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2015年12月

2015年12月31日 (木)

新しい認知行動療法「マインドフルネス」と犬の散歩

12月25日の毎日新聞に新しい認知行動療法「マインドフルネス」のことが載っていました。

日本でも12月から従業員50人以上の事業所ではストレスチェックが義務つけられました。

それもあって、この新しい認知行動療法の「マインドフルネス」も注目されているようです。グーグル、アップルなどアメリカのIT企業も研修プログラムに採用しているものです。

「マインドフルネス」とは「一切の評価や判断を挟まない気づき」のこと。ストレス低減法で、自分でもやれる方法だそうです。

新聞には、

「自分が体験する「今この瞬間」に意識を集中することで、過去の失敗や将来への不安がもたらすネガティブな感情に気づき、それらと距離を置き、やり過ごすことができるようにする」

「認知行動療法」の教科書のP.22には、

「不適切な思考の変化を強調せず、非判断的で、受容的な注意の配り方を習得できるように援助するもの。…(略)…習慣的となって凝り固まっていた不適切な認知から自由になることが目指される」

とあります。

認知行動療法の第3世代と言われるもので、「禅」や「仏教」にも通じるところがあります。瞑想法が取り入れられて、マインドフルネス認知行動療法に発展したものです。より東洋思想に近づいたそうです。

新聞には「呼吸のエクササイズ」と「歩くエクササイズ」が紹介されています。

俺も最近は呼吸を意識するようになりました。空気が鼻孔を通るときの感覚、吐き出したときの唇内側の感覚などです。「今この瞬間」を意識すること。

そして匂いに敏感になった気もします。ヴィーノの影響が大きいです。

ある路地を曲がったとき、人の姿が見えなくても、今しがた人がここを通ったな、くらいはわかるときもあります。微かな人の匂いが感じられるのです。どれだけ時間が経っているかはわかりませんが。

犬の散歩というのは馬鹿にできませんね。ただ単に、歩くから体にいいだけではなく、より精神的な効果もあるようなのです。

それはもしかしたら「今この瞬間」を意識することが多くなったからかなぁ。犬の散歩というのは知らず知らずのうちに「マインドフルネス」を実践していることになるのかもしれません。(こじつけ?) ヴィーノはまさに「今この瞬間」を大切に生きている動物だし。
 
 
 
 

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2015年12月29日 (火)

JAXAが閉鎖環境実験の一般参加者を募集中のニュース

こんなニュースがありました。

「2週間で38万円支給!JAXAが閉鎖環境実験の一般参加者を募集中、飛行士のストレス把握手法研究のため」
http://japanese.engadget.com/2015/12/27/2-38-jaxa/

「募集対象は20~55歳の健康な男性」なので、例外なしとすると、年齢制限でひっかかってしまうのでだめかもしれないですが、応募してみたいですね。

と、思ったら、すでに「受付終了しました」ですと。???

http://www.jcvn.jp/jaxa/

閉鎖環境で生きるという意味で、数年前こんな事故がありました。俺と妻とヴィーノの3人で車中泊で日本一周していたときなのでよく覚えています。

チリのサンホセ鉱山の落盤事故です。地下700mの地下シェルターで作業員たちが生きていた、そして最終的には、33人全員無事に救出されたというものでした。

救出されるまで3ヶ月、必要だったのは「希望」と良好な人間関係だったそうです。実際「エスペランサ(希望)」がキーワードになったのはご承知のとおり。

責任者の強いリーダーシップのもと団結していたらしい。それでなくても個性の強い作業員たちです。たぶん全員の意見を民主的に聞いていたら生き残れなかったかもしれません。やはり「アルファ」が必要なのだろうと思います。

