、それも、無意識ではすでに考えていたことが、たまたま何かのきっかけがあって「思い出した」ということではないのか、ということなのです。つまり夢で考えていた、見ていた、聞いていた可能性があるのではないか。たいていの夢は忘れてしまうので、突然「思いついた」ように感じられるだけなのではないかなと。

そういう意味では、最初に、「覚えられない夢は、忘れるだけのつまらない夢」と書きましたが、意外とそうではないかもしれません。

夢というのは、自分では忘れたつもりでも、無意識の中ではちゃんと記憶されていて、それが必要になった時に思い出されるのかなと思います。人は自分が知らないところで(無意識で)、もっといろんなことを考えているのかもしれません。

 
 
 

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2015年10月 9日 (金)

映画『ザ・ワーズ 盗まれた人生』を観て。「告白」の心身健康への影響

『ザ・ワーズ 盗まれた人生』は2012年公開のアメリカ映画です。

ストーリーは、

「作家としての成功を夢見ながらもなかなか芽が出ないローリー。妻のドラは、どんな時でも夫の才能を信じ見守っていた。ある時彼は新婚旅行先の骨董屋で、古いアタッシュケースを見つける。中に入っていたのは、一束の原稿。それは、彼が書きたいと切望してきた、読む者の人生観を変えてしまうような魅力的な作品だった。ローリーはつい出来心からその原稿を自分のものとして発表してしまうのだった。それはたちまちベストセラーとなり、ローリーに金と名声を与えた。作家としての知名度もうなぎのぼりになっていた頃、1人の老人と出会うのだった……。」(Yahoo!映画より)

最近「盗作」という言葉をよく聞くようになった気がします。「盲目の音楽家」や「東京五輪エンブレム」などもあったし。この映画も「盗作」をテーマにした映画です。

盗作をテーマにした映画はほかにもありましたが、これは構造が2重になっています。物語の中に物語が入っています。

でも、結果的に、外側の物語は、内側の物語とくっついてきます。そこがこの映画の真のテーマと関係するのでは?と思うのですが。

この構造と似たような映画は、トラと船で漂流した『ライフ・オブ・パイ / トラと漂流した227日』。これも物語を話す人が外側の物語の主人公になっています。

『ザ・ワーズ 盗まれた人生』も『ライフ・オブ・パイ』も、語られる内側の物語自体が魅力的なので、全体の物語も面白いとなるわけですが、でも主人公の立場からみれば、別に内側の物語の内容はどうでもいいのです。いや人に興味を持ってもらうためには、もちろん面白い話にこしたことはないのですが。

「自己開示」あるいは「告白」、「他人に語る」ことが大切なわけです。映画のホントのテーマはここにあるのかもしれません。

ジェームズ・ペネベーカー著の『オープニングアップ:秘密の告白と心身の健康』という本があります。社会心理学の教科書に載っていたものです。

個人的な情報を打ち明ける「自己開示」やもっと内面を語る「告白」というものが、心身の健康や社会適応にいい影響を及ぼすという研究を扱った本です。

まぁ「自己開示」、「告白」が、精神衛生上いいというのは、経験からも感じていましたが、それが精神だけではなくて、身体的にもいい効果があるというのは驚きですが。

相手がいない、日記など、言語化するだけでも効果はあるようです。

だからブログでの自己開示も効果があるらしいですよ。相手が見えないからかえって本音を言えるることもあるかもしれません。ただ、社会に対する開かれた空間なので、危険な部分も当然あります。だからすべてを自己開示しないほうがいいでしょう。

似た言葉に「自己呈示」がありますが、こっちは自分を良く見せようとか(悪く見せようとか?)、意図的に語ることで、このブログは、正直言うと、「自己呈示」が強いかなぁと思います。なので、あまり心身の健康には役立っていないかもしれません。

ブログは「読んでもらう」のは二の次で、結局は自分のために書いているんでしょうね。
 
 
 

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