【夢日記】 トランペット
コンサート会場のようなところにいる。
俺たちは歌手のバックバンドらしい。
他のメンバーはスタンバイしている。
俺はトランペットを吹くことになっている。
まずはリハーサルだ。
俺は一番遅れてステージへ立った。
トランペットの場所は、ひな壇の上の方だったので登って行くと、床にトランペットが置いてある。
それをつかんだとき、俺はトランペットが吹けないことに気が付いた。
でも、なんとか吹かなければ。
今さら吹けないでは済まされない。
マウスピースに唇を当てた。
コンサート会場のようなところにいる。
俺たちは歌手のバックバンドらしい。
他のメンバーはスタンバイしている。
俺はトランペットを吹くことになっている。
まずはリハーサルだ。
俺は一番遅れてステージへ立った。
トランペットの場所は、ひな壇の上の方だったので登って行くと、床にトランペットが置いてある。
それをつかんだとき、俺はトランペットが吹けないことに気が付いた。
でも、なんとか吹かなければ。
今さら吹けないでは済まされない。
マウスピースに唇を当てた。
ここ最近、まともに夢を覚えていることが少なく、夢日記は、4月から更新されていませんでした。
☆
どこか事務所から出た俺は、自宅に帰るためにバス停へ行った。
バスに乗り込んだとき、ポケットに事務所の鍵が残っているのに気が付いた。
返さなければならない。
事務所に戻ろうと思った。
そのときバスに乗っていた青年がいて、どこか登山でもするのかという格好をしていた。
彼は俺に登山の地図かガイドブックのようなものを出して、あげましょうか?といった。
俺は、登山はしないので、と断った。
俺も登山客だと思われたらしい。
彼はどうしてか聞きたがっているようだったが、この公園には希少生物もたくさんいて、俺はそれを調べている仕事をしているようだった。
☆
夢の舞台の事務所やバス停は、感覚からいうと寒い山村のような感じでした。だから、スイス人家族と出会ったマッターホルンのイメージが混ざっているようです。それと最近の「トライ」のCMでアルプスが出てくるところも。
そして夢を見るきっかけになった、もっとも関係ある舞台は、ペナン島の北西端、ペナン国立公園のことではないかと思います。ここで軽くジャングルトレッキングができます。「登山」とありますがこの「トレッキング」のことでしょう。
この夢の「希少な生物を調べている人」というのは、現地で会った日本人のことなのではないか、と思います。
その人は、貝の研究のために、そのジャングルの研究所に勤めているといい、昼飯を食べるために、ちょうど俺たちが食べている食堂にやってきて、日本人ではないかと声をかけた人でした。
その人の話を聞き、ペナンに住んでいるのが、うらやましかったことを覚えています。
こうしてみると、「夢」は、いろんな思い出、イメージを合成して造り上げられているんですね。そして問題は、なぜこのタイミングでこれを見たか、ということが、俺に何かあるんだろうと思います。
やっぱり「ペナン島・ロス」の症状ですね、これは。
上田から東京にバスで戻ってきた。
そして気が付いた。
俺は上田まで車で行って、上田に車を置いたままだったことを。
それで、もう一度上田に戻るしかない。
バスを探していたら、白タクらしい大型バンの運転手が声をかけてきた。
彼は、近くの村で人をピックアップしてから出発するという。
料金を聞いたら30パーセントという。
けっこう高い。
それで公共のバスを探すことにした。
バス駅には、行く先が書いてあったが、それが全部「イ」とか「エ」とか「ハ」とか、カタカナ一文字で、分かりにくい。
どうしようか、途方にくれた。
中居正広が広場のベンチでキッシュのようなものを前に置いて食べていた。
俺はその隣に座った。
中居は不機嫌そうだった。
そして俺に買い物を頼んだので近くの売店へ行った。
そこはAKB48のメンバーがやっている店で、商品棚に170円の牛乳があった。
何を買うか聞いていなかったが、手元には200円あり、きっとこの170円の牛乳を買っていけばいいのだろうと思った。
パキスタンにいた。
屋台で頼んだ食べ物は、皿代わりの葉っぱで出されたが、そこにサラミの薄切りのようなものが載っていて、店主は、それから食べるように言った。
俺は地元の友だちとバス駅のようなところへ向かったが、先を行った友だちが、銀色のバッグを持って現れた。
これは俺のバッグだ。
俺は彼にパソコンが入ったこのバッグを渡していたようだ。
彼は言う、盗まれたと。
なんと、中に入っていた新品のパソコンが抜かれて、バッグだけ残されていたのだ。
友だちは申し訳なさそうだったが、どうしてこんな人通りの多いところにバッグを置いていたのか、彼に対する憤りでいっぱいだった。
そして、彼にバッグを預けてしまった俺の浅はかさを後悔した。
人に物を預けてはいけないと反省した。
中国雲南省にいた。
同行者がほかに2名。
彼らは1枚の写真を持っていたが、それはこのへんで昔(戦争時代?)撮影したもののようだった。
俺は地元の人に中国語で説明した。
この人たちは、昔ここに来たそうです。
皆さんに「対不起(ごめんなさい)」と言いたいと。(戦争中なにかあったのだろうか?)
そして、これは当時撮った写真ですが、だれか知っている人はいないでしょうか?
中国語がなかなか出てこないので、もどかしい感じがした。
昔のことなので、わかる人もいなくなったのだろう。
知っているという人は現れない。
橋のたもとにロン毛の青年(日本人?)が現れて、地元の人に、同じように聞き始めた。
俺は、この青年にうさん臭さを感じた。
どこか大きな体育館か劇場のような建物にいる。
俺は出演の順番を待っている。
俺の所属するチームを探していろいろ動き回るが、なかなか見つからない。
練習もしていないので、本番は大丈夫だろうかと心配になる。
水で濡れた黒い急坂を、滑らないように注意して下りていた。
上から車もバックで下りてきた。
この坂でタイヤが滑らないか、確認しようと思った。
実際自分が運転した時、このくらいの坂なら、あのタイヤでも大丈夫なんだと少し安心した。
でも、その車は、速度が速く、止まれなくなって、田んぼに突っ込んだが、その田んぼは狭かった(幅は1.5mほどしかなかった)ので、すぐ通り抜けた。
そして90度回転して、田んぼの間の道に止まった。
そばには広い場所もあるのに、どうして田んぼの狭い道に止まったのか不思議だった。
俺はその車に乗り込もうとした。
ところが、車の周りは水びたしで、それが高さ40cmほどの深さになってしまい、その水圧のせいか、車のドアが開かなかった。
どこかに旅に来ている。
俺はカメラを持っていて写真を撮った。
それを現像してもらう(だからフィルムカメラだったのだろう)ために、街の写真屋に頼んだ。
ところが、俺が背負っていたカメラバッグのファスナーが開いていることに気が付いた。
道理で少し軽いなと思っていたら、バッグからカメラが飛び出したらしく、空だったのだ。
もう写真は撮れない。
残っているのは、今まで撮った写真屋に預けたものだけだ。
ところが、その受け取りの半券も無くしてしまった。
電話で半券がなくても大丈夫か聞いてみようと思った。
ある店に入ったら、店の主人は、演歌歌手のようだった。
どこかで見たような顔だ。
歌を歌っている。
あまり上手ではない。
俺は、なぜかゆで卵を箸で突き崩しながら主人の歌を聞いていたが、最後には、俺も一緒に歌っていた。
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