ほとんどの哺乳動物は平和を維持するために進化した支配の序列をつくるらしい。自分の地位をわきまえれば争わずに済むというのです。

そこで、ボス(首位)は「アルファ」、第二位は「ベータ」といいます。

「閉鎖環境」とまではいきませんでしたが、濃密な閉鎖空間に近い車の中で、どのようにすれば争わずにすむのか、ストレスを減らせるのか、俺たちもある意味、「車中泊」でその実験をやっているようなものでした。

四六時中同じ車内で過ごすわけですからね。楽しいだけの旅ではありませんでした。時々喧嘩もしました。(だからやりがいがあったのですが)

「車中泊」という旅の常識が妻とふたりで共有できるようになると旅がスムーズになったという感じがします。

そしてもうひとつ、誰がボスになるか、ということも重要でした。つまり、この三頭(俺・妻・ヴィーノ)の群れの「アルファ」が決まらないと、群れは安定しないのです。船頭は一人でいいと言われますが、これは真理をついていることを肌身で理解しました。

ただし、俺たちの場合、いつも決まった誰かが「アルファ」であり続けるということではなくて、たとえば、食事を決めるときには妻が「アルファ」になり、目的地へ向かうルートを決めるときは俺が「アルファ」になるということなのです。

そういう暗黙のルールのようなものが、だんだん固まってくると、旅がしやすくなるというのがわかりました。

ただ、散歩をしているときは、ヴィーノが「アルファ」になっているように感じていましたが(今もそうですが)、これは「しつけがなっていない」ということなのでしょうか。(犬のしつけの本には、例外なく「飼い主がアルファにならなければならない」と書いてあるからです。でも、このことについては、あまりにも「欧米式しつけ」ではないかと俺は批判的ですが)

チリの落盤事故からも、俺たちの車中泊の「実験」からも、閉鎖環境においては「民主的」というのは意外と役に立たないものだというのがわかりました。「民主的」は理想かもしれません。でも、それは各人の意識が高く、「和」をたっとび、平和時に限られた価値観なのではないかとも感じたのです。非常時にはもろいのです。(犬に「民主的」を説いても無駄ですし)

以上、個人的な「実験」の感想なので、これが一般化できるかどうかはわかりませんよ。でもこれから長期の車中泊を考えている人がいれば参考になるかもしれません。この件は『妻と犬連れ日本一周、車中泊の旅』にも書いています。(すみません、宣伝させてもらいました)

とにかく、閉鎖環境での実験というは、拡大解釈すれば、地球という限りある空間にも通じるわけで、どんなふうにすれば人間が共存できるか?という意味では、相似形なのではないかなと思います。

将来の宇宙空間で生きる方法としてだけではなく、今、この地球上で生きる方法にも、何か新しい知見をもたらしたらおもしろいですね。
 
 
 
 

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2015年12月27日 (日)

心はどこにあるか? それは棚田のなかにある

心はどこにあるかと尋ねられたとき、なんと答えるでしょうか。「棚田の中にある」などと答えたら「お前バカか?」と言われてしまうかもしれません。でも、この答えはあり得るという今日の話です。

普通に答えるなら、ある人は頭(脳)といい、ある人は胸のあたり(心臓)と答えるのではないでしょうか。俺も直感的には胸のあたりを指すと思います。

「認知神経科学'12」では、面白いことを知りました。

「心」の語源は「凝り(こごり)」という説があります。これは「煮凝り」の「凝り」のことでしょうか。

もともとは動物の内臓のことです。体こそが心だと思っていたようなのです。心と体は切り離せないものでした。言われてみれば「頭(脳)」と考えるようになったのは最近になってからでしょう。

古代中国でも、心は心臓、腹部、胸部に宿っていると考えられていました。(wiki参照

日本でも、心は腹にあると思っていました。だから武士の「切腹」は、心の中身を見せる、つまり心に偽りがないことを見せるためだというのです。

「認知神経科学'12」p.262には最近の研究についてこうあります。

自分の心はどこにあるかということについて、「身体内部だけではなく、外部環境とのやりとりも含めて心であるという見方もある。心は何らかの空間を占めているという実体ではなく、機能なので、心のはたらきを実現している実体を身体の外にまで拡張して考えることも原理的に可能と思われる」

Wikiにもこうあります。

「最近では、アントニオ・ダマシオらによって、脳だけで説明しようとする理論では不十分なところがあり、脳に加えて身体まで含めた総体のダイナミックな相互作用が意識や心という現象を作り出しているとすべきだ、と指摘されるようになっている」

科学が発達して、心は脳の状態と関連があるということがわかったのでしたが、でも最近では、脳だけあっても心・意識は生まれず、脳、身体、環境の相互作用で心・意識が生まれるというふうに変わってきているらしい。

自分の心・意識が自分の外にもあるという話、周りの環境も自分の心・意識の一部であるかもしれないという話は面白いなぁと思うし、世界の田園風景を旅してきた経験から、納得できることもあります。

これで以前書いたTPPによる環境の変化は、日本人の心に与える影響が大きいのでは?という話とつながってきます。環境だけが変わるわけではないというのがミソです。

TPPは経済的な問題だけではなくて、やっぱり心・意識の心理的な問題でもあるのです。そこに目をつぶって経済的なメリットに走ろうとするのは、まるで「悪魔に魂を売る」ような行為なのかもしれないですね。

金持ちには(短期的には)なれるかもしれないですが、それと引き換えに、心はすさんで、幸福感は失われてしまうのでは?と恐れます。俺は旅から得たものとして、田園風景が人間の心にいい影響を与えることを信じてもいるので。

「私の心は棚田にある」という答えはちょっと極端な言い方ですが、こういう意味でした。
 
 
 
 

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2015年12月26日 (土)

【夢日記】 頭に入らないシンポジウムの内容

何かの講演会かシンポジウムの会場。

俺は連れと離れてひとり前のほうに座ってスクリーンに映し出されている写真やファイル内容を眺めていた。

でもあまり内容がわからない。

終わった時、主催者側のスタッフの女性が来て「どうですか?」と聞いた。俺は正直に「内容が頭に入らなくて」と言った。

いつのまにか場所が会議室のようなところに変わっていて、丸テーブルの周りに座った数人のスタッフたちと話をしていた。

俺は「写真はドンピシャなんですよね」と言った。写真を撮っているのは、それに興味を絞っているからというシンプルな理由を説明したつもりだった。でも彼らは納得しなかったようだ。

世の中のすべてのことに興味を持っていて、そうじゃなきゃいけないというふうに思っているらしい。

だから俺は「それじゃぁイラクのバグダッドの裏路地のカフェの椅子のことなんか、あなた興味ないでしょ?」と言った。

みんな「極端だなぁ」という顔をしている。世界を救っているのは俺たちだと言わんばかりの態度に違和感を持った。




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2015年12月24日 (木)

心はどこにあるか? それは棚田の中にある

心はどこにあるかと尋ねられたとき、なんと答えるでしょうか。「棚田の中にある」などと答えたら「お前バカか?」と言われてしまうかもしれません。でも、この答えはあり得るという今日の話です。

普通に答えるなら、ある人は頭(脳)といい、ある人は胸のあたり(心臓)と答えるのではないでしょうか。俺も直感的には胸のあたりを指すと思います。

「認知神経科学'12」では、面白いことを知りました。

「心」の語源は「凝り(こごり)」という説があります。これは「煮凝り」の「凝り」のことでしょうか。

もともとは動物の内臓のことです。体こそが心だと思っていたようなのです。心と体は切り離せないものでした。言われてみれば「頭(脳)」と考えるようになったのは近代になってからでしょう。

古代中国でも、心は心臓、腹部、胸部に宿っていると考えられていました。(wiki参照

日本でも、心は腹にあると思っていました。だから武士の「切腹」は、心の中身を見せる、つまり心に偽りがないことを見せるためだというのです。

「認知神経科学'12」p.262には最近の研究についてこうあります。

自分の心はどこにあるかということについて、「身体内部だけではなく、外部環境とのやりとりも含めて心であるという見方もある。心は何らかの空間を占めているという実体ではなく、機能なので、心のはたらきを実現している実体を身体の外にまで拡張して考えることも原理的に可能と思われる」

Wikiにもこうあります。

「最近では、アントニオ・ダマシオらによって、脳だけで説明しようとする理論では不十分なところがあり、脳に加えて身体まで含めた総体のダイナミックな相互作用が意識や心という現象を作り出しているとすべきだ、と指摘されるようになっている」

科学が発達して、心は脳の状態と関連があるということがわかったのでしたが、でも最近では、脳だけあっても心・意識は生まれず、脳、身体、環境の相互作用で心・意識が生まれるというふうに変わってきているらしい。

自分の心・意識が自分の外にもあるという説は面白いなぁと思います。

周りの環境も自分の心・意識の一部であるかもしれないのです。

これで以前書いたTPPによる環境の変化は、日本人の心に与える影響が大きいのでは?という話とつながってきます。環境だけが変わるわけではないというのがミソです。

TPPは経済的な問題だけではなくて、やっぱり心・意識の心理学的な問題でもあるんですね。

「私の心は棚田にある」という答えは、こういう意味なのでした。
 
 
 
 

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2015年12月17日 (木)

MOMATコレクション特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示

東京国立近代美術館では、MOMATコレクション特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示が開催されました。戦争画14点の一挙展示は初めてだそうです。(2015年12月13日まで)

第2次大戦中、戦争画を描いたことから「戦犯」と批判されて、嫌気がさした藤田は、日本を出てフランスに渡りました。

「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と言ったそうです。1955年にはフランス国籍を取得しました。

戦争画を描いたのは、ヨーロッパから帰国後の1932年(昭和7)から1949年(昭和24)の間です。『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』、『アッツ島玉砕』などの作品を手がけました。

陸軍報道部からは、国民を鼓舞するための絵を求められて描いたそうですが、戦場で戦う兵士たちの暗い画面の群像は、戦争の残酷さ、惨めさなどを感じさせる、おどろおどろしい絵のように感じます。「戦争協力者」の批判が的外れに感じるほど、人間の本質を描いた作品のようでもあります。

藤田は、西洋で認められた画家で、日本人画家には羨望の眼差しで見られていました。陸軍関係者の多い家柄だったということもあり、戦犯として批判するにはもってこいのターゲットだったのでしょうか。

なお展示会場の一角には、俺にはすごく興味深いコーナーが設けられていました。藤田が監督した日本の子供たちの生活を撮った映画です。

『現代日本 子供篇』"Episode of children" from Picturesqu Nippon.

1935年(昭和10)製作、8分38秒の作品です。

日本に帰国後、藤田は戦争画を描くと同時に、民俗学者のような視点で地方の文化も描くようになったそうです。ヨーロッパを見続けた藤田にとって日本はエキゾチックな「「異国」に映ったに違いありません。創作意欲が刺激されたのではないでしょうか。

そんなとき、海外向けに日本を紹介する映画シリーズ『現代日本』の監督の依頼がきました。担当したのが『日本風俗』の5巻。ただ、現存するのは唯一この『子供篇』だけだそうです。

ロケ地は愛媛県松山市。散髪屋、紙芝居、祭り、遊びなどの映像が、少ないセリフとともに淡々と流れます。昭和初期の風俗がめちゃくちゃ面白いですね。夜には真っ暗になり、妖怪がまだうようよいた時代です。

でも驚いたことに、子供たちが「貧しげで国辱的」と批判を受けて、お蔵入りになってしまった映画だそうです。どこが「国辱的」か俺にはわからないですねぇ。子供たちは生き生きしていると思いますが。批判した人間は何と比べて「貧しい」と判断したのでしょうか。
 
 
 
 

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